安重根その逆説的な犠牲の美学(推敲しました)
演劇<私はお前だ>で、安重根義士のアキレス腱であり、彼が背負う十字架という逆説的な存在として登場するアンジュンセン役のソンイルグクさん。 この作品では安重根と安俊生の一人二役役を消化する。 芸術の殿堂の提供
2010年安重根義士逝去100周期を迎えた昨年を前後して私たちは3編の意味ある公演に接しました。
最初がミュージカル<英雄>です。
2009年10月26日安義士根拠100周年に合わせて開幕したこの大型ミュージカルは荘厳な音楽と派手な舞台演出で賛辞を受けました。
安義士がハルビン駅で伊藤博文を射殺する当時撃った七発の銃声で始まるこの作品は、しかし古典的英雄説話の構造を抜け出すことができませんでした。
アン・ジュングンの歴史的重量感に踏み付けられて偉人伝の中の‘正しくて美しいあなた’のイメージを破ることが出来なかった為です。
このミュージカルにはアリストテレスが<詩学>で良いドラマの核心要素として挙げる
‘発見’と‘反転’が溢れています。
アン・ジュングンのアンティゴノス奏者として浮上させた伊藤博文が、寧ろ人間味あふれる人物として形象化された理由もここにあります。
イトウを暗殺しようとしたが失敗した女主人公ソリが、無意味な自殺を選ぶ場面では日本軍国主義の‘死の美学’に抱き込まれたんじゃないのか、という嘆きまで出るほどでした。
ミュージカルの英雄で、安重根が伊藤博文を狙撃する場面。 エイコム提供
二番目作品はその年11月国内初演された演劇<冬の花>でした。
日本の劇作家鐘下辰男(カネシタタツオ)の原作を土台にしたこの演劇は当時80席程度の簡素な劇場で公演されました。
しかし、韓国公演界全体を恥ずかしくさせるほど、アン・ジュングン偉業の真の意味を‘反転’を通じて‘発見’せしめて美学的成就を見せました。
この作品はアン・ジュングンが撃った銃弾中伊藤に命中した三発の銃声に焦点を向けさせます。
‘ドン、カンカン’と聞こえるこの声は日本人たちに死の声として不安と恐怖を引き起こします。
だが、それがアン・ジュングンがお母さん腹の中で聞いた心臓拍動音、すなわち生命の声というものが明らかになりながらアン・ジュングン根拠の真の意味があらわれます。
近代日本をひきつけた‘死の倫理’の虚構性を暴露して‘生命の倫理’を新しく質すための力説の抵抗であった。
作品の大衆的成功とは別に、このような美学的深さの差が筆者を困らせました。
アン・ジュングンを英雄で賛える側の作品が、どのように彼の手に英雄を失った側の作品より、さらに深い達成を見せることができないものでしょうか。
その時に三回目の作品として演劇<私は君だ>を出会いました。
2010年7月国立劇場KB空劇場で初めてデビューしたこの作品は、当にその様な美学的ギャップを埋める作品でした。
いや正確には、そのようなギャップを招くようにさせた私たちの集団的罪悪感を、きちんと凝視させてくれた貴重な作品でした。
演劇はミュージカル<英雄>と違いアン・ジュングンの光よりは影に焦点を合わせました。 当にアン・ジュングンの息子ジュンセンです。
彼はアン・ジュングンという英雄のアキレス腱と同じ存在です。
父親が命をかけて処断した伊藤博文の子孫に謝罪をしてお金まで受けた民族反逆者です。
幼い時期には、日本の密偵が与えた毒入り菓子を受け入れて、兄に渡し9才年齢にして死に至らしめた張本人です。
その結果英雄の唯一の後嗣になったが寧ろ一族と民族の羞恥として忘却のドロ沼に捨てられた‘歴史的私生子’です。
演劇はそのような呪われた存在を、九千(クチョン)を漂う幻影として呼び出します。
1幕で沿海州または、満州と見える荒野がスクリーンをいっぱい埋めた中でジュンセン(ソン・イルグク)は死んでも正体が分からない影にずっと追われます。
父親に恥をかかせて民族を裏切ったという緋文字は、彼の魂に奥深く刻まれています。
父の遺体が100年の歳月が流れたいまでも故国に安置されることなく、まだ万里他国を漂うせいでしょう。
ジュンセンの祖母ジョマリア(バクジョンジャ)と母ギムアリョ(ベヒェソン)の霊も、依然として九天を漂います。
しかし、彼らもジュンセンを見分けができません。
いや無視しています
おばあさん組マリア女史に敬遠され"親日派、変節者、背信者"という子孫らの呪いを聞いて苦しむアンジュンセン.
喪に服したコーラスは‘虎のような父の下に犬のような子供’という意味の‘虎父犬子’と‘親日派、変節者、背信者’を呪文のように唱えて、そのようなジュンセンを圧迫します。
唯一守り(ハン・ミョング)だけが
“英雄の息子も英雄に繋がなければならなかった”として惜しむのです。
ジュンセンは
“自ら選んでなったんじゃないアン・ジュングンの息子という軛を使って、風の中を漂うほかなかった”とし“誤った時代に間違って生まれて運命の手綱をのがした”と抗弁します。
だが、お母さんは“まっ暗な闇の中に息子を埋めた”と、おばあさんは“行きなさい。 再び明るいところに出てくるな”として彼を投げ出します。
これを見守る観客は複雑です。
殆どはジュンセンという人物が存在した事実も知らなかったから。
それで見えないはずのものを見た人のように慌てるほかありません。
たとえ知ってたとしてもコーラスと同じように、彼を民族の恥辱とし背を向けることは同じだったでしょう。
ところで演劇はなぜその複雑な存在と対面をさせるのでしょうか?
一度風が吹いて2幕が始まれば1幕でジュンセン役に出演したソン・イルグク氏が今度はアン・ジュングンに変身して登場します。
彼は日帝に対する敵愾心に燃えて、日本軍捕虜を虐殺しようとする独立軍同志たちを
“我を守り隣を守り敵まで守って生かすことが私たちの韓民族の道理”と説得します。
さらに団地同盟とハルビンでイトウ狙撃し、そして旅順監獄での裁判過程で始終一貫して、朝鮮と日本の共生のために自身の命を犠牲とし単身捧げるという意を表明します。
(伊藤博文を処断した後開かれた日本法廷で対韓独立の正当性を力説するアン・ジュングンと彼の同志達)
1幕で息殺した観客は2幕の周知の物語に息の根がひらくのを感じます。
場面場面ごとによどみなく拍手喝采が出てきました。
特に日本法に頼って命乞いはしないというアン・ジュングンにお母さん組マリアが
“控訴してはなりません。 命をもの乞いしてはなりません”
としてお別れを告げる場面で最も大きい拍手がわきおこりました。
妻が自ら作った服を夫に着せて
“あなたために今日は一着服を作って、単身ため明日はあるドクの酒を醸造します。 つつじの咲誇る春野原で私たちの喜びに飲む日を待ちます”
というセリフを詠む時は涙を拭く観客が多かった。
最後の3幕で観客は1幕の犬子と2幕の虎父が対面するのだと予測します。
だが、その対面が果たして私たちにどんな意味で近寄ることになるのでしょうか?
1幕でジュンセンという‘発見’があったとすれば3幕では当然それに(彼に)似合った‘反転’がなければなりません。
虎のような父の峻厳な叱責に犬のような息子が涙を流して謝罪する明らかな結末には、そのような反転を期待することはできません。
3幕は1幕と首尾双関の構造を成し遂げます。
カラス群れを連想させるコーラスは雨にぬれたハツカネズミのようなジュンセンに厳しい非難の銃弾爆撃を降り注ぎます。
ハツカネズミの抵抗も侮れないです
“お父さんは英雄になられたのかもしれないが、私はオオカミたちに投げられただけだった。
日本の人々にお世辞をいった。謝罪をした。四つの足で這いつくばって、私は私の命を守らなければならなかった。
私が何を間違ったと? 生き残った事が間違いでしょうか?”
悪に捧げた彼は
“私は死ぬことも寝つくこともできなくて。 くやしくて薄情で…後悔して恥ずかしくて…”
と、父に向かって強い恨みを吐露します。
父に向かって抗弁するアンジュンセン
その恨みは大きく三つの質問で構成されます。
“なぜ伊藤博文を殺したのか”、“あなたはいったい誰か”そして“それしきの国と民族が何だというのか”です。
100年前も今も同じように通じる質問でもあります。
ジュンセンはその答えを探せないまま、6.25韓国動乱(朝鮮戦争)渦中に釜山(プサン)の避難地でひとり寂しく息をひきとりました。
彼を親日派の裏切り者、背信者と後ろ指を指す私たちは、その質問に対する模範解答を知っています。 いや分かると思います。
最初の質問に対する答は東洋平和のために、
二番目の答は対韓国のアン・ジュングン(大韓国人安重根)であり、
三回目答は“得するということを見れば義に徹するということを考えて国が危険ならば命を捧げなければならない(見利思義見危授命)”です。
この時点でジュンセンの霊魂を追いかけた黒い影の正体が明らかになります。
死の死神でなく息子に対する惻隠の心を抑制できない親父アン・ジュングンの霊魂です。
まさに演劇‘冬花’で‘ドン、カンカン’という声を連想させる劇的反転が繰り広げられる瞬間です。
伊藤博文を処断した後命をもの乞いしないで処刑台に向かって歩いていくアン・ジュングン. 果たして彼が担って行った十字架の正体は何だろうか?
伊藤博文を処断した後命乞いせずに処刑台に向かって歩いていくアン・ジュングン.
果たして彼が担って行った十字架の正体は何だろうか?
