やっと落ち着きました!!
4月になりました!!
鹿児島の一般的な桜はすっかり散ってしまいましたが
先日、満開の頃に撮影した写真を紹介しますね。
これは近くにある公園の桜の風景です。
また、我が家の庭にも数本の桜があって
表には大きな山桜。裏には一般的な桜(種類は分かりませーん)
と石垣からの裏庭の入り口に八重桜が植わっています。
他の桜は散ってしまいましたが、八重桜だけ今が満開!!
でも、この桜は私の引っ越しの際
大型トラックが入りにくかったので
ずいぶん業者の方に枝を切られてしまい可哀そうでした。
そしてこれも今は満開を過ぎ
花びらが地面に散らばっている椿ですが
椿は曾祖母が好きだったらしく
桜よりも多く庭に植えられています。
曾祖母が生きていた頃は
我が家は”椿屋敷”と呼ばれていたほど
垣根はすべて椿で埋め尽くされていたらしいのです。
今では当時より、ずいぶんとその数は減りましたが
花の色も赤、白、ピンクと白のまだらと
様々で綺麗な椿が競い合っています。
それでも、花の旬を過ぎると色褪せて汚いし
とにかくボタボタ花が落ちて庭を汚すので
嫁に来た父の母である私の祖母は好きじゃなかったみたい。
祖母の代になり椿に代わって植えられたのがツツジのようで
茅葺門の横に植えられたヤマツツジはとても綺麗で
満開時は観光客が写真をこぞって撮影していましたが
今はすっかり散ってしまい・・・
石垣の普通のツツジが今は満開です。
そうそう・・・
今年の1月から始まった水回りのリフォームは
手際の悪い業者に、なんだかんだとダメ出しをしましたが(笑)
なんとか3月の初めには無事に終わり完成いたしました。
今は綺麗になった水回りが嬉しくて満足しています(*^^)v
リフォーム工事とバトンタッチするように始まった
茅葺門の上部の葺き替え工事も
先月中旬につつがなく終わり
毎日だった作業の方々へのお茶出しもなくなり
今は、やっと落ち着いた生活が送れています。
落ち着いたとはいえ・・・
父の歯医者や内科の通院、訪問リハビリなど
ほとんど毎日が父のことでスケジュールは埋まっていますが
父のために実家で暮らすことにしたのですから
当たり前といえば当たり前のことですね(笑)
そしてまた、今年度から
父の代わりに町内の行事に参加せねばならなくて
先週もそうでしたが、桜は散ったというのに
”花見大会”が今度の日曜もあり誘われているので
出席してご近所のお年寄りと仲良くせねば!!
先日お誘いを受けて出席したのは
町おこしの為の花見大会だったそうですが
わぉ!!と驚くステージの数々で・・・
よいお天気で炎天下だったこともあり
帰宅後、頭が痛くなって寝込んでました('_')
この日曜のお花見は頭痛がしないことを祈ります!!(笑)
しかしながら、我が家の茅葺門を含め・・・
ここ周辺は国指定の重要文化財の武家屋敷群なので
平日でもチラホラ観光客が訪れるのですが・・・
先日の春分の日に、仙厳園の方から
「これからアレックス・カーさんをお宅にお連れします!
よろしいでしょうか?」と急に電話があり
外人2人を含む5人様一行がやって来たのですが
ちょうど父がデイサービスに行っていて不在だったので
仕方なく私が1人で頑張って接待したのです。
でも本当に急な訪問だったので、日本茶一杯しか出さず
しかも無知な私は、アレックス・カー氏を全く知らず
日本語が上手なタダの外国人として対応してしまい(爆)
後から著名な東洋文化研究者&作家だと知り
めちゃくちゃ恥ずかしく、後悔したのであります。
それでも、アレックス氏ご一行様は
私のお喋りを楽しんでくださったようで
その晩、仙厳園の方からご丁寧なお礼の電話をいただき
またその2日後には、これまたご丁寧なお礼状と共に
大好物のかるかん饅頭まで届いたので喜んでいる私(爆)
馬鹿は死ななきゃ治らないのですが(笑)
アレックス氏著作の「美しき日本の残像」など
今度探して、この鹿児島の家で
じっくり読んでみようと思っている今日この頃。
私のようにアレックス・カー氏をご存じない方はこちら
↓
http://www.onestory-media.jp/post/?id=506
日本の茅葺や囲炉裏をこよなく愛する教養豊かなアメリカ人です。
すっかりブログ更新が遅くなりましたが
歌姫は鹿児島の地で元気で過ごしていますとお伝えしておきます。
みなさまもどうか、お元気でいてください。
鹿児島にて・・・
遅くなりましたが・・・
皆様 明けましておめでとうございます。
今日は成人式でしたね。
成人を迎えられた皆様
お子様やご家族がご成人を迎えられた皆様
おめでとうございます!!
私は昨年末に鹿児島に来て、早23日目となりました。
で・・・実は・・・
来た当初は毎日のように父と口喧嘩しておりました(笑)
とにかく2人とも直情型なので
思ったことはすぐに口にするタイプで
嫌だと思ったら互いに文句を言うわけです。
で、自分が正しいと譲らない質も負けず嫌いもよく似てるので
自分の主張を曲げずに対立するわけ。
でも、結局は私の主張が正しいので(爆)
父は反省することになります。
たとえば父は糖尿病です。
なのに、甘いものには目がありません!!
