2011/08/05 16:44
テーマ:徒然なる
カテゴリ:趣味・特技(その他)
我を愛する歌 (啄木)
砂山の裾に横たわる流木に
あたりを見まわし
物言ひてみる
あたりを見まわし
物言ひてみる
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
詩人が歌ったその心を解釈しょうなんて邪道だと思っていたんですが、雑学程度には知っておくべきことも多々あるようで…
本音は思い込みや勘違いでもいいと思うんですけどね^^
例えば
「赤とんぼ」
♪~夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か~♪
御多分に漏れず、daiwa流解釈は追いかっけこしながら見てたのかと思ってましたし^^;
♪追われて見た~♪
上の「一握の砂」の有名な一首も、初めて詠んだ小6から高校生になるまでずっと、東海地方の白浜海岸を想像してましたが、実はそこは、函館大森海岸だと教えられた記憶があります。
それが最近読んだ本には、「東海の小島」そのものが「日本」をさしている、とも@@?
ずいぶん大きな話であるけど、異国人(呉英珍)の啄木研究家のこの弁、説得力ありました。
誰そわれに ピストルにても撃てよかし 伊藤のごとく死にて見せなむ
(1910年10月『創作』誌「九月の夜の不平」)
本棚の奥にあった啄木詩集(1983.2月29版)ではこの詩が、」同じ1910・10刊の「一握の砂・我を愛する歌」の中に収録されていました(???)
やっぱりこっちの編集のほうが変だし、信頼できないもの…vv
過去記事↓
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