創作 「カーテンコールが聞こえる」 2
後編です!
偶然咲乃と再会した仁。下北沢の街を静かに歩きます。
あの事件から初めて会った2人ですが・・・
3月の雨はまだ冷たかった。
ほんの小降りだったが、
仁の黒いジャケットに雨が滲みこんで来る。
仁がほぅーと息を吐いたのが聞こえたのか、
咲乃は持っていた赤い傘を仁に差し掛けた。
「こんな傘じゃ小さいわね。仁、ただでさえ大きいから」
「いい、お前が差せよ。俺は帽子があるから。
せっかく気を利かせてくれたのに、風邪なんか引かせたら、
雄介に俺が叱られる」
「んふ、まさか」
「あいつ、結構強いんだ。
俺が本気で殴った時も果たして効いてたのかどうか・・」
「あぁ・・知ってる。彼から聞いたわ」
「そうか」
劇団に続く坂の途中。
そこに着いた時、
咲乃が小さく溜息をついたのが分った。
夕方の公園。
突然の雨で、遊んでいた子供達も皆、家に帰ったのだろう。
誰も居ないそこは、咲乃が足を踏み入れたちょうどその時、
街灯が静かに灯った。
「おい」
「ごめん。皮肉じゃないのよ。
ここが仁と瞳さんの思い出の公園だって事、知ってるけど。
仁と、ここで逢いたかったの。
ここで他愛も無い事話して、子供みたいに笑って。
そんな風に仁と付き合いたかったなって。中にいるときにね、
そんな事想ってた。不思議と舞台の事は考えなかったの。
あんなに芝居が好きで、そのために全てを捨てて打ち込んでたのに。
・・可笑しいでしょ?私、馬鹿だったわ」
「咲乃」
「・・ごめん。どうしてあんな事になったのか、あの時の事、
自分でもよく憶えてないの。
仁が遠くに行っちゃうようで、怖かったのかな・・・
瞳さんの強さが、怖かったのかな・・・
瞳さんのあの笑顔がずっと頭から離れなかった。
赤く染まった彼女、微笑んでたわ。すごく・・綺麗、だった・・」
「咲乃」
「もしもあの時、瞳さんが助からなかったら、って
今でも時々考えるの。そう思ったらもう怖くて・・
あの時の仁の叫び声が聞こえて・・ずっと、眠れなかった。
瞳さん、面会に来てくれたのよ。劇団がNYに行く前、だったかな。
嬉しかった・・
自分を殺したかも知れない私に、彼女、微笑んでくれたの。
お日様ね、彼女の笑顔。ふわっと暖かい、日向のお日様。
あったかくて、優しくて・・
あぁ、仁を変えたのはこの笑顔なんだって、やっと分った」
「もういい、咲乃。もういいんだ、俺が悪かった。
あそこまでお前を追い込んだのは俺なんだ。お前は悪くない。
ちゃんと刑期も終えたんだ。もう全て終わった。全部忘れろ」
「ごめ、ん・・仁。ありがと」
震える肩。
流れる涙を拭いもせずに、咲乃は小さく何度も頷いた。
いつも毅然と前を向いていた咲乃。
周囲を威圧するような強烈なオーラ。
この肩はこんなに華奢だっただろうか。
その肩を、仁は思わず抱き寄せた。
「バカ・・止めてよ」
「いいから。俺が抱きたいんだ」
「だって、瞳さんが」
「あいつはこんな事で妬きやしないさ。
あ、いや・・ハハ、やっぱ妬くかな。
でもあいつなら許してくれる。あいつは、強いんだ」
「まさか、尻に敷かれてるの?あの仁が」
「バカ言え。今じゃ、愛妻家で有名なんだぞ、俺は」
「愛妻家だって、ふふ、それも変」
「言ってろ」
「・・・仁も、暖かいね」
小さな赤い傘の中、2人は本当の意味で初めて抱き締めあった。
「ちょっと~~!どうしちゃったの?
仁ちゃん全然来ないじゃない。
劇場はもう閉まってるんでしょう?