その魂が聞かせる答は、私たちの予想解答とは全く違います。
第2次大戦終戦後産業化と民主化に同時に成功し、世界10位圏の経済大国でありスポーツ強国を導くことになる大~韓民国の優秀な子孫らのためにではありません。
外勢の横暴にまともに休息もないながら、生き残るために地団駄を踏まなければならなかった自身の息子のように、醜くて下品なこれらのためにです。
その瞬間、アン・ジュングンが迫害された民族のために、犠牲としてささげたのが自身の命だけでないということが明確になります。
命より大事な息子を含んだ家族を共に犠牲にしたのです。
結局、親日派の変節者背信者としか生きられなかったジュンセンこそ、アン・ジュングンが苦痛に担って行った十字架ではなかったでしょうか?
アン・ジュングンが篤いカトリック信者だったという点を思い出させるならば、
罪深い人間を愛していたから、彼らのために自身のイエスキリストまで犠牲にさせた神の愛を見習って実践したのだともいえないでしょうか?
だが、本来私たちは彼が担ったその十字架を‘呪われた存在’の兆候として受け入れています。
凶悪犯罪の処刑具を象徴した十字架が、イエスの処刑と復活以後愛の象徴で劇的な意味転換を成し遂げたことを想起すれば、どれほど胸の痛む反転でしょうか。
<私は君だ>は
そのように英雄の息子としてジュンセンが体験した苦痛に背を向けながら、安重根を絶えず英雄にだけ呼称する私たちの虚偽意識を鋭く痛打します。
ーこの文は芸術の殿堂で公演する<私は君だ>パンフレットにのせられた原稿です。ー
鐘下辰男 氏は演劇に多少馴染のある人なら知る人ぞ知る今をときめく演劇人です。
『冬の花』原作は『寒花』(kanka)
韓国でも有名なのかな^^
今日で本公演は千秋楽を迎えます
私が願わなくともこの作品は何度も再演を繰り返し、真の名作となっていくでしょう
アン・ジュングン、その逆説的犠牲の美学(コピペ)
2010年安重根義士逝去100周期を迎えた昨年を前後して私たちは3編の意味ある公演に接しました。
最初がミュージカル<英雄>です。
2009年10月26日安義士根拠100周年に合わせて開幕したこの大型ミュージカルは荘重な音楽と派手な舞台演出で賛辞を受けました。
安義士がハルビン駅で伊藤博文を射殺する当時撃った七発の銃声で始めるこの作品はしかし古典的英雄説話の構造を抜け出すことができませんでした。
アン・ジュングンの歴史的重量感に踏み付けられて偉人伝の中の‘正しくて美しいあなた’のイメージを破ることが出来なかった為です。
このミュージカルにはアリストテレスが<詩学>で良いドラマの核心要素で選んだ‘発見’と‘反転’が陥っています。 アン・ジュングンのアンチ白鳥ストロー浮上させた伊藤博文がかえって人間味あふれる人物で形象化された理由もここにあります。 イトウを暗殺しようとしたが失敗した女主人公ソルリが無意味な自殺を選ぶ場面では日本軍国主義の‘死の美学’に抱き込まれたこと違うのかという嘆きまで出てくるほどでした。
二番目作品はその年11月国内初演された演劇<冬花>でした。
日本劇作家があなたでタツオの原作を土台にしたこの演劇は当時80席しかならないみすぼらしい劇場で公演されました。
だが、韓国公演界全体を恥ずかしくさせるほどアン・ジュングン偉業の真の意味を‘反転’を通じて‘発見’やり遂げる美学的成就を見せました。
この作品はアン・ジュングンが撃った銃弾中イトウに命中した三発の銃声音に焦点をむかえさせます。
‘ドン、カンカン’と聞こえるこの声は日本人たちに死の声として不安と恐怖を引き起こします。
だが、それがアン・ジュングンがお母さん腹の中で聞いた心臓拍動音、すなわち生命の声というものが明らかになりながらアン・ジュングン根拠の真の意味があらわれます。
近代日本をひきつけた‘死の倫理’の虚構性を暴露して‘生命の倫理’を新しく使うための力説の抵抗であったのが。
作品の大衆的成功と別個でこのような美学的深さの差が筆者を困らせました。
アン・ジュングンを英雄で賛える側の作品がどのように彼の手に英雄を失った側の作品よりさらに深い成就を見せることができないということでしょうか。
その時に三回目作品として演劇<私は君だ>を会いました。
2010年7月国立劇場KB空劇場で初めてデビューしたこの作品はすぐにそのような美学的間隙を埋める作品でした。
いや正確にそのような間隙を招くようにさせた私たちの集団罪の意識をまともに凝視するようにした貴重な作品でした。
演劇はミュージカル<英雄>と違いアン・ジュングンの光よりは影に焦点を合わせました。 すぐにアン・ジュングンの息子ジューンセンです。
彼はアン・ジュングンという(のは)英雄のアキレス腱と同じ存在です。
父親が命をかけて処断した伊藤博文の子孫に謝罪をしてお金まで受けた民族反逆者です。
幼い時期には日帝密偵が与えた毒が陸は菓子を受け入れて兄の方配る9才年齢に死ぬようにした張本人です。
その結果英雄の唯一の後嗣になったがかえって一族と民族の羞恥として忘却のドロ沼に捨てられた‘歴史的私生子’です。
演劇はそのような呪われた存在を九千(クチョン)を飛び交う幻影に呼び出します。
1幕で沿海州または、満州と見える荒野がスクリーンをいっぱい埋めた中でジューンセン(ソン・イルグク)は死んでも正体が分からない影にずっと追われます。
父親に恥をかかせて民族を裏切ったという緋文字は彼の魂深々と彫られました。
お父さん死体が100年の歳月が流れたけれど故国に安置されることができなくてまだ万里他国を飛び交うせいでしょう。
ジュンセンの祖母ジョマリア(バクジョンジャ)と母ギムアリョ(ベヒェソン)の霊も、依然として九天を漂います。 しかし、彼らもジュンセンウル見分けができません。いや冷遇します
喪に服したコーラスは‘虎のような親父の下に犬のような子供’という意味の‘虎父犬子’と‘親日派、変節者、背信者’を注文のように覚えてそのようなジューンセンを圧迫します。
ひたすら守り(ハン・ミョング)だけが“英雄の息子も英雄繋がなければならなかったか”として惜しむだけです。
ジューンセンは“自ら選んだのでもなかったがアン・ジュングンの息子というくびきを使って風の中を飛び交うほかはなかった”として“誤った時代に間違って生まれて運命の手綱をのがした”と抗弁します。
だが、お母さんは“まっ暗な闇の中に息子を埋めた”とおばあさんは“行きなさい。
再び明るいところに出てくるな”として彼を投げ出します。
これを見守る観客は不便です。
大部分はジューンセンという人物が存在した事実も知らなかったためです。
それで見られないべきことを見た人のように慌てるほかはありません。
たとえ分かったとしてもコーラスと同じように彼を民族の恥辱とし背を向けることは同じだったでしょう。
ところで演劇はなぜその不便な存在と対面をさせるのでしょうか?
一度風が吹いて2幕が始まれば1幕でジューン生駅に出演したソン・イルグク氏が今度はアン・ジュングンに変身して登場します。
彼は日帝に対する敵がい心に仏陀日本軍捕虜を虐殺しようとする独立軍同志たちを“私を守って隣を守って敵まで守って生かすことが私たちの配達族の道理”と説得します。
引き続き団地同盟とハルビンでイトウ狙撃そして旅順監獄で裁判過程で始終一貫朝鮮と日本の共生のために自身の命を犠牲のひとりでに捧げるという意を表明します。
1幕で息殺した観客は2幕のなじむ話に息の根がひらくのを感じます。
場面場面ごとによどみなく拍手喝采が出てきました。
特に日本法に頼って命をもの乞いしないというアン・ジュングンにお母さん組マリアが“控訴しなくしなさい。
命をもの乞いしなくしなさい”としてお別れを告げる場面で最も大きい拍手がわきおこりました。
海苔痛くて女史が自ら作った服を夫に着せてくれて“あなたために今日は一着服を作って短信(単身)ために明日はあるドクの酒を醸造します。
チンダルレ見事な春野原で私たちの喜びを飲む日を待ちます”という大使を詠じる時は涙を拭く観客が多かったです。
最後の3幕で観客は1幕の犬子と2幕の虎父が対面することだと予測できます。
だが、その対面が果たして私たちにどんな意味で近寄ることになりましょうか?
1幕でジューンセンという‘発見’があったとすれば3幕では当然それに(彼に)似合った‘反転’がなければならなくありませんか。
虎のような親父の峻厳な叱責に犬のような息子が涙を流して謝罪する明らかな結末ではそのような反転を期待できません。
3幕は1幕と首尾双関の構造を成し遂げます。
カラス群れを連想させるコーラスは雨にぬれたハツカネズミのようなジューン生にあくどい非難のじゅうたん爆撃を降り注ぎます。
ハツカネズミの抵抗も侮れないです“お父さんは英雄になられたのか分からないが私はオオカミ私たちに投げられただけだった。
日本の人々にお世辞をした謝罪をした四つの足で這って行った私は私の命を守らなければならなかった。
私が何を間違った? 生き残ったのが誤りでしょうか?”悪に捧げた彼は“私は死ぬことも寝つくこともできなくて。
くやしくて薄情で…後悔して恥ずかしくて…”として親父に向かってきつい願望を取り出しておきます。
その願望は大きく三個の質問で構成されます。
“なぜ伊藤博文を殺したのか”、“あなたはいったい誰か”そして“それしきの国と民族が何とこしえに”です。
100年前も今も同じように有効な質問です。
ジューン生はその答えを探せないまま6.25韓国動乱(朝鮮戦争)渦中に釜山(プサン)出血してからで単独で寂しく息をひきとりました。
彼を親日派変節者背信者と指差しする私たちはその質問に対する模範答案を分かります。 いや分かると考えます。
最初質問に対する答は東洋平和のためにで、二番目答は対韓国のアン・ジュングン(大韓国人安重根)であり、三回目答は“得するということを見れば義に徹するということを考えて国が危険ならば命を捧げなければならない(見利思義見危授命)”です。
この地点でジューンセンの霊魂を追いかけた黒い影の正体が明らかになります。
死の死神でなく息子に対する惻隠の心を抑制できない親父アン・ジュングンの霊魂です。 すぐに演劇‘冬花’で‘ドン、カンカン’という(のは)声を連想させる劇的反転が繰り広げられる瞬間です。
伊藤博文を処断した後命をもの乞いしないで処刑台に向かって歩いていくアン・ジュングン. 果たして彼が担って行った十字架の停滞(正体)は何だろうか?
