創作の部屋~朝月夜~<51話>
「マリを旅行に誘ったもうひとつの理由は、マリの夢についてゆっくりと聞きたかったからなんだ」
「私の夢は、インスとずっと一緒に暮らすことよ」
マリは、躊躇うことなく言った。
「本当に?」
「おかしい?」
「いや・・・そうじゃなくて・・・」
「私らしくない?」
マリはそう言って笑った。
「あの・・・絵葉書に書いてあったことが気になってるのね」
「やっぱり、気づいてたのか?君に黙って持ち出したこと」
マリは黙ってうなずいた。
「まず、そのことを謝らなければいけないと思っていた」
「別に・・・謝ることなんてないわよ。見られても構わないと思ったから、あんなところに置きっ放しにしておいたんだし・・・」
マリにとってあの絵葉書は、その程度のものだったのか。
僕には、そうは思えなかった。
だからこそ、絵葉書の文面が理解できた時、僕は自分がしたことを後悔したのだ。
「NYで暮らしていた時のこと・・・いずれ話さなくちゃいけないと思ってた」
「そうか・・・」
「話すきっかけを失ってた・・・。いっそのこと、インスが絵葉書を見て、私を問い詰めてくれたら・・・って、思ったわ。ずるいわね」
マリは話すきっかけを失い、僕は尋ねるきっかけを失っていた。
「過去は気になる?」
「それが普通だろう?」
「目の前にいる人を精一杯愛する、それが私の愛し方なの。インスの愛した人がどんな人だったのか、なぜ別れたのか・・・そんなことは知らなくていいと思ってる」
「それは、終わったことに対して言えることじゃないのか?」
「私のことも終わったことよ」
「そうだろうか。少なくとも、向こうはそうは思っていないようだ。待っていると書いてあった」
僕は、あえて「向こう」などと乱暴な言い方をした。
顔の見えない男の姿が浮かんだ。
「だから・・・何?私をNYへ行かせたい?」
「そうじゃなくて・・・・」
「そんな話をするために、ここに来たの?」
「カズって、誰だ?恋人?」
「・・・だった」
マリは少しの間を置いて、そう答えた。
彼とは、日本のダンススクールで出会った。
同じ夢を追う仲間は、やがて恋人になった。
夢は果てしなく広がり、NYへ行って一緒にレッスンを受けたいと思うようになったの。
彼に内緒でパパとママに援助を申し入れた。
あっけなく一笑に付されたわ。
両親にとって、彼は娘を誘惑したとんでもないヤツで。
私達の夢は、話にならないほどのつまらないもの・・・だったの。
でも、私達はNY行きを強行した。
彼がいてくれたら、怖いものなんて何もなかった。
ふたりでバイトをしながらレッスンに通ったわ。
ひとつのパンをふたりで分けるような暮らしでも、幸せだった。
いつかは、プロのダンサーになって、同じ舞台に立とうって夢があったから。
それなのに、私はレッスン中に怪我をしてしまった。
NYの医者は再起不能とまでは言わなかったけど、リハビリにかなりの日数を要すると言った。
入院費を稼ぐために、彼はバイトを増やして、そのためにレッスンも休みがちになってしまった。
それでも、「夢をあきらめるな!」と言い続けてくれた。
そんな彼の姿を見ていることがたまらなくつらかった。
日本へ帰って治療に専念すると嘘を言って、私は・・・彼の元から逃げたの。
日本の医者は、痛めた箇所はダンサーにとっては致命傷だと言った。
一生自分の足で歩きたいなら、プロになるなどと大それた夢は忘れて、趣味としてのダンスを考えたらどうかと言われたの。
その時点で、私は夢をあきらめた。
両親の側にいるのも息が詰まる気がして、韓国に来たの。
最初は、おばあちゃんの家でのんびりと過ごしながら、これから何をしようかと考えたわ。
ダンスとはまったく関係ないことをしたかった。
だけど、すぐには思い浮かばなかった・・・。
とりあえず、おばあちゃんの反対を押し切って部屋を借りることにした。
生活するための手っ取り早い方法として、あの店を選んだの。
そして・・・しばらくして、あなたに出会った。
「これで、私の話しは終わり」
話し終えたマリは、すっきりとした表情をしていた。
「あの後、すぐに彼に手紙を書いたの。好きな人ができたって」
マリは、僕の様子を窺うように視線を向けた。
「幸せに暮らしているって書いたわ」
「その後、彼からは?」
「何も言って来ない。安心したんだと思う。彼だって、NYで2年近くもひとりでいるはずがないし・・・」
「いいのか?それで」
「私の夢はインスとずっと一緒に暮らすことだって、最初に言ったでしょ」
そう言いながら、マリはソファから立ち上がった。
「話しをしながらついつい飲んじゃって・・・風に当たりたい気分」
マリの言うとおり、目の前のワインのボトルは空になっていた。
「でも、外はきっと寒いわね」
マリは、窓辺に立って、漢江を見下ろしながらつぶやいた。
「マリ・・・」
僕は、マリと同じように漢江を見下ろしながら言った。
「結婚しよう」
マリの驚く顔が窓ガラスの中で、漢江の流れと重なっていた。
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