☆愛妻家☆
今日は 私の両親の話。
暗い話になってしまうかもしれないので
嫌な方はスルーしてください。
母は2年前に大腸癌の手術を受けた。
ちょうど私の長男の結婚式の準備でバタバタしている頃だった。
「忙しいんだから見舞いはいいわ。」という言葉に甘えて
私は その時 実家には帰らなかった。
母には5人の子供がいて 私は長女。
長男、次男、次女はみな東京にいて 三男は出家して
母の実家がある長野に住んで 善○寺さんの仕事をしながら
他に二つの寺の住職を兼任している。(ひとつは母方の祖父が立てた寺)
だから三男は目の回る忙しさ。子供が3人もいるのでその妻も いつも目が回っている。
母の癌は 初期ではなかった。大手術だったと後から聞いたが・・・
結局 子供達は誰ひとり母の見舞いには行かなかった。
なんて親不孝な子供達だったろう。
みんな母の「大丈夫。来なくていいから。」の一言に従ったのだ。
そのくせ私の長男の結婚式には 兄弟は全員香川に集合した。
三男は夫婦で 3人の可愛い子供を連れて来てくれた。
実は 9歳離れた弟は 私が毎日保育園の送り迎えをして育てたのだ。
だから私のことを 母よりも慕っている。
妹も当時2歳の娘を連れてやってきたので 小さい子供が4人。
賑やかな結婚式だった。
父は手術後の母を鹿児島に一人残し 結婚式に参加した。
結婚式の翌日 大型バスをチャーターして
嫁の家族と共に「うどんツァー」をする予定だったので
父も兄弟も式が終わって我が家に宿泊した。(うどんツァーは大好評だった!)
その晩 我が家で父や兄弟はどんちゃん騒ぎ。
しかし 酒豪の父がその晩 酔っぱらってひっくり返ってしまった。
「ちゃこ~!」と私の手を握り「ママを頼むぞ~!」と号泣した。
そんな父を見るのは初めてだったから 切なかった。
今年 母の癌は再発し リンパ節にも転移してしまった。
しばらくは長男の兄が 弁護士事務所の仕事を辞めて 実家に戻っていたのだが
10月になると気が変わって 妻子のいる東京へ帰ってしまった。
長男と一緒にずっと暮らせると期待した母は ガックリ落ち込んだと思う。
だから心配した妹と私は相談して 実家へ母の様子を見に行ったのだった。
ヨンジュンと同じ年の妹は 二人の幼子を連れて 結婚して初めて実家へ戻った。
我が家は正月に 誰一人実家へは帰らないのだ。
私も 夫の夏休みに年に一度帰るだけ。世間から見れば 変な家族かもしれない。
実は 両親がしょっちゅう色々な用事で東京へ出かけているので
私以外の兄弟は 年に何回も両親と会えるからなのかもしれないのだが・・・。
隔週2泊3日で入院し 抗がん剤の治療を受けている母は
やはりかなりの量の髪の毛が抜け落ちていた。
真っ白な髪の毛の間に地肌が透けて見えていて 可哀そうだった。
抗がん剤の副作用で 白血球が減少し過ぎたり 肝臓を壊したりして
なかなかスムーズに 抗癌治療も受けられない状態でもある。
背中も曲がってしまって・・・婆様そのものだ。
自分の病状は すべて把握している母。
しかしながら 気丈な母は部屋にこもって何をしているかと思えば
PCを打ってボランティアの仕事をしていたのだ。
母はもともと コンピューターのプログラマーで 大手の会社で働き
後に自分で ソフトウェア開発の会社を設立した人間なので
私より何十倍もPCに長けている。
今 年老いた母が生き甲斐にしているボランティアの仕事は 父の地元の町おこし事業。
今月末に 町ぐるみ(市ぐるみ)で行われる「国際交流文化事業」として
実家の町の歴史を紹介するスライドショーの作成をしていたのだ。
実家のある町は歴史の町といわれ 世界的に知られた古文書のある町でもある。
町に残る武家屋敷群は 鎌倉時代から続くものなのだ。
当日大型バス3台で 日本の歴史に興味のある県内の留学生をはじめ実家の町に関心のある方々が
母の作ったスライドショーで勉強し 武家屋敷群の散策をするらしい。
資料を集め 分かりやすく地図や写真を駆使してまとめた画面は素晴らしい出来だった。
そして当日は 英語と中国語に同時通訳をされることになる元のナレーションを
この私が担当し 先日実家で録音してきたのだった。
そのナレーションの中に 母が中心になって主催する薪能の紹介もあった。
観世○仙会の一流の能楽師(人間国宝の方々が大勢いらっしゃる)薪能を
この町の 城跡に建てられた小学校の校庭で 今まで6回開催しているのだ。
私は都合をつけて その中の3回を司会者として参加している。
おととし、昨年は 母が病気だったこともあり しばらく開催されていなかった。
驚いたのは 来年またこの薪能をしたいと母が言っていることだ。
この事業は はっきり言って「赤字」だった。
田舎の人間は高い料金のチケットは買わないということで
格安の料金設定にしているこの薪能は ほとんどが赤字で父が被害を被った。
「もう勘弁してくれ!」と言っていた父が 先日ぽろっと呟いた。
「薪能は ママの生き甲斐だから 来年はやらせてあげたい。」
何か目標があれば 頑張って生きてくれる・・・そう思う父なのだろう。
そして父は せっせと毎朝 母に人参とリンゴでジュースを作り
玄米御飯を炊き 掃除や洗濯を母の代わりに行い
毎朝早起きして墓参りをし 母の全快を祈っている。
だから家事が得意な私が実家に帰ると 真っ先に喜ぶのは父なのだ。
日頃の家事から解放されて のんびりできるから。
そういえば 鹿児島男児は 普通いばって家事など一切しないと思うのに・・・。
母は父にとって 鹿児島男児のプライドを捨ててもいいほど 大切な妻であるらしい。
今は母が参加している歌会に 父も一緒に参加し 短歌を二人で仲良く作っていたりする。
歌会に送り迎えをする父が 少しでも母と一緒にいたいからなのかもしれない。
そう思うと なんていい夫婦だろうと 娘ながら思うのだ。
ヨンジュンが選ぶ妻は どんな女性なのだろうか。
彼は尻に敷かれるなんてことは 絶対にないような気がするが・・・
もし ヨンジュンを尻に敷くことのできる妻ってどんな女性?
とっても気になる歌姫です。
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