その魂が聞かせる答は私たちの予想返事と全く違います。 2次大戦終戦後産業化と民主化に同時に成功した世界10位圏の経済大国でありスポーツ強国を導くことになる大~韓民国の優秀な子孫らのためにではありません。
外勢の横暴に息もまともに休まないながら生き残るために地団駄を踏まなければならなかった自身の息子のように醜くて下品なこれらのためにです。
その瞬間アン・ジュングンが迫害を受ける民族のために犠牲のひとりでに支えたのが自身の命だけでないということが明確になります。
命より大事な息子を含んだ家族を共に犠牲にしたのです。
結局親日派変節者背信者だとしか生きられなかったジューンセンこそアン・ジュングンが苦痛に担って行った十字架ではなかったでしょうか?
アン・ジュングンが篤いカトリック信者だったという点を思い出させるならば罪深い人間を愛したので彼らのために自身のイエスキリストまで犠牲にさせた神様の愛を見習って実践したこととまで話せないでしょうか?
だが、本来私たちは彼が担ったその十字架を‘呪われた存在’の兆候に受け入れています。
凶悪犯罪の処刑道具を象徴した十字架がイエスの処刑と復活以後愛の象徴で劇的な意味転換を成し遂げたことを思い出すならばどれくらい胸が痛い反転ですか。
<私は君だ>はそのように英雄の息子としてジューン生が体験した痛みと苦痛を冷遇しながらアン・ジュングンを絶えず英雄にだけ呼称する私たちの虚偽意識を鋭く痛打します。
ーこの文は芸術の殿堂で公演する<私は君だ>パンフレットにのせられた原稿です。ー
(自動翻訳のコピーですので後程推敲しますね)
『나는 너다』 (私はお前だ)ホームレス500人の追加公演
本公演最後の週末を迎えようとする今週入ってきたニュース
ソウル市の文化バウチャー事業との共同企画で、ホームレス500人のための追加公演を、きょう開催しているようです。
地方巡回公演も決定したというから、ほんと大忙しです
1日には2回公演日なのに、合間を縫って写真展のセレモニーに安重根の出で立ちのまま出席したというし、今日はホームレスの為の特別公演、その上地方公演やら青山里歴史大長征に映画の撮影
…
やっぱりイルグクさんは二人いる!まちがいない!
今日イル友さんとのツイートでもおおうけ
ほくろのある人とない人、奥二重の人とパッチリ二重の人、おひげの濃い人薄い人・・・お鼻の大きい人とすっきりの人、がっちりの人とすらっとした人…あと年齢も7~8歳若そうだ
ただし、この組み合わせが様々なので二人とは限らないかも^^
これで、安重根(アンジュングン)と安俊生(アンジュンセン)の謎が解けましたよ!(^0^)0
↓『나는 너다』レビュー主演の非凡な魅力は勿論余すことなく、その上
韓日両方から史実をフェアにレポートして下さっています
イルグクベンの方ならご存知の方も多いと思いますがそうでない方にも是非覗いてみて欲しいお部屋です
ソン・イルグク再演『私はお前だ』 ←美雨の部屋へようこそ
文化バウチャー事業とは、文化芸術から疎外された階層に公演、映画、展示など多様な文化芸術に接することができる機会を提供する事業。今で宝くじ基金の支援で運営してきた韓国文化福祉協議会の文化バウチャー事業は現在、文化体育観光部の文化バウチャー事業と統合・拡大してサービスを提供している。
プレスリリース | 入力 2011.06.02 11:48
ソウル市、ホームレス対象戯曲『私はお前だ』(ソンイルグク主演)観覧イベントの開催
(ソウル=ニュースワイヤー)ソウル市は、ホームレスのための特別行事として6.3(金)16時芸術の殿堂トウォル劇場全席を大観して、現在公演中の芝居『私はお前だ』( ソンイルグク 主演)観覧行事を開催するとした。
今回の公演観覧は、2011年に 文化バウチャー ソウル地域の企画事業の一環として行われるようになり、観覧の便宜のための文化バウチャーバスも提供される。
これは、一般人を対象に、既存の公演の日程とは別に、ホームレスのためだけに企画された追加の特別公演で、公演が終わった後、当日参加したホームレスと俳優ソンイルグク氏との特別な会話の時間も持つ。
戯曲"私はお前だ"は、英雄の安重根の息子アンジュンセンが親日派とされ、歴史から疎外され、家族からそっぽを向かれる悲劇的な人生を描いた作品で、演出に ユンソクファ 、映画俳優ソンイルグク、演劇人 バクジョンジャ などの有名俳優が協演した作品である。
このイベントは、ソウル市がホームレスを対象とした人文科学講座のプログラムに引き続き、今回は、文化と感性で街のホームレスを変化させるという野心的な文化プロジェクトの第一歩を踏み出す事業である。
今年初め、社団法人『文化と幸せな人々』と連携し、ホームレス300人余りがミュージカル『私たちの町』などの観覧を推進したが、世論調査の結果、最終ホームレスの80%がとても良かった、また見たいと回答しており、約65%は、文化芸術教育にも参加したいと思うことなど、肯定的な反応が相次いだ。
これに支えられ、ソウル市はホームレスにも文化のバウチャー事業を支援し、文化とふれあう機会を持続的に拡大することを決定した。 また、来年からは、ホームレス演劇団を公募して、劇団を運営するなど、段階的な文化プログラムを支援する予定だ。
今年、ソウル地域の企画事業としてホームレス1000人余りを支えた後、施設別の文化バウチャー事業のご案内および教育を実施し、ホームレス、個人の文化バウチャーカードの発行を拡大していく予定である。
今までホームレスは、住民登録抹消、住所不明などで文化のバウチャーの対象から除外されてきたが、施設のホームレスのうち 、基礎生活受給者 や次上位階層に該当する場合は、同事務所に訪問して申請すれば審査の後、文化のバウチャーカードの発行(年5万ウォン)が可能である。
次に、(社)韓国文化福祉協議会などの文化分け公演のサポートが可能な団体と協約を結び、43個のホームレスの保護施設への定期的な無料のカルチャープログラムを支援する計画だ。
また、千ウォンの幸福など、低所得層のためのソウル市の文化プログラムにも積極的に参加できるように活路を広げる考えだ。 特に、家族の憩いの場、女性の憩いの場などの文化プログラムへのニーズが高いことが分かった。
ソウル市は、ホームレスと文化のチャンスを超えて、積極的な文化の参加者、実現者として養成するために、文化ボランティア教育、ホームレスヨングクダンなどを今後の運営する計画だ。
ホームレス文化ボランティアは、1ヶ月の教育課程を履修した後、仲間のホームレス、障害者、高齢者など、他の文化疎外階層の公演観覧をサポートすることになる。 また、ホームレス演劇団を公募して構成した後、約6ヶ月間の練習を使って舞台の上に直接立つことのできる機会も持つようになる。
イジョングァンソウル市福祉健康本部長は、"IMF以降10年間のホームレスのビジネスを推進してきた結果、雇用支援などの経済的自立支援にも精神的にホームレスを脱することができずにずっと野宿のほとりに滞在する傾向が見られる。今回の文化プロジェクトは、ホームレスにホームレスの向こう側の世界を示している生活に希望と意欲を吹き込む機会となるだろう。特に、ホームレス、文化、ボランティア、ホームレスヨングクダンなど見る文化の中で体で体得する文化によって変化の度合いはさらに大きくなることができ、さらには一般市民のホームレスに対する否定的な考えにも変化をもたらすことができるものと期待する"としている。
出所:ソウル特別市役所
報道資料通信社ニュースワイヤ(www.newswire.co.kr)の展開
< 나는 너다 >はパフォーマンスアートな舞台でした(主観)
“ |
コレヤ ウラー! (Корея! Ура!) |
” |

それは、数発の銃声とそして彼の雄叫びから幕は上がった
この舞台を観るまでずっと勘違いしていた。
その根柢のテーマとなるものは、飽くまでも歴史的事実でしかないと…
安重根義士を讃え奉るものでもなければ、歴史劇の再構築でもない。
その息子安俊生の交錯した運命を描く精神劇だ、と聞き齧っていた。
国家間で互いに相容れない問題や譲れない歴史的事実がある。
だから、日本公演など絶対ありえないのだと、
昨年夏、観劇した当時のブロ友から言われた覚えがある。
そのうえ、歴史的革命家の子孫にその役を演じさせていることも、
尚更に重く熨しかかるばかりだった。
‘ハイパーファサード(建築物をはじめとする各種構造物表面を立体的にスキャニングして映像製作する技法)’を
駆使することに注力したが、今回は更に、
舞台上の俳優のデティールにも拘ったという。
また、既存英雄伝を踏襲すればとても陳腐だから、単純に英雄のストーリーではなく、それを通じて‘この時代を生きる私たちが何を考えなければならないか’となやみました」
と、演出のユン・ソクファ氏は言っている
そして、無機質なデジタルに、
舞台上の表現者達の生のボディパフォーマンスを施すことによって、
完全なるステージアートを完成させたのだ。
どこまで自由に、受け入れ側のキャパシティーを押し拡げられるか、だ。
共通言語を持たない私にもしかと伝わった何かがあるから…
Корея! Ура(コレアウラー)とはロシア語で韓国万歳の意
パフォーマンスアートとは、
啄木と安重根
<呼子と口笛>
われは知る、テロリストの
かなしき心を
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を――
しかして、
そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
この「テロリスト」とは、
1910年に社会主義者幸徳秋水らが明治天皇暗殺計画を企てた
として検挙された『大逆事件』をさすとする説が有力だった。
しかしその後の啄木研究により、
1909年にハルビンで「伊藤博文」を射殺した「安重根」の
ことだという説が有力となっている。
ピストルにても撃てよかし
伊藤のごとく死にてみせなむ
朝鮮国にくろぐろと
墨を塗りつつ秋風を聴く
上の三行詩(啄木は短歌を三行詩として書いた)は、
若山牧水の主宰する詩歌総合誌「創作」に発表されて、
かなりの人々に読まれた。
書かれたのは、日本国中が万歳にわいていた「韓日合併」の日からわずか
13日後の9月9日であり、 その意味からすれば一種の時勢詩である。
「秋風」は「凋落、悲愁」の暗喩であり、「くろぐろ、墨」は「滅亡」のそれである。
この詩を深く味わえば、啄木の明治国家権力に対する批判精神と朝鮮への
同情心を感得することができるであろう。
つぎのような作品もある。
雄々しくも
死を恐れざる人のこと
巷にあしき噂する日よ
「死を恐れざる人」とは、09年10月26日に伊藤博文を射殺した
安重根義士のことである。
詩人は、明治の元勲を暗殺したとして巷で極悪人と罵られてた義士を、
死を覚悟して「雄々しくも」殉国した憂国の義士として深く敬愛し、
その義挙に共感を示している。 これは
「友も、妻も、かなしと思ふらし-/病みても猶/革命のこと口に絶たねば」
と詠んだ啄木の、 朝・日両人民の国際的な連帯感を示したものであるといえる。
テロリストの悲しき心も
近づく日のあり
私が詩や短歌に触れるようになったきっかけは”啄木”
真面目(?)にブログやるようになったきっかけは”安重根”
なんか縁を感じます^m^
ソン・イルグクのテレビ番組
[BS11(Ch.11)]
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ユン・ソクファそして君は出て

演劇‘私は君だ’アン・ジュングン、アン・ジュンセンの運命 再解釈
歴史劇は陳腐になるから 一種の魔術が必要でした
“おい! スクリーン真っすぐ立ってなかったじゃないか。 音楽も上げて。 精神整ってない?”