バーニー、あんた、仁ちゃんが何処に居るか分んないの?」
その頃。
打ち上げ会場のMIYUKIでは、
まもなく卒公試験の結果が発表されるところだった。
公演の成功の余韻もあって大騒ぎの研究生達。
そのMIYUKIのカウンターの中。
好き勝手に色んな酒をオーダーする劇団メンバーに、
少しキレ気味の常さんが叫んでいる。
「常さん、それは無理ですよ。
いくら双子だからって、僕はエスパーじゃないんです。
仁が今何処に居るかなんて、分るはずないじゃないですか」
「あら?仁ちゃんはアメリカ大陸の反対側にいたあんたを
見つけたけどね」
「あれは、特別ですよ。あの時は僕が心で仁を呼んだんです。
仁にはそれが聞こえたんだ」
「それと今の状況とどこが違うっていうの。
じゃ、今ココで仁ちゃん呼んでよ」
「携帯掛けますか?仁の携帯にはGPSも付いてますよ。
瞳なら分る。それの方が確実だ」
「まったく可愛くない男ね。
結婚したら兄弟なんかもうどうでもいいってわけ?
だいたい操ちゃんに・・ちょっとコラ、あんた達!
操ちゃんに酒なんか勧めないでよ!
お腹の子供が酔っぱらっちゃうでしょうが!!」
パンパンパン!!!
店内の喧騒を破るように、木島の手がその時を知らせた。
大騒ぎでもしていなければ、その場に居られなかった
研究生達は、その音を合図にシンと静まり返る。
その結果が書かれたノートを木島が手にしているのを見た
彼らは、誰からともなく、深く溜息をついた。
「そろそろいいかな。卒公試験の結果を発表するが・・
その前に1つだけ言っておく。今年の卒公、素晴らしかった。
そのまま宇宙の本公演だと世間に出しても可笑しくないくらいの
出来だった。お前達全員、胸張っていいぞ。
・・それでは発表する。劇団昇格者、3名。
桜井文哉、小嶋紗枝子、槇タケル。この3名だ」
キャー!!
物凄い歓声が店内に広がった。
抱き合って喜ぶ者、頭を抱え込む者・・例年の様相だ。
「可哀相にね。
いつも思うけど、この瞬間って残酷なものよね。
今年の子達は、よくここに来てくれてたし。
アタシ、複雑な気分だわ」
「この1年、色々ありましたからね。
僕も彼らには特別な感情がありますよ」
「操ちゃんが居たクラスだものね。それは当然でしょう?」
「それだけじゃありませんよ。
演出家として当然の思いです。卒業って言葉で簡単に
送り出していいものか・・僕にもよく分りませんが」
その時、木島の周りからもう1度凄い歓声が沸き起こった。
有り得ないそのニュースを聞き逃した者達が、
仲間からその言葉を聞き、また歓声が起こる。
「どうしたの?何かあったの?」
にこにこと微笑みながらやってきた操に、
何が起きたのかと常さんが勢い込んで聞いた。
「3人の昇格者の他に、もう1つ発表があったんです。
もう1年、研究所に残りたい者は申告しなさいって。
希望者がいれば、来年の研究生とは別に私達のクラス作って
下さるそうなんです。
研究所別科って事で、授業は無いんですけど空いている時間
には稽古場が使わせてもらえるんですって。
条件としてはね。
今度の太王四神記の公演までに1回試験して選抜。
それと冬の公演の前に最後にもう1回。
まだチャンスがあったの。凄いでしょう?
もう皆、興奮しちゃって・・
ねえ、これって先生が進言してくれたの?」
「いや。僕は知らない。そうか、それは良かったな」
「やるわね木島ちゃんも。なら、操ちゃんは?
やっぱ、あんたは残らないの?」
「私?私は、この子を護る仕事があるもの。
また失敗するのは嫌なの・・
私は先生とこの子のためだけに生きるって決めたんです。
もう芝居は・・いい」
バーニーが操の手を優しく包む。
そして静かにその背中に手を添えた。
「だからって・・・でもまあ、焦る必要もないか。
人生なんてさ、やる気さえあれば、いくらだって、いつから
だってやり直せるんだから。
ね、操ちゃん。気が変わったらアタシに言いなさいね。
木島ちゃんに直談判してあげるわ。それでもあのぼんぼんが
四の五の言うんだったら、そこの駅前で暴れてやるわよ!
