お便り
こんばんは。
零時をまわったのにまだ数人は仕事をしている事務所にいながらブログ書こうとしている孫です。
今から考えるとそんな時もあったよね、的な昔の思い出のような感じではありますが、その昔は会社に、僕宛てに、読み切れないほどのお手紙が届いていました。もちろん、○○様に必ず渡してくれとか、伝えてくれという、まるでサンタさんに送る手紙を受け取る郵便局宛ての手紙のような内容が多かったのですが、僕やうちの会社宛てのものも、今から考えると信じてもらえないほど多かった時代がありました。
その時代のことを思い出し始めると長くなってしまい収拾がつかなそうなので、割愛させていただきます。
ここに載せている切手は、2週間ほど前に届いたお手紙に貼ってあるもので、老眼のせいでよく分からなかったところは桜の花でした。
これからそのお手紙の内容を紹介するんだろうと思ってらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、それは残念ながら控えさせていただきます。僕にとっては凄く感動的な内容なのですが、それは僕にとって、のことですから。
僕にとって、と書きましたが、それはちょっと違いました。僕を含むIMXの社員達と、初めての外国でのコンサートで頑張ってくれた帝国の子供達という若干ファシストみたいで心配になってしまったりするグループ名の子達と、その事務所の方々にとって嬉しい内容でした。
昔はパソコンの使い方が分からないから、という方が多かったのですが、ここ最近はインターネットは携帯でしかやらないからという方が多くなりました。電話で長々とインターネットに接続する方法を説明させていただいていた時代が嘘のようです。
レコードや真空管が今でも素晴らしいように、気持ちが写っているお手紙は、やはりアナログであるからこそ素晴らしいと思います。
老化のせいか風邪を引いてしまった孫ですが、皆様はくれぐれも元気な週末をお過ごしください。
man on a wire
ほしいものを全て手にすることはできない。
何かを得られたとき、何かを失うことになる。
選択自体は、難しいかもしれないし、難しくないかもしれない。
残念なことなのかどうかはわからないけれど、正しかったかどうかも、結局のところわからないんじゃないかという気がする。
正月と夢
セヘ ボク マンイ パドゥセヨ!
明けましておめでとうございます!
年末年始の長いお休み、いかがお過ごしでしたか?
僕は、新しい年の計画を立てようと思っていながら、長い夢をみていました。ちょっと起きてちょっと食べて、残りは殆ど夢の中。悪夢でも楽しい夢でもなく、果てしなく続く夢。ずっと夢の中だったのに、ほぼ覚えていません・・・。どんなストーリだったのか、まるで記憶になく、いま思い出せるのは、何か値段が高くて、どうしようかと迷っていたような。
僕みたいに寝て過ごされた方もいらっしゃるかもしれませんが、ちゃんと起きていて、新年の抱負とか考えていらっしゃった方も多いのではと思います。2010年も、例年と同じく、楽しいことも辛いことも、つまらないことも、ウキウキするようなこともあるかと思います。
果てしなく続いていた夢の世界と同じく、リアルの世界でも人生は続きます。人生が続く限り、悩んだり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、嬉しくなったり、不安がったり、満足したり、楽しかったり、もどかしかったり、興奮したり、落ち込んだりすると思います。いつもながら、その繰り返しでしかないと思います。
それでも、際立って素晴らしい人生ではなくても、こうして生きていて、ダメ元で頑張ってみるというのはそれほど空しいことではないような気がします。発展も成長もしていない気がしても、実はそんなこともなくて、退化していくところがあれば、進化していくところも必ずあるはず。
去年も、このブログを読んでくださる方々と特に読んではいない方々のお陰である程度意味のある年を過ごせました。もっと物理的にいうと、お米から、ジュース、果物、お菓子、イモ類、お花まで、生きていくために必要なものも沢山お送りいただきました。そして、物理的には証明しにくいけれど、生きていくために絶対必要なお気持ちを本当に沢山いただきました。身内でもなく、利害関係でもない者に何かを送ってあげること、心で思ってくれることは普通にできることではないと思います。みなさんのお気持ち、心より感謝しております。
久々に開いたブロメにも多くのメッセージがありました。ありがとうございます。なかなかお返事ができなかったりしますが、あまり怒らないでください・・・。
今年も、みなさんと共に生きていくことになります。またいろいろとありそうですが、喜びも悲しみも含めて、前向きに生きていきたいと思います。
皆様、良いお年を!今年も何卒宜しくお願い申し上げます!
