上党山城への道②【ネタばれ有り】
Kオンニと私たちを乗せたタクシーは ライトアップされたロケ現場に近づいて行きました。
タクシーを降りて 吸い込まれるように照明の灯りの方へ向かって歩いていくと、スタッフが凄い勢いで近づいて来ました。
「アンデヨ!(駄目です。)道の向こう側まで、下がってください。それから声を出したり、音を立てると、録音にさしさわりがあるので、静かにしていて下さい。写真やビデオは絶対に撮らないで下さい!」と叱られてしまいました。
慌てて道を隔てた場所までさがり、OオンニとTオンニを探しました。
オンニ達は御土産屋さんの中で 暖かい物を飲んでいました。
Tオンニ「よくここまで来れたね~。」
私「電話が急に圏外になってね、タクシーの運ちゃんには変なとこに降ろされちゃってね大変だったの~~~。で、Joonはどこなの?」(T_T)
Oオンニ「ほらあそこに、黒いマント着て馬に乗ってるじゃない!」
私「ぎやぁぁぁぁぁ~~~~!!!!本当だぁ!」
Tオンニ「静かに!声を出したら駄目なんだって!」
どんなに大勢人がいても どんなに離れていても どんなに暗くても、ヨンジュンシだけは光のオーラに包まれて光り輝いていました。
上党山城は映画村ではなく、普段は民族村としての観光地なのでロケをしている様子をよく肉眼で見る事が出来ました。
瞬きするのも惜しくて、お土産物屋さんの前に置いてあった、椅子に座って食い入るようにヨンジュンシを目で追いました。
何を言っているのか台詞までは聞き取れませんでしたが、「ヤー!ハァー!」と言ったヨンジュンシのベルベットボイスがすり鉢状になった辺り一面に響きわたっています。
暖を取る為か、撮影の演出のためか焚き火をしていて少し煙いのですが、同じ空気を吸ってこの場にいるのだということに幸せで胸がいっぱいになりました。
知らない若い韓国カジョクがおでんをご馳走してくれました。
そしてお互いに公式サイトの登録カードを見せ合ってクスクス笑いました。
「昨日くれば、良かったのに。昨日はもっとずっとすぐ側まで行って見れて、握手もサインも、してもらっちゃった。」彼女はシンガポールから来た友達と一緒にいて、彼女達ととても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
一回目のヨンジュンシの休憩があり、ヨンジュンシは細い小道を通って、ロケバスのある駐車場へとやってきました。
10代の役柄ということもあって、インスのときよりもとても若々しく溌剌とした笑顔で両手で手を振り一列に並んで見守る私たちの前を通って行きました。
トイレから出るようにまた近づかないようにという支持があって、照明を落とした真っ暗なトイレに懐中電灯を持ったマネージャーとともに歩いて行く姿が見えました。
そこのお手洗いは老朽化した他の施設とは違って空港のトイレよりも近代的で撮影に合わせて新築したもののようでした。でも何で真っ暗にするのかな?「隠し撮りされない為じゃないの?」と誰かが教えてくれました。
でも他の女優さんたちは、私たちと一緒に洗面所を普通に使って血糊のついた顔とかをチェックしていましたので、ヨンジュンシは特別なんだなと思いました。
Tオンニの女性ガイドさんが手招きしてくれたので、側に行くと中学生位の若い俳優さんが立っていました。
ガイドさん「あなたもサインしてもらえば?」
私「えええ?いいんですか?」
少年「ソンハミ オットケ デシムニッカ?(お名前はなんとおっしゃいますか?)」子供らしい可愛らしい字でキム・ソクと書いてくれました。
少年「僕 この間チョナン・カン先輩と『海峡を渡るヴァイオリン』という日本のドラマに出たのですが、ご覧になって頂けましたか?」
私はそのドラマを見てはいなかったのですが、彼をがっかりさせたくなかったので、
私「マ~ニ マ~ニ 感動ヘッソヨ!(とても感動しました)」と言ってしまいました。
少年「カムサハムニダ!僕 ペ・ヨンジュン先輩みたいな、立派な俳優になって、日本でも活躍したいんです。」と瞳を輝かせて夢を語ってくれました。
心の中で、『ちょっと顔も声もえなり君ににてるなぁ』とこっそり思いました。
ガイドさん「あの子は子役として有名な子で沢山ドラマに出ているんですよ。」と教えてくれました。
彼は撃毬の試合に黒軍の選手として登場していました。【宮】やREINの子供の時代の役にも出ていたと最近になって、知りました。
つづく
写真はこの日知り合った韓国家族のGオンニに御借りしました。
上党山城への道①
