創作の部屋~朝月夜~<38話>
「だめになった・・・?だめになったって、どういうことだ?」
「だから・・・今、言ったとおり・・・」
ユキの声は今にも消え入りそうだった。
「体に気をつけろって、何度も言ったはずなのに・・・」
「ごめんなさい・・・」
「謝って済むこことか?原因は何なんだ?」
「解りません・・・」
「解りません?お父さんの看病で無理をしたのか?それとも仕事・・・」
僕の言葉を遮るように、ユキは再び「解りません」と、言った。
その日、僕はL.A.から、帰国したばかりだった。
着替えよりもまず、ユキの声が聞きたかった。
約束の日に日本に行かれなかったこと、そして、L.A.滞在中、一度も電話できなかったことを詫びようと思っていた。
新人スタッフの些細なミスで、照明装置が故障してしまった。
現地での修理は不可能だった。
急遽、ソウルから照明装置を移送することになり、僕は同行を命じられた。
ソウルで行なわれたMのコンサートの照明技術が評価され、オファーを受けたコンサートの仕事だった。
僕は、ソウルでの仕事が入っていたので、他のスタッフが責任者としてL.A.に行っていた。
現地のエージェントは、無責任だと怒りを僕にぶつけた。
結局、コンサート終了まで、僕がL.A.に滞在すると言う約束で、その場は収まった。
コンサートの全日程は5日間。
終了後は、機材の搬出、移送、残務整理。
滞在期間は20日余りを要した。
その20日の間に僕たちの子供がだめになった・・・。
にわかに信じ難い事実に、僕は唖然とした。
さらに追い討ちをかけるように、ユキはまたも信じられない言葉を口にした。
「私たち、もう、会わない方がいいと思います」
子供を失って、ユキは動転しているのだと僕は思った。
「何か・・・違うと思うの」
「違うって、何が?」
答える口調が、つい荒くなってしまう。
「一緒になるには、障害が多すぎて・・・」
「そんなこと、最初から解っていたことじゃないか。ふたりで、ひとつひとつクリアして行けばいい」
「自信がないんです」
「とにかく、電話で話すようなことじゃない。会って話そう。近いうちに、必ず、行くから」
「あの時、来てほしかった・・・」
「子供が、だめになったのは僕のせいだって言うのか?僕の無責任さが災いしたって・・・そう思っているのか?」
「そうだと言ったら、私のことは忘れてくれますか?」
「ユキ・・・本気なのか?」
「年老いた父をひとり残して、私は韓国へは行けません。あなたは、全てを捨てて、私の元に来られますか?」
「ユキが望むなら、そうしてもいい」
「きっと、後悔するわ」
「後悔なんかしない」
「私が後悔する・・・あなたから、仕事を取り上げたら、一生そのことを悔やみながら生きていくことになるわ」
確かにユキの言うとおり、僕から、仕事を取ったら、何が残るだろう。
他に取得もないし、やりたいこともない。
しかし、ユキを失うくらいなら、生きがいともいえる仕事さえ捨てても構わないと僕は思った。
「ユキ・・・冷静になって考えてくれ。焦って結論を出す必要はないだろう?」
「十分、考えた末のことです」
「僕たちが愛し合った数ヶ月を、ユキはたった数日で片付けるのか?」
「この20日間は、私にとっては長いものでした」
「別れられると思っているのか?」
「私はそう決めました」
「勝手なことを言うな!」
大声を出すまいと思っていたが、感情を抑えることができなかった。
「人にはそれぞれ必要とされる居場所があるはずです。そこで、幸せになるための努力をすべきだと思います」
「ユキの居場所は僕の隣じゃないのか?」
「必要な時・・・側にいてほしい時、あなたはいないわ」
それは仕方ないことじゃないか・・・と、言おうとしたが、結局は、仕事を理由にした男の身勝手な言い訳のように思えて、僕は、返す言葉を失った。
「父の側で、畑を守って、一緒に暮らせる人と・・・」
「だったら・・・なぜ、僕を愛した?」
「だから・・・違うって、気付いて・・・」
「それが別れる理由だっていうのか?もう、いい・・・話にならない。少し時間を置いて、また、電話する」
それで、僕が納得できると思っているのか。
ふざけるな、と言いたい気持ちだった。
「電話もこれが最後です。お体に気をつけて、どうぞお元気で」
形式的な言葉を残して、ユキは僕たちの関係に幕を下ろした。
僕は、上着を掴んで外に出た。
タクシーに乗り込み、後部座席で目を閉じた。
「どこまで?」
無言の僕に、運転手がもう一度聞いた。
「どこでもいい・・・酒の飲める場所に」
目を閉じたまま僕は答えた。
「ユキちゃん、大丈夫?」
振り向くと、後ろにコウジが立っていた。
「聞いてたの?」
「ごめん・・・。聞くつもりはなかったんだけど・・・。ビールでも飲もうかなと思って下りて来たら、台所に明かりがついていたから・・」
私は冷蔵庫を開けるとコウジに缶ビールを差し出した。
「ユキちゃんも飲む?・・・あっ、酒はダメか・・・」
「私はこれで・・・」
私は、インスから電話がある前にコップに注いだぬるくなった麦茶をひと口飲んだ。
「嘘を言うって、つらいわね・・・」
「好きなら、別れることないじゃないか」
「ちょっと前までは、お父さんには申し訳ないけど、韓国へ行って、彼と一緒に暮らそうかな・・・と、思っていたの」
「そうすればいいのに」
「怪我をしたお父さんを見たら、気持ちが揺れちゃった・・・」
「ここで一緒に暮らすことはできない?」
「ここに彼の居場所はないわ。今の仕事を辞めて、ここで輝きを失っていくあの人を見るのは、別れるよりもつらいもの・・・」
「おじさんには、言った?」
「まだ、言ってない。退院したらきちんと話すわ」
父はきっと、自分のことは構うなと・・・。
韓国へ行けと言ってくれるだろう。
でも、年老いた父を家族でもないコウジに任せて行くことはできない。
インスと私とは、生きる道が違うのだと、その時、私は思っていた。
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