“劇団宇宙の木島直人は~~!!”って、
ある事無い事ぶちまけてやる!」
「あはは、常さんは本当にやりそうで怖いな」
「冗談なもんですか。アタシは、やるって言ったらやるわよ」
「常さん・・・ありがとう」
「ん。早くジュニアの顔、見たいわね。
仁ちゃんちが女の子だから男の子がいいわね。
きっとバーニーみたいに、クールな顔して出てくるわよ。
こんな声で。おぎゃ~~!」
「やだ、常さん!あはは!!」
「参ったな・・」
涙と歓声に包まれた店内。
その夜の時間はゆっくりと過ぎていった。
「おい、稽古場、入らないのか?」
仁と咲乃はいつしか劇団に来ていた。
ゆっくりと一歩一歩坂を上ってきた咲乃。
正面玄関の前に立つと、そこから足が止まってしまう。
「ううん、いいの。ここからでいい。
最後にもう1回見ておきたかっただけだから。
この坂も、この花壇も、変わってないのね。あ、仁の部屋」
地下のその部屋の窓には、明るいカーテンが掛けられていた。
趣味の良いそのカーテンから優しい生活感が漂っている。
「あそこは、今、バーニーの家だよ」
「聞いた時は驚いたわ。有名な批評家だもの。
双子だったんですって?」
「会ってけよ。今、MIYUKIにいる。俺の自慢の弟だ」
「ううん、いい。ありがとう、連れて来てくれて。
1人だったら来られなかった。
・・もう行くわ。彼が待ってるから・・私ね、田舎に行くの」
「雄介の、か」
「うん。彼の実家、宮古島で小さな電器屋さんやってるのよ。
お義母さんが1人でそこを守ってらして・・私は、お嫁さん。
ちょっと恥ずかしいけどね」
「大丈夫なのか?お前」
「太王四神記?8月に公演があるんでしょ?
それが終わったら彼と一緒に行くの。大丈夫、彼が傍に居て
くれるから。年上で前科持ちの私でもいいんだって。
変な人でしょ?」
少し恥ずかしそうに顔を赤らめて、咲乃は雄介の事を語った。
何があっても、咲乃を愛し続けた男。
あの男なら、咲乃をずっと護っていけるだろう。
駅前に続く道。
まだ色々話したい。
でも2人共、言葉がなかなか出てこなかった。
それでも本多劇場の前まで戻ってきた時、
仁が顔を覗くと咲乃はくすっと笑みを漏らした。
「お前、車だったよな。どこに停めたんだ?」
「それがね。ふふ、私、結構大胆だったのよ。
知り合いに見られたくない・・なんて思ってたくせに、
空いてたのはMIYUKIの傍のパーキングしかなくて。
今頃、彼、ドキドキして車の中で待ってるわ。
可哀相な事しちゃった」
「あのでかい図体で小さくなって、シートに埋もれてる
んじゃないか?常さんに見つかったらうるさいからな」
「そうね、きっと。ね、相変わらずなの?常さん」
「あの男がどう変わるんだよ。毎日毎日、飽きもせず大騒ぎだ」
「そう・・逢いたかったな。仁はこれからMIYUKIに行くんでしょ?
ここで別れましょう。一緒に居たら、かえって目立つもの」
本多劇場の大階段の下。
咲乃は劇場を見上げ、しばらく佇んでいた。
やがてあっと息を呑むと、小さく何かを呟いた。
「どうした?」
「カーテンコールが・・・・聞こえる」
「え」
「ウエストサイドのカーテンコールよ・・
仁がセンターに走ってきて・・私を抱き上げてキスするの。
・・そしてラインタップ・・皆のステップ・・」
咲乃の目から、一筋の涙が落ちる。
静かに目を閉じたその唇が小刻みに震えた。
「さよなら・・仁」
赤い傘がゆっくりと踵を返した。
やがて走り出した咲乃の手から、赤い傘が地面に落ちる。
仁はその後ろ姿を、ただ見つめていた。
