2015/09/30 18:05
テーマ:創作 同じ空の下で カテゴリ:日記(今日の出来事)

同じ空の下で 6














「はい。では今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした。

皆さん、本番も近いです。くれぐれも風邪や怪我に気をつけて。

でも僕は、恋愛の自由については制限しないですよ。

文哉君の様に、恋に目が眩んでコースアウトさえしなければね」



「代表、勘弁してくださいよ」





珍しいバーニーの冗談に笑いの渦が起こり、その日の稽古は終った。


文哉は皆にからかわれながらも、バーニーと仁に深々と頭を下げ、


稽古場を後にする。


静かになったそこに残ったのは、仁とバーニー。


そして、ずっと稽古を見学していたアルだった。





「団員にはあんなジョークが言えるのに、

息子のミスには厳しいんだな」



「ん?どういう意味?」





稽古場の隅で腕を組み、ずっと稽古を見つめていた仁が、


演出席に座るバーニーの前につかつかとやってくる。


わざと大きく靴音を響かせて、バーニーの前に立った仁は、


何事も無かったかのように台本に目を通すバーニーの手から


すっとペンを抜き取った。





「返してくれないか、仁。それ、去年のバースデーに操からもらった

んだ。あ、そうだ。今日の稽古で気がついたんだけど、2幕の群舞。

あそこの曲、ロックよりかえってクラッシックの方が良くないか?

若者達の焦燥感がその方が生きると思うんだけど」



「お前、わざとなのか?わざとならその理由を聞かせてくれ。

俺は、お前みたいに頭が良くないから意味が分からない。

お前は、あいつを一体どうしたいんだ」



「仁」



「あいつ、嬉しかったんだぞ、久しぶりに稽古に出られて。

最近の奴にしちゃ、珍しくテンション高かっただろ?」



「稽古に出なくなったのは、彼が決めた事だ。僕は初めから強制

なんかしていない。まだ学生だし、色んな興味もあるだろうしね。

それに、君も分かってるだろうけど子供の機嫌に合わせて稽古を

進めていいほど、今は暇な時じゃないはずだろう?」



「バーニー。ナオトが今日どんな顔して踊ってたか見ただろう?

あいつはやっぱり踊りたいんだよ。自分がどう進むべきか悩むなんてのは

あの年齢なら当たり前さ。大学に行くのだって悪くはない。

でもナオトは、あいつは絶対踊るべきなんだ。

文哉には悪いが、俺はチャンスだと思ったよ。

こういう事でもなきゃ、素直にあいつが稽古に来るとは思えなかったし、

あいつだって」



「仁、確か前にも言ったけど。

僕はエドに、踊る事だけが全てだと思って欲しくないんだ」



「はぁ?馬鹿か、お前は」



「エドが踊れるのは認めるよ、2歳の頃から仁が教えたんだ。

さっきの振り写しだって、いきなりあれだけ踊られたら…ね。

仁こそ稽古場の空気が全然分かってない。僕は反対したよね。

やっぱりあそこでエドを呼ぶべきじゃなかったんだよ」



「バーニー!」



「話は終わり。これから本多で池さんと打ち合わせなんだ。

知ってた?池さん、今年いっぱいで辞めるらしい。

オーナーは引き止めてるらしいけど、足がやっぱり駄目なんだってさ」



「待てよ!おい、話を逸らすな」





机の上の台本や書類を手早くまとめたバーニーが


稽古場のドアに手をかける。


仁は思わずその腕を力いっぱい掴んだ。





「痛いよ、仁」



「おい。お前の息子の問題だぞ」





180を越す中年の大男が2人、対峙している。


興奮する仁と冷静に言葉を返すバーニー。


その姿に、それまで黙っていたアルが口を開いた。





「ボクに」



「え?」





ゆっくりと車椅子を動かして、アルがやってくる。


突然のアルの言葉に、2人は黙ってその様子を見ていた。


やがて2人の傍までやってくると、そっと仁の腕につかまり、


アルは車椅子から立ち上がった。





「おい!何やってんだ!」



「アル!」



「ダイジョウブ、もう立てるんだ。少し前から。

これからリハビリしてすぐに歩けるようにもする。

そして踊れるようにもね。ね、バーニー。ジンも聞いて。

あの子、エドワード。彼をボクに預けてくれない?」



「預ける?」



「うん、そう。彼は…あっ!」



「おい!言わんこっちゃない」





大きくふらついて倒れそうになったアルの体を、


仁が強引に車椅子に押し込んだ。


手に持っていた多くの書類を放り出したバーニーは、


そのまま跪いて車椅子に座るアルの手を取った。


少し恥ずかしそうに笑うアルの手を、バーニーは優しく両手で包む。





「アル、無茶しないでくれ。君の時間を奪ったのは僕だ。

焦る気持ちは分かるけど、まだ無理だよ。

舞台は君を待ってるし、時間はある。だから」



「ありがとう、バーニー。心配してくれるのは嬉しいけど、

少しは焦らせてくれないか?今日、ボクは凄いモノを見ちゃった

んだからさ。あんなの見せられて、ゆっくりなんて出来ないよ」



「アル」



「宇宙の舞台はNYでも何度も見てるし、こっちに来て稽古見て

るけど、正直今までこんなに焦った事なかったんだ。それがさ…

彼の噂はジンからずっと聞いてた。ボクが初めて踊った時も驚い

たけど、あの子の才能はそんなもんじゃないって。

バーニーはいつもそんなジンを笑ってたけど、ボクはずっと興味

があったし、彼のダンスを見たかったよ。

ねぇ。バーニーは彼をどうしたいの?

もしかして、ボク達みたいなダンサーにはしたくない?」





真っ直ぐに自分を見つめるアルの瞳。


その優しい表情には、かつて自分を親の敵として憎んでいた少年の


面影は無かった。バーニーは自分を庇って怪我をしたアルの手を


強く握ると、小さな声で答えた。





「…アル。そうじゃない」



「なら、ボクが教えるのが不満?NYには行かせたくない?」



「違うんだ」



「おい、バーニー。お前、他人の話してんじゃなんだぞ。

お前の息子、この宇宙の後継者の話じゃないか」



「だから…それが嫌なんだよ」





握っていたアルの手を静かに膝の上に置くと、


バーニーは立ち上がり、ゆっくりと窓の前に立った。


稽古場の明かりが窓に反射し、自分を見つめる仁とアルが見える。


小さく溜息を付いたバーニーは、ほんの少し寂しそうに笑った。





「駅の階段だったんだ」



「駅?」



「そう、駅。ちょうど今のエドの年齢だったよ。

ハイスクールの3年。マムの病気はますます悪くなってたけど、

僕が踊るとキラキラした目をして笑ったんだ。

“バーニー、あなたには他の人には無い才能があるのよ。

パパの子なんだもの、あなたはきっと素敵なダンサーになれるわ”

そう言って笑うマムが見たくて僕はダンサーを目指した。

生活は酷いものだったけど、アルバイトを掛け持ちして何とか

ダンススクールにも通ってた。

駅の階段さ、地下鉄の。

今でも時々、あの時の光景が蘇ることがある。

あれもやっぱり、僕の運命だったんだよね、きっと」



「バーニー…」








「…その日は確か雨で、大きなバッグを担いだ僕は傘を差してた。

今でも時々夢に見るよ。駅に続く下りの急階段。

傘を畳んでいた僕の横を5歳くらいの男の子が通り過ぎようと

したんだ。そして、その子は足を滑らせた。

…咄嗟だったよ。もしかしたら仁が昔、階段から落ちた時の事が

頭をよぎったのかも知れない。僕はその子の体を抱えて階段下まで

落ちたんだ。無事だったその子が立ち上がって大声で泣き出した

のは憶えてるけど、そこで僕は気を失った。

左鎖骨骨折、アキレス腱断裂、右足踵の粉砕骨折。

…マムの夢が、僕の全てが、そこで終った」







窓ガラスに映る仁たちに向かって話していたバーニーは、


息で曇ったガラスを指でなぞると、ようやく振り向いた。


困惑する仁の表情に、また少し不器用に笑うと小さく頷きながら


言葉を続けた。





「仁。エドは自由なんだ。自分の未来は自分で選べばいい。

こんな家に生まれたからって、僕の事や劇団の事を気にして欲しく

ないし、人並み以上に踊れるからって、それに縛られて欲しくない。

誰かのために犠牲になって欲しくないんだ。彼は自由なんだ」



「バーニー、お前」



「愛してるんだ。彼を愛してる、だから…

僕はマムのためだけに生きて、その夢を僕自身が壊した。

言えなかったよ、マムには。僕がもう踊れないなんてね。

だから余計、仁を憎んだ。そして僕の心も壊れていった。

エドが悩んでるのは分かってる。だからこそ自分で決めて欲しいんだ。

僕には…僕の青春は、そんな選択権さえ無かったから」





メール着信があったのか、ジャケットの内ポケットから


バーニーが携帯を取り出した。しばらく画面を見つめた後、短く返信


すると、静かにそれを閉じる。


一連の動作を見ていた仁が、「操か?」と聞くと、


バーニーは少し顔を赤らめて小さく2度頷いた。






「お前さ。それ、あいつに言った事あるのか?