あまりにもスターで忙しいだろうし。 その上演劇を一度もしてこなかった友人のために‘するかな?’と考え、率直にいって他の町内の人という思いだった。
나는너다「私はお前だ」
[演劇レビュー]`私はお前だ`...人間安重根 痛みを凝視する
俳優ソンイルグク1人2役を熱演記事入力 2011.05.19 21:10:24
戯曲"私はお前だ"で、劇の中で安重根と息子アンジュンセンの1人2役を引き受けたソンイルグク(左端)が出演、俳優らと熱演している。
昨年、安重根義士逝去100周年を迎え、彼を称える作品が相次いだ。
戯曲『私はお前だ』は、その中でもちょっと変わった座標に位置していた。
英雄の安重根ではなく、彼の息子アンジュンセンに焦点を当てた話だったのだ。
演劇俳優ユンソクファが演出を担当し、独立運動家金佐鎮の将軍の子孫であるソンイルグクが主演を務めたことも話題を集めた。
去る17日、アンコール公演を開始し、『私はお前だ』はそのような外的な条件を蹴った私も十分に拍手を送るほどの作品だった。
『私はお前だ』は英雄安重根と、彼を父に置き屈折した人生を生きて客死した息子アンジュンセンの人生を重ねて置く。
幕が上がると一人の男が荒野をさまよっている。
安重根の二番目の息子アンジュンセンだ。
人々は彼が伊藤博文の息子に屈辱的な礼をしたとし、親日派ㆍ変節者の裏切り者と罵倒し責め立てた。
息子は叫ぶ。
"国が滅びたら滅びたように生きればいい、悪い奴が立ち上がって横行すれば見物すれば良いってことだ。
なぜ、家の中を台無しにして、子を亡ぼしますか。
いったいあなたはどなたですか。"
安重根が伊藤博文を狙撃した後、家族らは様々な苦難を受けた。
中国から流れて、悲劇的な人生を生きなければならなかったジュンセンは父に問い質してみたかったのだ。
その叫びの向こう側で、安重根の人生が繰り広げられる。
単なる同盟から始まって狙撃に成功し、裁判をうける過程が息つまるように続く。
死刑宣告を受けた後、彼には控訴をして命を乞うか、義に徹して死ぬかの選択が与えられた。
31歳の彼には老母と妻、三人の子供もいた。
そうしてこのように人間的な悩みと一緒に、残された家族の痛みを交差させていく。
この作品で演劇舞台にデビューしたソンイルグクの演技は非の打ち所がない。
中劇場いっぱいに満たす発声もすばらしかったし、悲壮な英雄と悲惨な息子の1人2役を無難に消化した。
安義士の母役のバクジョンジャ、妻役のペヘソン、守り役のハン・ミョングの演技も劇の重量を加えた。
映画を見るような立体的なステージも見どころだ。
5月7日の舞台稽古
↑
さっきツイッター開いたら、「私はお前だ」の演出家の方のツイにイルグクさんの練習中の生写真がのってました^^
キャ♡生汗
写真の日付は5月7日になってましたから、一週間前のようですね
とりあえずこれを置き土産に^^
明日家を出るというのにこれから荷造りです>0<
http://s3.amazonaws.com/twitpic/photos/full/297765417.jpg?AWSAccessKeyId=AKIAJF3XCCKACR3QDMOA&Expires=1305380031&Signature=2KymgwCzU9dSth7KsR8dVXUTcqA%3D
GW終わりました(^0^)/
皆様はこのGWはどうお過ごしだったことでしょうか?
世の中は本当に悲喜交々だけど、我が家は不気味なほど(親子喧嘩も姉弟ケンカもなく)平和でした。
私としては”やっと終わった-o(^∇^)oワーイ♪
の、心境ですが。。。。
ブログ始めてから、こんなに休んだのも初めて(´・人・`)(´>人<`)
気にしてないとは思うけど、元気でした(^^;
被災報道はかなり静まっています。
私自身、傷ましい思いはありますが、もうTVの前でいちいち泣かなくなりました。
実家では母が、まだ”かわいそう、かわいそう・・”と、涙ぐんでいましたが・・・(゜-Å)
しかし、中部地方はじめ、又新たな電力不足問題が過熱しそうです。
本当に止めてしまって良いものなのか、私としては大いに疑問なのですが、
不安・怒り・疑惑の渦の中にある責任者としては、そうせざるを得ないのかもしれませんvv
無知な私には、もう何が真に正しいのか解りません
おそらくそう思うのは私だけではないでしょう
少しでも正当化出来る方向を模索してる様にしか見えません
そんな日本をおいて、
私は来週の今頃ソウルに到着゜*。(*´Д`)。*°
「私はお前だ」のプレス公演(2011.・05・16pm02:00)に ファンクラブからも50人招待!
ということで、午後便から早朝便に切り替えました
当選できるかどうかさえ危ないのに…^^;
その前に、夜がすっかり弱くなり応募時間の深夜零時に起きていられるかが大問題(ノд`@)
ソン・イルグクのテレビ番組
[KNTV(Ch.331)]
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[BS11(Ch.11)]
[BS11(Ch.11)]
[ホームドラマチャンネル(Ch.362)] ほうとうにひきこもごも
[衛星劇場(Ch.310)]
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[BS11(Ch.11)]
[衛星劇場(Ch.310
まだ間に合う団体観劇!^0^!
『私はお前だ』の団体観劇は5月29日に決定です!
今すぐにファンクラブに入会するとまだ間に合いますよ~
申し込みは5月4日零時(3日の深夜12時です)
より安全確実により簡単にチケットを入手できる方法は、団体観劇が一番です!^^!
一人で韓国は不安~という方も(^_-)-☆
握手やハグもおそらくありです、
人数によっては2ショットも十分あり得ます^^V
今は入会方法も簡単に教えて下さってますから、この機会に入会してみては?
こちらのページでDaumとGeNtLeの加入方法をご案内していますので、いますぐ行って見て下さいね^^
↓
http://www.geocities.jp/song19net/koreansite/daum.html (Daum登録方法)
http://www.geocities.jp/song19net/koreansite/gentle.html (GeNtLe登録方法)
公式ファンクラブGeNtLe
周りにイルグクさんのファンもいなく、秘かに応援するしかなかった方も結構いらっしゃるような気がします。
Kポップファンのようにノリや盛り上がりには欠けるけど、(皆さんいい大人なので(*^-')b )一緒に応援するのも楽しいと思いますよ!
イルグクさんがシャイな方だからなのか、どうも、ファンの方もシャイな方が多いみたいですが…(私もです^^;)
年代も様々ですしね^^
日本ファンはイルグクさんから見てオンニ、オモニが・・・_φ(゜▽゜*)♪
「私はお前だ」チケット一発購入で失敗
団体は苦手とか、自分のペースで応援したいとか、
イルグクさん云々よりも、
まずクウォリティの高い本物のお芝居を観てみたい…とか、
そんな方の為に、簡単チケットの入手方法をまとめてみました
日本語で対応して下さる職員がお二人います
名前はパクキョンヒさん , パクゾキョンさんといいます
この方達のどちらかに代ってもらえれば、もう普通の予約と同じです
日本語は私よりペラッペラ(笑)
とても親切で気さくな対応でしたよ^^
総合案内 電話番号 02-580-1300(82-2-580-1300)
国際電話の掛け方(直通)
001-010-82-2-580-1300(KDDI)
「ネー、キダリセヨ」
代ってもらったらちゃんと言えばいいかな
実は1度目は失敗したんです
電子辞書で練習して、下書きのメモまで用意したのに、まったく通用せず、
お二方の名前いう前に切られてしまいました。
一所懸命練習したのに心が折れてしまいましたよ(笑)
チングにお二人の名前いった?って言われて、そっか、まずそれだ!