コラージュ、mike86
創作 「カーテンコールが聞こえる」 1
昨日は土曜日だったのに、いつものつぶやきでしたね~。
イベントからの夢からまだ醒めませんが^^今日こそ創作短編を(笑)
これは劇団宇宙シリーズの最新作。閉鎖されたサークルでの最後の作品です。
サークルへの感謝と卒業をテーマに書いた作品。
今回の主役は、仁でございます。
これも前後編になってますので、まずは前編を。後編は明日にUPいたします~。
「仁、ここにいたのか・・
受付でお前が来てるって言ってたから」
「よ、お疲れさん」
夕暮れの本多劇場。
客席で長い足を組み、黙って座っていた仁は、
木島に向かって右手をひょいと上げただけで挨拶した。
つい30分ほど前、今年の研究生の卒業公演が終わった。
来月のプロデュース公演の打ち合わせが少し遅れ、
仁が劇場に入った時には、本ベルは鳴り終わり、
もう場内の照明は落とされていた。
満員の客席。
探せば端っこに1人分の席くらいはあったのかもしれないが、
仁は一階席の奥で壁にもたれて舞台を見ていた。
バーニーの演出の“コーラスライン”
書き割りも大道具も何も無い舞台。
コーラス(バックで踊るダンサー)の役を得るために集ってきた
大勢のダンサー達が、思い思いにウォームアップしている。
1次審査、2次審査。
次々に落とされていくダンサー達。
やがて最終選考に10人が残り、演出家ザックの問いかけに、
10人は自分の生い立ちや経歴などを語り始める。
“そういえば俺達が研究生の頃、木島も同じエチュードやらせた
事があったな。まだ入所したての頃だ。
あの時は、確か・・”
仁は、舞台を見ながらふと10数年前を思い出していた。
あれは美雪の死からやっと1年経った頃・・
芝居をやる意味さえまだ分らず、
仲間の存在を鬱陶しく思っていた、あの頃。
『今、本場ブロードウェイのコーラスラインが渋谷で
上演されてるが。見に行った者いるか~?・・ん?そうだな。
確かにお前達には高額なチケット代だが、なかなかこんな機会は
無い。ぜひ見てくるといい。あれはウチの演目でもあるしな。
いつか、あの中の役を自分が・・
とイメージするのも向上心に繋がる。そこで、だ。
今日はあの舞台のオーディションの様にお前達にこの課題を
与えようと思う。“お前達は一体誰だ!”
自分の言葉で、自分という人物を語ってみろ』
順番に今まで生い立ちや、役者を目指した動機などを
語り出した同期生達。
舞台への熱い情熱を見せる者もいれば、
ただ有名になりたいんだと叫ぶ者もいた。
『そうか・・よし。次!・・影山、お前だ』
いつも人を遠ざけ、
触れたら切れそうなオーラを湛えている仁。
元々芝居にそう興味があったわけでもない。
ダンスの授業では無い時間、ふらっと消えてしまう事も
しばしばだった。
現に今も稽古場の隅で1人寝転がっている。
『おい。お前の番だ。仁』
『パス』
寝転がったままで仁が答える。
『バカかお前は。連想ゲームじゃねえんだ。パスが通るか』
『俺の話なんか聞いて何が面白い。
俺はダンスがやりたいんだ。そのためにお前の話に乗った。
要は踊れりゃいいんだろう?お前が芝居が必要だっていうから
やってみれば、毎日毎日くだらないごっこ遊びだ。
ミュージカルがなんぼのもんだか知らないが、
俺とケツの青いこいつらと一緒にするな』
『仁!!』
『代表。嫌だってものはしょうがないじゃないですか。
こんな人・・このまま待ってても時間の無駄だわ。
大体、役者になるつもりがないならどうしてここにいるの?