コップ半分(の呟き)
小学生の頃、親から言われた心に残ることを話せという時間があった。何でそういうのがあったのかは覚えていないし、一度だけだったとは思うけど、正確にどうゆう状況だったのかなど、全く覚えていない。
で、僕は何を言ったかというと、コップ半分の水をみて、もう半分しか残っていないって思うのではなく、まだ半分もあるんだって思うべきだ、みたいなことを言った。その時は、父のオリジナルだと信じていたんだけど、いや、少しは他の誰か偉い人が言ったんだろうなとは思っていたけれど、ま、でも信じたかったかな・・・。
平均寿命からしても僕はもう半分以上生きてきたはずだけど、平均でいうとまだまだ半分残っている。
それが、親の言わんとした前向きな感じではないのが問題かなとふっと思った。
半分しか残っていないから、頑張ろうって思いたいのに、まだ半分もあるのかよ、辛いよ・・・ってなってしまう。あの教訓は僕の誤解だったのだろうか。まだ半分も残ってるって思えというのは、辛くても我慢しなさいってことだったのか。どっちなのか定かでないし、父に聞いても覚えていなそう。
「いや、早いですね。普通はまだ来ないんですけどね」って眼鏡屋の方から言われたけど、40前にして老眼になってしまった僕は、やっぱり半分以上は生きてきたのかな、もう半分も残っていないのかなって少し安心する。
半分でもそうじゃなくても、まだまだ続きそうなこの人生。長さよりも充実したものにできれば本望です。
(追伸)というより質問!
以前は目蓋が小刻みに震える症状が暫くありましたが、最近は唇の左上のところが勝手にぴくぴく動いています。何かに釣られているような感じで。これって何かの病気でしょうか?
9月1日
事務所があまりにも暑いのでちょっと贅沢に空調の時間外運転をしてしまおうと思っていたのですが、この時間だと早出申請ということになるので、朝9時までずっと点けっぱなしにしかできず、管理部に怒られそうなので止めました。窓を開けられる古いビルが懐かしいです・・・。
今日は、お手紙とともに一冊の本とお菓子をいただきました。お菓子はみんなで美味しくいただき、本はそのままおいていたのですが、集中が切れそうになったので(暑いと集中が長続きしないのです)、そのお手紙と本を手に取ってみました。
毎日日付とともに数行の短い文章が綴られている、小さな本です。
9月1日
一生涯の間、何も風波がないと思ったら、大間違いです。長い間には、いろいろと迷いもあれば、失望もあり、疑いに苦しむ日もあるでしょう。それらが「無い」ことがたいせつなのではなくて、それらを「乗り切る」ことがたいせつなのですよ。
(渡辺和子様著、「愛と励ましの言葉366日」から9月1日)
僕は一生涯ところか、一日の間でも何度も波風があって困っております。なので、そういう意味では間違っていないということで少し安心しました。迷いも失望も非常に多いので、毎日が苦しむ日々です。
もし乗り切ることができるのなら、乗り切ること自体もたいせつとは思いますが、もっとたいせつな何かを見つけられるかもしれない、と思いました。
もっとたいせつな、なんて欲張りかもしれませんが、まずは些細なことから。今はこの暑さを乗り切ってやるべき仕事を明日の朝まで完成させたいと思います。
本をお送りくださったN様、どうもありがとうございました。お陰さまでちょっと涼しくなったような気がしてきました・・・。
挫ける余裕がない
前回のブログで心配された方もいらっしゃったようですが、今は挫けるとか諦めるとかめげる余裕もありませんのでご心配なく。
そんないろいろとやらねばということが次々とある中、昼に食べたつけ麺のせいか眠くなったので、ブログでも書いて眠気を覚まそうというところです。
といっても何かネタがあるわけではありませんが、早く更新しないと心配するからというお声もありますし、そろそろ何か書かなきゃって体内時計が告げてくれたので・・・。
ああああああ。やはりネタがないので、書けません・・・。
次回は必ず楽しいブログを書きたいと思いますので、その時はまたお越しください!
青い香り
日本は朝2時になりました。ここは3時です。
大きな心配事はいくらでもあるのですが、大きく幸せを感じることはなかなかない人生です。だからこそ、何か小さな発見が嬉しかったりするのもかもしれません。
実は先ほど何気なく食べた洋梨ですが、日本でよくみるような熟したものではなく、結構硬いものでしたが、何とその味と香り、食感も僕が大好きな青いマンゴ(正確にいうと熟していない青くなくて緑色のマンゴ)とソックリだったのです!