2006年11月17日 私はとても幸運な事に 清州の上党山城のテジャ城前のシーン撮影を見学することが出来ました。
先程 その時同行してくれたKオンニから電話がありました。
「第9話の予告見た?あの時のシーンだよ!」
たった今 見てきましたが、あの懐かしい景色と あの時の衣装、赤いハタキのような武器でホゲと戦うシーン・・・
馬にまたがり黒いマントを翻す姿は、紛れも無くあの日の談徳でした。
山間に響き亘っていた談徳の掛け声は10ヶ月以上たった今も 私の耳に残っています。
旅行に行く前日 別の便でソウルに行く予定だったOオンニが
「明日まで清州で撮影があるらしいって、韓国の新聞に載っていたのをTオンニが見つけてくれたんだけど・・・」
と上党山城の写真をプリントアウトして渡してくれました。
私はその紙に상당산성 (上党山城)と大きくハングルで書いて その紙を手がかりにそこに行ってみようと心に決めました。
朝 子供たちのお弁当を詰め学校に送り出してから、
飛行機の中でKオンニに
「もう今からだと間に合わないかもしれないけれど・・・どうしてもここに行ってみたいんですけど・・・」
Kオンニに相談したところ
「いいわよ~。」と快くOKを貰いました。
ウォカーヒルでチェックインもそこそこに、インフォメーションセンターに飛び込んで、清州行きの高速バスの時刻表をネットで調べてもらいましたが、最終バスまで殆ど時間がなく、帰ってくるバスも翌朝6時以降しかない事がわかりました。
そこで部屋に荷物を置いて、野宿覚悟でインスジャンバーを着込んで、タクシーでバスターミナルへと向かいました。
ところが、タクシーを降りても切符売り場がどこにあるのかが判らなくて、横断歩道を右往左往していると、親切なアジュマが
「何時のバスに乗るの?」と話しかけてきてくれました。
「あと10分しかない!パリ カジャ!(急いで行きましょう)」と私の手を取って全速力で走って切符売り場まで引っ張っていってくれて、のんびりした切符売り場の女の子に
「清州まで2枚!パリパリ!!」と叫んで切符を買ってくれて、
「気をつけて行くんですよ!」と何度もおじぎをする私たちをバス停に送り込んでくれました。
バス停で【청주(清州)】と書いてある看板のバスに乗り込みましたが、似たような地名がいっぱいあって、本当に清州に行くのだろうかと不安でいっぱいでした。
そしてその旅行に行く直前に国際ローミングの携帯電話に買い換えたばかりの電話が、な・な・なんとソウル市内を出たとたんに圏外になってしまったではありませんか?
これで、先に着いているはずのOオンニやTオンニとの連絡手段が途絶えてしまったのです。ガ~ン
バスが清州に着くと、そこは見渡す限りのラブホテル街でした。
ポジャマチャ(屋台)のアジュマに紙を見せて、
「イゴカジ カゴシッポヌンデヨ!(ここまで行きたいんですが)」
「どこから来たの?もう真っ暗でそこは閉まっているから、ホテルに泊まって明日の朝 ●番のバスに乗って行きなさい。」と心配して止めてくれましたが、そうはいきません。
タクシー乗り場を聞いて運転手さんに紙を見せて、
「イゴ カジュセヨ!(ここ 行ってください)」と言いました。外灯も無い熊の出そうな曲がりくねった坂道をのぼって、バス停のような所に降ろされると
「ここから先は車では入れないから、歩いて行ってね。」と言っているようです。でも誰もいません・・・
『撮影は終わってしまったの?私たちこれからどうなるの?』と恐怖で震えました。でもその時おみやげ物屋さんの灯りがかすかに点いているのを発見して店に飛び込みました!
「チョグヨ~。カルチョジュセヨ!(すいません。教えてください!)」すると中からエプロンで手を拭きながらアジュマが出てきました。
「あんた達日本人?ヨン様に会いに来たんでしょ?どうやって来たの?」
あのタクシーと指を指すと、物凄い勢いでタクシーに走りより、撮影場所を運転手に指示してくれました。
「あの~~もし良かったらご一緒しませんか?」と聞く私に
「何をおっしゃいますか・・・ウチの息子はペ・ヨンジュンよりずーっとかっこいいからねぇ。アンガヨ!(行かないわ)」すると暗闇に2メートル程の長身の男性がヌボ~っと立って笑っています。
「アドルニム イムニッカ?(息子さんですか?)マジャヨ!(仰るとおりですね。)」と言って再びタクシーに乗り込み暫く行くと、今度は撮影隊の灯りが見えて来ました。
つづく
*この写真はこの時ここで知り合った韓国人のGオンニからお借りしました。
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