これくらいなら大丈夫!!と自分勝手な判断で
お饅頭やらチョコレートクッキーなど
山ほど買いだめしてありました。
「こんな甘いもの、食べちゃダメ!!」
と言えば、本気で怒るのであります。
「自分の体は俺が一番よく知ってるんだ!!」
「これくらい食べても平気に決まってるだろう!!」
と声を張り上げて怒鳴るわけ。(-"-)
もうね・・・ハッキリ言って子供レベルです。
仕方がないのでそれを1日1個!!と限定して管理する私。
お酒にしてもそう。
以前の酒豪も今となってはすぐに足にきて立てなくなります。
昨年の母の七回忌の際、飲みすぎて倒れて起き上がれず
私も力がないのでなかなか起こすことができなくて・・・
結局、トイレに間に合わなくて大変だったことがあります(-"-)
糖尿のこともありますし、極力飲まさないようにしているのですが
やはり、年末年始くらは飲みたい!!ということで
「ちょっとだけね!」と言って少なめに注ぐのが気に入らない。
「酒くらい好きに飲ませろ!!」
と、また怒鳴るのであります。
でも、負けない私。「また立てなくなったらどうするの?」
と怒鳴り返すことになります(爆)
まぁ・・・
長い1人暮らしで勝手気ままに生きてきたので
私に管理されるのが嫌なのでしょうけど
父の健康管理や世話するために実家に戻ったわけですから
私に従ってもらわないとね!!
で・・・結局のところは
私には到底敵わないと観念したらしく(笑)
2018年の幕開けからは、私に怒鳴ることもなくなり
素直に指示に従ってくれるようになりました。
要介護認定もようやく受けることを受諾してくれて
先日は役場から、要介護認定調査もきていただきました。
ま、単に足が痛くてなかなか歩けないだけなのですが
ケアマネさんを紹介していただければ心強いと思っています。
とにかく年末、私が頑張った大掃除で
家中が綺麗になったのを喜んでくれましたし
父の念願の追い炊きのジャグジー付きのお風呂を
今年リフォームでプレゼントしてあげるので
今からルンルンしている父です(笑)
なにしろ自宅の風呂場は冬は寒いので
この時期は車で5分の温泉に通うのですが
足がおぼつかなくなってからは面倒らしく
大好きな温泉も父は毎日は行かなくなりました。
温泉に私が1人で行くときは夕食後なのですが
父は夕食前に行きたがるので
父と一緒に行く際は午後の4時頃に出かけます。
で、この時間に温泉場はお年寄りの社交場なの。
昨日も父を連れて温泉に行ってきましたが
脱衣場でも洗い場でもお婆様方の薩摩弁が
元気よく飛び交っておりました(笑)
そうそう・・・
今年のNHKの大河ドラマは「西郷どん」です!!
鹿児島はめちゃくちゃ盛り上がっております。
どうぞ鹿児島に遊びにいらしてくださいませ。
12月の一粒万倍日
半年間、更新していないCLASSIC MOCHAなのですが
それでも毎日、訪問者が沢山いてくださっているのに驚いています。
すっかり遅くなりましたが
半年前、どんな決断をしようかここで迷っていた結果を
今日は皆様に報告しようと思います。
実は今年は、クリスマスを東京で過ごせなくなりました。
14日に部屋の荷物を出して鹿児島へ引っ越すことにしたのです。
なぜ14日なのかというとその日が”一粒万倍日”だからです。
”一粒万倍日”・・・「いちりゅうまんばいび」と読むこの日は
たった一粒の籾が万倍にも実り
素晴らしい稲穂になるということを表すそうで、大安と並ぶ吉日!!
なので縁起を担いでこの日に引っ越すことにしました。
そして実家には大安の18日に荷物を届けてもらいます。
昨年、あまりにもあっけなく
36年間の結婚生活が崩れ落ちたましたし(笑)
実家の父の老いが急速に進んでしまい不吉なので
せめて縁起のいい日に引っ越して
福をいただこうと思っているわけです。
でも、14日は荷物だけ出して
私は残って、くまなく部屋の掃除をして
15日には阿佐ヶ谷の行きつけの美容室と
ネイルの予約があるから最後に行って
結局、鹿児島へ飛び立つのは
一粒万倍日でもない普通の日(笑)16日の土曜日になります。
それにしても・・・
せっかく親友が「おいで!!」と呼んでくれた南阿佐ヶ谷は
本当に大好きな所でしたが、結局1年しか生活できませんでしたね。
14日からは2泊、その親友の家に泊まらせてもらって
彼女のお母様ともゆっくり別れを惜しむつもりです。
実は・・・
鹿児島へ行く決断をしたのは、お盆に帰省した時でした。
なぜなら春と夏では父の車が変わっていて、その理由が
自宅の納屋に車を激突させて廃車になったからと聞き
もう父には運転させられないと思ったからです。
近くにコンビニもスーパーもない本物の田舎ですから
車は必需品なので、86歳になっても父は運転しているわけですが
今はいつ交通事故を起こしてもおかしくない状況なので
私が実家に戻って、父のアッシーをすべきだと思ったのです。
それに、末期癌の舅を姑の代わりに世話をし看病したというのに
実の父親をほったらかすわけにはいきませんものね。
決断したお盆は、韓国の三男に
連日のように間近で会ってきた後だったこともあり
心が十分に満ち足りていたのかもしれませんが(笑)
これからは、やはり実家に戻って親孝行しようと思った所存です。
5人もいる兄弟の中で、私が一番父とは気が合いますし
なにしろ独り身だから(笑)当然、私が父の世話をするのがベスト。
父の寝室である奥の広い洋間の3分の1をもらって
離婚の際せしめた慰謝料で、今回私の部屋を作りました。
そして来年は傷んだ水回りも
私のお金でリフォームしようと思っています。
思えば、渋られながらもそれなりの慰謝料をいただけたわけですから
元旦那の不貞行為は神様の贈り物だったのかもしれません。(爆)
ま、それを暴いたのは私のお手柄ですけどね!(笑)
私が突き止めていなければ
元旦那はそのまま不貞行為を続けていたのでしょうし
私は大嫌いな姑の世話を今もしていたに違いありません。
それでも、大馬鹿野郎は私よりも20歳も年下のその不倫相手と
結局、この春結婚したのですから
浮気ではなく本気だったということで
二回りも下のお相手と幸せになれて、めでたしめでたし!!