で、気を取り直して、午後もう一度。
朝と違い、一回の呼び出し音の途中ですぐ出たので、ちょっと慌てて
「ヨボセヨ チョー、 パ ク・・・シ ケセヨ?」
と言ってしまいましたが
「あー、こんにちは、キダリセヨ」 と言ってすぐ代ってくれました
いきなり電話だとドキドキするという方はメールでもOKです
自分が電話できる都合の良い日付と時間を書いて、
送信すれば返事がきます。クレジット払いでOKです。
切符は当日の受け取りになります。手数料無し。
(9:0~6:00、12:00~1:00昼休み、年中無休)
それでも不安な人ならこちら(高いですが、日本のお芝居と比べたらめちゃ安)
↓<日本からの予約代行サイトは>↓
[演劇] |
入口向かって正面にある、ひときわ目立つまるい建物が、オペラハウスです。
「芸術の殿堂」のシンボル的存在のこの建物の概観は、笠の形をイメージしており、オペラ劇場とトウォル劇場、自由小劇場の3つの劇場が入ってます 因みに今、60000ウォンだと約4500円、50000ウォン約3750円位です |
釜山キャンセルの代わりに
↑画像の上でクリックして全画面表示にするとタッチが分かります^^
もしかして、以前、ロッテの懸賞当たった~
なんて、騒いでたかもしれないんで、
一応キャンセルしたことを報告しておきますね^^
本当なら今日から4日間の予定で、イルグクさん本宅のある釜山に
行ってる頃でした
キャンセルしてよかったかも~
明日から新学期のこんな忙しない時に出かけようとしてたなんて^^;
代わりと言ってはなんですが
国内まだまだ慟哭に包まれているというのに、来月中旬ソウルに行きます。
(過去記事で、もう想像つきますね^^v)
まだ、生々しい心と体の傷で苦しんでいる方が大勢いる中で、
燥ぐことは憚られるので、こっそり(?笑)楽しんできますね
その頃には、もう少し安寧状態になってるでしょうか?
せめて楽しい報告だけでも、
憚ることなく出来る様になってて欲しいと願うばかりですvv
![]() | ||
2011 예술의전당 명품연극 `나는 너다 |
芸術の殿堂ブランドの戯曲は、作品性と大衆性を備えた作品を選定し、
芸術の殿堂の蓄積されたノウハウとインフラストラクチャを使用して、
一層アップグレードされた公演で、幅広く観客に近付く理想の芸術の殿堂が企画した
新プロジェクトです。
2010年<キョンスクが、キョンスクの父>を披露し、大きな支持を受けた。
2011年にはブランド品の戯曲シリーズその第2弾の作品として、
私たちが忘れてはならないの英雄、安重根の人生を俯瞰した
<私はお前だ>を舞台に上げます。
2010年に安重根逝去100周年を記念して、観客と評壇の好評を博した
俳優ソンイルグクは初舞台に挑戦し、
しかも1人2役(安重根と、彼の息子アンジュンセン)を務め、
二人の交錯した運命を熱い心で謳い上げ大きな話題にもなった。
韓国を越えて、東洋平和を唱えたの世界の歴史家が記憶しなければ
ならない英雄、安重根の人生とその背後に隠れて、
誰の記憶にも残っていない英雄の息子、アンジュンセンの屈折した
心の隙間が芸術の殿堂トウォル劇場でパノラマのように拡がっていきます。
時間や場所も不明の漠漠な空間。
一人の男がここを彷徨っている。
それはまさに伊藤博文を狙撃した安重根の二番目の
息子アンジュンセンだ。
人々は彼が伊藤博文の息子と屈辱的な挨拶をしたという理由で、
親日派、変節漢と罵声を浴びせ、その父の名に泥を塗ったと
責め立てる。
舞台が変わり、安重根が大韓民国軍参謀准将として軍を率いて、
訓練中の様子が描かれる。
やがて彼らは、国と民族が危急な状況で、
他人の助けを待たずに、自ら命を捧げて国を救おうと決心し、
指を切って、これを誓う。
1909年10月26日、
安重根は伊藤博文を狙撃した直後に逮捕され、彼の家族も、
苛酷な尋問を受ける。
裁判中の息子に母のジョーマリアは煩わしくとも、
命乞いはするなと、控訴などしないように勧め、
安重根はこれに応じ、控訴せずに
毅然と絞首台に上がる。
再び、はじめのような空間、
アンジュンセンは、自分の意志とは関係なく、
このような悲惨な状況に自分を追い込んだの父安重根を
恨んで絶叫する。
そして息子に答える安重根の声が聞こえ、
ジュンセンはその深い意味を知ることになった、
後、父を探し泣き叫ぶ。
日韓併合100年、管首相談話
政府は10日の閣議で、韓国併合条約発効100年を迎えるのを機に、過去の植民地支配への反省や未来志向の日韓関係を築く決意などを柱とする菅直人首相談話を決定した。韓国が日本の植民地支配からの解放を祝う1…… ≫続きを読む ≫このニュースに関連のあるブログ記事を探す |
「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに
改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する」
としている。
そのうえで
「これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築する」
何時までもしつこいなあ・・・・又今度は何?なんて思ったかもしれない。
たしか村山首相談話のときも、何のこっちゃ、戦争の頃の事かな?としか気にし
てなかった。
それは単に私が無知すぎるだけではないだろう
イルグクさんが、「私はお前だ」を演じてなければ、
安重根という名前はすっかり忘れたままだったろうし、
安俊生という悲劇の息子のことも知らないままだったろう。
多くの日本人の方たちが、ソン・イルグクさんの舞台を観て感動したと聞く
しかし、その方たちの多くは、事前知識を自ら得て、
わざわざソウルまで行くほどのイルグクファンに限ってしまう。
それは、実にもったいない事だ
もっといろんな人に観てもらうべきだと思う。
日本がお隣の国に、何をしようと、何をしたのかを知る事が出来るじゃない。
当初、畏れた、日本や無関心な日本人を糾弾するものではなく、
事実だけを背景に、奇を衒うことも無く、誇大修飾もせず
演じ手のみによる舞台芸術を構築し、エンターテイメント性を持たせて、
そこに高いメッセージを孕ませてる様な作品かな。
(どうですか?ソフトバンクのソンさん?)
ようするに、私が観たいだけだね
年間いったいいくつの外国作品が日本公演を行ってる事だろう
その中には実に、取るに足らないものもある
今年の春に、国立オペラ劇場に、バレエオペラなるものを観にいった
視覚的には堪能できたけど、二幕は殆ど寝てた・・・
ずーっと以前、パルコ劇場の”空席埋め隊”(?)に何度か借出されたけど、寝てた。
「QUEEN」インタビュー
1909년 10월 26일, 하얼빈역에 여섯 발의 총성이 울린 지 벌써 1백 년이 흘렀다. 차디찬 뤼순감옥에서 형장의 이슬로 사라진 영웅. 서거 1백 주년을 맞이해 안중근에 관한 관심이 집중되고 있는 것에 비해, 우리가 안중근에 대해 아는 것은 너무나 단편적인 사실뿐이다. 안중근은 단순히 이토 히로부미를 쏘아 죽인 항일 운동가가 아니라, 대한제국의 의병중장이었고 동아시아 평화공존을 주창했던 사상가였다. 재판과 수감기간 동안… 그가 언행과 저술을 통해 남긴 깊고 심오한 사상 역시 의거에 비해 널리 알려지지 않은 상태이다. ‘영웅’이기 전에 ‘사람’이었던 안중근과 ‘사람’이기 전에 ‘매국노’가 되어버린 아들 안중생의 엇갈리는 간극. 안중근·안중생 1인 2역에 도전하는 배우 송일국은 무대 위에서 이들 부자의 이야기를 어떻게 풀어낼까. # ‘나는 너다’, 처음으로 무대 위에 오르게 한 이유 Q 배우 윤석화가 연출을 맡았고, 처음 보는 연극배우들과의 첫 작업이다. 송일국이 처음 연극무대에서 그려내는 인물이 안중근이라는 사실은 아주 의미 있는 작업이 될 것이다. 항일 무장독립투쟁을 한 김좌진 장군을 외증조부로, 일제시대 의협객으로 이름을 날렸던 장군의 아들 김두한을 외조부로 둔 송일국에게 안중근은 그 자체로 특별한 인물일 수밖에 없다. 매년 청산리 대장정을 개최하며 만주땅을 찾아 독립군의 의지와 흔적을 찾는 등 자신의 뿌리에 대한 열정도 남다른 그이기에…. 그 혈관(→혈통??)과 정신에 이어져온 뜨거운 열정, 그리고 남자다운 기개가 돋보이는 송일국의 치열한 연기정신은 또다시 무섭게 빛날 것이다. # ‘인터뷰하기 가장 힘든 배우’의 그럴싸한 반전 Q 자신과의 싸움을 즐기는 것 같기도 하다. 이렇게 웃는 것을 처음 본 것 같다. 그리고 이토록 편안해하는 모습을 보니 너무도 뿌듯하다. 사실 그를 만나기 전까지 나 또한 속은 현격히 다르지만 같은 책임감과 사명감이 있었다. 그에게 가졌던 편견과 선입견이 분명 있었는데도, 만남이 결정된 후 그에게 그 어떤 믿음을 주고 싶었다. 얼핏 보면 뭔가를 경계하는 눈빛쯤이라고 생각했었나…. 하나 이야기가 더해질수록 그 눈빛의 힘은 걷어지고, 조금이 아닌 아주 많이 귀엽기까지 하다. 귀엽다…는 반응에 그도 그다지 놀라지 않는다. 이미 믿는 사람에게, 편견과 선입견도 없는 사람에게 그는… 그 말을 지겹게도 들었나 보다. # 세상을 긍정적으로 사는 ‘남자’의 조용하고 소소한 일상 Q 아무리 긍정적인 마인드라 해도 어떤 의견에 충돌이 일어날 수 있다. 그럴 때면 어떻게 대응하는 편인가. - 이 대답이 인터뷰 후에 마음에 걸려서일까. 송일국은 메일로 자신의 생각을 정리해왔다. 자신의 말로 세관원들에게 피해가 갈지도 모른다는 생각에서였나 보다. 그저 조금은 장난 섞인 표현이 누군가에게는 치명타일지 모른다는 그의 마음 씀씀이는 아래의 내용과 같다. 이렇게 공개해도 되는지 모르겠지만. “솔직히 나도 처음부터 원칙대로 살고 행동하지는 않았습니다. 몇 번의 대장정과 어머니의 노력을 보면서 바뀐 것이죠. 문득 그런 생각이 들더라고요. ‘내가 이렇게 혜택 받는 만큼 나도 뭔가를 해야겠다’. 그게 무엇일까를 고민하게 되었고, 그리고 내게 주어진 것만큼은 원칙대로 살려고 노력하게 된 것입니다. 사실 대단한 것도 아니고 원래 그렇게 해야 되는 것이 정상인데…. 그러나 나도 인간인지라 그런 것들이 당연한 것임에도 마치 자랑처럼 말하게 된 것 같습니다. 걱정되는 것은 다름이 아니라 세관원분들이 ‘그냥 가라고’ 하는 부분이 인터뷰 후 내내 걸려서요. 괜히 내 자랑한다고 말한 것이 세관원분들에게 피해가 갈 것 같아서요. 사실 원칙대로 관세를 부과하시는 분들도 있는데 운(?) 좋게 좋으신 세관원분들을 만나면 그냥 가라고 하는 것이거든요. 혹시나 싶어 이렇게 메일을 보냅니다”- 송일국 Q 불법 다운로드는 안 해봤나. 짧지도 않은 시간이었지만 전부 듣기에는 턱없이 부족하다. 그렇다고 굳이 다음을 기약하지 않아도 이만하면 됐다 싶다. 배우 송일국… 쉽게 답할 수 없을 때면 그는 긴 생각에 잠긴다. 그와 달리 사람 송일국은… 묻기도 전에 리액션이 풍부하고 피드백이 빨라진다. 윤석화 선생이 살짝 질투를 건네올 정도로 이렇게 웃으며 인터뷰를 한 적도 근래에 처음이다. 나를 웃게 한 건 스타가 아닌 사람 송일국이었다. 지근거리에서 가장 많이 보는 매니저의 말처럼 시트콤 출연도 썩 어울릴 것 같지만 당분간은 그를 통해 영웅 안중근만 제대로 봐야 하겠다. 그리고 이후… 또 다른 모습이 기다려지고 오래도록 지켜보고 싶다.