そんなに芝居が嫌ならまた道端で踊ってればいいじゃない』
『何だと?!』
『おい、咲乃・・』
『私は真剣に芝居に打ち込んでるんです。
こんな人と一緒にされたらこっちが困るわ。
次、私の番ですよね。話していいですか?代表』
『・・ああ、分った。
仁!後で俺の所に来い。じゃ、次、咲乃から』
“あの時、あいつ、イラついた顔で俺の事睨んでたが・・
もしかしたら咲乃は俺を庇ってくれてたのかも知れない。
あいつは敏感な奴だから俺の中の葛藤を見抜いていたのかもな。
本当は優しいのに、あいつも周囲にバリア張って突っ張って・・
ふっ、似た者同志だったのかも知れないな、俺達は”
千秋楽のステージは、カーテンコールで感極まった研究生の
1人が号泣し、ラストナンバーの“ONE”は、更に感動的な
フィナーレになった。
ダブルキャストの配役、A組もB組も全員ステージに上がり、
金色のシルクハットとタキシードでの歌とダンス。
そして30人が、舞台前面全部を使っての一糸乱れぬラインタップ。
劇団員の本公演に引けを取らないくらいの、宇宙らしい舞台だった。
やがて出演者達が一列に並んだ、正面玄関での観客の送り出しが
始まった。舞台の興奮で饒舌な帰り支度の人々。
帽子を目深に被り顔を隠した仁は、出口への流れに逆らい
また客席に戻った。そして心地良い感動と共に、
紙吹雪と花びらが散乱する舞台を見つめていた。
「代表って仕事も大変だな。あそこから3人選ぶんじゃ」
「な?お前もそう思うだろ?今年は豊作だぞ。
即戦力も何人かいるし。思ってた以上にバーニーの指導力が
凄いって事だな。俺もまさかここまで仕上げてくるとは
思わなかった。
ダンスもそうだが、皆、芝居が上手い。今回さすがに迷ったよ」
いつの間にか仁の隣に座っていた木島は、
これから打ち上げで発表する舞台の講評と、卒公試験の結果を
書いたノートを指でトントンと叩いて見せた。
「操、カーテンコールで踊ってたな。
そろそろ安定期なんだろうけど、少し驚いた。
あの振り付け、バーニーがやったのか?元の振りを壊さずに
体に負担掛けないステップ。感心したよ。
それに操のキャシー、すごく良かった・・・なぁ、木島。
やっぱり操、昇格の3人には入れてないのか」
「ああ。操は入れてない」
「どうして。出産後に復帰すれば済む事じゃないか。
子育てのサポートだったら、瞳も萌も常さんだって出来る。
お袋だっているんだし、何も芝居辞めなくても」
「操の中で、まだ拘りがあるんだろうさ。
俺達がいくら言ったところで、あいつはまだ心のどこかで
自分を許せないんだろう。
あいつ、結構頑固でな。時間が必要なんだよ」
「だからって、惜しいぜ。俺は操と芝居してみたい。
瞳だってそう言ってる」
「俺だってそうさ。あの演技力は宇宙には必要だ。
瞳の歌、萌のダンス、操の芝居。
これからの宇宙の3本柱になるはずの女優を、
みすみす諦められるか。
だから・・あいつは卒業させないことにした」
「え?」
「俺は待つ。あいつは永遠の研究生だ。
あいつがまた芝居をやりたいって思った時、その時があいつの
卒業なんだ。書類上はいつでも団員に迎えられるようにして
おいたし。おい、この事、操には言うなよ。
今は心穏やかに子供産ませてやりたいからさ。
操だけじゃないんだ。今回はさすがに少し考える事あってな。
異例中の異例だがサプライズって奴を用意してみた。
俺だって劇団の事を考えてるんだぞ、お前が焦るなってんだ」
「木島、お前・・・な、この事、バーニーは?」
「言う必要ないだろ。代表は俺だぞ」
「アハハ、かっこいいぜ。お前も良いとこあるじゃないか」
「バカ、お前もは余計だ。俺はいつだって良い男さ・・
おい、打ち上げ6時からだぞ。あと20分も無い。
ちゃんと顔出せよ。まあ、場所はお前んとこだけどな」
「何処も不況の嵐ってか?
遂に打ち上げ会場もまともに借りられなくなったのか、宇宙は」
「MIYUKIで何が悪いんだ。
今年の研究生、よくあそこに出入りしてたらしいしな。
常さん、朝から張り切ってるらしいじゃないか。
瞳がさっき笑って言ってたよ」
「うるさくて参ってるんだ、こっちは。
何日も前から、メニューの事で瞳や俺まで掴まえて大騒ぎさ。
研究生なんてのは年中腹減らしてるんだから、おにぎり100個も
あれば充分だっての。そうだろう?」
「アハハ、違いない・・お、いけね、急がなきゃ。
お前も早く来い。おい、すぐ来いよ!」
「ああ」
劇団を離れて大手のプロデュース公演や、J-POP歌手のコンサート等
に出演していると、この本多の舞台がやけに小さく感じる。
800人にも満たない客席数。
お世辞にもミュージカルに向いているとは思えない音響効果。
それでもここの劇場は劇団メンバーにとって特別な場所だった。
沢山の汗や喜び、興奮や悲しみ。
色んな感情が滲みこんでいる舞台。
そっと席を立ち舞台の上に立った仁は、
センターで1人タップを踏み始めた。
ブーツで踏むタップの乾いた音が、誰もいない劇場に響いていく。
その音が心なしか楽しげなのは、
若い研究生の舞台に触発されたからか。
仁は、薄く微笑みながら、踊り続けた。
「まだ居たのかい?仁ちゃん。もう皆、打ち上げに行った
のかと思ってたよ。明かり落とすからさ。悪いけど閉めるよ。
もう1人いたみたいだけど、荷物が出れば後はここだけだから。
・・昔から舞台跳ねた後、仁ちゃん、1人でよく踊ってたよな。
飲みに行く連中には群れずにいつも一匹狼でさ。
ごめんよ、今日は本当に時間なんだ。
仁ちゃんのその音、もっと聞いていたいけど」
劇場管理人の池内が袖から仁に声を掛けた。
研究生時代からの顔見知り。仁は一礼して袖に向かった。
「すいません、何だか急に踊りたくなって。
打ち上げ、今年はMIYUKIですから池さんもどうですか?