私が出ていくショックで、昨年の秋に倒れて入院した姑は
暮れもお盆も、結局そのまま一度も仮退院すらさせてもらえず
今は痴呆になったらしく、施設に入れられているそうですが
自分の息子を庇った結果なので、それも自業自得だと思っています。
可哀そうなのは2人の息子たちです。
義理の母親の年齢が自分たちに近いわけですからね。
下手をすれば自分の子よりも幼い腹違いの兄弟が出来ちゃうかも!!
それでも・・・
香川から離れた場所でそれぞれ家庭を築き子供もいるので
自分の父親を反面教師にして
お嫁さんを大切にして幸せな家庭を築いてほしいと思います。
そうそう・・・嬉しいことに
先月、次男に第一子が誕生し、長男には第三子が産まれました。
一週間違いで生まれた孫たちですが、2人とも男の子です。
だから私は、めでたく
4人の男の子のお婆ちゃんになったというわけ。
そのうち4人の元気な孫たちを引き連れて
夏恒例のキャンプに行くことになるのでしょう。楽しみだわ!!
私の結婚は
この孫たちと出会うためだったと思えば後悔はありません。
これからは鹿児島で息子たち家族と集うことになるでしょう。
香川の家の8人掛けの大きなダイニングテーブルを
長男がこの間、鹿児島に届けてくれましたから。
引っ越すにあたり、実家に自分の部屋を作る段取りをしに
10月は、ひと月ほど鹿児島で過ごしていたのですが
床の間に見慣れない表彰状が飾ってあったので父に尋ねたら
「推薦されてフランスの芸術展に短歌を出展してみたら
文学大賞を受賞した。」というではありませんか!!
五十四年連れ添う妻を今見れば
その笑みやよし胸を衝かれる
語る間もなく言切れし妻を恋ふ
思ふはしばし日々刺となる
亡き妻を想う歌で、フランスのとある文学大賞を受賞した父。
ああ・・・母は幸せ者だぁ!!
父のような男と結婚すればよかったとつくづく思います。
見る目が無かったんですね・・・私は。
だから結局、父の言うように私も自業自得なんでしょう。
先月から幼馴染やお世話になった方々などと
色々と送別会が続いていて・・・
ブロコリ仲間の方々とも一日過ごしましたし
先週の土曜は50人も集まった大規模なパーティーもあり
一昨日は香川から上京していた友人と銀座ランチ。
平日の昨日も、大学の後輩が阿佐ヶ谷まで来てくれました。
今度の土曜が最終の送別会となり
大学時代の恩師や友人たちと会食して
翌週の第3週がいよいよ引越しです。
父が首を長くして鹿児島で待っていてくれています。
今日から気合を入れて荷造りに励みます!!
