2010-03-29 00:07:25.0
テーマ:私の“韓国の美をたどる旅” カテゴリ:韓国俳優(ペ・ヨンジュン)

ハナヨ感想文②「 留まる 02 キムチ 」

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私の「韓国の美をたどる旅」^^


 


私の「韓国の美をたどる旅」^^


発酵民族の昇華

まずこの副題にちょっと笑った。韓国人=発酵民族?^^

この章の出だしは、彼が人生初のキムジャンをする日、まず彼の家に同僚が集ってくるまでの彼の行動と、その時の彼の気持ちが綴られているが、ここを読むだけで、彼がとても世話焼きで、ユーモアセンスのある人だということがわかる。

朝8時までに集るはずの同僚が、なかなか姿を現さない。きっと朝食抜きで現れるだろうからと、一時間も掛けて汗だくで食事の準備をしていたという彼。
その料理を冷めない内に食べさせてあげようと、時間を逆算し、かつ、出掛けなければいけない場所への時間のことも考え、調理をスタートさせたようだ。

心配にもなるし、約束の時間は近づくし、真心込めて作った料理も冷めていくので、電話をしないわけにはいかなかった。皆遅くまで仕事をしていたのか、起きられずにいるらしい。

ここで想ったのが、この約束をした同僚という人たち、ヨンジュニは彼らを同僚と呼んでいるが、彼らにとってヨンジュニはボスではないの?そのボスとの約束をいくら前の日に仕事が忙しかったからといえ、また休日の日であるとはいえ、旅の記録を撮るという意味ではれっきとした仕事だよね^^;

逆算してみると、約束時間にギリギリになりそうだったので、到着した一行に、あたふたとタッペクスを食べさせる。(中略)皆はそれを食べて元気が出たようだ。ところが、外に出ると冬なのに暖かいと不満をこぼしている。また寒くなるかと想うと、小言も言えない。今日は我慢しよう。

この文面が冒頭の

主催者の性格が偏屈だとキムジャンの日は寒いという言葉があるから同僚は互いに賭けをしていただろう。

にかかっているわけだが、ここを読んでほほえましく想った。彼は自分でも偏屈だと想っているんだ。そして周りの人たちもそう想っているだろうと、自覚もしている^^;それをちょっと皮肉ったような彼のユーモアセンス溢れる文章に彼の頭の回転の良さを感じた。

この1ページだけで、ひとつのエピソードを通して、彼の人となりが良く現れていて、彼を近くでは知らない私でさえ、彼ってきっと“そういう人なんだろうね”と頷ける^^

そして、彼は時間には厳しい人であることに、ちょっとホッとしたりした^^
私の中では、時間にルーズ=仕事はできない人という概念があるので、例え国は違えど、私の基準をクリアしてくれている(笑)ことに安心^^

次にここでイ・ヒョジェ先生が登場なさるが、彼女は彼に本当に色んなことを体験させて下さったんだな~と、改めて感謝したい。
しかし、ヒョジュ先生、テレビも観ない方のようだが、ヨンジュンを知っていたのかしら^^;でも彼女のデザイン服に彼と出会う前から「ヨン様」と名づけていたという話があるわけだから、知っていたんでしょうね。もしかしたら、社会現象として「ヨン様」を知っていただけで、彼の作品は観たことが無い?そうなのかもしれない。
しかしこの一年余り、彼と接することとなって、彼の作品を観たりしただろうか。でもテレビが無いんじゃ観れないよね(笑)と、どうでもいいことがすっごく気になりました^^

ま、ともあれ、彼を「とても誠実で素敵な青年」と評して下さったヒョジェ先生。要はぺ・ヨンジュンという人気俳優ではなく、ペ・ヨンジュンという人間を高く評価して下さったことを深く感謝したい気持ちです^^


到着して真っ先にしたのは“高矢禮”だった。用意した蒸餅を・・・
って、蒸餅は彼が用意したの?(どうでもいいか^^;)