昇格審査の発表、木島の酔っ払い、常さんのハイテンション、
研究生のドンチャン騒ぎ・・きっといつもと変わりませんけど」
「ありがとう。また今度な。今夜は家に孫が来てるから」
「へぇ~・・あ、もしかしたら淑恵ちゃんの?」
「ああ、先月生まれたんだ。女の子。可愛いぞ」
「そうか、もうお母さんなんだ。
高校生の時、よく見に来てくれましたよね」
「仁ちゃんのファンでな。宇宙の公演の時だけ何かしら
手伝いに来て。手伝う様なふりしてあいつ、仁ちゃんばっか
見てやがって。百戦錬磨の達人がいつか手出すんじゃないかって
ヒヤヒヤしてたんだ。親としては」
「ふっ・・大事なお嬢さんにそんな事しませんよ」
「たいして年が違わない瞳ちゃんには手出したくせに?」
「敵わないな、池さんには・・ハハ、じゃ失礼します」
ロビーを抜け、正面玄関から外に出ると、
いつの間にか小雨がぱらぱらと降り出していた。
大階段から下を覗くと、学校帰りの高校生や近くのスーパーの袋を
持った主婦が小走りに家路を急いでいた。
MIYUKIまでなら走って5分かからない。
駅前は混雑しているだろうから商店街を抜けて行こうと、
仁は階段を3段抜かしで駆け下りた。
「大丈夫よ。もう誰も居ないもの・・
うん、雨降ってきたの。傘、無いでしょう?
雄ちゃんの傘は車の中にあるから、今はこれでいい?」
聞き覚えのある声だった。
忘れるはずが無い。
何度も耳元でその声を聞いた事があったから。
仁に対してそんな優しい口調で話す事は、決して無かったけれど。
搬入口の傍。
小さな赤い折り畳み傘を持った背の高い女性。
思わず振り向いた仁と目が合うと、驚いた彼女が息を呑むのが分った。
「じ・・ん」
「・・咲乃」
「ごめん!お待たせ。
さっき宅配便で劇団関係の荷物送ったか・・ら・・・仁さん・・」
搬入口から出てきたのは、照明チーフの斉藤雄介だった。
仁の姿に少し驚いたようだったが、
すぐに被っていた帽子を取り、一礼した。
「雄介。いつ?聞いてなかった」
「2週間くらい前です。あの時、仁さん韓国でしたから。
・・代表には報告したんですが」
「ああ・・そうか。いや・・少し驚いたから。
元気、なんだろ?」
「はい。タバコも止めたし、前より健康らしいです。な?」
2人の男のすぐ後ろで、咲乃は薄く笑って頷いた。
ノーメークのその顔は、仁が知っている咲乃よりかえって
若返ったようだった。
「あ!もう俺ってバカだな。
仁さん、俺、楽屋に忘れ物しちゃいました。
取りに行ってきます。あぁ、また池さんに怒られるかなぁ・・
だから咲乃さん、少し待ってて」
咲乃に目で合図し、仁に軽く会釈すると、
雄介は搬入口からまた劇場に戻っていった。
立ち尽くす仁に、咲乃は少し笑って言った。
「優しいでしょ。本当・・彼、優しいの。こんな私に。
待っててくれたのよ。面会にも何回も来てくれて・・
手紙だって毎週の様に。ね、少し話せない?仁。
これで・・きっともう会わないと思うから」
狭い劇場前の道路。
赤い傘の咲乃。
すぐ後ろを歩き出した仁に振り向いたその顔は、
少しはにかんだ、少女の様な顔だった。
コラージュ、mike86
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