創作の部屋~朝月夜~<50話>【R】
「もう、寝た?」
僕は、ベッドの中で横にいるマリに話しかけた。
「何?」
「来月、どこかに行かない?」
「どこか・・・って?」
「それをふたりで決めよう」
「どうしたの、突然」
マリが僕を見て聞いた。
「一緒に旅行したことないだろう?」
「ないけど・・・」
「行きたい所、ある?」
マリは少し考えて、「日本」と言った。
なぜ、日本だなんて言うんだ・・・?
次の言葉を発せずにいる僕に、マリが言った。
「パパとママに、また、会ってくれって言われると思った?」
「いや・・・」
「今の時期、紅葉がきれいなのよ」
「見たことあるんだ?」
「うん・・・高校生の頃にね」
「ずいぶん昔の話だなあ」
「その頃、日本にいて、修学旅行が京都だったの。ところが、私、熱を出して」
「行かれなかった?」
マリは、黙ってうなずいた。
「すごく楽しみにしていたから、悔しくて。ベッドの中で泣いてたら、パパが風邪が治ったら一緒に行こうって」
「それで、行ったんだ」
「うん・・・綺麗だった。京都の紅葉。天才画家がどんなに腕を揮っても、あの色は出せないわね」
僕の脳裏に、会津の雪景色が鮮やかに甦った。
純白の雪。
深々と降り積もる音。
凍てつく風の香り。
そして・・・。
「日本はだめだ」
「どうして?」
「・・・言葉が通じない」
「私は解るわ」
「そのたびに通訳してたら、面倒だし、かっこ悪い」
「それなら、アメリカもフランスも・・・イタリアも全部だめじゃないの」
「だから、韓国のどこかに・・・」
「最初から、そう言って」
マリは、「つまんない」と言うと、背を向けた。
「韓国にだって、紅葉が楽しめる場所はいくらでもあるさ。たとえば・・・」
「思い出作りしたいの?」
「え・・・?」
「旅先で、もう、終わりにしようって別れ話をするつもり?」
「そうじゃなくて・・・」
「だったら、なぜ突然、旅行しようなんて言うのよ」
マリは振り返ると僕の胸にしがみついた。
「私は、今のままがいい。インスと暮らせたらそれでいいの」
今のままでいいはずがない・・・。
マリが望んだこととはいえ、正式に結婚もせず、毎日、マリに家事をやらせている。
掃除、洗濯、食事の仕度。
そして、夜は一緒に眠る。
男としては何の不自由もない。
だが、それは男にとって都合のいいことで、真っ当な生き方ではないように思える。
母もそう言っていた。
僕がマリを旅行に誘った理由はふたつあった。
まず、忙しく働くマリに休息を与えてやりたかった。
そして、ふたつめはマリの夢の話を聞く時間を作りたかった。
NYから届いた絵葉書に書かれた「夢を捨ててないよな」の言葉の意味を、僕はいまだに確認できずにいた。
「カズ」と言う人物のことも。
あの日、マリに内緒で絵葉書を持ち出し、内容を知って愕然とした。
先に帰宅していたマリに気付かれないように、僕は元の場所に絵葉書を貼り付けた。
一時、その場所から絵葉書が消えたことに、マリは気付いていなかったのだろうか。
それとも、気付いていながら、知らぬふりをしたのだろうか。
問い質されないことをいいことに、僕は口を噤んだまま、今日まで来てしまった。
「特別なことは何も望まない。インスの側にいたいだけ・・・」
いつもは受け身のマリが、自分から唇を寄せて来た。
マリの舌が緩やかに動き回る。
僕から奪った唾液を飲み込む音が、耳元で微かに聞こえた。
マリの右手がTシャツを捲り、僕の胸を撫で、細い指先は、脇やお腹の辺りで柔らかに弧を描き続けた。
その間も、マリの唇は僕の耳朶を噛み、首筋を辿り、頬に触れた。
たったそれだけのことで、僕の体はすでに反応し、それを悟られまいと僕は焦った。
だから、マリの指がスウェットパンツの紐に掛かった時には、思わずその手を強く掴んだ。
「拒否しないって約束は、私だけに課せられたものだったのかしら?」
それじゃ不公平よね・・・そう言いいながら、マリの手は僕の腕を逃れ、スウェットパンツのゴムをくぐり、その中へと侵入した。
激しく押し寄せる快楽の波の中で、声が漏れそうになるのを僕は必死に耐えた。
今、マリが僕にしていること・・・。
それは、けして強要してはならないことだと今まで戒めて来た行為だった。
だが、実は心のどこかにいつも抱いていた願望だったのだと、マリの髪を撫でながら僕は思った。
マリの唇と舌に翻弄され、その部分だけが、僕の体の一部でありながら、そうではないような・・・そんな錯覚に陥った。
「それ以上したら、だめだ・・・」
身を任せていたら、そのまま果ててしまいそうで、僕は、強引にマリを引き離した。
僕たちは慌しく衣服を脱ぎ、再び縺れ合った。
そこで、初めて主導権を得た僕は、マリの体にキスの雨を降らせ、先ほどの仕返しをするかのように、マリを責めた。
僕の動きに合わせて、マリの乳房がリズミカルに揺れた。
それはまるで瑞々しい果実のようで、先端を吸ったら甘い蜜がほとばしりそうだった。
「インス・・・好きだと言って」
マリがその言葉を要求する時は、登りつめる時の合図だ。
僕は、マリの耳元に望みどおりの言葉を囁いた。
韓国国内の旅行の話しは、あっさり流れ、僕たちはソウル市内のホテルで1日を過ごすことを決めた。
マリを家事から解放し、ゆっくりとした時間を過ごすことが目的なら、それもいいか・・・と言うことになったのだった。
「どうせなら、最高級のホテルがいいなあ。隣の部屋のひそひそ声が聞こえるような、安いホテルなら、ここにいる方がずっといいもの」
マリの希望を適えるべく、僕はソウル市内の高級ホテルの部屋を予約した。
「見慣れた漢江もこういうところから眺めるといつもと違って見えるわね」
最初は乗り気じゃなかったマリもうれしそうだった。
僕たちは寄り添って、雄大な夜の漢江を眺めた。
「インス・・・旅行に誘った本当の理由は何?」
夜景から目を離さずマリが言った。
「私をゆっくり休ませたいから・・・そう言ったわよね。でも、本当の理由は他にあるんじゃない?」
「ワインでも飲もうか?」
「お酒を飲まないと話せないようなこと?」
「いや・・・冷蔵庫の中のワインがおいしそうだったから。持って来て。ワイングラスも一緒にね」
僕たちはソファに並んで座り、深紅の液体が注がれたグラスを寄せ合った。
「レストランでおいしいお料理を食べて、漢江を眺めながらインスと一緒にお酒を飲んで・・・とってもいい気分。すべてインスのおかげね。ありがとう」と、マリが言った。
無邪気な表情で、「おいしい」と言いながらワインを飲んでいるマリの横顔を見ていたら、本当の理由なんてどうでもいいじゃないか・・・と思えてきた。
だが、心に気掛かりなことを抱いたまま生活していくのは、本当の幸せに繋がらないような気もした。
僕は迷いながらも、まず、無断で絵葉書を持ち出したことを詫びることから始めようと決めた。
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