プロローグ#2 野良猫休憩所
塀に開いた穴や建物と建物の隙間、古びた家のスレートの屋根、人の手の届かない排水溝、誰かが捨てたベッドのフレームやタンス、住宅街のプレハブ小屋などで猫に出会うことがある。そこは単なる隠れ家(猫のたまり場)である場合もあるし、れっきとした彼らの棲みかである場合もある。しかし僕が見てきた限りでは、コンテナこそが最高の猫ハウスだ。
近所を散歩していてコンテナを見つけたら、その下を見てみてほしい。間違いなく暗闇の中にビームのように光線を放つ猫の目に出会うことができるだろう。ランの子猫たちに再会したのも、家の前のコンテナ空き地だった。猫たちの棲みかは家の裏手に1メートルほど出っぱった壁に囲まれた場所だったが、彼らは1日のほとんどをここで過ごしていた。だから僕は家の前のコンテナ空き地を「野良猫休憩所」と呼んでいた。厳密に言えば、ランと子猫たち一家の専用休憩所とでも言おうか。
冬の厳しい寒さの中でもランの子猫たちはコンテナ空き地で遊んではグルーミング(grooming、毛づくろい)をしたり、おとなしく座って日向ぼっこをしたりしていた。もちろんここは僕が時折猫たちにエサをやる配給所でもあったし、毎日のように食べ物を差し出すクリーニング屋が一目で見渡せる展望台でもあった。何よりもここは危険な状況に陥ったときにすぐに避難することのできる安全な避難所であり隠れがの役割をしてくれる。
猫たちは野良犬たちが攻撃してきたり通りすがりの子供たちがいたずらをしてきたりするとコンテナの下に身を隠す。もともとが町内の自治防犯連絡所の役割をしているコンテナが、野良猫にとってもまたとなく大事な防犯連絡所の役割をしているといったところだ。
ランの子猫たちがここに現れるのはだいたいお昼頃。午前中は日陰になって寒く、12時をまわってやっと少しずつ日が当たり始めるからだ。猫こそが真に太陽を崇拝する種族だ。人間の平均体温が36.5度なのに対し、猫は38.9度にもなる。だから猫は寒くなれば高い体温を維持するために必死に日の当たる暖かな場所を探す。
日が当たり始めると、薄暗かったコンテナのダークグリーンも、明るい緑へと様変わりするのだが、僕はこのように変化したコンテナを「緑のスクリーン」と呼んでいた。緑のスクリーンの前では、彼らはどんなポーズをとっても様になった。ある猫が緑のスクリーンバックにあられもない体の部位をグルーミングしていたとしても、あたかもスクリーンの妖精のように見えたものだ。
5匹の子猫の中でも特にヒボンとチュニャンはここで過ごす時間が絶対的に多かった。ヒボンとチュニャンは誰かが捨てた木材と合板の山をキャットタワー代わりにした。時々それを遊び道具と勘違いしたチュニャンが木の柱に鉄棒のようにぶら下がって何本も滑り落ちていた。ヒボンは木の柱と合板の上でグルーミングをすることもあったし、うとうとしていることもあった。時にはヒボンとチュニャンが木を巡って争奪戦を繰り広げたりもしていたが、だいたい勝つのはヒボンだった。
チュニャンは穏やかな性格で美しく、ヒボンは活発でかわいらしかった。2匹のうちどちらが木を手に入れようが、僕はどちらでもよかった。僕はただその前にじっと座って、勝ったほうにカメラを向け、カシャリ、とシャッターを押せばいいのだから。
ランの子猫たちは僕を近づけてはくれたが、全員の承諾を得たわけではなかった。まだカムニャンとトゥントゥン、チョンバクたちは僕にいつも一定の距離を置いていた。さらに、5匹の母猫であるランは未だに僕が子猫たちに近づくのが気に入らない様子だ。万が一僕が子猫たちに近づきすぎたりすると、ランは必ずハァーッ(猫が危険に出くわした時に相手を威嚇する鳴き声)と警告のサインを出す。
親というものは、子供がどんなに大きくなったところで、子供のことをねんね扱いをするものだ。ランもご多分に漏れず、僕がカメラをひっさげコンテナ空き地に姿を見せさえすれば、コンテナの穴からトラのような目つきで僕を監視したものだ。しかし、僕がカメラではなくエサを持って現れると、態度が180度違った。例え僕が子猫たちから2メートルの距離に近づいたとしても、ランは見て見ぬふりをしてくれた。休憩所であり配給所でもあるコンテナ空き地に陰がさすと、昼間の緑のスクリーンも幕を下ろす。スクリーンの主人公たちも急にどこかへと消えていく。ただ、暗転の中で「ニャオーン」という声だけがかすかに聞こえるばかり。
( 「サヨナラ、猫よ、ありがとう」冒頭より )