YhooもniftyもBingもタダの翻訳ソフトは翻訳かけてもまったく???
なので、自分で勉強してみようかとコピペしました。
コピペだけでも四苦八苦
そのままじゃ貼り付きませんでした
試しにWordを
ハングルモードにしたら貼り付きました
Wordから更にコピペ、OK!
でも、他のブログでは簡単に直接貼り付いたけど・・・・
「メモ帳」では何やっても無理でした
ともあれ、
これを元に勉強していきます
でも
いつになることやら・・・
↓読む気力のある方はページ表示を150%位で拡大
表示してみて下さいね
‘배우’이기 전에 ‘사람’ ‘사람’이기 전에 ‘남자’ 송일국, 무장해제하고 자신을 열어 보이다
긴장되고 많이 배우겠다는 생각으로 임하고 있다. 드라마와 영화는 보이는 부분만 연기하면 되는데 연극은 혼신을 다해 머리부터 발끝까지 그 역할에 빠져 있어야 한다. 철저한 연습에 의해서만 가능한 작업이란 생각이다.
Q ‘국민배우’라는 타이틀이 언제부터인가 따라붙고, 개런티도 높은 배우 중 한 명이다. 뭐가 아쉬워 연극무대에 선다는 것일까… 조금은 생소하게 받아들이는 팬들도 있을 것 같다.
돈을 벌겠다는 생각이었다면 안 했을 것이다. 이 작품은 배움이 첫 번째 목적이다.
Q 드라마를 끝내고 재충전할 시간도 없이 연극을 시작하는 셈이다. 체력적으로 괜찮은가.
드라마 종영 후 일주일 쉬었지만, 사실 많이 힘들다. 하지만 결정한 작품의 완성도를 위해 하루빨리 연습을 해야 했다. 공연 일정도 빠듯하고, 연극도 처음이니 노력해야 할 부분이 아주 많다.
Q 연습은 어떻게 이뤄지나.
아직은 리딩을 하고 있다. 동선까지 들어가게 되면 상당히 분주해질 것 같다. 국립극장 KB하늘극장이 원형 무대이다. 머리부터 발끝까지 그 어떤 부분도 무대 위에서는 긴장을 놓을 수 없는 상황이다. 관객의 시선을 생각하면 벌써부터 두려워진다.
Q 말 그대로 연극은 처음이다. 그런데도 출연을 결심한 이유가 무엇인가.
출연 제의를 받고 대본을 읽었다. 마지막 장면의 대사 한마디에 속된 말로 꽂혔다. 아들이 아버지에게 묻는다. “누구를 위해서 이 일을 하는 것인가요”… 아버지 안중근의 답은 명료했다. “너를 위해서…”. 안중근 의사 서거 1백 년, 오늘 우리가 살아가는 의미를 되짚어보고 그에 대한 답을 주는 작품이란 확신이 섰다.
Q 그 어떤 사명감으로 작품에 임한 것인가.
아마 증조외할아버지(김좌진 장군) 때문에 그런 생각을 많이들 하실 것 같다. 아주 없지는 않을 것이다. 외할머니의 고통을 생각해봤다. 밖에서는 영웅이지만 집 안에서는 그만큼 희생이 가족에게 있었다.
Q 청산리 대장정을 매년 다녀오는 것으로 알고 있다.
매번은 아니었다. 총 아홉 번(→무엇이??)이었는데 그중 대여섯 번 다녀온 것 같다. 올해도 다녀올 예정이다. 사실 지금 연극 공연 일정상 무리이다. 하지만 내가 가지 않으면 안 될 책임감이 있다.
Q 드라마 ‘신으로 불리운 사나이’부터 연극 ‘나는 너다’까지 숨 가쁘게 지내오고 있다. 워커홀릭인가.
절대 아니다. 난 사실 그 어떤 작품이든 필이 꽂혀야 한다. 전작 ‘신불사’도 만화 속 캐릭터에 끌려서다. 이 시대 진정한 남자의 모습을 선보이고 싶은 욕심이었다.
Q 드라마 속 모습, 처음에는 많이 낯설었다.
‘강타’라는 캐릭터를 만들기 위해 준비만 8개월 했다. ‘바람의 나라’를 끝내고 몸이 다소 불었다. 거의 90kg까지 육박했다. ‘신불사’ 출연을 결정하고 운동하면서 78kg까지 내려갔다. 살이 빠지니 의도하지 않게 얼굴 살도 같이 빠졌다. 브라운관 속 얼굴을 모니터해보니, 살이 너무 없어 나이 들어 보이기까지 하더라. 조금 살을 찌우며 촬영을 하기도 했다.
Q 얼굴뿐 아니라 공개된 드라마 스틸 컷의 몸매도 많은 화제가 됐다. 소위 말 근육이란 평까지 들었다.
내 생애 몸무게가 7로 시작한 건 중학교 이후 처음이다. 그만큼 노력했다. ‘몸짱’이란 수식어보다 그간의 노력이 헛되지 않아 다행스럽다. 만약 대중의 반응이 없었다면 무척이나 속상하고 억울했을 것 같다(웃음). 부산에서 아내가 출근하면 같이 집을 나와, 롯데호텔 피트니스센터에서 하루 종일, 죽기 살기로 운동만 했다. 심하다 싶으면 저녁 9시, 10시까지도 했다.
Q 그렇게 많은 시간을 운동하고 식이요법을 하면 오히려 건강을 해치지 않을까.
맞다. 사람이 할 짓이 못 된다. 먹고사는 문제가 절실했기에 살을 빼고 몸을 만든 것이다(웃음).
Q 드라마를 끝낸 지금은 몇 킬로그램인가.
오늘 아침 몸무게를 재보니 85.5kg이더라. 내 키가 185cm인데 드라마가 끝나고 7∼8kg 더 찐 것 같다. 그것도 89kg까지 올라갔다가 며칠 전 운동을 다시 시작해 85kg까지 내렸다. ‘신불사’ 때 옷을 다 줄여놓았는데, 지금 맞는 양복과 와이셔츠가 하나도 없다.
Q 식탐이 많을 것 같은데 어떻게 절제를 하나.
다시 말하지만 먹고살려면 어쩔 수 없다(웃음). 드라마 종영 후 일주일간 그간의 배고픔을 만회하기라도 하듯 엄청 먹었다. 그런데 다시 연극을 시작해야 하니 조금씩 절제를 하고 있다.
Q 다른 배우와 달리 늘 운동과 몸매관리에 신경 쓰는 것 같다.
나에게는 산증인이 있지 않나. 어머니 김을동 여사의 모습을 보고, 당신이 물려주신 우수한 체질 때문에 늘 긴장을 할 수밖에 없다(웃음). ‘신불사’ 하와이 촬영 때 트렁크 하나 가득 레인지에 바로 데워 먹을 수 있는 군고구마 팩을 가져갔다. 현지에서 고구만만 먹고 촬영을 했다.
Q 하와이 현지에서 인기가 상당히 높다고 들었다.
하와이에는 동남아계 사람들이 상당히 많이 살고 있다. 한국 드라마를 보는 이들이 그만큼 많다는 것이고, 그중 ‘해신’과 ‘주몽’이 방영돼 큰 인기를 끌었다. 하와이 촬영 때 팬들이 물심양면 많이 도와주셔서 너무 감사하다.
Q ‘신불사’라는 작품이 배우 송일국에게는 어떤 의미인가.
보이는 것에 치중하다 보니 놓치는 것도 많았다. 여러 면에 반성도 많이 했다. 처음으로 돌아가서 기본에 충실하고 싶은 마음이다.