”一粒万倍日”を信じて・・・
私の人生、これから幸せな花が咲くように
今までの自分を振り返り、反省すべきことは反省し
今後も明るく、前向きに生きていこうと思っています。
これからますます寒さも厳しくなります。
皆様もお体に気を付けて、良い年をお迎えください。
6月の終わりに・・・
4月からずっとこのブログを離れてしまって・・・
5月に母の七回忌で帰省したことも
仕事が六本木近くのオフィスビルでの
デスクワークに代わったことも報告できていなかったけど
とにかく、私はすこぶる元気なのでご心配なく。
アルバイトなのだが、若いイケメン社長のIT関連会社で
好きな日程で好きな時間だけ働かせていただいている。
時給も以前よりいいので、夢みたい(笑)
で・・・久しぶりにここへ来たのは・・・
父の日が切なかったという報告をしたかったから。
実は・・・
父は戦前、韓国にいた。
医者だった祖父が生命保険会社の嘱託医として
韓国ソウルで働いていたため
朝鮮神宮(今はもう取り壊されて無い)の側の屋敷に住み
父は南大門小学校 に通っていたという。
広い屋敷には住み込みで働く女中さんのために
女中部屋があって、その他にも
日本からの居候の女性が何人もいたという。
日本の敗戦で祖父は無一文となって引き上げてきたわけだが
曽祖父は亡くなるまで田舎の校長先生として地元に貢献し
医者だった祖父は実家に戻り医者を続けた。
跡取りでありながら医者になることを拒んだ父は
画家になりたくて上京し、東京芸大を受験したが夢破れ
それでも鹿児島に帰りたくないので他を受験したようで(笑)
友だちと一緒に受けたW大に合格し、政治経済を学んだ。
同じ大学で母と出会い恋に落ち、学生結婚をしてしまい
保険会社に就職する時は既に妻子持ちで
上司や同僚たちに驚かれたほど、彼は若くして父親になった。
そして年子で生まれた私は 勉強しか知らない母親に
兄と共に育てられ、母が育児パニックになると
母の実家の長野の祖父母の元に兄と2人預けられた。
本当に幼い頃の記憶は 長野の実家でのことが多いので
私の倫理観や行動力の源は母方の祖父母からの影響が濃い。
祖父は仏教学者、祖母は長野のガールスカウトの創始者だ。
鹿児島の実家には、私が5歳前後に祖父の葬式で
両親に連れられて夜行列車で帰っただけで
あとは高校の時に父が鹿児島の支店長で単身赴任になった際
遊びに、当時の古い屋敷の実家を訪れたくらいで
父が退職して実家に戻るまでは鹿児島には馴染みが薄かった。
だから、ずっと心の中では私の故郷は母の実家のある長野だ。
それでも、両親が鹿児島に居を移してからは
毎年鹿児島に帰省するようになり
日本昔話の世界であるのどかな田舎の実家は
やっとここ最近、馴染みができ故郷になりつつある気がする。
過日、母の七回忌で久しぶりに会った父は
どうしたことかすっかり老け込んでしまい
足腰が弱っていて、なかなか立ち上げることが出来なくなっていた。
あれほど毎日早朝に
自宅の石垣の前の掃除と墓参りを欠かさずしていたのに
今では掃除も墓参りもしかねる有様だ。
私に「お前がいれくれたら助かる!」と弱音を吐く父。
私に傍にいてほしくて、隣町の70過ぎのお爺さんと
見合いさせようとさえした父だった。
ま・・・そのお爺さんも立派な方だったが断った私。
父の想いを振り切って東京に帰ってきたけれど
やはり精神的にも肉体的にも弱くなった父を
放ってはおけない自分がいて・・・
東京で自由を手にして羽ばたこうと思う反面
これからは日本昔話の世界で
父の介護をするのが私の運命なのかしら・・・と思ったりする。
父の日に好物の高級和牛のステーキを贈ったら
「ありがとう!!ありがとう!!
それにしても、帰ってきてほしいなぁ・・・」
そう言う電話の声がいつもにも増して弱々しくて切なかった。
ああ心配だ!!
でも、すぐには帰れない!!帰りたくない!!
お盆に帰省した際に、ゆっくり父と相談するとして
今、私は目の前にある誘惑にどっぷり浸かって楽しもうと思う。
韓国で親しくなった方が、私のために動いてくださり
大好きな三男に何度も会える機会を作ってくださったのだ。
このチャンスは逃したくない!!
今、思い切り三男を応援できれば(笑)
あとは野となれ山となれ・・・
私の運命は、結局 私の決断に委ねられている。
葉桜になる前に・・・
桜が咲いています!!
昨日の日曜は一日雨だったこともあり
花見はできませんでしたが・・・
その前、8日の土曜は曇りの中
横浜から遊びにきてくれた友人と
近所の川辺の公園で満開の桜を堪能しました。
ここは本当に素敵な場所で
アオサギやカモもいる綺麗な小川。
その両脇に遊歩道がずっと続いていて
いくつも小さな橋がかけられて
両方の歩道の脇にはベンチが設置され
片方には遊具のある公園
もう片方は芝の公園があったりします。
先週の日曜は晴天だったのでこの公園で
お世話になった不動産屋さん主催の花見に参加。
自治会長さんやら様々なご近所の方々がいらして
私はお爺さんグループで冷酒をガブガブ飲んでました(爆)
それでも、その花見がお昼から延々と続くものだったので
飲みすぎにならないようとしっかり途中で
近所の親友が爺さんグループから誘い出してくれて(笑)
夕方にはその親友親子とお喋りしながら遊歩道を散歩して
ゆっくり川辺の花見を楽しみ、夕食も親友宅でいただきました。
そうそう・・・
4月1日の土曜日も雨でしたが
香川から上京した友人に誘われて
小石川にある彼女の娘さんの豪華マンションに遊びに行き
その近所でも桜祭りをしていました。
ですから開いたばかりの東京の桜を
その日は香川の友人と愛でることができました。
ティーカップのお茶は上の写真と同じもので私のお土産の
最近ハマっているドライフルーツ入りのハーブティー♪
お茶の前に食べちゃったフレンチ♪ランチ♪
昨年の今頃はといえば・・・家で独りぼっちだったので
娘のような歳の友人が栗林公園に連れて行ってくれて
美しい桜に癒されたことを思い出します。
あの頃、私が切実に願っていたことが叶い
今は東京で生活しているわけですが
あの頃の苦しい気持ちが悪夢になって現れるようで
ガバッと飛び起きて、ああ私はあの場所から逃げ出せたんだと
夢から覚めてホッと安心する朝が時々あります。
あの頃も今も独りぼっちには変わりありませんが
それでも、希望が泉のように湧いてくる今の私は
確実に去年よりも幸せであると言えます。
ところで、大腸のポリープの検査は陰性で問題無しでした。
結果を知らせするのが大変遅くなってしまい申し訳ありません。
心配してメールをくださった友人たちにも申し訳なく
そしてまた心から感謝しています。みんなありがとう!!
