2013/05/26 21:58
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第九話 ふたりを繋いだ糸

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第九話



キム・ジュンス・・・

この人は・・・私のあのトラウマを知っている?

まさか・・・そんなはずがあるわけないわ


ジュンスは漢江を正面にして車を止め、エンジンを切ると、
ゆっくりとシートベルトを外した。
しかし彼は正面を見据えたまま、動こうとしなかった。

シニョンも自分のシートベルトを外すと、彼と同じように黙して
その言葉を待った。

しばらくの間、ふたりは黒い川面が僅かに揺らめく様を
見つめていた。
いつまでも無言を続けるジュンスに対して、シニョンには
不思議と苛立ちはなかった。
むしろ、彼の傍らにこうして佇んでいる現実に心地良ささえ
感じている自分を見つけ、愉快でもあった。

三分経っただろうか、五分経っただろうか、シニョンは時に
目を閉じ、時にジュンスの横顔を覗き見ながら、自分もまた
彼との接点を思い出そうとした。

長い沈黙の後に、ジュンスがやっとシニョンに視線を向けた。
「・・・・・・驚きましたか?」 

「・・・・・・驚く・・準備をしています」 
ジュンスの問いかけに、シニョンは笑みを浮かべ、そう答えた。

「ははは・・」 
シニョンの言葉に、ジュンスの美しい横顔が笑みで崩れ、
まるで少年のようになった。

「ジュンスssi・・・私たちは・・・随分前に出会ってるんですよね」
シニョンはジュンスの顔を覗き込み、確認するように言った。

正直シニョンにはまだ、キム・ジュンスという男の正体は何も
わかっていない。まるで厚い白雲の中、ふたりを繋ぐ糸を
探しているかのようだった。
それでも、その糸は確かにあるような気がしていた。

「・・随分・・前・・・・ええ、随分前に」 ジュンスは静かに答えた。

「・・・私のトラウマを・・・ご存知なんですか?」

シニョンには、決して思い出したく無い事実がある。
しかし、ジュンスと繋がっているはずの糸を見つけるには、
そのことに触れないわけにはいかない気がしていた。

「・・・・・・」 ジュンスの無言は彼女の言葉を肯定していた。

その瞬間、シニョンの脳裏にひとつの光景が蘇った。
「・・・もしかして・・・いいえ、そんなはずはないわ」
シニョンは自分で言いかけて、首を横に振り、それを取り消した。

「ふっ・・・きっと・・その『もしかして』・・・」 
ジュンスは一瞬笑みを浮かべた後、その顔を神妙に変えて、
シニョンの目をまっすぐに見た。
シニョンは彼のその言葉に、目を丸くして、言葉を詰まらせた。

「・・・・・・嘘だわ」 シニョンはやっとそう言った。

「どうして嘘だと?」 ジュンスは言った。

「・・・・・・」 




『お願い・・・目を覚ましてください・・・お願い・・・お願い・・・』
シニョンはベッドに横たわるその人の傍らで手を合わせ、
何度も何度も祈り続けた。
意識がなく、ひどい傷を負った顔や体は包帯で巻かれ、
見えるのは閉じられたまぶたと乾いた唇だけだった。
幾日も閉じられたままのまぶたの先で、時に揺れる長い睫毛が、
美しい人だと想像させる。

自分の目の前で眠り続けるこの人は、もう10日もこのままだ。
シニョンは祈るように、彼の乾いた唇に濡れたガーゼを充てがい、
幾度も湿らしていた。
まるで彼に命の水を与えるかのように。

『シニョンさん、また病室を抜け出したのね』 
点滴を交換に来た看護師が、背後からシニョンに声を掛けた。

『ごめんなさい・・・』

『いいのよ、そうやって声を掛けてあげることはいいことだから。
 でもあなたも余り無理しないでね』

『ええ・・・まだこの方の身元はわからないんですか?』

『ええ、そうなの』

『きっとお身内の方も探してらっしゃるわね』 
シニョンはそう言いながら彼を見た。

『そうね・・・でも今のところはまだ何の手掛かりもないわ』

シニョンは看護師のその言葉にため息を付いた。

『ハンサムさん?今日は何の本を読んでもらうの?』
看護師はベッドに横たわる彼に、明るく話し掛けながら、
シニョンの手にあった本を見た。『あら・・韓国語?』

『ええ・・』

『この人、確かにアジア系のようだけど、韓国かどうかは・・・』

『いえ・・きっと韓国。それでなくても韓国語はわかるはずです』

『それは、どうして?』

『・・・声』

『声?』

『ええ・・あの時、彼が私に覆いかぶさって気を失う数分前に・・
 『大丈夫・・・大丈夫だから。・・・きっと助けが来るから。
  ・・・諦めるな』って・・・
 流暢な韓国語だった・・・
 きっと私がパニックになって韓国語で叫んでいたから・・・』

『そうだったの』

『私・・・この人に生きてもらわないと・・・私・・・』

『・・・シニョンさん・・・』

『私のせいで・・こんなことに』

『シニョンさん、間違えないで。・・あなたのせいじゃない。
 悪いのは過ちを犯した人間のせい。だから・・・
 だから、あなたは苦しんじゃだめ。
 あなたが彼に助けられたのは神様の思し召しなのよ・・・
 彼は確かに今、こうして苦しんでいるけど・・・
 私たちはまだ希望を捨てていないわ。彼はきっと・・大丈夫。
 きっと悲しむわ、彼・・・あなたがいつまでも嘆いていたら、
 彼のしたことが無駄になるんじゃなくて?』
いつも優しく声を掛けてくれていた看護師が、シニョンに対して
少し怒ったように、言い聞かせるように、ひと言ひと言を繋げた。

『・・・・・・』

『さあ、あと一時間だけよ。そうしたら、あなたも休まないと』
看護師は今度は柔らかい笑顔でそう言った。

『・・・ええ』


あの日の出来事が、シニョンの脳裏に鮮明に浮かんでいた。
毎日毎日嘆く自分を諭してくれた優しい看護師の笑顔までも。

「あなた・・なの?あの時の・・あなたなの?」 
シニョンはジュンスに向かって、それだけを言葉にすると、
彼を驚愕の表情で見つめたまま動くことができなかった。

ジュンスはそんなシニョンの様子に、複雑な表情を返したが、
彼もまた、彼女に告げる言葉を探していた。
彼はため息を吐きながらゆっくりと目を閉じ、言葉の代わりに
大きく頷いた。

