学習の土台になったこと
私には23歳の息子と21歳と20歳の娘がいます。
娘達は年子で1歳3ヶ月違いですが学年は2学年ずつ違います。
下の子が中1の時 真ん中の子は中3でしたが、学年で上位の子と最下位に近い子と同時に接するにはどうしたらいいのかかなり悩みました。お姉ちゃんは知能指数が普通クラスで学習して行くには大変な状態と検査結果が出たのですが、本人にはそんな残酷なことは伝えられないし、主人にも言えなくて、私が産んだ子だから私が守ってやらなくてはと思いました。
お姉ちゃんの塾は保育園の年長からお習字に始まって英会話、小2で算数、小6で英語ですが、今日やったことを翌日にはすっかり忘れて定着しないものでした。
それでも細く長く続けて行けばいつか芽は出ると信じていた時に
知能指数の話しを聞いて後ろからハンマーで殴られた衝撃がありました。
小2の担任には特殊学級へ行くことを勧められましたが、勉強が遅れているからという説明だけでしたしお受けしませんでした。
小5の時の担任は「今まで以上に頑張らせますから」と私が言うと
「どうやったって無理。」って言われました。
かけ離れすぎてると・・・
中2になって初めて知った知能指数のこと。
よく 知能指数は学力と関係ないと聞きますが、それはよっぽどの事がないとクリアーできませんでした。
中2の担任には「高校進学だけが娘さんの幸せではないですよ。自立できるようにしてあげるのが一番なんじゃないですか?」と・・・
しかし親娘揃って担任の考えに沿うつもりはなかったので一大決心をしました。
娘に週8回の塾と家庭教師を付ける。
担任に相談しバレー部からパソコン部に転部しました。
学校が終わったら まず一つ塾へ行って夜はおじいちゃん(私の実家)で夕飯をごちそうになり、家庭教師さんを迎える。
中3まで続けたお習字のお陰で字はきれいでした。
元々左利きを矯正しようと始めたものでしたが漢字を覚えるのにも字が大きい方が良いようです。
細筆で名前を入れるのは左手です。
お習字の先生の発案で両利きになりました。刃物はやはり利き手に持たせた方が良いそうです。
利き手一つ取っても年寄りが嫌みを言うので娘は手を引っ込めて
ご飯を食べようとしなかった事もあって強制したくなかったのです。
左利きだから字が下手って言われたくないし、本人は至って
天真爛漫で先生のお宅の池にはまってしまったりして。
娘の高校お受験は先生5人で乗り越えました。
内容は今日の宿題と2学年下の勉強、テスト範囲の3本立てでした。
娘の励みは試験で頑張ったら洋服を新調すること。
但し5000円以内で。点数が悪くても例え50点満点で1桁しか得点がなくても頑張った事には変わりがないから、褒めました。
でも頭痛でも痛み止めを飲ませ、どこか居たいと言えば病院に行ってから勉強をする感じで。
それと小中学校9年間の皆勤賞も続けることです。
クラスメートに「バカは風邪引かない。」って言われたから
休みたいって言ったことがあります。
けして丈夫な子ではないのです。
どっちかと言えば弱いくらいで。
でも家族が健康管理に必死だったのでその結果ですが。
悔しかったです。それにどんなに娘が頑張っても、そうバカにして遊んでいる子の足下にも及ばない成績だったことが一層 悔しくて。
でも 高校へ行くだけが娘の幸せではないと言われた事で私の心に火がついてしまったんです。今ではあのときの担任に感謝しています。
娘は希望の高校の情報処理コースに進み、高校時代も家庭教師等の手はゆるめないでいたらクラスで上位になり短大も合格しました。
2年間新幹線通学し卒業後は家の近くでカジュアルな洋服店にアルバイトに行きながら、約束通り東京や横浜にコンサートや買い物に行っています。
ちりも積もれば山となると言いますが言うのは簡単ですが 終わった後は私自身 心身共にボロボロでした。
中学の担任によく言われました。
お母さんのお陰でここまで来たんだよ、と。
世の中 「やればできる。」と言いますがやってもできないことも
あります。
だから自分ができることをできる分だけやるって事を娘から学びました。
長くなってごめんなさい。
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