愛してるって。エドのためを思って厳しくしてるって」



「いや。仁、こういうのを日本語で“親バカ”って言うんだろう?

本当はこんな私情を劇団に持ち込んじゃいけないんだろうけど」



「まったく。子も子なら親も親だな。全然素直じゃない。

素直にあいつを抱きしめてやれよ。あいつは、お前が思ってるより

もっと繊細だぞ。お前の言葉ひとつで傷ついて、揺らいで、葛藤してる。

それでもお前を追い掛けてるんだ。信じてやれよ、あいつを」








坂の途中の公園は、もう誰も居なかった。


古い外灯は、所々故障していて、全体の半分しか灯っていない。


暗い公園の奥で、エドは鉄棒に両足を掛け腹筋をしていた。





ギシ、ギシ、ギシ…


1回起き上がるごとに、古い鉄棒は苦しげな音を刻む。


その音と、エドが吐く規則的な息遣いだけが公園内に響いていた。





しばらくしてエドの体が止まった。


逆さまにぶら下がったまま、はぁはぁと肩で大きく息を吐く。





「最低、か。ま、そうだよなぁ」


小さく呟いたエドが、また反動をつけようとした時、


目の前で柔らかい障害物とぶつかった。





「っ!何だよ」





エドは暗闇で目を凝らし、下から順にその障害物を確認すると、


どうやらエドにぶつかったのは人間で、


腰に手を当て仁王立ちしているらしい。





「おい、痛てーな。誰だよ、急に。あ」



「ちょっと!あんたこそ何やってんのよ、こんなとこで!」





エドの質問とほぼ同時に、聞きなれた声が頭の上から聞こえてきた。


あきらかに不機嫌なその声の主は、


鉄棒に掛かっているエドの足を外そうと強引に靴に手を掛けた。


慌てたエドは抵抗し、自分から鉄棒から飛び降りる。


少しふらつきながら2、3歩後ずさったエドは、


大きな声で、その相手の名前を叫んだ。





「ちょっ!舞、バカ!危ないだろ。何すんだ!

お前、頭から落ちたらどうすんだよ!」



「バカはどっち?少しは頭打った方がいいのよ。

そしたらもっと素直になるでしょ!」



「どういう意味だよ」



「エド。あんた、踊りたいなら素直に言えばいいじゃない。

パパもバーニーおじちゃんもきっと分かったはずだよ。だから」



「お前なぁ…いきなりやって来て説教かよ。マジ勘弁な」



「ねぇ。何を怖がってんの?エド。

さっき稽古場でのあんたのあんな顔。私、久しぶりに見た」



「オレがどんな顔だって?もういいよ。その話は」





いきなりの舞の態度に憤慨したエドは、大きな溜息をつくと、


舞の横を顔も見ずに通り過ぎた。


大股で公園の出口に向かうと、家とは反対の駅の方へ歩き出す。


そのエドの態度に、今度は舞が大袈裟に溜息をついてその後を追った。





「ちょっと。何処行くの?」



「酒飲みに」



「バーカ。この街であんたに酒飲ませる店なんか何処にも無いわよ。

それなりに有名だもん、うちの家系」



「っさいな。関係ないだろ?ついてくんなよ」



「うるさいって何?あんた、ぜんっぜん分かってないのね。

パパはあんたのためを思って稽古に呼んでくれたのに。

分かるでしょ?ね、バーニーおじちゃんにちゃんと謝りなさいよ。

あの役、文哉さんも素敵だけどエドにぴったりだもの。

悪いけど智さんのダンスとは、ちょっと違うと思うんだ」



「お前まで知ったような口聞くなよ」



「“まで”って何?そうだ、アルさんがね」



「またアイツかよ。お前、最近アイツの話ばっかな」



「ちょっと真面目に聞きなさいよ!アルさんはあんたの事」



「まともに英語も話せねえのに、いつも何話してんだよ。

身振り手振り?それともボディーランゲージって奴?」



「何それ」



「奴はオレなんかと違ってオトナだから色々教えてくれんだろ?

足怪我してたって、他の機能はヤル気満々だもんな」



「何?イヤらしい。いい加減にしなさいよ。

あの人はそんな人じゃないわ!」



「お!庇うわけだ。“あの人”…なるほどね」



「エド!」



「放っといてくれよ!もういいから、オレの事は。

お前には、何の関係もないんだ」



「エド!!」






分かっていた。


自分が何でこんなに苛立っているのか。


さっきの稽古の事や可奈子の事だけじゃない。


舞の顔を見るたびに、いつも頭に血が上る理由。


そしてアルに対する想いが、かつての憧れだけでなくなっている事も。





エドは坂道を全速力で駆け下りた。


舞の自分を呼ぶ声がだんだん小さくなる。





やがて降り出した雨が、エドの肩を濡らし出した。


はぁはぁと息を切らせて立ち止まったエドは、


力尽きた様にどさっと地面に座り込む。





暗い夜空からの雨は冷たく、それはまだ少し熱かったエドの


片頬を冷し、その頬を伝う涙を消すのに好都合だった。





「どうして、こうなるんだ。いつもいつも」





何もかもが思うようにいかない。


自分の想いと口をついて出てくる言葉は、いつも正反対だ。


エドはこぶしを固く握り締め、雨に濡れたアスファルトを


何度も叩き始めた。





赤く滲んだ雨が、無造作に投げ出されたエドの足元を


流れていく。





エドは空を見上げ、しばらくその場から動けなかった。






2015/09/27 19:36
テーマ:創作 同じ空の下で カテゴリ:日記(今日の出来事)

同じ空の下で 5











「悪かった、今日は。遅くなっちゃったな。

家、大丈夫か?電話したか?」



「ん?…あ、うん大丈夫」



「驚いたろ、オレん家、あんなんでさ。

お袋なんか、ガサツでやんなるってか。あれで昔はうちの女優

だったんだってさ。ほんと、辞めて正解だろ?」



「お母さんは素敵な人だったよ。私の想像以上。

料理も美味しかったし、お話も楽しかった。

私が驚いたのはエドの事だよ。分かってるでしょう?」



「オレ?」



「そ。何だか頭の中グチャグチャでさ。まだ考えがまとまらないの。

色々考えないようにしようと思って、夕飯に没頭したけどやっぱりダメ。

ね、気がついてる?ここにいるエドは私が知ってるエドとは全然違う。

何だか別の人みたいだよ」



「オレが?オレは…オレだよ」











つい2時間前。


エドは稽古場で踊っていた。




仁が文哉に振付けたという振りは確かに難しく、


エドは何度もステップを外し、ジャンプのタイミングを失敗した。




上手くいかない苛立ちでチッと舌打ちをし、タップシューズを


パン!と鳴らすと、「エド」という静かな声と共にバーニーの瞳が


静かに光る。


その視線を感じて正面の大鏡に目を移すと、


そこには舞とアルがにこやかに並んでいる姿が映っていた。





何故か体中の血がカッと熱くなる。


冷静になろうとタップシューズの紐を不必要に締め直すと、


目の前に仁が立っていた。





「ナオト」



「あぁ、おじさん」



「ナオト。ここは稽古場だ」



「あ、ごめ…すみません仁さん。久しぶりだからちょっと。

でもこれ難しくね?文哉さんとオレじゃ体格だって違うし、柄だって違うし。

アハ…ってか、どうしてオレ?智さんとか、カズさんとか、他にもいっぱい

いるじゃん、踊れる人」





焦る気持ちを誤魔化すように、エドは少し大袈裟な笑顔で


仁に言い訳をした。そのエドの軽い口調に、


稽古場の空気がピン!と張り詰める。


仁はその空気を背中で感じつつ、低く響く声でエドに向かった。





「振り写して20分。まさかギブアップか」



「ちが…そうじゃないよ。面白い振りだな、と思っただけ」



「なら踊れ」



「だから踊るよ?でも、何でオレなのかな~って。

本番までの代役だからって、オレじゃなくたっていいじゃん。

オレなんかただの」



「ただの何だ。ナオト、部活だとか受験だとか。

お前が稽古に出なくなって久しいが、毎晩遅くまでここで踊ってるのは

知ってるんだぞ、俺もバーニーも」



「そんなん…あれはただの、そう!気分転換っていうか」



「気分転換で踊るのか、お前は。俺は何度も見てるが、

あれが気分転換の踊りか?近頃何に迷ってるのか知らないが、

お前もダンサーだろ。操の話じゃ、お前の成績ならわざわざ受験しなく

ても推薦が十分取れたそうじゃないか。なのに」



「だから、さ。遊びだよ、遊び。受験生ってのは、色々あるでしょ」



「ナオト、何言ってんだ?お前」



「…仁さん。じゃ、オレでいいの?