東京は今は桜吹雪が美しく、もうすぐ葉桜になってしまいますが
また来年も元気で・・・
明るく楽しい花見ができたらいいなと思っています。
春になったら
2017年も3月となり、東京は少しずつ春めいてきました。
大好きなこの東京で、大好きな桜を堪能できる日も
そう遠くはないでしょう。
先日3月3日のひな祭りは
近所の親友宅にお呼ばれして
ちらし寿司や蛤のお吸い物の他
沢山のお母様の手作りのご馳走を
お腹いっぱい頬張って晩に帰宅しました。
親友のお母様はとても器用な方で
娘である親友が生まれた年に人形作家に習って
お母様が手作りしたという
木目込みの雛人形が飾ってありました。
その下の和紙の人形もお母様の作品です。
愛する我が娘のために
世界にたった一つの雛人形を作成したお母様。
すごいなぁ・・・本当に素敵!!!
不器用な私は息子たちに
そんな素晴らしい手作りのものは
何ひとつ残してあげられなかったなぁ・・・
でも、私なりに愛情はたっぷり注いで育てたつもり。
だからこそ2人とも、まっすぐに育ってくれたのでしょうが
最近、娘のほうがよかったなぁとつくづく思います。('_')
だって・・・
娘だったら、もっと今の私を慰めてくれたと思うから。
実は、先日受けた区の健康診断でひっかっかって
嫌々大腸カメラをしたのですが・・・
ポリープが見つかり切除して6日目です。
一週間お風呂に入ってはいけないと言われ
シャワーだけで済ましていたら風邪をひいてしまいましたが
カメラのこともポリープのことも風邪のことも
息子たちには一切話していません。
なのに、こうしてブログには書いてるんですから変ですね。(笑)
ポリープの検査結果が悪かったら
その時は息子たちに報告しようと思います。
切除した翌日も普通に仕事をこなし
明日も朝から満員電車に揺られて出勤なので
この土日は部屋でゴロゴロして風邪を治してました。
一人暮らしにすっかり慣れた私は
部屋に不釣り合いな大型TVで、YouTubeを楽しんでいます。
春になったら
桜がたくさん植えられた素敵な公園が近所にあるので
親友と彼女のお母様と3人でお花見に行こうと思っています。
幸せになれますように
何を今頃!!と言うなかれ。
旧暦では今がお正月!! (*^▽^*)
韓国でも今は正月休みだから
ブロコリの孫さんも家族とゆっくり過ごしているに違いない。
私の正月といえは・・・
昨年の30日の晩に帰省して
元旦から5日まで 生まれて初めて鹿児島の実家で過ごし
父と2人でゆっくり温泉三昧したのどかなお正月でした。
おせち料理は父が注文しておいてくれたのと
近所の料理人の手作りお節のおすそ分けがあり
私は生まれて初めて実家風のお雑煮を作ったくらいです。
生まれ始めて鹿児島の実家で正月を迎え
生まれて初めて実家風の雑煮を作った
なんだそれ??と思うかもしれませんが
実は36年前・・・
「結婚して香川で暮らしても、必ず盆と正月
年に2回は帰省させますからどうか嫁にください!!」
と私の両親に懇願した元姑だったのですが
なんの、なんの・・・嘘八百で・・・
結婚式の1週間後に 元姑と2人きりの居間で
「本当は、あんたのような大学出の嫁は欲しくなかった!」
と面と向かって怖い顔で言われてしまい
(*_*)
暮れから正月にかけてもずっと嫁としてこき使われ
1度も実家に帰らせてもらえなかったのでありました。
(T_T)
私が結婚して10年ほどは両親もまだ東京暮らしだったので
帰省先は東京で、夏にはなんとか帰らせてもらっていましたが
正月に両親や兄弟に会うことは叶いませんでした。
なので、結婚後はずっと香川の雑煮を作らされていたため
昆布や椎茸、干し海老で出汁を取るすまし汁の雑煮は
結婚前に母の手料理で食べただけで
自分では作ったことがなかったわけです。
母の味を思い出しながらなんとか作った雑煮ですが
元旦から三が日 朝は私の雑煮を父が
「美味しい!」と言って食べてくれたので嬉しかったです。
初詣は母の墓参りのついでに
墓石の近くの我が祖先が祭られているという神社と
これまた実家の近所の”君が代発祥の地”とかいう神社へ。
ひたすら、幸せになれますように!!と手を合わせた次第です。
東京に帰れば7日(土)に香川出身で
薬剤師でありながら女優もしている友人が
和泉元彌主演映画の舞台挨拶に参加するというので
横浜まで応援に駆け付けたら・・・
監督さんや元彌さんとも一緒に写真に納まってしまったり
このブロコリで知り合って
初韓国旅行に行った仲間たちとの新年会も
先日の21日(土)にありまして
久しぶりの再会と私の再出発を祝ってくださり嬉しかったですし
昨日も私の別のブログのファンの方が
手作りケーキやワインを持参して
疲れた私をマッサージしに来てくださったり・・・
それなりに幸せを味わっている私。
そもそも・・・
幸せというものは
考え方次第で
生まれたり
消えたりするもの
だと思います。
だから”幸せになれますように!!”なんて
神様にお願いするものではなかったなぁ・・・
久しぶりにこのブログを書きながら
ふとそう気が付いた1月29日です。
2017年!!
