ハングルスタートは愛と気迫で・・・
2003年4月BSー2で冬のソナタを見た。
ミニョン登場から一気にのめり込み4月中に 日本語字幕がなく生声のヨン様・ジウ姫の冬のソナタを
ネット無料配信で日本語訳をUPしている所を探し出し20話全て見てしまいました。
残念な事にそれは現在 なくなりましたが・・・
次にはまったのが「ホテリアー」で忘れもしない5/5から有料で視聴を始めました。
期限があるので時間に追われてほとんど徹夜で見てしまいました。
この日を境に「韓国に行きたい、ホテリアーのロケ地巡りをしたい、ハングルを学習して
韓国の新聞の見出しやテレビのテロップを読んでみたい。」
と次々に願いが増えて行きました。
6/1 田舎の町にはハングル講座のようなものは1カ所もなく、長女が卒業した
高校の理事長先生を訪ねました。
娘は高1の時 学校の部活動で日韓の高校生がお互いの国を訪問し合い
交流を深めるという行事に飛び入りで参加させて戴きました。
理事長先生はその交流を十何年も続けていて韓国語の勉強も続けていらっしゃったので
勉強方法を伺いに行ったのです。
理事長室に入ることなど今までなかったのですが、全く抵抗がなく
お話しができました。
その日の帰りに朝鮮語辞典を購入し、帰宅後にはNHKラジオハングル講座の
バックナンバーとCDをネットで注文しました。
ハングルは逃げなのに直ぐにでも注文しなければいけないという
衝動からパッパと決めてしまいました。
6月の半ばにして4月号を始めたのですが、兼若教授のラジオ講座は
インパクトが強く、歌でカナダラを覚える方法だったので分かりやすく、すんなり
学習を始めることができました。
この歌のお陰で3日でカナダラをマスターできました。
私は来る日も来る日もラジオ講座のCDをウォークマンで聞いて
飽きるとK-POPS 次はラジオ講座と言うようにハングル漬けの
毎日を送っていました。(続く)
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