本当にオレは、踊って、いいの?」



「もういい。仁、踊りたくない者に無理に踊れとは言えないさ。

自信が無い者は尚更だ。エド、外れろ。代わりに智、入って。

振りは入ってるね。途中のジャンプは、君のタイミングで。

文哉の様な力強いダンスじゃなくていい。

しなやかな、君のダンスでいいから」



「バーニー!!」





体中が熱かった。


本気じゃないのに、稽古に出られた嬉しさに舞い上がり


つい仁に軽口を叩いた。


稽古中のバーニーに冗談は通じない。


そんなの、昔から分かっていたのに。





もっと踊りたかった。ちゃんと自分のダンスになるまで。


もう少しで出来る、そう思っていた。





自分で招いた事とはいえ、バーニーの冷静な言葉に


その場から動けない。


仁がバーニーに何か言っているが、その声も耳に入って来なかった。





「ごめんダディー、ちが…」








高1の夏。


夜中、リビングで見た1本のDVD。





溢れてくる涙と、体の震え。


井の中の蛙だった自分。


根拠の無い幼い自信が、ガラガラと崩れ落ちる。





やがて稽古場から聞こえてきた仁とバーニーの会話。


慌てて身を隠して聞いたその内容に耳を疑った。





混乱した。


そこに当然あった道が、目の前から消えていく。


頭の中が、真っ白になった。


父の言葉が頭から離れない。





やがて誘われて入った部活にのめり込み、


忙しさを理由に、稽古場から足を遠ざけた。





本当は自分でも分かっていた。


これは、ただ逃げているだけだって事。





なのに、心の声に蓋をするように毎日クタクタになるまで泳ぎ、


ただ泥のように眠った。


そして、深夜誰も居なくなった稽古場で1人、大鏡に向かう。







さっき拓海が呼びに来た時、


本当は飛び上がりたいくらい嬉しかった。


助かった、と思った。





これで、やっと変な意地を張らずに済む。


稽古場へ帰れる、と。





ちゃんと踊れると思っていた。


振り写しは得意だし、すぐに踊れると。





しかも、今日はその元凶が自分を見ている。


なのにこの場で、エドは稽古から外された。





「エド。悪いな」





智がエドの肩をポンポンと叩いて、センターの位置につく。


まだバーニーに抗議していた仁の声が、


再び掛かった音楽に、かき消された。





「エド、どいてくれ。邪魔だ。悪いけど」



「…えっ?」





誰かの声で我に返ったエドは、慌てて稽古場の隅に移動した。


稽古が再開され、さっき自分が踊っていたセンターで智が踊っている。


しなやかで伸びのある柔らかな智の踊り。


周りは一糸乱れぬ宇宙の群舞。


エドは呆然と、再開した稽古を見つめていた。





「エド」



そんなエドに声を掛けたのは、可奈子だった。


小さい可奈子が自分の方を向き、微笑んでいる。


エドはその笑顔に釣られるように、片頬で不器用に笑った。





ふと目を上げると、向い側に舞が立っている。


そしてその横には、自分をじっと凝視している車椅子のアルの姿。





「行こう」


強引に可奈子の手を引いて、その2人の横を通り過ぎると、


背後からアルの声が響いた。





「エドワード」





思わず足が止まった。





「エドワード」





もう一度、アルが名前を呼ぶ。


エドはその言葉を振り切り、可奈子の手を掴んで走り出した。






「バカね、あの子」



「ん?」



「バカよ、バカ。大バカ。

本当にどうしたんだろ。最近のあの子、本当に変なの」



「マイ、さん?」





走っていくエド達の後姿を目で追いながら、


舞はアルに向かって小さな声で話し出した。


どうせアルには意味は分からない。


そう思ったが、思わず言葉が口から溢れ出す。





「前はね、あんなじゃなかったの。

赤ちゃんの頃から稽古場に居たんだもの。

あの子が初めて歩いたのも、初めて歌を歌ったのも、ここだったのよ。

やがてエドの才能に気付いたパパは本気で教えてたわ。

バーニーおじちゃんも、あの時は嬉しそうだった。

私や弟達と遊ぶより稽古が大好きだったの。あんな冗談とか、稽古場では

絶対言わない子だったのに…高校生になってしばらくしてからかな。

何故か急に稽古に来なくなったの。水泳部に入ったり、サッカーやったり。

夏休みに1ヶ月間、家出みたいに友達の家を泊まり歩いた事もあったっけ。

…わざと逃げてるみたいだった。人が変わったみたいになって。

どうするのかな、エド。また意地張らなきゃ良いけど」











稽古場を離れたエドと可奈子は、


その足で操の店「OREGON」に向かった。


可奈子に歩調を合わそうともせずに、エドはずんずん歩き出す。


可奈子は少し後ろから、少し小走りにエドの背中を見つめながらついて行った。





15分ほど歩いて着いたOREGONは、相変わらず混んでいた。


エドがドアを開けると、正面に座っていた数人の女性客が小さく


息を飲み込んで固まったのが可奈子にも分かった。





そんな空気を完全に無視して、エドは真っ直ぐキッチンに向かう。


デザートのアップルパイにホイップを絞っていた操に、



「友達連れてきたから飯食わせて」


と言い、自然に操の手からホイップの絞り機を取り上げた。





その声に操が顔を上げると、そこにはさっきの女性客たちの熱視線を


逆に食らった可奈子が、入り口で顔を引きつらせていた。





稽古場でのいきさつを何も知らない操は、急にエドが可奈子を連れて来た


ことに驚きながらも陽気に2人を迎え入れ、


可奈子をキッチンが見えるカウンター席に座らせた。





鼻先にふわ~んと甘い香りが漂う。


奥の席の家族連れが美味しそうにチキンを頬張っている。


可奈子はまだ背中に感じる視線にビビりながらも、


ぐるりと店内を眺めると、キッチンの中まで興味深く覗き込んだ。





「私、ここにずっと来たかったんです。

雑誌とかに載ってたから前から知ってたんですけど、エドの家だって

知ってから余計に来たくて…すご~い!このキッチン、オール電化なんですね。

しかもこんなにコンパクトなのに、使い易そう!」



「あら?よく分かるのね。初めは居抜きで買ったから普通のキッチン

だったんだけど、この狭さでしょう?私が何度も火傷するもんだから、

先生が心配して強引にリフォームしちゃったの。

もしかして可奈子ちゃん、お料理に興味があるの?」



「いえ、そうじゃなくて…うち、父さんが大工なんです。

どっちかっていうと私、設計とかインテリアとかに興味があって。

エドの家の…あ、御自宅のキッチンもすごく素敵でした。

ウッドベースのキッチンに、タイルがカントリー調のアクセントで」



「お前、あの短い間にそんなとこ見てたのか」



「そうだよ。そこにエドが腕まくりしてエプロン姿で立った

もんだからもう…」



「もう?」



「え、あ、えっと…もうそろそろお腹空いたなぁって」



「あ。アハハ、はいはい。可奈子ちゃんチキン好き?

うちの名物は“OREGONチキン”っていうフライドチキンなんだけど」



「うわ~!噂のOREGONチキンですね?マーマレード味の!

はい。いっぱい頂きます。もうお腹ぺこぺこで」



「アハハ、エド、面白い子ね。この子」





言葉通りに、可奈子はチキンを4ピースとクラブハウスサンドを


平らげ、呆れるエドが淹れたコーヒーを3杯もおかわりした。


食べながら可奈子が話す学校での豊富な話題は面白く、


操はキッチンの中で笑いが止まらない。


その豪快な笑顔にエドは苦笑し、「代わるよ」とエプロンをつけ、


操と交代してキッチンに入った。











そして、今。


2人は商店街を駅に向かって歩いている。





可奈子の手には、操に渡されたお土産のカップケーキ。



可奈子はエドと少し距離を取り、手に持った箱を小さく


振りながらゆっくりゆっくり歩いていた。





「そ、オレはオレ。これから受験もあるし、忙しいしさ。

おじさん達の気まぐれについてけないってか、いかないってかそんな感じ。

アハハ、おい、部活の連中には内緒にしてくれよ。

あいつらオレがダンスするなんて知ったら色々うるさいからさ」



「ねぇ。あのままでいいの?エド。

私、ああいう世界はよく分かんないけど、エドは踊りたいんでしょ?