아마 철인 3종 경기 때문에 물어보는 것 같다. 마라톤 풀코스도 총 다섯 번을 뛰었다. 흔히 말하는 러너스 하이 같은 희열은 초반만 살짝 느낄 뿐이다. 20km 넘어가면 입에서 욕밖에 안 나온다. 30km를 넘어서면 나도 알 수 없는 육두문자가 방언처럼 쏟아진다(웃음). ‘내가 왜 뛴다고 했나’ 그러면서 포기가 안 되는 것을 보면, 내 스스로 싸움을 즐기는 것 같기도 하다. 특히 골인하는 순간 그 희열은 돈 주고도 못 산다. 아마 많은 마니아분들도 나와 같은 생각일 것이다.
Q 올해는 드라마와 연극 때문에 마라톤을 못 뛰지 않나.
20km는 한 번 뛰었다. 그것도 한창 드라마 촬영 중간이었다. 미리 촬영 스케줄을 알고 결정한 대회였는데, 촬영이라는 게 약속대로 착착 이뤄지는 게 아니지 않나. 일찍 끝날 촬영이 새벽까지 이어지고, 겨우 세 시간 자고 대회에 참석했다. 너무 피곤해 여차 싶으면 바로 포기하려 했는데, 그마저도 쉽지 않았다. 더구나 지금 옆에 있는 매니저도 그때 같이 뛰었는데, 내 속도 모르고 완주할 것 같은 내 모습에 감동 받아 “형님, 저도 끝까지 완주하겠습니다” 하더라. 하는 수 없이 같이 완주를 하게 됐다(웃음).
Q 지금 매니저와도 평소 운동을 같이 하나.
지금 로드 매니저와 일한 지 얼마 되지 않았다. 얼마 전 시험 삼아 20km를 같이 뛰었는데 포기하지 않고 완주하는 것은 그간 내 매니저로 합당(?)한가 나름의 테스트 결과일 수 있다. 서울 집이 흑석동에 있는데, 일부러 한남대교에서 10km 뛰어 우리 집에 오게 했다. 마라톤 풀코스를 완주한 것이 벌써 4년 전이었을 것이다. 올해 하반기에는 풀코스에 한 번 도전할 예정이다. 물론 매니저와 함께 말이다.
Q 많은 작품을 해왔는데 친하게 지내는 동료 배우는 누구인가.
없다. 적도 없지만 아군도 없는 편이다.
Q 이유가 무엇인가.
성격적인 이유이다. 운동도 혼자 하는 것만 좋아할 뿐이다. 월드컵이 한창인데 사실 축구 같은 단체 경기를 즐기지 않는다.
Q 그러고 보니 맡은 작품마다 고독한 영웅 역할이 많았던 것 같다.
그건 아니다. 흥행이 된 작품의 역할이 영웅일 뿐이다.
Q 실제 송일국에게도 영웅의 ‘마초’ 같은 면이 있나.
남자다운 면이 많지만…. 못 찾기는 했지만 내 속 그 어딘가에 여성스러운 면도 있지 않을까 싶다.
Q 의외이다. 송일국에게 대중이 모르는 면면이 있다는 것이….
처음 보는 사람과 친해지기까지 시간이 걸리지만 기본적으로 장난치는 것을 좋아한다. 우리 매니저들은 나보고 시트콤을 하란다. 같이 일하는 스태프와도 오랜 작업 후에는 친해진다. 한번은 아파트 15층에서 촬영하다 철수를 하는데, 장비 등을 가득 실은 엘리베이터를 보고 장난기가 발동했다. “난 계단으로 가겠다” 말하곤, 재빨리 층마다 버튼을 누르며 내려갔다. “어떤 새끼야” 층마다 괴성이 들려오는데 혼자만의 짜릿함이 너무도 즐거워 미치는 줄 알았다.
Q 몇몇 인터뷰를 보니 상당히 말을 아끼고 조심스러워하는 모습이었다. 그러고 보니 말을 많이 하는 모습을 본 적이 없는 것 같다.
방송은 나의 생각이 여과 없이 나가는 매체이다. 지면 인터뷰는 알아서 다듬어주고 정리해주겠지만 방송은 그렇지 않지 않나. 조심하겠다는 생각에 말수를 아끼게 된 것 같다.
Q 예전 예능 프로그램에 나온 모습도 기억한다. 그때는 어떻게 방송했나.
아무 생각 없이 정신없이 했다(웃음). 나는 배우를 오래하고 싶다. 그렇다 보니 실제의 내 모습을 많이 노출하고 싶지 않다. 인터뷰나 예능 프로그램을 많이 한다면, 그만큼 새로운 작품을 할 수 있는 영역이 좁아들지 않을까 싶은 주관이 있다.
Q 완벽주의적인 성격도 있는 것 같다.
아니다. 그저 송일국이란 배우 나름의 주관이고 욕심이다.
Q 오늘 보니 ‘인터뷰하기 가장 힘든 배우’라는 이전의 편견이 무색하다.
이렇게 편안하게 인터뷰하는 것을 좋아하는데 그동안 쉽지 않았다. 사실 인터뷰가 아니어도 평소 편안하게 말을 하는 스타일은 아니다.
Q 반듯한 이미지인 것 같다. 흐트러진 모습은 언제인가. 술을 좋아하나.
술과 담배를 전혀 하지 않는다. 정확히 말하면 담배는 전혀 안 하고 술은 이따금 마신다. 아내랑 가끔씩 과하지 않게 한잔(?)씩 마시는 정도이다. 사실 며칠 전에도 호텔 바에서 아내랑 생맥주 몇 잔 마셨다(웃음). 술을 전혀 못하지는 않는데 가급적 멀리(?)하는 이유는 후유증이 오…래…가기 때문이다. 배우는 몸이 생명인데 술을 마시면 리듬이 다 깨지고 컨디션을 정상으로 회복할 때까지 보통 2∼3일 걸린다. 웬만하면 술자리에 안 가고 만들지도 않는 편이다. 그렇다 보니 동료배우와의 친밀함도 상대적으로 없었나 보다.
Q 그럼 몸에 안 좋은 것은 뭘 하나.
(웃음) 선배 하나가 두부 한 모를 아무런 소스 없이 먹는 내 모습을 보고, 그리고 냄새 때문에 그냥 먹기에는 고역인 낫토를 먹는 것을 보곤 “저놈은 죽어도 썩지도 않을 거야” 하더라. 그렇다고 인스턴트, 패스트푸드 등을 아예 안 먹는 건 아니다. 좋은 것만 먹고 싶어도 상황이 여의치 않다면 배는 채워야 하지 않는가.
Q 잠은 잘 자는 편인가.
다행히 불면증은 없다. 촬영장에서도 머리만 닿으면 바로 자는 편이다. 바쁜 스케줄 속에서 이동하는 차 안에서 잘 잔다. 카니발을 타고 다니는데, 뒷좌석에 이불까지 깔고 숙면을 취한다. 그러니 어느 정도 체력 만회가 되는 편이다.
Q 매니저는 몇 시간씩 운전을 하는데, 혼자 그렇게 편하게 자면 미안하지 않나.
드물긴 하지만 매니저가 힘들어하고 피곤해하면 운전을 대신해줄 때도 있다.
Q 배우 송일국은 알 듯한데, 인간 송일국은 잘 몰랐다. 송일국이 가장 유치하고 인간적일 때는 언제일까.
여느 사람과 다르지 않다. 다만 말을 많이 하지 않는다고 독특하게 살아가는 것은 아니다. 난 ‘1박 2일’을 가장 즐겨 보는 평범한 성향을 가진 사람이다. 누구나 웃는 대목에서 혼자 멍하니 있지 않는다. 자지러지게 잘 웃는다. 나처럼 웃음이 많은 사람도 없다.
Q 남자라면 누구나 좋아하는 걸그룹이 있을 법도 한데.
…당연히 좋아한다(웃음). 우리 처남이 한날은 내게 그런다. 매형처럼 긍정적인 사람은 처음 본다고…. 무슨 이야기를 해도 긍정적으로 받아들이고, 나쁜 꿈을 꾸어도 긍정적으로 푸는 스타일을 보곤 그렇게 설명해주더라. 그 어떤 일에 관해 미리부터 부정적이지 않으려 노력하는 편이다.
싸우기 싫어 그저 피하는 편이다. 지는 게 이기는 것이란 생각이다. 싸운다 하더라도 말발이 약해질 것이다.
Q 어쩌면 지기 싫어 싸우지 않는 것이 아닐까.
그 말도 맞는 것 같다. 혼자 하는 것을 즐기는 것을 보면 그 어떤 부딪힘 자체를 좋아하지 않는 것 같다.
Q 그렇게 혼자 있는 게 좋은데 결혼은 왜 했나. 아내가 보는 남편 송일국은 어떤 사람일지 궁금하다.
어느 날 자는데 아내가 묻더라. 남자답게 사는 게 당신에게 어떤 의미인지…. 한참을 생각하고 이렇게 답했다. “아직 잘 모르겠지만 지금까지의 결과를 놓고 보면 적어도 내가 뱉은 말에 책임을 질 줄 아는 남자가 진정한 남자라고 생각해”. 그 말에 아내도 자기와 같은 생각이라며 안심하는 눈치였다.
Q 인간적으로 아니면 배우로서 롤 모델이 있나.
숀 코네리…. 그 나이에 그런 섹시함은 하루아침에 되는 것이 아닐 테다. 그 나이 되도록 자기 관리에 철저한 배우는 인생에서도 그만큼 충실한 사람일 것이다.
Q 오늘 송일국이라는 사람이 너무 편안해 보여서일까. 오래전 영화 ‘작업의 정석’에서 민준 역할이 자꾸 떠오른다.
어떤 캐릭터든 내 모습이 많게든 적게든 일치하는 것이 있겠지만, 사실 그 역할도 실제 송일국과는 거리가 있다. 실제 경험이나 성향보다는 만들어진 캐릭터라 할 수 있다.