そして、余りの驚きに固まってしまったかのようなシニョンの手を
ジュンスは自分の手で優しく覆った。

「この手に・・・導かれて・・・僕はこの世に戻ったんです」
彼は静かにそう言った。
「あなたが・・
 毎日、毎日、僕に話しかけていたと、エリーズに聞きました」

「エリーズ?」

「僕たちがいた病院の看護師です」

「・・・エリーズ」
あの看護師のことだと、シニョンは確信した。

「エリーズは僕が転院した後、しばらくして僕を訪ねてくれました」

「知ってたの?彼女はあなたの居場所を・・・
 私が何度尋ねても決して教えてくれなかったわ。
 自分たちは聞かされていないと」


ある日のことだった。
シニョンがいつものように彼の病室を訪ねると、昨夜までは
間違いなくそこに横たわっていたはずの彼が消えていた。
ベットは既に整えられ、シワ一つ無いそのベットを見た瞬間、
シニョンの胸が激しく痛んだ。
シニョンは直ぐに駆け出し、ナースステーションへと向かった。
そしてあの看護師を見つけると、血相を変えた形相で、
彼女の袖を強く掴んだ。

『どうしたの?シニョンさん・・慌てて・・具合でも悪いの?』

『あ・・あの・・彼は・・彼は・・』
シニョンはなかなか言葉を繋げなかった。

『彼?・・・・あ・・もしかして・・あのハンサムさん?』
看護師は納得したように言った。
シニョンは言葉を出さずに大きく何度も頷いた。

『彼は転院したわ』

『転院?』

『お身内が見つかったのよ。だから、ご実家の近くの病院に』

『何処に・・何処に?』

『・・それは・・・』

『教えてください、お願い』

『あ・・私たちも知らないの』

『そんな・・そんな・・・私、彼に何も・・・何も・・・』
シニョンは込み上げる涙を堪えきれずにその場に崩れ落ちた。

シニョンは自分を命懸けで助けてくれた彼に、何ひとつの恩返しも
できていないことを心から嘆いていた。
その後シニョンが何度尋ねても、看護師達は、彼の転院先も、
彼の名前すらも聞かされていないと言い続けた。



「あれは・・・嘘だったのね。あなたの名前も・・・転院先も・・・
 知らないと言われたわ」

「僕の両親がそうしたんです。
 意識が戻っても、僕があの悪夢を思い出さないように・・・
 できればその記憶が無くなればいいと、思っていたらしい」

「あぁ・・」 シニョンは納得したように答えた。
その後も悪夢に悩み続けた彼女には簡単に理解できたからだ。

「ごめんなさい・・突然こんなことを打ち明けて、混乱してるでしょ?」

シニョンは何度も大きく頷いた。
「・・・・混乱してる。何から聞いていいのか、何を話せばいいのか・・・
 でも、何よりも先に・・・あなたにお礼を言いたいわ
 あなたのお陰で私は軽い怪我だけで済んだんですもの
 それなのに、あなたに何の恩返しもできなかった・・・」

「僕が恩返しに来たのに?」 ジュンスは笑顔でそう言った。

「・・・私に?何故?」

「僕はあの後、転院すると直ぐに目覚めたんです。
 意識が戻ったんです。その時の僕の第一声が何だと?」

「・・・・・・?」

「『シニョン』・・・」 ジュンスは囁くようにその名前を口にした。

「えっ?」

「シニョン・・・それ以外、他には誰も・・何も・・覚えてなかった」
ジュンスはそう言うと、真顔でシニョンを熱く見つめた。

「・・・・・・」

「僕は長いこと・・白い雲の中に浮かんでいるようでした・・
 その時、心に聞こえてきたんです・・『シニョン』って・・・
 いつもいつも、僕の手を取って、何度も何度も話しかけていた。
 その人が『シニョン』と呼ばれていた・・
 それだけを思い出したんです」

「・・・何故?」

「僕にもわかりません。
 でも少しずつ記憶が蘇ると、事故直後のことも思い出しました。
 あなたと暗闇で過ごした数時間、震えながらも、僕を励ましてた」

「励ましてくれたのはあなただわ」

「いいえ。違います。僕はあの時・・絶命寸前でした。
 でもずっとあなたが僕を抱いて、言い続けていた。
 『諦めないで、必ず助けが来るから。諦めちゃダメ・・・
  死なないで・・お願い、お願い・・』」

「あなたが最初にそう言ってくれたのよ、『諦めるな』って」

「僕は直ぐに意識を失ってました。そのあと・・・
 暗闇の中であなたが、どんなに怖い思いをしたか・・
 泣いていたでしょう?辛かったでしょう?可哀想に・・・」
ジュンスはそう言いながら、シニョンの髪に触れた。

「・・・・・・」 
シニョンはジュンスの言葉に、瞬時にその日の思いが蘇って、
込み上げる涙を堪えきれなかった。
ジュンスはシニョンを慰めるように、彼女の髪を撫で続けた。

しばらくしてシニョンの嗚咽が収まると、ジュンスはまた話し始めた。
「僕は・・・エリーズに感謝しました。
 あなたのことを教えてくれた彼女に・・心から。
 それまでのすべての謎が繋がったんですから・・・
 記憶の奥に残る《シニョン》という名前・・・
 そしていつもここに響いていた・・・あなたのその声」
ジュンスはそう言いながら、自分の胸を掌で押さえた。

「・・・・でも、だからって・・・どうして・・韓国へ?」

「それも、話すと長くなりますよ」 
ジュンスは少しばかり茶目っ気まじりにそう言った。
「でも・・・話さなければ・・・いけませんね。
 いつ僕が・・あなたを見つけたのか・・・
 僕が・・どうしてここまで来ることができたのか・・・
 ただ、その前に・・・真っ先に言っておきたいことがあります」

「・・・・・・」

「僕が何故突然今、このことを告白する気になったのか」

「・・・・・・」

「本当はもう少し、僕という人間をあなたに知ってもらって・・
 あなたとの本当の出会いを待ちたかった・・・
 すべてはそれからのことだと・・自分に言い聞かせていました」

「・・・・・・」

「でも・・・あなたに実際に接して、考えが変わったんです」

シニョンはジュンスの話しを理解しようと、真剣に聞いていた。

「ね、シニョンssi・・人生って・・いつ、何が起こるかわからないでしょ?
 それは僕とあなたが一番よく知っている」

「・・・・・・」

「時間がもったいないと思ったんです」

「時間?」

「あなたと僕の時間です」

「私と?」

「ええ、あなたと過ごすべき時間です・・・シニョンssi・・
 僕は・・・あなたを・・・愛しています、心から」 
ジュンスは至って真面目な顔で言った。

「えっ?」
シニョンは彼の突然の告白に大きく目を見開いた。
彼のその言葉を、遥遠くで聞いているようだった。
《彼は・・いったい何を言っているの?》

愛してる?