あんな顔のエド、見たの初めてだもん」



「バーカ。いきなりマジかよ…くだらな」



「くだらなくなんかないよ。素敵だったよ、エドのダンス。

エドが一番上手かった!エドが一番輝いてた!」



「お前、何も知らないくせに。余計な事言うな」



「知らなくなんかないよ。私、エドの事なら何でも分かるもん!」



「さっきお前が知ってるオレとは違うって言ったじゃないか。

別の人みたいだって。だろ?知らなかっただろ?嘘つくなよ」





閉店後の店舗が並ぶ閑散とした商店街に、エドの声が響く。


可奈子は大きく深呼吸すると、言いたくなかった一言を


搾り出すような声で言った。





「…分かるもん。分かっちゃったよ、私」



「何が分かるってんだ。お前、もう帰れ」



「分かったよ、私。エドの気持ち。私には分かる。

エドは踊りたい。そしてそれを舞さんに見せたいの。

…エドは、舞さんが好きなんだね。エドの目、ずっと舞さんを追ってたよ。

踊ってる間もずっと舞さんだけを見てた。

あのシーン、報われない恋に苦しむ青年が想いを打ち明ける場面よね。

エドは舞さんのことを想って踊ってたんでしょ?違う?」



「可奈子」



「学校中の誰が告っても、私がどんなに想っても振り向いて

くれないはずだよね。あんな綺麗で…あんな素敵な人。

ね、エドはずっと好きだったの?舞さんは知らないのに?」



「可奈子!」



「でも舞さんも酷いよ。いくら知らないからってエドの前で

あのアルって人とベタベタしちゃって。

舞さん、私にエドをよろしく!とか言ってたんだからね」



「…黙れ」



「口惜しくないの?エド。外人さんに取られててもいいの?

確かにあの人、背が高くてかっこいいけど、オジさんじゃない。

エドの方がずっと」





まだ話そうとする可奈子の腕をエドが掴んだ。


驚く可奈子の肩に手を掛け、首の後ろを支えたエドは、


その唇に自分の唇を強く押し付けた。





「…っ…、に…」





急な口づけに驚き、抵抗した可奈子が思わず声を上げる。


その隙に、もっと深く口づけようとエドが力を込め、角度を変えた。





「っや!エド…嫌っ!」





口づけを交わしたまま、可奈子が抵抗する。


ようやく大きく両手を振ってエドを引き離した可奈子は、


ワナワナと唇を震わせていた。


その瞳から、大粒の涙がポタポタ零れ落ちる。





「…ど、して?…何で?」



「…キスしたかったからに、決まってる。

お前。オレの事、分かってるんだろ?」





エドの頬で、可奈子の掌が大きく音を立てる。


2人は凍りついたように立ちつくした。





「うそ。うそだよエド。こんなの嘘…

違う、違うよエド……最低」








やがて、可奈子の走り去る靴音が遠くに聞こえた。


エドの足元には、崩れたカップケーキ。








片膝をついてそれを拾ったエドは、


空を仰ぎ、大きく息を吐いた。








「…嘘?

…なら、何が正しいんだよ。オレは、オレは…」












2015/09/25 19:49
テーマ:創作 同じ空の下で カテゴリ:日記(今日の出来事)

同じ空の下で 4














「…舞。何でお前が居るんだよ!」


「え?何でって」





OREGONの黄色いエプロンをつけた舞の腰を、


黒人青年の大きな手が支えている。


片手にコーヒーの出前用のポット、もう片方の手は黒人青年の手を


握っていた舞が怪訝そうにエドを見つめた。





リビングの中は、いつものコーヒーの香り。


エドが中学の頃まで愛用していたマグカップが、


テーブルの上に置かれている。





「おい。手、離せ」



「え?」



「舞、お前も何やってんだ」





その言葉に、舞が慌てて握っていた手を離した。


手の中にあったポーションミルクがコロコロと床に


転がっていく。


その軌跡を辿ったエドは、ひとつ大きな溜息を吐いた。





「ね、エド。今日、エドが夕食作るんでしょう?

だから操ちゃんがね、エドはどうせまたカレーで済ますつもり

だろうからアルさんにって、チキンとサラダをね。

アルさん、操ちゃんの料理大好きなんだもの。特にOREGONチキン

は大のお気に入り。この間なんか1度に6ピースも食べたのよ。

って…ね、エド。聞いてる?」





エドは舞の言葉を半分も聞いていなかった。


そして、にこやかに自分を見つめている黒人青年をただ見つめていた。


そんなエドの様子に、青年はフッと笑い、


エドは、その青年の態度にピクリと眉根を寄せた。





「エド。またあんた、そんな態度…そろそろ」



「そうだよ。エドってば、どうしたの?急に怒鳴るなんて…」





見るからに不機嫌なエドを気にしていた舞だったが、


可奈子の声で、初めてその存在に気がついた。





「あら?お客様?ね!ね!もしかしたらエドの恋人?