幸せを思いっきり感じられる年にしましょう!!
師走の独り言
もうすぐクリスマスですね!!
私の激動の2016年が もうすぐ幕を閉じます。
思い返せば・・・
今年は元旦の早朝から、誰かさんは私が寝ている間に
”仕事がある”という口実で出かけてしまい
一緒に正月を迎えていた私の実家の父を不安にさせていました。
出かける気配に気づいた早起きの父が
「仕事は大変だろうが、娘をよろしく頼むぞ!」
と声をかけて見送った際に
「はい。分かりました。」と誰かさんは答えていたそうで
私には「大丈夫だ。仲良くやりなさい。」と父は言って
正月を終え鹿児島に戻って行ったのです。
1月の末には甥の結婚式が東京であり父も嬉しそうに上京し
福岡の長男も静岡の次男も出席したというのに
仕事を理由に出席を渋る誰かさんに嫌気がさして
「私一人で東京に行ってくる!」と言って
東京の友人たちとの新年会も兼ねて上京したのが
ついこの間のことのようです。
勤め先の会社の傍のイルミネーション。
あっという間に時は過ぎ・・・
1月に結婚した甥の妹に当たる姪の結婚式が今月の初めにあり
再び親戚が新宿のホテルの式場に集まりました。
静岡から私の次男も出席して久しぶりに話ができて嬉しかったですが
年頭と年末で苗字の違う私の紹介に苦労したであろう新婦の父。
実は心から申し訳ないなぁと思って出席していた次第です。
息子や兄妹の前であろうと強がってしまう私ですが・・・
11月から始めた仕事はあちこちに派遣される仕事なので
田舎でずっとマイカーで移動して萎えている脚力で
35年ぶりの電車やバスを乗り換えての勤務は
なかなか体が慣れず疲れ果てている毎日です。
35年ぶりの勤務と書きましたが・・・
実は私は音楽大学を卒業してからすぐ文京区の小石川にあった
小さな広告代理店に勤めていたコピーライターの卵だったのです。
それが就職わずか3か月で退職し結婚して香川に嫁いだ理由は
誰かさんのせいで長男を妊娠してしまったからでした。
それでも子どもは大好きでしたし
相手側から懇願されての結婚でしたから
当時、両親や親戚中の猛反対にあっても
勤め先の広告代理店にも多大な迷惑をかけても
これが私の運命なのだと思って我儘を通し、東京を離れて嫁いだ私。
若気の至り・・・
その一言に尽きますが、それでも子育てはとても楽しかったですし
2人の息子たちはそれぞれ 心も体も立派に育ちましたから
その点に関しては、田舎での結婚生活はまったく後悔していません。
それでも今の私は 大好きな東京で暮らせる喜びが大きくて
夢だった一人暮らしと 手にした自由はもう決して手放せません。
しかしながら・・・
大都会で初めて経験する肉体労働に近い激務に疲れ果て
狭いマンションの部屋に帰り長い夜を過ごしていると
”なんで私がこんなみじめな暮らしをしているのかしら”
とふと虚しく思うことがあります。
愚痴をいっぱいこぼしたくなる時もあります。
風邪をこじらせて辛かった数週間は
実は、毎日”可哀そうな私”と思って咳き込んでいました(笑)
やっとなんとか風邪が治って出席した先日の結婚式。
絵のように美しい花嫁姿で、輝く笑顔を見せる姪。
誰が見ても美男美女の素敵なカップルにため息が出ました。
優しそうな新郎に心から愛されている様子で
仲睦まじく寄り添い、誓いの言葉を2人が交わしている間
私にも昔 こんな瞬間があったのに・・・
あの誓いを破ったのは誰??
と誰かさんを恨めしく思ったりもしました。
でもね・・・よくよく考えてみれば・・・
現在の生活は、自分が蒔いた種で生まれた結果ですし
自分を”可哀そう”などと思う自分は大嫌いです。
過去の自分も現在の自分も 全て含めて好きでいるためにも
常にプライドを持って前向きに誠実に・・・
健康で明るく生きていこうと思います!!
あちこちから新生活を気遣って色々送ってくださったり
ポストに届く心温まる手紙の数々に感謝しながらも
忙しさに流されて なかなかお返しできない有様ですが
私が私らしく明るく元気でいることが最高のお返しだと思って
図太くたくましく この都会で精一杯生きていきます。
来年は素敵な男性に出会いたいなぁ!!
実はこれが本音の薄っぺらい私なのですが(爆)
今の仕事にも責任を持ち沢山稼げるようになりたい!!
これも偽りのない本音なのでした。(笑)
そしてこれからクリスマスを楽しく過ごせたらいいなぁ・・・
ここを訪れる皆様も
どうか健康で無事に年末を迎えてください❤
そして新しく訪れる2017年が
お互いに 素晴らしい年でありますように!!!