ここで、私達家族に馴染み深い“高矢禮”の意味を知り、しかもその発端に、これまた馴染み深くなった「檀君」が関っている^^これだけでも最近日本の歴史より、韓国の歴史を勉強していることが多いかも、とちょっと反省し、たまには日本の歴史も勉強してみようかなと、娘が小学生の時に買ったような○時間で覚えられる日本の歴史、なんぞを買ってみようかな^^と、ちょっとばかりの向上心をも得られたりする。

伝統文化と言えば、日本にも沢山の伝統文化が存在するだろう。
しかし、私はそれらを余りよく知らない。生まれて半世紀を過ぎた今も、いったいいくつの日本の伝統文化といえるものを知っているだろうか。

私が生まれた長崎は、その昔外国からの玄関として栄え、中国やオランダ文化も根付いている。街中を歩くと、中国風の建物、シーボルトなどがもたらした洋風の建物。キリスト教徒による異国情緒溢れる教会などが点在し、所謂日本文化とちょっと違った風情がある。私はそんな長崎の街が大好きだ。

しかし、その長崎を離れて、早いもので35年になる。言ってみれば、もう東京が故郷と言える。それでも、帰省した折、おくんちという祭りでの蛇踊りに遭遇した時に鳥肌が立ったこと。幼い時から見て育ったペーロンを見て、胸が高鳴ったこと。精りょう流しの爽快感(この年に亡くなった方の魂を送る行事を爽快と表現してしまうのは失礼だが、行事となってしまった長崎市内で行われている精りょう流しはさだまさしの歌の世界とはちょっと違う)
とにかく、そういう場面に遭遇した時の高揚感といったら、表現のしようも無い。
やはり私はこの街が好きだ、と切に想うのだ。

因みに、私が育った港町に残っていた(今はわからない)精りょう流しは、正にさだまさしの歌の世界そのものだった。高校生の時、その曲をテープレコーダーに入れて流しながら、その光景を見たことを、今でも思い出す。

ちょっと横道に逸れたが、伝統文化というものは、その地に生きる人の“魂”なのかな、と想ったりする。彼がこの韓国の美をたどる旅で得られた様々な文化もきっと、彼が生きていく上で大きな財産となるのだろう。それだけでも、大変な想いをして書いて、こうして本という形にできたことを、本当におめでとうと言いたい。

文化が日常の中で玩具になる必要がある。
“知ることは好きになることには及ばない。好きになることは楽しむことには及ばない。”

論語の一説を用いて語っている彼の精神を心に留めてみた。

“ヨンジュンを知ることはヨンジュンを好きになることには及ばない。ヨンジュンを好きになることはヨンジュンを楽しむことに及ばない。”

そういう意味では、私はヨンジュンで楽しんでいるわけだから、彼の精神に則っているというわけだ。

この章では、キムチの作り方や、彼が懸命に牡蠣を盗み食いしながらキムチ作りに精を出している姿、また彼が家に帰り、その作り方を真剣に復習している過程も書かれていて、楽しそうだなと思ったが、私は今後も決してキムチ作りをすることはないだろうと、とても丁寧に書かれているレシピは流し読みをした^^;(ごめんなさい)

でもキムチの癌やインフルエンザへの効用などを聞くと、そして彼がこれほど一生懸命に作ったことを知ると、キムチが大好きで良かったな~と単純にそう想う^^(しかしながら、まだ高矢禮キムチは経験していない^^;これもごめんなさい)

それにしても、彼のキムチ作り過程の姿はとても美しくて、可愛くて・・・本当にエプロンがこんなに似合う男はいない^^(ハハ・・何でも似合うけどね)

そして彼が作ったキムチを戴けるだろうご友人達が、本当に羨ましいものだ^^
実はこれが一番の感想かも^^



           kurumi  2010.3 桜の花がそろそろ見頃のよう^^
 





 




 

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