Q 그럼 유쾌하고 활달한 남자의 영화 속 역할이 지금 송일국에는 없단 말인가.
케이스 바이 케이스다. 상황과 상대에 따라 사람은 달라지기 마련 아닌가. 간만에 이렇게 편안하게 인터뷰를 한 적이 없단 말이다.
Q 하긴 그간의 인터뷰를 보면 스타답지 않게 유난히 수줍어하던 기억이 난다. 왠지 나와 친해질 것 같지 않지 않나.
친해질 것 같다(웃음). 대신 우리 매니저처럼 내가 테스트를 할 것이다. 일단 다음 마라톤을 같이 뛰어보는 것이 어떤가.
Q 하지만 오늘도 신선하지 않은 질문에는 아무 말도 잇지 않으려 하는 것 같다.
내가 흥분하는 이야기는 운동과 먹는 이야기이다(웃음). 그리고 이번 작품으로 인해 외증조할아버지 관련 이야기일 것이다.
Q 호불호가 명확하다. 더구나 세상의 주목을 받다 보니 말뿐 아니라, 행동도 조심스러워하는 것 같다.
처음엔 집안 배경 때문이었다. 그리고 배우 송일국이 알려지면서 내 말과 행동에 더욱더 책임져야 하는 입장을 생각해본다. 예를 들어 외국 나갔다 오면 4백 달러 이상 쇼핑을 했을 때에는 무조건 세관 신고를 한다. 나도 안다…. 그 누구도 몇 십만원의 쇼핑으로 세관에 신고하지 않는다는 것을…. 20달러 20개를 사서 4백 달러가 되어도 난 영수증을 첨부해 신고를 하는 편인데, 관계자들도 나의 지나친 정직함에 어이없어 웃을 때도 있다. 운 좋게도 그냥 가라고 할 때도 몇 번 있었지만, 생각해보니 속으로 그들은 얼마나 짜증이 나겠나(웃음).
소프트웨어는 무조건 정품만 쓴다. 예전에 음원은 몇 번 했는데, 그마저도 최근에는 안 한다.
Q 정직하고 조심스러운 남자, 너무 재미없지 않나. 아내가 모르는 자신만의 일탈이 있나.
… 있어도 없다고 답해야 하는 것을 난 잘 알고 있다(웃음).
Q 남자로서 관심도는 무엇인가.
운전할 때 그다지 스피드를 즐기지는 않는다. 그저 운동 좋아하고, 남자이니까 기계에 관심 많다. 그리고 디자인을 공부했기에 그 분야에 관심이 많다. 예전에는 작업도 많이 했는데 지금은 많은 부분 잊었다. 몇 년 전부터는 사진에 관심을 두고 있다. 가족부터 주위 지인들까지 사진을 많이 찍는데, 단 한 번도 준 적이 없다. 그러다 보니 별명이 ‘블랙홀’이다. 한번 들어가면 안 나오기에 붙은 것이다. 주고 싶어도 스스로 완성되기 전에는 전하지 않고 싶은 신중함이 더해져, 지금은 그 양이 너무 많아 방치되고 있다. 그냥 열심히 찍고 흔한 말로 ‘짱박아’ 놓는 게 취미가 됐다.
Q 대중에게 어떤 배우로 각인되고 싶은가
각인되고 싶지 않다. 다양한 작품을 하고 싶은 욕심에 한정된 이미지가 되는 것은 위험하다. 난 롱런하는 배우이고 싶다. 그 안에 철저한 관리는 내 몫이다. 그렇다 보니 사생활 등 나의 생각을 쉽게 오픈하고 싶지 않다.
Q 식상할까 봐 안 물어보려 했다. 그런데 물어봐야겠다. 혹 나중에 정치인을 할 것인가.
물어볼 줄 알았다. 다들 나의 이런 말을 듣다 보면 꼭 그리 물어온다(웃음).
Q 난 다른 측면을 보고 묻는 것이다. 정치인의 ‘싹수’가 보여서가 아니라 바람직한 정치인의 모습을 갖고 있어서다. 우리가 바라는 바람직한 정치인의 모습은 바른 사람이지 않은가.
사실 어머니도 정치를 하시고, 외증조할아버지, 외할아버지까지… 남다른 업적이 있었던 분이시다. 게다가 아내까지 판사이다 보니 많은 오해를 받고 있다.
Q 그럼 매년 외증조할아버지를 기리는 청산리 대장정에 참가하는 속마음은 무엇인가.
처음에는 내가 바라는 것은 아니었다. 어머니 때문이다. 그러다 횟수가 더해질수록 그 열흘간의 시간 속에서 생각이 더해져 그 어떤 사명감이나 책임감으로 바뀌게 된 것 같다.
Q 배우는 어쩔 수 없이 외로울 때가 있다. 그 외로움을 어떻게 해결하나.
난 외로움을 안 타는 체질이다.
Q ‘외롭다’ 대답하면 다음 질문을 바로 던지려 했는데 상당히 고단수인 것 같다.
진짜 외롭지 않다. 난 거짓말하기 싫으면 아예 답을 않는 편이다. 내 속을 노출하기 싫어 외로운데 외롭지 않다고 답하는 게 아니다. 오늘 인터뷰에는 그 어떤 때보다 솔직하고 자유롭게 답을 이어왔다. 어쩌면 나중에 Queen 기사를 보면 후회할 수도 있을 만큼이다.
Q 훗날 어떤 아빠이고 싶은가.
좋은 아빠… 그리고 좋은 남편…. 왜냐하면… 나름대로 내린 결론인데, 국가의 재산은 건강한 가정이 많아야 한다는 것이다. 지금 내 가정을 잘 꾸려나가는 것이 애국하는 일이란 생각이다.
Q 배우를 안 했으면 무엇을 하고 있었을까.
디자인을 작업하고 있을 것이다. 사진을 했을지도 모른다.
安俊生・父と家族のこと
更に神々しく現代に甦らせているかのように思えてきます。
製作発表の時のイルグクさんの涙が、然るべき事を語ってる様な・・・・
~安重根のひ孫が来韓 (朝鮮日報 2009/10/26)~
安重根(アン・ジュングン)が伊藤博文を暗殺してから今月で100年を迎えるのに合わせ、
安重根のひ孫のトニー・アンさん(46)=韓国名:アン・ボヨン=が来した。
国家報勲処(国家功労者を礼遇し、軍人・退役軍人の支援事業を行省庁)が26日、
ソウルと中国・ハルビンで同時に開催される「義挙100周年記念式典」に招かれたためだ。
安重根の孫に当たる、トニーさんの父アン・ウンホさん(71)は、がん闘病中のめ、今回の来韓を断念した。
米フィラデルフィアで生まれたトニー・アンさんは、米国国籍を有しる。
現在、米国の電話会社AT&Tに勤務するアンさんは、韓国語がほとんどできない。
「祖母や父はたびたび、“お前は愛国烈士の子孫だ”と強調していた。
最初は何のことか、よく分からなかったが、周囲の同胞たちや、何人の
米国人が、曽祖父の生涯について詳しく教えてくれた」 と語った。
そして、「その後、曽祖父について学ぶようになり、(安重根の)子孫であることに誇りを持つようになった。
だが一方で、子孫としてやるべきことが見つからず、責任も感じている。
曽祖父の生涯は、たった一人の人間の生涯というレベルを超えていると思う」
と話した。
現在、アンさんはインターネットの百科事典「ウィキペディア」(英語版)で、
安重根についての情報を自ら書き込み、また誤った記述を修正して、
安重根の業績を英語圏の人たちに伝える、「民間伝道師」としての役割も果たしている。
今回の来韓中にアンさんは、ソウル市中区の「安重根義士記念館」や板門店などを訪問し、27日に米国へ戻る予定だ。
(略)安俊生(アン・ジュンセン)先生の墓の裏面には次のような碑文が書かれていた。
『…父親(安重根)は清渓洞を離れて鎭南浦に移住した。
1907年の春に先生胎中6か月の時に父親は29才の青年として意することがあって
露領海参威に亡命の旅に出た後、その年の陰暦8月13日に先生は鎭南浦龍井洞で出生した。
1909年10月26日に父親は正義大道に立ってハルビン駅で、
侵略の元凶、日本の伊藤博文を各国代表らと万人が囲む中、
連撃射殺して当時世界の人々からコリアがまだ生きていたという賛
辞を受けたし、千秋に光る民族の精気の一代表象になった。
これは先生3才時のこと…。
6・25戦争中の1951年1月に釜山に避難中の先生は病気を患い、
デンマークの病院船に入院治療したが、
1952年11月18日、45才を一期として病院船で死亡した。
釜山市初凉4洞後方の山に安置され、1971年5月12日に移葬された。』
安重根義士が1910年3月26日、中国の旅順監獄で殉国した直後、
二人の弟(汀根・恭根)は兄の遺体を要求したが、日本軍はこれを
拒否して死体を監獄後方の監獄墓地に埋めた。
以後、安重根の弟の汀根は遺族一家を率いて北満州に亡命する。
以後、3才の俊生は日帝を避けて、叔父についてロシア、上海、香港などを経て漂白生活をする。
安重根はブンド(?)、俊生、賢生の2男1女をもうけたが、長男のブンドは12才でロシアで死んだ。
俊生は上海で暮らしていて、1948年に上海が共産軍の手中に落ちると香港に逃れて、6・25戦争中に家族を率いて釜山に来る。
安俊生・鄭玉女(チョン・オンニョ)夫婦は1男2女(雄浩ウンホ、善浩、蓮浩)と共に釜山で暫く避難生活を送る。
鄭玉女女史が、「祖国が統一されれば帰ってくる」として子供たちを連れてアメリカに移民したのは1950年代後半。
一人息子の雄浩(ウンホ)氏はアメリカで医者になって母親を見守り暮らした。
鄭玉女女史が故国に帰ってきたのは1987年。韓国での生活中に肝臓癌の宣告を受けて報勲病院で闘病して1991年に死亡した。
一人息子の雄浩(ウンホ)氏は現在もアメリカで医師をしている。
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