私を?

シニョンの頭の中を、彼の言葉が何度もこだましていた。

「愛してます」 

ジュンスが再度告白した瞬間、混乱していたシニョンの頭が
やっと正気に戻った。
とたんに彼女は大きな笑い声を立てた。

「ジュンスssi、悪ふざけが過ぎるわ」

「悪ふざけ?」

「ええ、悪ふざけ。だってそうでしょ?」

「可笑しいですか?」

「私たち、出会ってまだ数日よ」

「いいえ」 違う、と言いたげにジュンスはシニョンを睨んだ。

「現実はそうだわ・・あなたは・・」《勘違いしてる》

「わかりました。今日はこれでおしまいにしましょう」
突然ジュンスがシニョンの言葉を遮って、彼女のシートベルトを
乱暴に締め、自分のそれも手速く締めながら言った。
そして彼は車をバックさせると、素早く車道に向かった。

「あの・・・」 シニョンはジュンスに話しかけようとしたが、
彼は正面を見据えたまま口を閉ざした。

乱暴に運転された車が、数分後にはシニョンの自宅前で止まった。
「降りてください」 
さっきまで少しばかり熱くなっていたジュンスが少し冷静を
取り戻したようだった。

「でも、あの・・」

「嫌なことを思い出させてしまったことは・・謝ります。
 今日の僕は確かにどうかしていたかもしれない。
 少しだけ後悔もしています。
 でも・・・これを乗り越えないと・・・あなたとの始まりがない。
 だから話したんです。
 だから。・・・後悔するのは・・止めます」
ジュンスは熱くシニョンを見つめ、そう言うと、シニョンに顔を近づけ
突然その唇に口づけた。

シニョンは余りの驚きに体が固まったように体を後ろに引いていた。
口づけられた彼の唇が、ゆっくりと彼女のそれから離れていくとき、

シニョンは・・・
薄く閉じられた彼のまぶたの先の長い睫毛を・・・
スローモーションのように見ていた。

あの時・・・
病院のベットに眠る彼の睫毛だった。

毎日毎日、祈りを込めて見つめ続けていた彼の長い睫毛だった。











※「ジュンスとシニョンが語る十数年前にアメリカで起きた事件」とは、
実際に起きた事件を背景にしています。
しかしながら余りにも悲惨な出来事でしたので、この物語の中では敢えて
その詳細には具体的な形では触れません。
でもきっと読まれる方にはその事件が何なのかは想像ができてしまうと思います。
ただ、この中では二人が出会った因果関係としてだけ捉えていただけると助かります。
理不尽にも奪われてしまった多くの命や傷を負った多くの人たち、それぞれに
それまでを培っていた人生がありました。
そして今も尚苦しんでいる人たちが人生を歩んでいるでしょう。
そのことに哀悼と励ましの気持ちを込めて、題材に取り入れました。kurumi


2013/05/26 01:54
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創作愛の群像Ⅱ 第八話 カン・ジェホの涙

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第八話



ほんの一時前まで、シニョンを囲んだジェホとジェヨンには
笑顔が溢れていた。
それなのに今この瞬間、その輝きは消えていた。

その場にいた四人はいずれも言葉を失い、それぞれの場所で
誰かの助けを待っているようだった。

冷たい静けさの中に、掛け時計の針音だけが胸に響く。
シニョンは険悪なこの場を自分が何とかしなければと思った。

「ジェホヤ、少し外に出ない?」 
そう言いながらシニョンは、ジェホの腕に触れた。

その時、パク・ソックが口を開いた。

「いつもそうだ」 ソックはそう言って、ジェホを睨んだ。
「お前はそうやって、いつも俺を馬鹿にしているんだ」 
彼は酔いが覚めてしまったように、冷静な口調でジェホに続けた。
「俺が・・このパク・ソックが、あいつに悩まされていることを・・・
 知ってるんだろ?だからだろ?だからそうやって・・俺をなじる」

「あなた・・ジェホ、お父さんに謝りなさい」 
ジェヨンはジェホに向かって言った。

「・・・・行こう、シニョンssi」 ジェホはジェヨンの頼みを無視して、
シニョンを促し、玄関に向かおうとした。

「そうさ!俺は今でもあいつに縛られてる。
 あいつの魂が『ソック!何やってるんだ!』って・・・。
 『お前は家長だろ』って・・・。
 『大事な俺の妹を・・不幸にするのか』って・・・。
 いつも・・いつも、ここで・・責めるんだ」
ソックは零れ落ちる涙をそのままに、自分の胸を叩きながら、
胸の内を吐き出すように言った。
ジェホは父のその心の叫びを背中で聞いていた。

ジェホが母ジェヨンに視線を向けると、彼女が悲しげな眼差しで
父ソックの肩に手を掛けていた。

「・・・・ごめん・・・そんなつもりじゃなかった」 
ジェホは小さく呟くように言うと、玄関に向かった。
シニョンは心配そうな眼差しで彼の背中を追うジェヨンに、
《大丈夫》と目で伝えると、ジェホの後を追った。



無言のまま歩くジェホの背中を、シニョンは見失わないよう
大股で付いて歩いた。
十分程歩いて川の辺までやってくると、ジェホはやっと立ち止まり、
石の段に腰を下ろした。

シニョンもまた立ち止まり、息切れしそうになった胸を掌で抑えた。
そしてジェホの横にゆっくりと腰を下ろした。

ふたりはしばし、少し薄暗くなった川面を黙って見つめていた。
シニョンが横を向くと、彼が静かに涙を流しているのが見えた。
彼女はその涙に思わず視線を逸してしまった。

昔、幾度も自分の胸を締め付けた「カン・ジェホ」の涙。

結局はその涙を癒すこともできなかったいくつもの後悔が、
時を超えて、シニョンの胸に押し寄せて来るようだった。

「・・・・わからないんだ・・・」 ジェホがやっと口を開いた。
「・・・何故だかわからないけど・・・無性に腹が立つんだ」 
彼が自分の袖で涙を拭った後、繋げて言った。