うわっ可愛い~、ちょっとあんた結構趣味良いじゃない!」





大きなエドの体にほぼ隠れていた可奈子は、舞と目が合うと


ピョコンと小さく飛び上がり、慌てて会釈をした。





「そんなんじゃない。コイツは部活の仲間で」



「へぇ…意外。あんたってこういう可愛いタイプが好きだったんだ。

いつもの言動からすると、案外年上趣味なのかと思ってたわ」





昔からエドの周りには、いつも女の子が寄ってきていた


けれど、エドは誰の事もまったく相手にしなかった。


高校に入っても特定の女の子と付き合ってる様子は無かったし、


ましてや家に女の子を連れてきたのは、可奈子が初めてだったのだ。





「っさいな。もう帰れよ。もうすぐディナー始まるだろ」



「はいはい、言われなくても帰るわ。お邪魔でしょうしぃ。

ふふ、帰ってさっそく操ちゃんに報告しなきゃ。

エドが女の子連れて来てたって!」



「舞っ!!」



「キャー!怖い怖い。え~っと…」



「あ、はい!えっと。私、可奈子です。近藤可奈子」



「可奈子ちゃん。うーん、名前も可愛いなぁ。ザ・女の子って感じ。

じゃ可奈子ちゃん。また今度ゆっくりね。学校でのこの子の事、

色々教えて頂戴。この子、聞いても何にも話してくれなくて…

アルさん。私、店に戻りますね。分かるかな?しーゆーあげいん?」



「Yes,舞サン。Thank you very much for your kindness.」



「可奈子ちゃん、こんな子だけど、エドをよろしくね!」



「いいから!!」





エドの一喝をまたアハハと笑い返し、舞が出て行くと、


リビングには明るいソウルミュージックだけが響き渡った。





車椅子に乗ったアルが、ゆっくりコンポの前に進み出る。


長い指でスイッチを切ると、器用にCDを取り出し、ケースに収めた。





「Ed?Edward」



「お袋のチキンもあるんでしょうけど、オレも飯作ります。

出来たら呼ぶんでTVでも見てて下さい。

たぶんCSかどっかで映画でもやってるんじゃないかな」



「Ed…」



「って言ったって日本語分かんないか。可奈子、TV点けてやってくれ。

外人は手間かかってしょうがない」



「エド。この人は?」



「あぁ。親父と仁おじさんの知り合いのNYのダンサー。

怪我して舞台休演したんで親父が連れてきたんだ。な、頼む。

オレ、飯作るからさ」



「え?あ、あ…う、ん」














「STOP!!どうした文哉。これくらいのステップ、君が踊れないわけ

ないだろう。君のジャンプを活かした見せ場だ。なのに何故遅れる?」



「すみません代表。ちょっと足が滑りました。

もう一度頭からお願いします」



「この役は君にあてて書いたんだ。仁だって君のために

振付けてる。分かってるだろう?」



「…はい」





珍しく稽古場でバーニーが声を荒立てた。


木島の演出法を忠実に守っているバーニーは、滅多な事では


劇団員を叱責することはない。


役者の気持ちが役に近づくまで、役の気持ちのままダンスに


命が吹き込まれるまで、じっくり待つのがバーニーの演出だ。





「やる気が無いのか?」



「違います!!」



「待て、バーニー」





それまで稽古場の隅で若手のダンスを指導していた仁が、


つかつかとやってきた。


そして、自分より5センチは高い文哉の目の前に立つと、


鋭い目で文哉をじっと見つめた。





「やっぱりお前か。昨日はこんな音じゃなかった。

いつだ、何やった?」



「…な、何がですか、仁さん」



「親指、かな。それとも甲?」



「アハ、な、何言って」



「仁?」



「バーニー。文哉、怪我してる。

稽古始まってから、そろそろ4時間だ。こいつのことだから

痛み止めで踊ってたんだろうが、もう限界なんだろう。

さっきの群舞から音がほんの少し乱れてたから、誰かなと

思ってたんだ」



「仁さん、違いますって。大丈夫です!まだ踊れます!」



「怪我?」



「大した事ないんです。こんなのすぐ治るし」



「シューズ脱げ。踊っていいかはバーニーが決める。

おい、カズ。文哉を押さえろ!」



「ラジャー!!」



「止めて下さい、仁さん!馬鹿、カズ。離せって!」」





半ば楽しそうに仁達は文哉を羽交い絞めにし、


まだもがいている文哉の両足のタップシューズを


強引に脱がせた。





右足の爪先から甲にかけて不器用に巻かれた包帯。


親指の先にじっとりと血がにじんでいる。


文哉は大きく溜息を吐き、天井を見つめた。





「あらら。こりゃ痛いね」



「まったく。いくらお前が我慢強くてもこれはダメだな」



「大丈夫です、仁さん。昨夜コンビニに行った時、ちょっと

チャリでコケただけですから。こんなの」



「え~?コンビニ。先輩んちのアパートの目の前ですよね~」



「違うよ、駅の向こうの方。あっちは今、弁当50円引きだから。

って、バカ!お前。面白がってるな、カズ」



「だって。いつも慎重な先輩が珍しいじゃないですか。

なるほど、目当ては50円引きの弁当じゃなくて、バイトの亜紀ちゃんか~。

そうか、昨夜はシフト入ってたんだ」



「…あぁ、もう。いいだろう?」



「カズ、もうからかうな。で、これどうしたんだ?

何かで切ったのか?」



「いえ。坂でそのまま勢いでゴミ置き場に突っ込んじゃって、

置いてあったゴミ袋が右足の上にドーン。どこかの馬鹿が鉄アレイでも

捨てたんだか、それがやたら重い袋で。

サンダルだったから直だったんですよ。右足の甲ちょっと腫れたけど

骨は折れてないです。だけど今朝親指の爪が少し剥がれて…

でも、大丈夫です。もう痛くないですって。

代表!稽古から外さないで下さい。こんなのすぐに治りますから!」



「気持ちは分かるけど、これじゃまともなタップは踏めないよ。

怪我した君を庇って稽古する訳にもいかないし。

確かにいつも慎重な君らしくない行動だったね。

分かった。公演まで2週間。それまでに治す事、いいね。

仁、仕方ない。しばらく代役立ててやろう」



「代表!!」













制服のジャケットをソファーに放り投げ、キッチンのフックに


掛かった紺のチェックのエプロンをつけたエドは、


シャツの袖をまくり上げ、シンクで手を洗った。


慣れた手つきで米を研ぎ、冷蔵庫の中の食材を確認していく姿に


可奈子は驚き、見慣れているはずのその腕の筋肉に、


目を奪われてしまった。



ついこの間まで、ほぼ裸の水着姿を見ていたというのに。





「ヤバっ…かっこ、い」



「Kanako?」



「え?あ。ごめんなさい!アイムソーリー。

そっか。はい、えっとTVね」





テーブルの上のリモコンを、可奈子は闇雲にカチャカチャ弄った。


夕方のニュースや子供向けのアニメが代わる代わる画面に現れる。


どのチャンネルにしたらいいか分からず、可奈子はエドの方を、


キョロキョロとうかがった。


そんな慌てる様子が可愛くて、青年は声を出してアハハと笑った。



「ごめんなさい。私」



「OK、ダイジョウブ」





2人の様子をエドが横目でチラッと見た。


その視線に気付いた可奈子は、また小さく飛び上がる。


ほぼ同時に玄関のベルが鳴ると、今度は「キャッ!」と叫んで


ソファーにぺたんと座りこんでしまった。





エプロンで手を無造作に拭いたエドが玄関に向かう。


少ししてリビングに一緒に姿を現したのは、拓海だった。





「やっぱり帰ってたか。

さっき舞ちゃんの声がしたからもしやと思って」



「どうしたの?うちに来るなんて珍しいね」



「ん?いや。お前を呼びに来た」



「オレ?」



「悪いが稽古場まで来てくれ。ちょっと稽古が行き詰った。

文哉が当分踊れなくなってな。代役立てようにも奴の役、

踊れる奴いなくてさ。お前しかいないんだ」



「どうしてオレが?団員ならいっぱいいるでしょ?」



「おい、どうしたんだエド。お前らしくもない。

お前最近本当に変だぞ?前なら頼まなくたって稽古場に飛んで

きたのに。文哉が足の爪剥がしたんだ。恋に目が眩んでゴミ箱に

頭っから突っ込んだ。あいつの代役だぜ?あんなに高く飛べる奴、

今の若手にはまだいないだろうが。それに今回、仁さんが奴に振付けた

ソロ、凄いんだ。エド、踊れよ。俺だってあれは踊れねえ」



「アハ…なら余計無理でしょ。拓海が踊れないんじゃ、オレなんか。

ね、誰がオレ連れて来いって?仁おじさん?それとも」



「仁さんだよ。おいお前、何言ってんだ?」



「今日の模試散々でさ。もうボロボロ、疲れてんだ。

それに今日は友達来てるし、今、飯作ってんの」



「おい、エド。お前さっきから何言って…ん?友達?」



「ハイッ!ぁ、お邪魔してます!」





ソファーに正座した可奈子が慌てて挨拶した。


ちょこんと頭を下げるその姿に拓海は驚き、


アルは優しく微笑んだ。





「ほぉ、こりゃ驚いた。お前が女連れてくるなんて。

いつ彼女出来たんだよ、操から何も聞いてないぞ」



「バーカ、そんなんじゃないって」



「いらっしゃい、お嬢さん。エドの学校のオトモダチかな?」



「え、あ、はい。同じ水泳部の」



「へぇ、なるほど。お前がね…結構やるじゃねえか。

中学までは部活なんか目もくれず毎日稽古場にいたのに、

高校入って急に水泳部に、っていうから正直驚いたんだけど。

こんな可愛い子がいるんじゃ迷うわな、こりゃ」



「うるさいよ。余計な事言うな。

って訳だから戻れよ。オレは忙しいの」



「おい。2週間だ、本番まで。じや、文哉が治るまででいい。

な、何があったか知らないが、お前、本当は踊りたいんだろ?

なら来い。何なら文哉の役、そのままお前が取っちゃえよ」








ガターン!


急にリビングの奥で鳴った大きな音に、


エド達は驚き、振り返った。





そこには、車イスから立ち上がろうとしてフロアに倒れ、


起き上がろうとしているアルがいた。


驚くエドと拓海より一瞬早く、可奈子がその体を支えに動く。


差し出す可奈子の手を、アルは笑顔で断わった。





「だ、大丈夫ですか?」





アルはまた笑顔で首を振った。


そしてゆっくり壁に手をつきながら立ち上がると、


少し乱れた息で、エドに向かってこう言った。





「イエス、レッツゴー、エドワード」





2015/09/16 17:33
テーマ:創作 同じ空の下で カテゴリ:日記(今日の出来事)

同じ空の下で 3






ようやく3話です。いや~、長らく放置していたので、 気になる

ところだらけで・・・やっとこさUPにこぎつけましたよ。

どうぞご笑納下さいませ♪









舞の手を強引に引っ張りながらガードをくぐり、


本多劇場の前を通る頃、エドはやっとその手を離した。





舞は、楽しそうに小さい声でケラケラ笑っている。


そして、まだ少しおぼつかない足で、劇場の大階段を上り始めると、


最上段で、大きく伸びをした。





短めのキャミソールの裾から覗いた素肌が、妙に真っ白い。


エドは、舞から慌てて目を逸らした。o






「あ~、良い気持ち。ね、エドもおいでよ」



「酔っ払い…さ、帰るぞ。それとも瞳ちゃん呼ぶか?」



「いやよ、そんな酔ってないもん。それにそんな事したら

またパパに大目玉よ。大体パパが大袈裟なの。まだ全然平気だったのに」



「平気なうちに帰れって事だろう?オレだって自分の誕生会

抜けてわざわざ送ってやってんだ。感謝しろよな」



「“オレ”だって。イヤね、最近のエド。背伸びしちゃって」



「っせーな。いいだろ、別に」







…いつまでも姉貴ぶるなよな。


もう18だ。オレだってもう、子供じゃない。





「ね、エド。あんた、本気の恋した事ある?」



「え」






いつの間にかミュールを脱いだ舞は、階段の上に座り、


裸足の足を組んで、大きく息を吐いた。





組んだ足の間からスカートの中が見えそうで、


エドは溜息を吐き、また目を逸らす。





「おい。舞。いい加減にしろよ」



「ね?どうなの?エド。あんた、あれだけモテるんだから、

たぶん、ガールフレンドの1人や2人いるんだろうけど」



「別にモテてなんかいない。おい、いいだろ?もう」



「本気の恋よ。体中が震えちゃうくらいの恋。

きっと一目惚れなんじゃないかなぁ。逢った瞬間に、ハートにビビッと

運命感じちゃう!みたいな…」



「は?くだらな。女ってすぐそれな」



「何がくだらないの?本当の恋ってそういうものじゃない?