PERFECTチャコちゃん!!
9月に入り涼しくなった!!と思いきや・・・
蒸し暑かったりする今日この頃。
台風がいくつも現れ 激しく通り過ぎて行きます。
読者の皆様に被害が無いことを祈ります。
今日も台風13号が温帯低気圧に変わって各地で激しい雨があり
明日も北日本は大雨だそうです。ご注意ください!!
幸いなことに、こちらは午前中から晴れ間が広がっていました。
昨日の9月7日も昼間は晴天で蒸し暑かったのですが
夕方に車を走らせていたらば パラパラと雨が降り出した中
なんと!!目の前に大きな虹が出現いたしました!!
こんな大きな虹を見たのは子供の頃(いったい何年前だ??笑)以来!!
本当に太くて大きな虹の橋でした。
わぁ!!きっと・・・いいことがあるよね!!!(^_^)/
嬉しくなったので久しぶりにブログ更新しようと思ったんだけど
色々あって・・・結局、今日になっちゃいました(^_^;)
では、楽しかった夏の思い出を語ります。
それは恒例の大洗・こどもの城でのキャンプでのこと。
今年は妹夫婦が参加できたので
甥のタケちゃんと姪のハルナちゃんは
お父さんの運転する車で家族全員で大洗までやってきました。
今回、我が孫たち2人は 初めて福岡から
ANAジュニアパイロットで羽田まで飛んで来て
私が空港にお迎えに行ってから、大洗まで列車の旅。
いつもは子ども4人と私で賑やかな道中だったのですが
今回は孫2人と私の3人で、しかも席が前後と別れてしまったので
道中ワイワイ騒ぐことなく、静かに大洗駅に到着!!!(笑)
こどもの城には妹家族が先に到着していたので
妹の旦那様が大洗駅まで迎えにきてくれて
私たちがこどもの城に到着すれば
去年のキャンプで仲良くなった仲間たちとの再会で
孫や姪たちは大盛り上がったわけです。(*^_^*)
で・・・去年の部屋は「ペガサス」だったんだけど
今年は「こぐま」というお部屋でした。
そう!!こどもの城のお部屋は星座の名前になってます。
去年は「ペガサス仲間」という
オリジナルソングで発表会に参加した子供たち。
その作曲者のサーちゃんが今年は残念なことに訳あって欠席だったので
最初、子どもたちはテンションが下がっていたのですが・・・
そこは子ども!!すぐに立ち直り元気に
「こぐま仲間」で何か発表したい!!となりました。(笑)
そして今年はオリエンタルラジオの
「PERFECT HUMAN」で踊りたい!!となり
こぐま部屋のボスとなって子たちを統率し君臨していた私の替え歌を
妹たちが喜々として作ってしまい・・・(>_<)
姪が1人でラップを歌っての発表会でした。
もちろん振り付けは こぐま部屋のボスの歌姫ちゃこちゃん(爆)
でも実は、子どもたちはみんな キャンプの間中、遊びに夢中だったから
「PERFECT HUMAN」の替え歌や振り付けは
発表会当日の朝30分で即席に集中して作ったの!!(*^。^*)
それでも、大爆笑と拍手喝采をいただいたんだから
いかに妹や私と子どもたちの集中力が素晴らしいかです(爆)
ここでその「PERFECT HUMAN」の替え歌(無伴奏で1番だけ)
「PERFECTチャコちゃん」を紹介します!!(笑)
PERFECTチャコちゃん
チャコは言った
世界は必ずしもみんな優しいとは限らない
チャコは言った
このこぐま部屋の頂点はこの私であると
チャコは言った
そのこぐまのボスが自分自身そう
TOP OF THE WORLD
チャコが法であり秩序保たれる
すぐさま無くなる世界のWAR
時は来た!チャコこそ、こぐまの支配者!!
チャコの前にひざまずくのは
こぐまの敗者!!
感謝の言葉 チャコに乱射!!
言うこと聞かなきゃ ぶっとばす!!
チャコちゃん崇める準備はいいか?
自分を高める運気欲しいか?
さぁ!!手を天にかかげ
そして 今こそ祈れ!!
恐れるな(イェー)
おののくな(フー)
吠えろ 声あげろ
その血と魂を今ささげろ~~!!!
「I'm a PERFECTチャコちゃん」
こ・ぐ・ま! ×5
「I'm a PERFECTチャコちゃん」
We live in koguma!!
な・か・ま! ×9
「I'm a PERFECTチャコちゃん」
最年少の2歳の男の子にサングラスをかけさせて
中心に立ってもらっての子どもだけの踊りで
ラップ以外の歌は私も手拍子しながら歌ったわけですが
ラストに歌姫がサングラスをかけて中央に登場し
「I'm a PERFECTチャコちゃん!!」と叫んだので大爆笑!!
パーフェクトちゃこちゃん・・・それは絶対にありえない!!(笑)
それでも、私の言うことを素直に聞いてくれる子どもたちが可愛いかったぁ!!
これからも子どもたちに好かれるチャコちゃんでいたいな・・・
つくづくそう思っています。(*^。^*)
10月からは東京に住むことになり
それを知った孫たちは「それならお正月は東京に行く!!」と言いますが
それは無理な話ですし、以前のように気軽に会えなくなるかもしれません。
それでも、孫たちにとっては これからもずっと
「PERFECTチャコちゃん」でいたい歌姫です!!