「・・・・・・」 シニョンは無言で彼の次の言葉を待った。

「お人好しで・・・いつも人に騙されて・・・失敗ばかり・・・
 母さんを泣かせてばかり・・・」
彼は、今度は目から涙が落ちる前に袖で強くそれを拭い取った。

シニョンはジェホの胸の内が手に取るようにわかった。
彼が本当は父親を愛していることを。
それを上手く表現できないだけでいることを。

彼女は彼の背中を慰めるように優しく撫でた。

「伯父さんが・・・ふたりの結婚を強く反対してたのは、
 シニョンssiも知ってるでしょ?」

「ええ・・・すごくね」

「いっそ、あんな男となんか結婚しなきゃ良かったんだ」
ジェホは憎らしげな口調で言った。

「そうしたら・・あなたは生まれないわ」
シニョンはわざと深刻にならないように答えた。

「いいよ、生まれなくても。母さんの悲しい顔を見るくらいなら」

「お母さんはあなたを産んで幸せなのに?」

「オヤジが悪いんだ・・・いつも母さんを泣かせてばかり」

「そう、ジェヨンを泣かせてるのは・・ソックssiだけなのね」
シニョンはジェホの顔を覗き込んで、確認するように言った。

「・・・・・・」
ジェホはシニョンの言葉を心で反芻すると、苦笑して俯いた。
そして、大きくため息を吐いて顔を上げた。

「僕も・・泣かせてる」

「・・・ジェヨンはソックを愛してる。あなたのことを愛してる。
 愛するふたりがいがみ合ったら・・・」

ジェホはシニョンの言葉を人差し指でその唇に触れて制止した。

「ごめんね・・・シニョンssi・・・
 あなたにあんなところ見せたくなかったのに・・・
 母さん、本当にシニョンssiに会えるのを楽しみにしてたのに・・・
 僕が・・・ぶち壊した・・・」

シニョンは彼の言葉に優しく笑ってその髪を撫でた。すると、
ジェホはシニョンの首に両手を回し、彼女に抱きついてきた。

「ジェホ・・・」

「少しだけ・・・」 
ジェホは消え入るような声で言うと、シニョンの肩に頭を落とした。
「少しだけでいいよ・・・こうしていて・・・」 

シニョンは黙って彼の頭を優しく抱きしめた。

「何だか・・・気持ちいいな・・・」 
シニョンの肩の上で、ジェホがポツリと呟いた。

シニョンはジェホの柔らかい髪を優しく梳きながら、愛しさに
胸が一杯になるのを感じた。




「帰るよ」 ジェホは立ち上がって言った。

「そうね、こんなに暗くなっちゃったわ」 
シニョンも立ち上がると、服に付いた土埃を手で払った。

「母さんが心配だから・・・」

「お母さん思いなのね」

「父さんのことも思ってないわけじゃないよ」 ジェホが苦笑いした。

「ふふ、わかってるわ・・・ね、ジェホ・・・」

「うん?」

「こんなこと・・私が言うことじゃないかもしれないけど・・・
 ソックssiはね・・すごく優しい人なの・・・すごく・・・
 友達思いで・・・親思いで・・・ジェヨンをすごく愛してるわ」

「・・・わかってるよ」

「あなたのお母さんは・・ジェヨンはね。
 伯父さんにソックssiとのことをどんなに反対されても・・
 必死で彼を守って・・・必死で彼を信じたわ・・・
 だから・・・カン・ジェホは・・・許したの
 大切な妹の伴侶として・・・ソックssiを許したの・・・
 だから・・・あの言葉は・・・彼の言葉じゃないわ・・・」

「・・・・・・」

「さっきの言葉は・・・カン・ジェホの言葉じゃ・・・ない」
シニョンはジェホをまっすぐに見つめて、言い切った。

《そうよ・・・カン・ジェホなら・・・》

「・・・シニョンssi」 ジェホは少し俯いて口を開いた。
「シニョンssi・・・僕が本当に伯父さんの・・・カン・ジェホの・・・
 生まれ変わりだったら、どうする?」
そう言いながらジェホはまっすぐにシニョンの目を見つめた。

「・・・・・・」 
シニョンは余りに真剣な顔のジェホを呆気にとられて見つめた。
「ジェホ?・・・」

「・・・・驚いた?」 
ジェホは《やった》と言わんばかりに満面の笑顔で言った。

「からかったのね」 
シニョンはジェホの両頬をつねりながら、憎らしげに言った。

「悪かったよ~シニョンssi~止めて」


しかし・・・あの時のパク・ジェホの姿に、彼の言葉に、一瞬でも
カン・ジェホを重ねてしまった。
そのことにシニョンは申し訳ないような気分になっていた。

もしも仮に・・・カン・ジェホが生まれ変わったとしたら・・・
彼ら親子に何を言ってあげただろう。

やはりソックを叱咤したかもしれない。

でもそれは彼への愛情が込められていたはず。

ジェホは、彼らの幸せを心から願っていたんだもの・・・

だから今でも・・・そうよね、ジェホ・・・

いつの日か
あなたの愛する人が心から笑い合える日が来るように・・・
あなたの愛しい妹が泣かない日が来るように・・・

きっと、やきもきしながら見ているはず。

だったらジェホ・・・
そろそろジェヨンを楽にしてあげたら?

あなたになら、できるでしょ?・・・カン・ジェホ・・・


シニョンはジェホと一緒に彼の家には戻らなかった。その方がきっと、
三人が本音で向き合えるだろう、そう思ったからだ。

ジェホは賢い子だ。
彼がきっと家族の要になってくれる。

カン・ジェホの甥だもの・・・
人一倍賢くて・・・人一倍努力家で・・・でも人一倍の寂しがり屋・・・

そして人一倍家族を愛した人・・・

そんなあなたの甥だもの・・・ね、ジェホ・・・





シニョンが帰宅すると家のそばに、車が停まっているのが見えた。

《あの車は・・・》

シニョンはその車を、しげしげと覗き込みながら近づいた。

運転席にキム・ジュンスが目を閉じて腕を組み、背もたれに
深く沈んでいた。

《寝てるの?》シニョンはそう思いながら、窓ガラスをノックした。
その音に、ジュンスがゆっくりと目を開けて、シニョンの方を見た。

「あ・・・」 ジュンスはシニョンを認めると、ドアを開けて外へ出た。
「イ先生・・・随分遅くまでお出掛けでしたね」
自分の腕時計を見ながら言った彼の言葉は、まるでシニョンを
責めているように聞こえた。

