大槌町訪問記その2
続きです。
12時ちょっと前から既に並んでいらっしゃる方がいましたので、実はちょうど12時にはなる前からスタートとなりました。東京ブラスタイルの方々にも列の誘導を手伝っていただき、うちの社員もそれぞれ役割分担して意外とテキパキと動いてくれて、最初は確かに並んだ方が多くて大変でしたが、うちの社員らというよりは、むしろ避難所の方々の方が炊き出しになれていらっしゃるからだと思いますが、かなり順調に進みました。
炎天下でしたが、あっという間という感じで忙しくなくなり、スイカだけお代わりの方とか、プルゴギだけ追加の方とかがいらっしゃるだけとなりました。正確な時間は分かりませんが、一時間ちょっとだったのかもしれません。
終わってみれば、プルゴギもわかめスープもかなり残っていました。スイカも買いすぎてしまったのか、大分残っていました。一応料理も御好評だったようですが、何よりスイカが人気だったのかなという気もします。
残ったプルゴギやスイカは公民館の冷蔵庫に運び、掃除と片付けをやりました。ゴミも持って帰らないといけないので、生ゴミがちょっと心配でしたが、多分大丈夫だったと思います。
そういえば、第二弾の事故がありました。保冷車からスイカを出そうとしていたコッキが、脱臼してしまったのです。しかも、初めてらしく、貴重な体験をしたな、と思いました。
片付けも終わり、脱臼も何とか現場にいらっしゃったお医者さんに応急処置をしてもらい、東京ブラスタさんが演奏される吉里吉里小学校に行きました。小学校のグランドで一応初めての記念撮影をし、皆様とお別れしてバスはまた横浜に向けて出発です。
あまりにも汗を書いたのと、バスの中で一泊した後だったので、途中で健康ランドみたいなところに寄りました。久々の大浴場でしたが、電気風呂には感心(感電も)しました。
金曜日の朝方事務所に着き、ゴミと荷物を下ろし、一部の社員はそのまま始発で家に、一部はまた新宿に向かってバスはまた出発です。
僕は、一度家に帰り、またお風呂に入り、11時の打ち合わせ前に事務所に来ました。
金曜日は、事務所に居ましたが、頭がぼーっとしていて、仕事は一向に進みませんでした。
土日は、今回の炊き出しの意味について考えていました。衝撃的な風景だったし、何とか無事にやるべきことはやってきました。だけど、何か腑に落ちないものがあったのです。
ある意味美談っぽい話のままで終わらせればいいものではないかとも思いましたが、僕は皆様から預かったお金を使ったわけだし、皆様の気持ちも一緒にということで7月7日に行ったし、東京ブラスタイルの方々は行きたくても費用の問題でいけないというお話を聞いたのが切欠で大槌町に行ったわけですが、だからこそ皆様には僕が実際感じたことを話すべきかなと思います。
これは、短い時間の中で、一面しかみていないからいえることなのかもしれないと自分でも思いますが、僕が感じた違和感のようなものは、大槌町で被災した1万名近い方々の中で、炊き出しを行った避難所にいらっしゃるのは300名前後ということでした。
何がいいたいのかというと、僕は、お会いしていない9000名近い方々、避難所ではない場所で大変な想いをしながら何とか頑張っている方々、どこかで必死に生きている方々には、何も役に立てなかったということです。
皆様の義援金を使い、一部を除いた社員30名近くと一緒に、善意で助けて下さったB様や、プロなのにギャラなしで放課後レッスンや学生との合同演奏活動を無料で続けている東京ブラスタイルの方々とそれなりに苦労はしたにも拘わらず、結局は何もお役に立てることはできなかった、ということが苦しくなりました。
なので、皆様への報告をどうすべきか悩みましたが、支離滅裂な文章でも、あったことをそのまま、感じたことをそのまま書かせていただこうと思いました。
詳細まで書くともっともっと長くなるでしょうけれども、今のところ、僕が書ける報告はこの程度でしかありません。
いつか、ある程度心の整理ができましたが、今回のことについてはまた書くかもしれませんが、ちゃんとした報告を書けず、申し訳ございません。
大事な義援金を送ってくださり、気持ちを託して下さった皆様、一緒に行ってくださった皆様、現地で迎えてくれた皆様、精一杯頑張ってくれた社員達にも、心からの深い感謝を申し上げると同時に、与えられた機会を全うできなかった自分の無能さについてお詫びをさせていただきたいと思います。
期待してくださった皆様には、本当に申し訳ございませんでした。
岩手県大槌町訪問記
こんばんは、孫です。
遅くなりましたが、皆様からの義援金の一部を使わせていただいた大槌町での炊き出しについて簡単ながらご報告させていただきます。
出発日の数日前から材料や食器などの買出しをしまして、最終的には300人分を少々超えるほどの食材を準備しました。メニューは二転三転しましたが、プルゴギ(アメリカ産プライム牛肉)、ミヨククック(わかめスープ、牛肉入り)、ビビムパッブ(混ぜご飯?)とキムチ、そしてデザートとしてスイカとお茶類になりました。実は、出発日に届くはずだった大量のブロコリキムチが届かず、急遽追加で買いに走るという事故が発生しましたが、無事食材は揃えることができました。
お米は、ブロコリユーザのK様よりお送りいただきました高級なお米を使用させていただきまして、業務用の炊飯器は、警護・警備会社のB様よりお借りしました。B様は炊き出しも2名お手伝いにお越しいただきまして、謝礼の代わりに、B様が義援金を出している団体に一定額を寄付させていただくことにしました。
夜10時過ぎに事務所を出発し、新宿で一部社員とB様2名を乗せ、もう一台のバスには東京ブラスタイルの皆様(団員11名構成)などが乗り、12時近くなって岩手県に向かって出発しました。
朝方釜石市に入ったところから、現地の無惨な風景が目に入るようになりました。何も言葉が出なかったです。
午前9時頃に役場に挨拶に行き、炊き出し場所である公民館に移動して準備を始めました。
最初はビビンパに載せる目玉焼きが上手く作れなかったり、大量のプルゴギに中々熱が通らないなど、相当焦りましたが、何とか予定の12時にはスタートができました。
ここから先は後でまた書かせていただきます。
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