夏バテせずに熱く燃えましょう!!
暑い日が続いています。
読者のみなさまは夏バテなどしていませんか?
私は・・・大丈夫!!
だいたい夏痩せというものが私の辞書にはありません。
夏太りはあるんだけどね・・・(-_-;)
こんな状況でも 肉体的にも精神的にもバテない私は
本当に可愛げのないタフな女だなって・・・
自分でも思います(笑)
でもね・・・
それはいっぱい周りに味方がいてくれるから。
精神的にも物質的にも 私を支え励ましてくれる
温かい仲間がいつも傍にいてくれるから
私はめげずに前進できるのだと思います。
明後日から上京して2週間の間に
生まれて初めての一人暮らしの住居や
就職先を決めてきます。
頑張ります!!!
自分が決断した道を
後悔することがないように
一生懸命歩いて行くつもりです!
そうそう・・・家を出るにあたって
昔、姑からもらった大島紬の着物を売ろうと思って
先日、業者を呼んで査定してもらったのです。
その大島紬は私が嫁に来て2年目くらいの時
実家の母が香川に遊びに来た時に
姑が私のために着物を3枚仕立てたと言って
私と母の目の前で広げて見せてくれた着物の中の2枚。
1枚は絹の淡いピンクの訪問着で2枚が渋い大島紬だったの。
当時姑は趣味でお茶とお花を習っていて
しょっちゅうお茶会用に新しい着物を作ってたから
家に馴染みの呉服屋さんがよく来ていたんだけど
舅が自分の着物ばかり作らずに私の着物も作ってあげなさいと
姑に意見したらしく、渋々私のために作ったものだったらしい。
元々お嬢様で育った実の母は無邪気に喜んで
「まぁ!!こんな高価な着物を沢山ありがとうございました!」
と姑に言ってから私に
「よかったわね!!特にこの大島紬はすごく高いわよ!!」
と言い、私が姑に大事にされてると思って安心して帰ったの。
でもね・・・
長男の七五三の際にピンクの訪問着に袖を通して
何これ???と思った。
だって袖がツンツルテン!!めちゃくちゃ短かったの。
姑に「この袖短すぎません??」と文句を言ったら
「あら、あんたの長襦袢に合わせて作ったのよ!」
と言われたのであります。
そういえば・・・呉服屋さんが家にやって来てたのに
採寸された記憶はまったくなく
「長襦袢を貸して」と言われた記憶があって
なんで長襦袢??と思って貸したんだけど
それに合わせて出来上がった着物の袖丈がツンツルテン!!
ま・・・仕方なくツンツルテンの着物で七五三は済ませたんだけど
それから何年か後に姑に
「あのピンクの訪問着を親戚に貸すから出して!」と言われ
着物を姑に預けてから10年返ってこなかった!!それで
「お義母さん、あのピンクの着物は??」と聞いたら
「あれは私の着物だよ。」と言い返されたことがあって
「ええ??
私の母の前で私のために作ったからって言ったでしょ??」
と私も負けずに言い返してツンツルテンを返してもらったのでした。
おわかり??
姑は初めから自分のためにその着物を作ってたの。
身長がすこぶる低くて手足も短い姑は
着丈だけは私の丈で、袖丈は自分のサイズで作っていたのです。
あとの2枚の大島紬も袖は通してみなかったけど
どうせ姑の袖丈で作っていたに違いない!!とその時思ったわけ。
私が着物を着る機会がないから私の母が
「こんな高価なものは着物を着ないうちの娘にはもったいないです。
お義母様がどうぞ着てください!」と言うと思ったのね。
でも「ありがとうございます!!」とこちらが受け取ったので
姑は「自分のだから返して!」とはなかなか言えなかったのでしょう。
で・・・私も意地悪だから自分にはツンツルテンの着物を
姑には返すこともなく、ずっと自分の箪笥にしまっていて(笑)
この際、東京行のお金に変えようと査定したというわけ。
で、笑った!!査定の時に袖を通してみたら
訪問着よりもさらにツンツルテン!!姑ピッタリサイズの袖丈。
やっぱり大島紬は正真正銘、姑の着物だったのです。
でも、売っちゃう!!と思いきや・・・
「鑑別書がないと二束三文です!」と業者に言われ
「2000円!」と言うので売るのをやめて
歌の伴奏の小柄なピアニストの友達に5000円で譲ることにした。
それぞれ100万以上したに違いない2枚の大島紬だろうけど・・・
ま、いいや!!姑には死んでも返さない~!!(笑)
で・・・一事が万事で大嘘つきの姑なのですが・・・
その一人息子であるわが夫も やっぱり大嘘つきだった!!(>_<)
以前は・・・姑に似ずに舅に似て誠実な人でよかったと思ってたけど
やぱり蛙の子は蛙だった!!!
2年以上も騙されていた私も馬鹿だったけど・・・
この私を欺いて、今もことごとく卑怯なことをする夫に
私はこれから大きなお仕置きを考えています。
ああ腕が鳴る!!(*^。^*)
さて、日付が変わって
今日からオリンピックです!!
熱く燃えましょう!!!
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