「・・・・あなたこそ、こんな所で何を?まさか、私を待ってらしたの?」

「あぁ・・いえ。大家さんに頼まれてお宅へ届け物を。
 あなたがお留守だと聞いて・・・」

「それで?」 シニョンはジュンスを覗き込むように聞いた。

「あー・・・それで・・」 ジュンスは答えを探しているようだった。

「待ってた。・・・私を。・・・」 
シニョンは淡々と《それが答えでしょ?》というように言った。

「いえ、だから・・・待ってたわけではなくて」

「待ってたわけではなくて?」

「あー・・・ちょっと目を閉じたら・・寝てしまって」

「・・・・・ふふ」 シニョンは急に可笑しくなって、笑ってしまった。
あの気難しいキム・ジュンスが、どうもしどろもどろなのだ。
「可笑しな人ですね・・キム先生」

「ジュンス・・です・・・シニョンssi」 
ジュンスは《降参です》とでも言うように、穏やかな表情で答えた。

《シニョンssi》 
自分の名前を口にしたキム・ジュンスに、シニョンは不思議と
親近感が沸くのを感じた。

「それで・・ジュンスssi、そろそろ教えてくれない?・・・
 いったい・・・あなたは・・・」
シニョンは穏やかに見えたジュンスに、ここぞとばかりに切り出した。

「僕は・・・」 
ジュンスは意を決したようにシニョンをまっすぐに見つめた。
「僕は・・・あなたを追って韓国に来ました」 
ジュンスははっきりとそう言った。

「えっ?」

シニョンはさっきのジェホの言葉といい、ジュンスの言葉といい
今日は狐に騙されているような日だと思った。

「少し・・話しませんか?」 ジュンスは車に視線を向けて言った。

シニョンに異論は無かった。
この二日間、妙に気になったキム・ジュンスの言動が、彼の口から
明らかにしてくれるなら、それに越したことはない、そう思った。

「ええ」 シニョンは答えると、ジュンスのエスコートで助手席に座った。

ジュンスは運転席に座ると直ぐに、助手席側のシートベルトに
手を伸ばした。
ふいにジュンスの顔が自分の顔に近づき、彼の柔らかな髪が
ふわりと彼女の唇を霞めた。
シニョンが驚いて一瞬後ろに体を引くと、それに気づいた彼が
シートベルトをかちりと止めながら、クスリと笑った。

シニョンは彼のその態度に少しムッとしてしまった。
何でもない接近に動揺したことを恥ずかしく思ってしまった。
そんな自分自身に腹を立てたからだ。


ジュンスは車を発進させると、しばらく無言で運転していた。
そして、さっきジェホといた場所より上流に位置する漢江の辺で
車は停まった。

車は停まったものの、ジュンスは正面を見据えたまま、しばらく
動かなかった。
シニョンはジュンスの横顔をちらりと見た。
傷のない方の美しい横顔に、シニョンは彼の口から語られる前に
自分が思い出すべきことは本当に無いのか、確認していた。

その時だった。
昼間、シニョンの前に突然現れた時のジュンスの様子が
脳裏に浮かんだ。

『大丈夫ですか?』

『飛行機に・・・驚いたかと』

飛行機に驚く。
私のこと?私が・・・飛行機に恐怖心を抱く。その事実を・・・
知っているということ?

私のあのトラウマを・・・

この人は知っているの?









2013/05/23 23:16
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創作愛の群像Ⅱ 第七話 妹

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第七話




夕刻、ジェホが約束通り、シニョンの部屋まで
彼女を迎えに来た。
「シニョンssi、用意はいい?」

「ええ、いいわ」
『ジェホ』ではないジェホの登場にも少し慣れたが、
まだ彼の姿を見ると胸の奥が切なく疼いた。
それでも、『彼』の姿に会える喜びの方が優って
いるようだった。

シニョンは朝ジェホと交わした約束からの数時間、
『あの家』に行く心の準備をしていた。

ジェホとの短かった時間、それでも濃密に過ごした
あの家。
ジェホの最期の朝を、悲しく迎えたあの部屋へ。

一度はジェホを忘れるために決別したあの部屋へ、
足を踏み入れる決心は、シニョンにとって簡単では
なかったからだ。

パク・ジェホに導かれながら、次第に昔馴染んだ
道へと足を踏み入れていく。
その場所へ近づくにつれ、シニョンの胸の震えが
少しずつ大きくなっていった。

「ジェヨンは家に?」 
シニョンは動揺を紛らわすように、ジェホに笑顔を
作った。

「うん、朝電話したら、この時間には戻ってるって」
ジェホはシニョンの動揺をよそに、彼女と共に
帰宅している事実をことのほか楽しんでいるようだった。

「私が行くって話したの?」

「駄目だった?」 ジェホは確認するように言った。

「ううん・・そんなことないわ。
私に会いたいって思ってくれるかなって・・」
シニョンは瞳に微かに翳りを見せて、そう言った。

「どうしてそんなこと?当たり前じゃない。
 母さんはいつもシニョンssiに会いたがってたよ」
ジェホはシニョンの不安が杞憂であることを、強く伝えた。

「そう?」


《ジェヨン》

ジェホがこよなく愛した妹、ジェヨン。
18年前、兄のジェホを亡くした時の彼女の悲しみと絶望は、
実際、シニョン以上だったかもしれない。

幼い時から兄だけを頼りに生きて来た妹。
兄の保護下で、兄の愛に包まれて育った妹。
兄ジェホは妹ジェヨンにとって、親のような存在でもあっただろう。

《それなのに私は彼女の悲しみを慮ることさえ忘れていた》

本来なら・・・
自分がジェホに代わって守っていかなければならなかった
大切な妹を置き去りにしてしまった。
シニョンは、すべてを捨てて逃げてしまったのだ。

《合わせる顔がない》と思っていた。でも《会いたかった》

シニョンはジェヨンのことを考えると、懐かしさと、申し訳なさ
とが入り混じった複雑な気持ちになり、俯き加減に歩いた。
その時、俯いたその視界に、大きな手が見えて驚いた。
「ほら・・」 
ジェホはそう言って、シニョンに向かって再度手を差し出した。

「えっ?」 

「手・・繋いであげる。安心するでしょ?」 
ジェホはにっこりと笑って言った。

「・・・・・い・・いいわよ、子供じゃないんだから」
シニョンは思わず動揺してしまった自分が恥ずかしくなった。

「変なの。昔、シニョンssiがそう言って手を繋いでくれたのに」

「・・・あー・・思い出した。
 ジェヨンに叱られて、私に泣きついて来た時ね」

「泣きついてなんか・・・」

「ふふ、そのくせに・・・
 慰めた私に向かってあなたが言ったのよ」

「子供じゃない。そう言って膨れた」 
ジェホが笑いながら後を繋げた。

「子供だったくせに」 

シニョンはさっきまで抱いていた不安な気持ちが、いつしか
失せてしまっているのを感じた。





あのアパートは昔のままだった。
シニョンはしばらくその前に立ち止まって、その建物を
ゆっくりと見渡していた。

「シニョンssi・・入ろう?」

「あ・・うん、そうね」

ジェホに促され、シニョンはやっと部屋に続く階段を上がった。

ドアを開け、部屋に入ると、シニョンは思わず立ち止まった。
《そんなはずは・・・》

十二年前、シニョンがここを去る時に、家具全てを処分して
出たはずだった。
それなのに・・・
あの時のソファーがそのままの場所に置かれていた。

よく見ると、それは少しデザインが違っているのがわかった。
周りの装飾品や小物もジェホと過ごした部屋と同じような
色使いやレイアウトだと、シニョンは思わず苦笑した。