ある日きっと白馬の王子様が…女の子なら皆、夢見てるわ」



「へ…ぇ」



「ね。さっき拓海ちゃんが私の友達と付き合ってるって言ってた

でしょう?何だか考えちゃって。恋愛って色んな形があるのは分かる

けど、そんな年上の人となんて私、想像できないんだよね。

パパとママがいつまでもラブラブなのは、いいなって素直に思うけど」



「おい。拓海なんかの言う事、いちいち聞くなよな。

どこまで本当の話か分かったもんじゃないぞ」



「ね、エドは?エドはどんな恋がしたい?」



「舞」



「色々あるでしょう?夕日が差す放課後のプールサイドで、水泳部の

マネージャーに突然告られるとか。行き帰りの電車の中で、他校のJKに、

こっそりラブレターもらうとか」



「古っ!何だ?それ。お前、ライトノベルの読みすぎだ。

いつの時代のシチュエーションだよ。そんなの無い無い!」



「そうなの?じゃやっぱり拓海ちゃんが言うみたいに、高校くらいの

男の子って皆、ヤレればいいとしか思ってないの?え?エド、あんたも?」



「ヤレっ…バカ!何言ってんだ、お前。

はぁ…勝手にしろ。オレは先に行くからな」



「ちょっと、エド。私を送ってくれるんでしょ?

急にどうしたのよ。ね、ちょっと待って。エド、待ってってば!」







…チッ!くされ中年拓海!!ろくな事、言いやしねぇ。


あいつ、酒飲んでなきゃ、超面白くて大好きなんだけど。


親父に話せないエロイ相談も、拓海には話せるし。







でも。


これはダメだ。



21にもなって未だにおとぎ話の国にいる舞に、


あいつ、余計な事吹き込みやがって。







コイツは…舞は…


フツウの女とは違うんだよ。







猛烈に腹が立った。


背中に、追って来る舞のミュールのカツカツとした足音を聞きながら、


エドは、大股で仁のマンションに向かって歩き出した。







「ねぇ、ちょっと!エド~」


時々カカッと突っかかるような舞の足音。


エドはまた溜息を吐き、舞に分からないように少しだけ速度を緩めた。















「…えっ?アルが?」



「ああ」



「じゃ、公演は?ロングランは?」



「もちろん降板した。トニー賞受賞後の大事な舞台だったのにな。

残念ながら当日の舞台は休演。翌日から代役が立ってる。

バーニーは看病と諸々の処理があって、残ったんだ」



「どうしてそんな…エレベーター事故ってどういう事?

それよか、全治どのくらいなのよ!」



「傷自体は多分2ヶ月くらいかな。右足の複雑骨折と裂傷。

でも、問題は後遺症が残るかも知れないんだ。まだ分からないけど」



「えっ?」



「本当は、俺が残ってやれば良かったんだけど。

まさかこんな事になるとは思わなかったから、スケジュール入れて

たんだ。宇宙の仕事なら何とかなるけど、客演じゃそうはいかない

から」



「アル…」



「歩けなくなるとかそんなんじゃないけど、今後ダンサーと

して満足できる踊りが出来るかどうか…

バーニーは辛いだろうな。アルはバーニーを庇って落ちたんだ。

不幸中の幸いは、落ちたのが1階から地下2階までだった事だ。

もし、家がある12階から落ちたら命がなかった」



「そりゃそうだけど!」



「なぁ、常さん。瞳に何て話そうか。

アルが成功してアメリカ中に認められて、あんなに喜んでたのに。

あいつにとって、アルは弟みたいなもんなんだ」



「仁ちゃん」



「くそっ!!やっと、やっとここまで…あいつは、アルの

才能は…アルは本物のダンサーなんだ!!

今まであいつがどれだけ…どんな想いで…

常さん。やっぱ酒くれ。思いっきり強い奴」









エドが舞を家に送り届け、代わりに瞳を連れてMIYUKI


に戻った時、店には劇団の重鎮メンバーしか残っていなかった。


常さんはカウンターを離れて仁と飲んでいて、拓海とアキラは、


奥のベンチシートで静かに膝を抱えている。


カウンターの中の操が食器を洗う音だけが、小さくカチャカチャ響いていた。





さっきまでの店の様子とのあまりの変わり様に、


エドは開けたドアの前で驚き、棒立ちになった。


後から入ってきた瞳が、エドにぶつかって「痛っ!」と声を上げる。



「瞳ちゃん…」





ふわりと花のような笑顔の瞳が入ってくると、


張り詰めていた店内の空気が一変した。


瞳は、真っ直ぐに仁の傍まで進み、その手を取ると、自然に


隣に座り、高く透き通るその声で、愛するその名前を呼んだ。





「もう!仁さん。帰ったんなら空港から電話してくれたって

いいじゃない。エドから今聞いてびっくりしちゃった。元気だった?」



「瞳ちゃん」



「ね、アルも元気だった?受賞後、ずっと忙しいって言ってたものね。

トニー賞、ロングラン。凄いことだけど、体調が心配だな…

ん?何?皆、そんな顔して。ね、操ちゃん。何かあった?」



「瞳ちゃん、あのね」


仁が瞳の手を強く握り返す。


そして何も言わずに、瞳の小さな体を強く抱きしめた。











2学期が始まってまもなく、エドは担任教師に呼び出された。


理由は自分でも分かっていた。


学期初めに出さなければいけなかった進路関係の書類を、


まだ提出していなかったから。


そして、先週末に行なわれた校内模試を、


全教科白紙で出したからだ。





進路指導室までの廊下がやけに長く感じる。


渡り廊下で立ち止まり、窓の外のプールをぼんやりと眺めた。





去年の秋まで1日1万メートル以上は泳いでいたプール。


2年の時、個人メドレーの選手としてインターハイの東京都代表に


なったのが、遠い昔の様に感じた。





「セーッ、セーッ、セーッ!潤、ラスト1本!!」





コーチの甲高い声が、ここまで響いてくる。


エドが自分の後任に指名した、2年生の現キャプテンの潤。


スイマーとしての記録は今ひとつだが、真面目で誰にでも優しく、


2年からも1年からも慕われている。





「頑張ってるな、潤」





良い記録が出たんだろう。コーチがストップウォッチを潤に見せ、


盛大に頭を撫でている。プールサイドの部員達が駆け寄って、


全員で水の中から潤を引き上げた。





「どうしたの?エド。プールが恋しくなった?」





その声に振り向くと、いつのまにか隣に可奈子が立っていた。





同級生の可奈子は、元水泳部のマネージャー。


かつて、家族より長い時間をエド達とプールで過ごした仲間だ。


丸顔にポニーテールの可奈子は背が低く、エドの胸くらいしかない。


下からエドを見上げる様にして覗き込む表情は、悪戯を見つけた


子供みたいに無邪気だった。



「おう」


「何が“おう”よ。私、ずいぶん前から居たんだよ。

ちょっとショックだな。私ってそんなに気配無い?」



「悪かったな」



「いいけどね。私なんて、そんなもんだよ。エドこそどうしたの?

いつも1、2番のエドが先週の模試、100番にも入ってなかった」



「あぁ。もう貼り出されてんだ」



「さっきね。私、自分のより先にエドのから見るから。

で、どうしたの?熱でもあった?」



「別に。至って平熱。機能も正常」



「ならどうして?あんなの考えられないよ」



「おかげで進路指導室がオレを呼んでるんだ。自業自得だけど。

…な、可奈子。オレって、ガキか?」





窓の外のプールでは、今度は1年生のタイムを計っているらしい。


応援する潤のハスキーな大声が聞こえてくる。


エドは可奈子と、またぼんやりとプールを見つめた。



「ガキ?それどういう意味?エドはガキなんかじゃないじゃん。

私達の永遠のキャプテンだよ、エドは。エドのリーダーシップで

私達ひとつになれたし、あの鬼コーチのキツい練習にだって耐えられた。

そうでしょう?あの潤だって、エドを目標にああやって頑張ってるんだよ」



「そうかな」



「そうだよ。スポーツ万能で勉強出来てさ、みんなの憧れだもん。

しかも両親と伯父さんが有名人で…」



「チっ、お前まで雅紀みたいな事言うのかよ」



「だって、事実じゃん。ね、変だよ?今日のエド。

本当にどうしたの?何かあった?」



「そ、ちょっとな。夏休み、色々あったんだ、実は。

オレにとっては一大事…そうだ。お前、今日暇?