あまりにも驚きの発見だったので、思わずここに来て初めてカメラを取り出しました。こういう瞬間って誰かに自慢したい、というか共有したくなってしまうので、興味も沸かない話で恐縮ですが、ブログに書いておこうと思いました。
完熟は完熟で素晴らしいと思いますが、いろいろまだまだという時にもその時だけの「味」があるものだと思います。
飛行機を10時間以上も乗って初めて来たところ。意外と一番の思い出は洋梨になるかもしれません。
日本の皆様、お休みなさい・・・。
声を戻したい
花より男子韓国版の話をするとか言っておいて、大分時間が経ってしまいました。
僕は先週末またソウルに行ったのですが、ちょっと風邪気味かなと思っていたところ、ソウルに着くや否やで酷い熱と頭痛に襲われ、金曜日には全く動けませんでした。なぜか凄く寒く、ずっと体が震えていたので、部屋の温度を上げられるところまで上げ、毛布の中で息をするのがやっとでした。久々の大物風邪にかかったようでした。
必須のミーティングはしましたが、声が出ないのと座っているだけでも辛かったので、短く用件のみという感じにしました。が、土曜日の夜頃になると薬が効いたのか歩けるくらいにはなったので、夜11時頃にミンホ君の事務所の社長にピックアップしてもらい、コマーシャルの撮影が行われているソウル近郊のスタジオに行きました。
そういうスタジオに行ったのも久しぶりでした。みんな徹夜で大変だなと思いながら観ていましたが、朝の便だったので6時ちょっと前には失礼をし、急ぎでホテルに戻りチェックアウトをし、そのままキムポ空港に向かいました。
実は日曜日の午後も伺う約束をしていたところがありましたが、真冬用のダウンジャンパー姿で行くのはまずいと思い、事務所によってジャケットだけ着替えました。そちらでは予定していなかった挨拶をすることになり、薬と熱でぼーっとしたまま何か喋ったのですが、ほぼ記憶がありません・・・。
もう金曜日となりましたが、声はまだ戻らず、コンビニで店員さんに答えるのも一苦労です。喋ろうとすると咳が出るので、電話に出たら喋りながら咳き込んでしまい会話にならないですし・・・。
病院でもらった薬が強力だったのか熱はあまりないし、夜もグッスリ寝られるので、風邪になってよかったかもと思うこともありますが、別に良い声ではなくても、早く自分の声を戻したいと思う今日この頃です。
人魚姫も、本当大変だったんだろうな、とシミジミと思いました。
セへ ボク マンイ パドゥセヨ!
今年二回目の新年挨拶です。
すっかり忘れそうになっていましたが、昨日たまたま行った中華料理屋で隣の中国人家族が「コンシファチャイ」って乾杯しているのをみて、正月であることを思い出しました。
本来はトックックを作るべきですが、モチはもらったものの、スープの材料がありませんでしたので、キムチと豆腐と豚肉でキムチチゲを作りました。並べたおかずは全て弟夫婦からのもらいものです。この中では大根干しが一番好きですね。
湯気で綺麗な写真は撮れませんでしたが、お腹が空いていたので美味しかったです。
自分のことも心配しないといけないのですが、まずは皆様ご自身とご家庭に健康と幸せをお祈りしたいと思います。
新年は福が一杯でありますように!
p.s.花男韓国版はいろいろとあり過ぎてなかなか書けない状態です。今度こそは書かせていただきます。
밝은 새해가 되기를
いつの間にか2009年も3日目となりました。遅まきながら、明けましておめでとうございます。
12月31日から1月1日まではずっと寝てしまいましたので、何も記憶がないのですが、昨日は物凄く良い天気で、理由もなく歩いてみました。
今までの新年休みは買い物に出かけたりしておりましたが、今年はビビとパルゲと一緒に静かに過ごせました。たまにはこういう時間もいいなと思います。
新年早々の事件もありまして、どこでなくしたのか全く見当もつかないのですが、家と車の鍵が見つかりません。これで今年の悪いことは最後になってほしいなと思います。
新年挨拶ぽっくない内容となってしまいましたが、皆様にとってこの2009年が本当に明るい一年になりますように、と心からお祈り致します。
p.s. 画像は事務所の窓から携帯で取った今の空です。携帯カメラの性能問題はありますが、本当に綺麗な色です。
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