《きっとジェヨンがそうしたのだろう》 そう思った。

シニョンは置き忘れてきた時間が、勢いよく逆戻りする錯覚に
襲われ、めまいがするようだった。
それでも、隣でジェホが腕をしっかりと掴んでくれていたので、
持ち堪えていたような気がした。
シニョンは震える体を悟られないよう、静かに息を吐いて、
平静を保った。

「母さん。ただいま」 ジェホが奥の方に向かって声を掛けた。
すると、スリッパの音が慌ただしく聞こえて来たかと思うと、
ジェヨンがシニョンの前に姿を現した。
当たり前だが、大人の女性になったジェヨンがそこにいた。

ジェヨンはシニョンから少し離れたまま立ち止まり動かなかった。
そしてしばらくの間、感極まった表情を隠すことなくシニョンを見つめた。
その瞳が大きく揺れ、大粒の涙がみるみる溢れ出ると、直ぐに
嗚咽が聞こえた。
そしてジェヨンは、溢れる涙を一度拭うと、大きく息を吸い込み、
シニョンに駆け寄るなり、彼女の首にしがみついた。

「ジェヨン・・・」
シニョンがその名前を呼ぶと、ジェヨンは言葉の代わりに
回した腕に力を込めた。
ふたりは長いこと、抱き合ったまま、ただただ泣いていた。

ジェホはそんなふたりのそばで、ふたりが落ち着くのを静かに
待っていた。



「落ち着いたかい?」 
ジェホがシニョンとジェヨンの双方の肩に片方ずつの手を置いて、
優しく言った。
シニョンもジェヨンも涙を拭い、鼻をすすりながら、笑って答えた。
「大丈夫」

「さあ、ここに掛けて」 
またもジェホがふたりを優しく誘導して、ソファーに腰掛けさせた。
ふたりの保護者然とした彼が、ソファーの背もたれの向こうで
彼女たちの肩に触れていた。

シニョンとジェヨンは互いを見つめながら、口を開く準備をした。

「ひどいわ、オンニ・・・」 ジェヨンが先にシニョンに悪態を付いた。
「本当に一度も帰って来ないんだから」

「ごめん・・ごめんなさいジェヨン」 シニョンは素直に謝った。

「いっぱい話したいことがあったのよ。
 いっぱい、相談したいこともあった。
 いっぱい・・いっぱい・・会いたかったのに・・・」
ジェヨンはそう言いながら、大きな瞳にまた涙を溜めた。

シニョンはそんなジェヨンの髪を優しく梳きながら、何度も何度も
「ごめんね」を繰り返した。

「母さん・・もう泣くなよ。シニョンssiはもう帰って来たんだよ
 もうどこにも行かないんだよ・・・だから泣くなよ
 可笑しいよ・・まるで子供みたいじゃないか」
そういうジェホの目頭が濡れているのをみつけて、シニョンは
もう片方の手で彼の頭もそっと撫でた。
ジェホは気まずい姿を見られたとばかりに、即座に立ち上がり、
台所へと向かった。
「コーヒー淹れるよ」

シニョンは彼の強がりはきっと伯父さん譲りだと苦笑した。
「ありがとう、戴くわ」



涙の再会の後は、ジェヨンが用意してくれた料理を三人で
食べながら、楽しく会話を弾ませた。
専ら、その会話の種はジェホがもたらすものだった。
彼はふたりがいつまでも涙に暮れないよう、懸命に気を遣っていた。

「だからね、母さんたら、おっちょこちょいだから・・」

「ジェホ・・それ以上ばらさないで。オンニに呆れられちゃうわ」

「そんなことないよ、だから母さんは可愛いんだ」

ジェホは母親をとても大事にしているのだと、シニョンは微笑ましく
とても親子とは思えない若くて美しいジェヨンと逞しく育った
ジェホのふたりを交互に見つめていた。

「シニョンssi・・」 

「ジェホヤ・・伯母さんに『シニョンssi』は失礼じゃない?」 
ジェヨンがジェホを嗜めるように言った。

「ストッープ、オンマ。
 それはふたりの間では解決済み。余計なこと言わないで」
ジェホはジェヨンに掌を向けてそう言った。

「でも・・」 ジェヨンはジェホからシニョンに視線を移した。

「いいのよ、ジェヨン。その方が私も若返ったように錯覚するから」

「えーそれって、何だか・・オンニだけずるいじゃない?」

「じゃあ、ジェヨンssiって呼んであげようか?」 
ジェホがジェヨンに言った。

「何をくだらないことを言ってるんだ?」 
三人の背後から冷めた声が聞こえた。

ジェヨンの夫パク・ソックが玄関から入って来ていたことに、
話が弾んでいた三人は気づかず、突然の声に驚いて振り返った。

シニョンはソックに気が付き、即座に立ち上がった。
「ソックssi・・ご無沙汰してました」

「これはこれは・・お義姉さん・・お帰りなさい。長旅でしたね。
 こちらこそ、いつもお父上やお母上にはお世話になっております」
含んだ物言いに、シニョンは違和感を覚えたが、黙って笑顔を返した。

ふと気がつくと、今まで雄弁だったジェホが無口になり、
表情も強ばっているように見えた。

「お帰りなさい、もないのか・・・息子よ」
ソックはそう言いながら、ソファーに座っていたジェホの頭を
二度小突いた。
ジェホはその瞬間、すっくと立ち上がり、小柄なソックを見下ろした。

「な、何だ?文句あるのか?」 ソックが一瞬びくついたように言った。

「あなた、酔ってるの?・・向こうに行きましょう」 
ジェヨンがシニョンの手前、その場を取り繕おうと、ソックの腕に
触れて言った。
その瞬間、ソックがジェヨンの手を大きく振り払ったせいで、
彼女はソファーに尻餅付くように倒れてしまった。

