2014/01/14 08:56
テーマ:歌姫のひとりごと カテゴリ:日記(今日の出来事)

水のように・・・

Photo
 

  昨日、和室に飾られた掛け軸のことを尋ねられた。

  その掛け軸は 母方の祖父が書いたものを

  私が嫁入りしてから後 祖父から手渡されて

  義父が買い揃えた印刷物の三流掛け軸よりも

  元々、祖父の字体が大好きなので 

  正月も縁起物に掛け替えず、

  そのまま 床の間に飾っていたものだ。

 

  書いてある中身は

  それほど気に留めることなく(笑)

  ただただ、祖父を感じられるものなので

  ずっと床の間の中にあった。

 





 

 
  どんな由来があるのかと聞かれ

  きちんと調べてみると 祖父の書は

  黒田如水の座右の銘を書き写したものだった。

 


 

     自ら活動して他を動かしむるは水なり


    障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり


    常に己の進路を求めて止まざるは水なり


    自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり


    洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり

    雲となり雨となり雪と変じ霰と化し

    凝っては玲瓏たる鏡となりたえるも

    其性を失わざるは水なり

                

               黒田如水 座右の銘


 
  

  これは水五訓(水五則)といって

  黒田如水が武士道を説いた名言らしい。

  
  うん!!とっても名文だと思う。

  今更ながら 祖父はいいものをくださった!!

      (*^_^*)

 


 




 


  ところで、黒田如水といえば・・・

  今、V6の岡田君永遠の0でも主役でした!)

  大河ドラマで主役の”黒田官兵衛”と同一人物!!

  ご存知でしたか??

  調べたら 黒田官兵衛はキリシタン大名だったのに

  晩年は大徳寺で「如水」の号を授かっています。

 


 



 


 




   きっと彼は 

  自らの進路を 常に切り開きながら

  水のように・・・

  激しく、優しく 流れるように生きた人なのでしょう。

  


  水のように・・・

  生きられたら 素敵だなとつくづく思います。





  



 





  

  

  ★追記★

 無知な私は 黒田官兵衛が「如水」と名乗ったのは

 晩年だと書いてしまいましたが・・・

 まったく違いました!!!ごめんなさい!!



 
 ウィキペディアより

 
  
 あくまでも1800年代に書かれた名将言行録からではあるが、

 本能寺の変で織田信長が死去した際、

 孝高は取り乱す秀吉に対して

 「御運が開かれる機会が参りましたな」と述べ、

 以後孝高の智謀を恐れるようになったという逸話がある。

 同書には、秀吉が家臣に

 「わしに代わって、次に天下を治めるのは誰だ」と尋ねると、

 家臣達は徳川家康の名前を挙げたが、

 秀吉は黒田官兵衛(孝高)を挙げ、

 「官兵衛がその気になれば、

 わしが生きている間にも天下を取るだろう」と言った。

 側近は「官兵衛殿は辺境の10万石程度の小大名に過ぎませんが」

 と聞き返したところ、秀吉は「お前達は奴の本当の力量を分かっていない。

 奴に100万石を与えたら途端に天下を奪ってしまう」と言った。
 
 これを伝え聞いた官兵衛は、「我家の禍なり」と

 直ちに剃髪し如水と号したとしている。

 また、「秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。

 然れども、徳川は温和なる人なり。

 黒田の瘡天窓は何にとも心を許し

 難きものなりと言はれしとぞ」とも書いている。
  

  

  

 

 


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