夕飯、オレん家で食ってかねぇ?」



「えっ?う、うん!暇、暇!今日、予備校なんて無いよ」



「あは、ホント、お前正直な。でもわりぃ。オレ、今日1人で帰りたく

ないんだ。付き合ってくれ。あいつと2人きりなんて真っ平だし…

じゃ、大人しく怒られてくるよ。ちょっと待ってろな。

終わったらすぐLINEする」





ペタンコになった上履きを引き摺るようにエドが歩き出す。



「あ、うん!分かった!!待ってるね、エド」





2~3歩行った所で、エドが後ろ手に軽く手を振る。


可奈子は、胸の前で小さく右手を握り締めた。









「うわ~!ここが下北かぁ。TVでは見たことあるけど、

私、来たの初めて」



「へぇ、意外。お前、食べんの好きだから、ここら辺のグルメ情報とかに

精通してると思ってた」



「え?あぁ、私、井の頭線ってあんまり乗らないから、さ」





本当は、可奈子は何度も下北沢に来ていた。


エドの住む街を見てみたくて。





だけど駅までは来られても、どうしても改札をくぐる決心が


つかず、結局は下り電車にUターン。


毎回溜息を吐きながら、家がある吉祥寺に帰っていたのだ。





初めてエドに誘われた放課後。


初めてエドと2人で並んで歩く、下北沢の街。





異常にテンションが高い可奈子は、改札を抜け、階段を跳ねる様に


駆け下りると、ロータリーで大きく伸びをし、深呼吸した。





「おい、急に何だよ。行くぞ」



「ね!エドのお母さんのお店ってどこ?ここから近い?

美味しいって評判だよね。またこの間、雑誌に出てたよ」



「あぁ、まあな。旨いんじゃない?オレは昔から食ってるから

よく分かんないけど」



「贅沢だよエド。うちなんか、母さん料理下手なんだもん。

カレーだってレトルトの方が断然美味しいんだから」



「レトルト旨いじゃん。オレなんかかえってそういうのに

憧れてたよ。3食ジャンクフードだっていいくらいだ。

な、悪いけどOREGONはまた今度な。今日はさ、家に来て欲しいんだ。

怪我人が居て、さ」



「怪我人?誰?お父さん?」



「いや…」








劇団稽古場は秋公演の稽古中だった。


仁や拓海たちが各々自分のパートを踊る傍で、バーニーが


若手のダンサーの踊りを静かに見守っている。





そんな父の顔をちらりと横目で見て、


エドは稽古場脇の外階段に向かった。





「うぅわわっ、ちょっと、すごい!皆、本物だよ」



「ん?何が」



「柴田アキラでしょ、桜井文哉に槙タケル。

あ、あの人何て言ったっけ。何とか智!最近CMで踊ってる…

わっ!それに、あれ、伯父さんでしょ?影山仁!!」



「当たり前だろ、稽古場なんだから。

しかしよく知ってんな、うちの劇団員なんて、そんなメジャーじゃ

ないのに。それよか可奈子、いいか。びっくりすんなよ」



「びっくり?エド、もうしてるって~!」





興奮する可奈子に呆れながら、エドはポケットから


鍵を取り出した。








玄関を開けると、リビングからソウルミュージックが


聞こえてきた。


それは、エドでも知っているスタンダードナンバー。


ドアの前で小さな溜息を吐いて、


エドは力いっぱい、ドアノブを廻した。





「ただいま」



「Hello!Ed. Welcome home!」



「あ!お帰り、エド。あれれ?」



「…舞。何でお前が居るんだよ!!」








そこには舞がOREGONのコーヒーポットを持ったまま立っていた。


そして正面には、車椅子に乗った大柄な黒人の男が、


にこやかにエドに笑いかけていた。




2015/09/08 18:09
テーマ:創作 同じ空の下で カテゴリ:日記(今日の出来事)

同じ空の下で 2






久しぶりの創作UPに、沢山お越しくださいまして、ありがとうございます。

調子に乗って^^2話をUPいたします。

今回、懐かしい劇団のメンバー、出てまいりますよ。

ナイスミドル(笑)になった仁も登場します!














店じまいして、エドが向かいの【MIYUKI】のドアを 開けたのは、


もう夜の11時を過ぎていた。





操と舞は、どうやら常さんたちの計画に加担していたらしく、


大量の洗い物をするエドの横を笑顔ですり抜けると、




「先に行ってるわ。終わったらいらっしゃい」


と、言い捨てて先に行ってしまったのだ。





「ったく、女は鬼だな。誕生日の主役に鍋洗いさせんのかよ」





自分が誕生日そのものを忘れていた事は棚に上げ、


エドは愉快そうに笑いながら先に行ってしまった2人に悪態をついた。


半ばヤケクソになってソースパンや寸胴を擦り、腹いせに普段操が


一生懸命節約している水を、蛇口全開にしてザーザーと流す。




そういえば今朝も、最近稽古場下にばかり篭っていて、


家の方にあまり戻ってこない事をくどくど言われ、喧嘩になったのだ。





高2の夏から勉強部屋として使っている昔の家。


劇団の稽古場下にあるその部屋は、エドが8歳の頃まで


家族3人で住んでいた。


木島元代表からバーニーが劇団を譲り受けた時、


そのまま同じ劇団ビルの3階の木島家にエド達は移り住んだ。





アメリカで自分の事務所を持ち、演出家として新たに挑戦する事を


決意した木島とその妻、萌にとって、劇団運営及び、その全てをバーニーに


譲るのは当然の事だったらしい。





『このさいだ。何もかも全部好きにやっていいからな、バーニー。

今日からここの代表はお前だ。各方面へのなんちゃらかんちゃらは

一応全部済んでっから。

俺は萌と一緒に、これからお前の古巣に乗り込むよ。

あの時お前が日本で新たに始めたように、俺も向こうでやってみる。

せっかくの話だ。俺に、もう一度チャンスをくれ』



『代表・・』



『悪いな、バーニー。これは俺の我がままだ。

お前が何と言おうと、ここはお前に継いでもらう』



『代表!』



『あの仁や拓海たちを残していくんだぞ?他にあの連中をまとめ

られる奴がいたらお目にかかりたいもんだ。

奴ら、自分達が中年になってる事にすら気付いちゃいねえ。

ま、あれだけ踊れる連中だ、当然って言えばそれまでだが。

・・俺が出てった方がいいんだよ。宇宙も奴らにも刺激が必要なんだ』





木島はそう言って、代表就任を固辞するバーニーを説得したらしい。


安心してNYに新天地を求めた木島は今、アクターズスタジオを主催し、

育てた俳優をブロードウェイに送り出している。





劇団地下室の部屋は、エドが生まれ育った場所だ。


子守唄の様に、タップシューズの乾いた音を聞いて育ったエドには、


広い家のリビングより、稽古場の息づかいまでも感じられるような


狭い地下の部屋がなんだか居心地が良かった。





初めは試験前や、週末遊びに来た雅紀たちとのバカ騒ぎに使って


いた部屋だったが、最近は学校から帰ると、家に帰らず直行していた。





1人の時間が欲しいし、1人になりたい。


何だか毎日イライラするし、胸がもやもやする。





何故、勉強するのか。


自分が、何をしたいのか。


自分は・・どう想われているのか。





頭の中がぼんやりして何も考えられない。


答えを探そうとするけれど、


何が正解なのか、どの道を歩けばいいのかさえ分からない。





自分の何もかもが自信が無い。


今まで好きだった物。何も考えずにやってきた事。


それさえも、全部無駄だったような気がして・・


自分でもどうにも持て余す感情に、自然に稽古場下に篭る日が増えていった。







やっと片付けを終えて【MIYUKI】の重いドアを開けると、


店内は既に賑わっていた。


カウベルの音も聞こえなかったのか。皆、エドを振り返りもしない。


大声で飲み、騒ぎ、誰かの話にどっと笑い声が起きる。





見れば全員が劇団関係者。


よく見る知った顔ばかりだ。





大きく溜息をついて立っていたエドに、


カウンターの中の常さんがやっと気付き、シェイカーを振る


手を止めて、こっちに来いと目力で合図した。





「エド。遅かったじゃないの、主役が遅刻だなんて。

悪いけど先に始めちゃったわよ」



「どうぞどうぞ。どうせきっかけだろ?オレの誕生日は。

こうやってここで皆で飲む口実の」





カウンターの右端に腰を下ろしたエドの前にジンジャーエール


を置いた常さんは、エドの様子に笑いながらこう言った。





「拗ねない、拗ねない。青少年の成長は嬉しいもんよ。

皆、喜んでるんだから。劇団代表の御子息の誕生日をね」



「止めてよ、その言い方。いくら常さんでも怒るよ?」



「ぶわっはっは!!何?その目!ふふ、あんたのそんな顔、

昔のバーニーにそっくりになったわ。やっぱ親子ね」



「似てる?オレが親父に?そうかぁ?どっちかって言うと、

仁おじさんの方に似てるってよく言われるけど」



「ぱっと見はね。バーニーの外見はキッチリしすぎてるから。

でも、あんたの瞳も灰色じゃないの。遺伝子なのよ。

しかし、仁ちゃんっていつまでも老けないわよね。

しかもあの体力でしょう?あれで50後半だなんて信じられないわ。

瞳ちゃん一体何食べさせてるんだか。

もしかして、あの地下室で、不老不死の薬でも仕込んでんじゃない?」



「アハハ。んなバカな。でも確かに、おじさん若過ぎ!