「母さんに乱暴するな!」 
今度はジェホが乱暴にソックの胸ぐらを掴んだ。

「オヤジに向かって、その態度は何だ!」 
ソックも応戦しようとしたが、力はジェホが優っているようだった。

「止めなさい。ふたりとも」 
シニョンが仲裁に入ったが、ジェホはソックを睨みつけたまま、
掴んだ胸ぐらを離そうとしなかった。
「ジェホ!」 
シニョンは無理矢理にその腕をソックから引き離した。

「いったい、どうしたの?ソックssi・・」 
シニョンはソックに少し批判的な眼差しを向けて言った。

パク・ソック
ジェホの古くからの友人であり、ジェホの妹の夫となった男。
彼はカン・ジェホが病に倒れてからというもの、懸命にジェホや
シニョンの力になってくれた心優しい義弟だった。
あの頃のシニョンにとって彼がどれほど助けになったかしれない。

しかし
目の前にいる彼は、年を取り、やつれた上に、無精ひげを生やし、
美しく成長したジェヨンとは以前にも増して、不釣り合い過ぎた。

シニョンは昨夜、伯母から彼らの事情を少し聞いていた。

パク・ソックはカン・ジェホから生前、『一家の長』として
家族を託されていた。

それは彼にとって大きな励みとなったが、一方では抱えきれない程の
プレッシャーでもあった。
懸命に仕事に取り組んでいたものの、その後、仕事に失敗、
少ない財産すら無くしてしまっていた。

パク家の生計は専ら、ジェヨンがシニョンの父とジンスク伯母が
経営する会社で得る収入で賄うこととなった。
その後、シニョンの父がソックを会社に入れることを提案したが、
パク・ソックはそれを受け入れなかった。

その頃、ジェヨンが会社でも実績を上げ、高待遇になったこともあり、
自分が新たに身内の会社に参入することは、夫としてのプライドが
許さなかったのではないか、と伯母は言っていた。

その後もやることなすこと失敗。
息子ジェホが大人になるにつれ、彼から責められる度に、
「カン・ジェホ」から責められている気がしたらしく、全てが逆効果に
なってしまっていた。

シニョンは、俯くジェヨンと、父親に非難の目を向けるジェホを見て
何よりその二人の前で粋がるしかないソックが哀れでならなかった。

「シニョンssiの前で恥ずかしくないのか、オヤジ!」

「ガキのくせに、親に説教するのか!」

「何が親だよ、親らしいことをしてきたのか!」

「何を!」

ふたりの言い争いが次第に激高していくのを、ジェヨンは震えながら
祈るように胸の前で手を合わせた。

「いいかげんにしなさい!」 シニョンはふたりに向かって叫んだ。

「あんたには関係ない!」 
ソックがシニョンの体を跳ね除け、シニョンはその場に倒れてしまった。

その瞬間、ジェホが鬼のように激怒した。

「シニョンに何をする!パク・ソック!」

「だ、大丈夫よ・・私は大丈夫」 
シニョンは咄嗟にジェホの激しい怒りを沈めようとした。
しかし、彼の怒りは収まることは無かった。

「ジェヨン!」
ジェホがシニョンを抱きかかえながら、母であるジェヨンに向かって怒鳴った。
「だから!・・だから、こんな奴と結婚するな、と言っただろ!
 だから!許さないと、言っただろ!」

ジェホが発したその言葉に、シニョンも、ソックも、ジェヨンも
余りの驚きにその場で硬直してしまった。

そして誰よりも・・・
ジェホ自身の驚きを、その眼差しが語っていた。











2013/05/14 18:22
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第六話カン・ジェホの幸せ

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第六話



シニョンはキム・ジュンスが立ち去った車の後を目で追った。
その時、彼女の脳裏にひとつの疑問が浮かんでいた。

彼の車に乗ってからここに着くまでの間、自分の住所をいつ彼に伝えたのか。

話した記憶は無かった。
なら、彼はどうしてここへ辿り着いたのか。

この辺りの路地は特に分かりにくい。
例え住所を伝えていたとしても、韓国に来たばかりの彼が、道案内無しに
容易に辿り着くとも思えなかった。

《何故?・・・それに・・あなたはいったい・・・誰なの?・・》




シニョンは、登校すると直ぐに学長室へと向かった。

彼女が学長室の扉をノックすると、中から直ぐにギルジンの声がした。
「どうぞ」

部屋に入ると、正面に設えた学長机にギルジンがいた。

既に執務中だったギルジンが視線を上げてシニョンを認めると言った。
「シニョン・・早いな」 

「ええ、初めての授業だから、緊張しちゃって・・」

「緊張?新人でもあるまい?・・・
 NYでもかなり優秀な講師だったと聞いたぞ」

「それはどうかしら」

「それより、昨日は悪かったな。
 ジョンユンが朝『自分が何かやらかさなかったか』と心配してたよ。
 悪い癖だが、酔うと記憶が無くなるんだ。許してやってくれ」

ギルジンが申し訳なさそうに、昨夜の出来事を口にした。
シニョンもジョンユンのことが気になっていたので、ジルジンの方から
そのことに触れてくれたことに安堵した。

「そんな・・許して欲しいのは私の方だわ。それで先輩、話したの?」

「いいや・・あいつはお前との再会をすごく喜んでる・・・。
 だから、そのままにしておきたい。・・・悪いが、お前も忘れてくれ」

「ええ、もちろんよ。・・・何とも思ってない・・・ううん・・私の方こそ・・
 ジョンユン先輩に申し訳なくて・・だから・・もう忘れて」

「シニョン・・申し訳ないなんて思うな。あいつが余計に辛くなる。
 こうしてお前が韓国に戻って来てくれた・・それだけであいつは救われてる。
 きっともう、悪夢を見ることも無くなるさ・・・もう・・・苦しまないさ・・・」

