創作の部屋~朝月夜~<26話>
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ソウルから車で3時間ほどの所にあるリゾート地は、スキー客で賑わっていた。
ゲレンデに特設されたステージが、コンサート会場となる。
照明担当のスタッフは、僕の他に2名いたが、いずれも経験が浅く、社長のO氏は不安を感じていたのだろう。
予定より1日早く到着した僕の姿を見て、社長は「明日でよかったのに・・・」と言ったが、内心安堵したような表情を浮かべた。
思えば、ユキと出会えたことも、社長のおかげと言ってもよかった。
体調を崩した僕の世話を、ユキに頼んだのは社長だったのだから。
毎日違うアーチストが出演して、1週間、コンサートは続く。
スキーだけでなく、コンサートを楽しみに訪れる人も多く、照明効果も綿密な計画を立てる必要があった。
ユキに会いたい・・・などと、甘いことは言っていられない、僕は自分自身に言い聞かせた。
それでも、コンサートが終わった後の凍てつく夜空を見上げては、「愛しています」と言ってくれたユキの顔を夜毎、思い出していた。
すべての日程を終えて、ソウルに帰る日、僕の心は、納得のいく仕事を成し遂げた満足感に満ちていた。
自宅に戻った時は、深夜になっていた。
テーブルの上に、「あとのものは、自由に処分してください」と書かれたスジョンからのメモがあった。
室内から、大きな道具類が運び出された気配はなく、スジョンはわずかな身の回りの品だけを持って行ったのだ、と言うことが解った。
今は、残された物をどう処分するか、そこまで思いを回らせる気にはなれなかった。
僕は、着替えることよりも、シャワーを浴びることよりも先に、ユキの声が聞きたかった。
「はい・・・神門です」と言うユキの声が、とても懐かしく思えて、僕は名乗ることも忘れてしまった。
「ユキ・・・?」
僕の問いかけに「あ・・・っ」と小さくつぶやくユキの驚きの声が聞こえた。
「今、帰った・・・」
「地方でコンサートがあって・・・」
「どうしても今夜のうちに・・・」
「ユキの声が聞きたくて・・・」
「ずっと、連絡せずにいたこと・・・」
「離婚・・・決まった」
脈絡のない言葉が次々と口をついて出た。
ユキは「そう・・・」とひと言、言った。
互いの様子を気遣う言葉を交わしたあと、「ユキに会いたい・・・」と僕は言った。
「私も同じ気持ちです」
と、言ってくれたユキの言葉に心が揺れた。
「でも・・・しばらく行かれそうにない」
「今度の仕事・・・長くかかりそうなんだ・・・」
仕事なんか放り出して、本当は今すぐ、ユキに会いに行きたいんだ・・・と言う、本心を隠して、僕は言った。
いっそのこと、ユキが「待てない。今すぐ来て」と、言ってくれたら・・・との思いが、一瞬、僕の脳裏をよぎった。
「私のことは気にしないで・・・。私は大丈夫だから・・・」
ユキらしい言葉が返ってきたことで、さらにユキへの思いが募った。
僕は、「仕事が片付いたら、必ず会いに行く」と約束して電話を切った。
リゾート地でのコンサートが終了した日、僕は社長に呼ばれて、次の仕事の指示を受けていたのだ。
海外からのアーチストを迎えての大仕事だった。
先輩の照明監督が受けるはずの仕事だったが、足を骨折して入院してしまったと言う。
「まったく・・・この大事な時に、あいつは何をしているんだ」
社長が、吐き捨てるように言い、「お前は大丈夫だよな」とでも言いたげな顔で僕を見た。
数日後、ソウル市内の病院に入院している先輩を訪ねると、「迷惑かけて、すまない」と、先輩は僕に向かって頭を下げた。
想像以上に元気な先輩を見て、僕は「何とかなりませんか?」と聞いてみた。
「腕だったらなあ・・・こうして肩から吊って、動くこともできるが、足だからなあ」と、先輩は、自分の右腕を肘から折り、同時に大腿部から装着されたギブスの上から、足を摩った。
「自信がないのか・・・?」と、先輩に聞かれた。
確かに社長から依頼された今度の仕事は、リゾート地のコンサートとは比べものにならないほどの技術と緊張を要する仕事だった。
韓国でも有名な劇場に、アメリカの大物歌手Mを招いてのコンサートだ。
失敗は絶対に許されない。
しかし、僕が躊躇している理由は別のところにあった。
「まずは、NYに行って、Mのステージを見て来い。作戦はそれからだ」と、意気込んだ様子で社長は言った。
つまり、直ちに渡米して、現地に数日間滞在し、Mのステージをじっくり観察して来いということだ。
「帰国したら、すぐに企画会議を始めよう。忙しくなるぞ」社長はそう言って、「よろしく!」と、僕の肩を叩いた。
日本に行けない・・・。
ユキに会えない・・・。
迷っている理由はそこにあった。
ベッドの脇に立ち尽くしている僕を見上げて、先輩は、「チャンスを生かせ!」と言った。
「この仕事が成功したら、大きく評価される」
「照明監督として、世の中に名前を知ってもらえるチャンスなんだぞ」と、言われた。
病院を出るとすっかり日が暮れていた。
「お前なら、できるよ。俺の分まで頑張ってくれ」
先輩の言葉が耳元で聞こえた。
社長はまだ、会社にいるだろうか・・・。
僕は、渡米の意思を伝えるために、会社に向かって車を走らせた。
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