うちの学校の女子にも結構ファンがいるんだ。ダンス部の連中とか、

演劇部とか。オレの顔見ればサイン貰って来いってうるさいんだよ」



「ん。やっと笑った。ね。エド。最近変よ、あんた。

年頃だから色々あるのはアタシも分かってるけどさ。舞ちゃんが

心配してたわ。何も話してくれないって。ね?もしかして訳ありの

恋、かしら?青少年」



「・・そんなんじゃ、ない」



「あんた。最近踊ってないんだってね。どうして?

受験ってのは、そんなに忙しいものなの?」



「常さんまで。お袋だけで充分だよ。そんな台詞は」



「ねぇエド。本当の意味で仁ちゃんの跡が継げる男は、

あんただと思ってたけどね、アタシは。確かにまだテクニックじゃ

智や文哉に及ばないけど、あんたの踊りにはソウルがある。

ソウルよ、ソウル。分かる?ここ、ハート」



「あんまり褒めんなよ。そんな事言ってくれるのは、

常さんだけなんだから」



「あら?仁ちゃんもバーニーも分かってるわ、当然よ。

だってあんたが踊りだした日のことなんか」



「またその話?いいよもう‥耳タコ」





その時、店の奥から舞の高い笑い声が聞こえた。


舞にもっと飲め、と誰かが勧めているらしい。


奥を覗くと4人がけのテーブルに拓海とアキラが入り口に


背を向けて座り、舞の隣で文哉がニコニコしながら舞のグラスに


氷を入れていた。


劇団幹部のオヤジ達に囲まれて、舞はケラケラと笑い御機嫌だ。





「いやだぁ、拓海ちゃん。杏子は私の親友よ?

拓海ちゃんとじゃ一体いくつ違うと思ってんの?また、もう!

冗談、言わないで、よ」



「おい。心外だなぁ、舞。俺が誘ったんじゃないぜ。

杏子ちゃんの方から告ってきたの。それにな?舞。恋に年の差なんて

関係ないんだって。お前さんの両親も年離れてるだろう?当時は

犯罪だなんて言われたもんだぜ。な、仁さんと瞳、何歳違いだっけ?」



「うちの両親?14歳だけど」

彼女は俺にベタ惚れだし、俺だってまだ現役バリバリだからな」



「バカ拓海!14と25じゃ全然違うわよ。計算も出来ないの?

それにあんたまた悪い癖・・いい加減にしなさいよ。舞の友達泣かせたり

したらアタシが承知しないからね!ねぇちょっと、もう舞に飲ませないで。

この娘あんまり強くないんだから。飲みすぎると後が大変で・・

あとでアタシが仁ちゃんに怒られるんだからね!ちょっと聞いてんの?

・・・あ」



「だ、か、らだよ。常さん。仁さんの居ない平和な飲み会。

舞は俺達のアイドルなんだ。あの超過保護の仁さんが傍にいたんじゃ、

まともな話だって出来やしない。それに俺達はだね、飢えた若い団員から

舞を護ってんの。本来なら感謝してもらいたいくらいさ、なあ?アキラ」



「そうですよ。僕達は舞ちゃんが生まれた時から知ってるんですから。

娘みたいなもんじゃないですか。僕はね。親の気分なんですよ」



「ふーん、拓海。誰が誰に感謝するって?」



「当ったり前だろ?舞を箱入れて外に出さない頑固親父。

もうすぐ還暦だってのに化け物みたいに若いウチのトップさ。

稽古場で若い女の生き血吸ってる大長老」



「誰が大長老だ!馬鹿野郎」



「えっ?痛て~、なにすんだよっ!‥て。げ、仁さん?」





拓海の頭を拳固でゴツンと叩いた仁は、慌てて謝るアキラ達を


睨みつけると、酔った舞の腕を掴み、強引に中年男達のテーブルから引っ張り


出した。





「じ、仁さん‥いつ帰ってたんっすか?帰国、明日の予定じゃ」



「用事が終わったから帰って来た。何かまずかったか?」



「いや~、アハハ。ま、まずいって事はないですけど」



「まったく。いつも殺人的に間が悪いね、拓海は。

そんなだから何回結婚しても奥さんに逃げられんだよ」



「エド!てめぇ、俺の唯一の傷口に塩塗りやがったな?大体お前の誕生日

だからこそ俺達はこうしてだな!おい、操!お前んとこの教育はどうなってんだ?

口の訊き方から教育し直せよ」



「あら。私にとばっちり?生憎、ウチの教育方針は自分に正直にって奴でね。

主人がアメリカ人なもので、どうしても考え方がアメリカナイズされちゃうのね」



「お前なぁ、ふざけるなよ。どう考えたって、バーニーさんの躾とは思えねぇ

だろ。それにいいか?俺はお前の命の恩人だぞ!もっと敬え!」



「またその話。はいはい、そうでした。でももう時効でしょ?

エドの言う通りだわ。いつまでもそんな事グダグダ言ってるから、何度も嫁に

逃げられんのよ」



「く~!おい、操、てめぇ~!」





拓海が操の頭を拳固で小突くマネをする。


酒が入ってケラケラ笑う操は、そんな拓海を相手にもしない。


いい年した従姉弟同士の喧嘩は、いつも操の勝利だった。





「アハハ。操ちゃん、サイコー!あ、パパ!お帰り~」



「何がお帰りだ。いい若い娘が、何酔っ払ってる」



「え~?そんなに飲んでないわよ。ちょっとよ、ちょっと」



「ナオト。お前が居て何だ。舞の監視してろって言っただろ」



「知らないよ。オレは舞のお守りじゃない。それに、オレの言う事なんか

聞かないさ、コイツは」



「ねぇパパ。私は大人よ。いつまでも子供じゃないの」



「バカ言え、何が大人だ。お前はまだまだ子供だ」



「あら?ママがパパと結婚したのは22歳の時でしょう?

私も来年22よ。立派な大人じゃない」



「舞。お前なぁ」



「はい、仁ちゃんの負け~。もういい加減、過保護から卒業したら?

いいから座んなさいよ。何か作るから。どうしたの、早かったじゃない。

帰るの明日じゃなかった?」





仁は、エドの事を“ナオト”とミドルネームで呼ぶ。


バーニーが息子の名前に、自分のアメリカ時代の英語名を付けたのが、


未だに気に入らないらしい。





エドも仁が呼ぶ“ナオト”という響きが好きだった。


憧れの伯父の“特別”になれた様な気がするから。





カウンターのエドのグラスの中身を覗き込んだ仁は、


ちょっと考えてから、常さんに同じものをオーダーした。


常さんは、あら珍しいと肩をすぼめると、カウンターの真ん中に


座った仁の前に、ジンジャエールを置いた。





「何だかいつもと違うわね。向こうで何かあった?」



「ん?あぁ。まぁ、な」



「ねぇ、アルには逢えたんでしょう?どうだった?元気にしてた?

しかし、たいしたもんよね。あのアルが。アタシ達が知ってるあのアルが、

今年のトニー賞だなんてさ。仁ちゃんが発掘したあの子の才能は、やっぱり

本物だったって事だもの。ね、あの子のあの舞台、まだロングラン続いてる

んでしょう?アタシも見たいわ~。今度皆で行きましょうよ!」



「ん?あぁ、そうだな。おい、ナオト。悪いがあの酔っ払いを送っ

てってくれ。で、瞳にMIYUKIに来るように言ってくれるか?

常さん、腹減ってんだ、飯くれよ。常さんのおにぎり食いたい」








金曜の夜の駅前は、深夜でも賑やかだ。


静かな商店街の外れにあるMIYUKIから、鼻歌交じりに歩いてきた舞は、


その賑やかさに何故かククッと笑いながら、やっと歌うのを止めた。





ミュールを引っ掛けた足が少しおぼつかず、時々エドを振り


返っては、またククッと小さく笑う舞。


その姿に、駅前にいた数人の男が、ヒューヒューっと高い口笛を吹いていく。





エドは、まだ笑っている舞の手を乱暴に掴むと、


溜息を吐きながら、大股でガードをくぐって行った。





握った小さなその手の温もりに、


エドの心臓がトクン、と音を立てた。



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