ギルジンはそう言いながら、苦渋な表情を見せた。
シニョンは彼のその表情を見ると、申し訳なさがまた蘇った。

それは、今まで彼らが自分のためにどれほど辛い思いをして来たのかを
思い知らされるようだったからだ。

《ふたりとも・・・沢山苦しんでいたのね・・・全部私のせいね・・・》

シニョンはふたりの友人に対して懺悔の気持ちで一杯だった。
しかし、彼女はもうそのことを口にするまいと思った。

「先輩・・・愛してるのね、ジョンユン先輩を」
そう言って、シニョンはギルジンに笑って見せた。

「無論だ」

「ふふ・・」

《これからはふたりに、うんと友達孝行するわね、先輩・・・》


「あ・・それより先輩、聞きたいことがあるの」

「ん?」

「キム・ジュンス先生のことだけど」

「ん・・」

「実は昨日あれからジンスク伯母のところに寄ったの」

「ジンスクssi?・・あ・・ああ、そうか・・・ごめん、昨日話しておこうと思っていて・・
 あの騒ぎで忘れてたよ。会ったのか?伯母さんの家で・・」

「ええ、泥棒と間違えた・・彼を」

「泥棒?・・おいおい、いくらなんでも」

「だって、まだ薄暗い朝にゴソゴソしてるから」

「ゴソゴソって?」

「水飲もうとしてた」

「水?・・・」

「ね、それより、どうして伯母の家なの?
 この学校のそばだって、小奇麗なアパートは沢山あるでしょ?」

「ああ、俺もそう言ったんだ。不便じゃないかと思ってな。
 しかし、彼の要望だったんだ。
 幼い時に住んでいた家に似た家を探してると・・・
 具体的な希望を言ってきたんだ。古い韓屋のような・・・
 そしたらジンスクssiの家が直ぐに浮かんで・・
 彼女も一人暮らしだったしな。用心棒代わりにどうですって、持ちかけた、
 というわけだ」

「ふーん・・・」

「どうした?お前がクレームつける権利はないだろ?
 伯母さんが了解したんだから」

「クレームつけてるわけじゃ・・」

「なら、文句言うな。ジンスクssiは喜んでくださってる」

「知ってる」

「なら・・・」

「ね、彼に私の家の住所教えた?」

「お前の?」

「ええ」

「いいや」

「そう・・・じゃあ、伯母さんかな」

「いったい、何があったんだ?」

「ううん、何も?・・・ただ、気になったの・・・
 ところで、彼はどうしてこの学校に?」

「ああ、それか・・・それがよくわからないんだ。
 アメリカではかなり優秀な教授だったらしくて、
 教育界でも有望視されてたみたいだしな・・・
 なのに、どうして韓国なんだ?って疑問もあった
 しかもレベル的にはもっと上の大学もあるのに・・」

「聞いてみなかったの?」

「みたさ」

「なんて?」

「生まれ故郷で生活してみたかった、と言ってたな
 この辺りに住んでいたらしい」

「彼、いくつなの?」

「んー・・・確か、40になったばかりだ」

「ふ~ん、そうすると18年前は22歳ね・・・この学校の出身とか?」

「いいや、彼はアメリカで30年は生活してる。大学はハーバードだ」

「ああ、そうか。そう言ってたわね、昨日」

「どうした?そんなに気になるのか?
 それより思い出したのか?彼とどこで会ったのか」

「思い出してたらこんなこと聞かないわ」

「そうだな」

「聞いてみたのか?」

「うん・・はぐらかされた感じ」

「会ったことがあるというのも、意外と冗談じゃないのか?」

「冗談言う人に見える?」

「ん・・・そうだ!シニョン・・これは学長としてではないぞ。
 お前の兄貴としての想像だ、聞くか?」
ギルジンは《思いついた》とばかりに、勢いよく椅子から立ち上がると、
シニョンの前で机に軽く腰掛け、言った。
「思うに。だ。奴はきっと昨日会った時、お前に一目惚れしたんだ。
 それでお前の気を引くためにひとお芝居打った、ってのはどうだ?」
ギルジンは調子よく言いながら、手を叩いて見せた。

「・・・・・・本気で言ってるの?」
シニョンはそんなギルジンを横目で睨んで見せた。

「なわけないか」

「先輩・・・本当に学長?」 シニョンは呆れたようにため息を吐いた。

「確かな」 ギルジンは腕を組んで、確かめるように上を仰ぎ見た。

「チィ・・」




学長室を後にしたシニョンは自室に戻った。
今日から始まる自分の授業のために気持ちを切り替える必要があったからだ。

今は9月。韓国の新学期である3月からは既に半年が過ぎている。
途中から学生のカリキュラムに参加することは簡単なことではない。
シニョンは、余計なことを考えるのは今はよそうと思った。

参考書を開き、カリキュラムに目を通すと、授業内容の確認に取り掛かった。

その時、上空で複数の飛行機の飛ぶ音がした。
シニョンはその瞬間、胸が締め付けられ苦しくなる発作に見舞われた。

《また・・・》

いつものことだった。
彼女は慌てることなく、自分のバックから小瓶に入った錠剤を取り出し、
それを口に含んだ。

その時だった。ドアが突然勢いよく開かれた。

「大丈夫ですか?」

キム・ジュンスだった。

「えっ?」
シニョンは驚きの眼差しで彼を見た。

「あ・・いえ・・飛行機の音が結構うるさかったでしょ?
 驚いたかと思って・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

ふたりはしばらく目を合わせたまま、制止していた。
少ししてシニョンの方から口を開いた。
「・・・飛行機の音がしたから?」

「あ・・いえ・・僕の・・部屋・・隣なもので・・・」
あのキム・ジュンスにしては、話す言葉がしどろもどろのような気がして
不思議な気がした。

「・・・それで?」

「あ・・あぁ・・はは、僕が驚いたんです。ごめんなさい
 大丈夫なら・・それでいいです」

「・・・・・・」

ジュンスは慌てふためいたように部屋を出て行った。
シニョンは首を傾げ、不思議そうな眼差しを閉まったドアに向けていた。
気がつくと、胸の苦しさが解消していることに気がついた。

《大丈夫・・って・・・私の発作のこと?まさかね・・・》




「シニョンssi!」
遠くから呼ぶ聞き覚えのある声に、シニョンは笑顔で振り返った。

ジェホだ。
やはり一瞬、タイムスリップでもした錯覚に捕らわれる。

ジェホは全速力で走って彼女に近づくと、苦しそうな息を整える間
シニョンの腕をしっかりと捕まえていた。

「おはよう、ジェホ」
シニョンは改めてパク・ジェホをしみじみと見つめた。
幼かった彼の顔と予想もしなかった彼の成長後の姿を重ね、
感慨深い思いに駆られた。

「今日から授業だよね。僕も受けるよ」

「そうなの?」

「成績、甘くしてね」 ジェホは甘えるように言った。

「ジェ・ホ・・」 シニョンは優しく窘めるように名前を呼んだ。

「冗談だよ。大丈夫。僕は優秀だよ。伯父さんに似て」

「そうなの?」

「ところで、シニョンssi」

「ジェホ・・そのシニョンssiはどうかと思うわ」

「どうして?シニョンssiのこと、昔からそう呼んでたよ、僕。
 ・・・覚えてない?」

「・・覚えてる。・・・生意気だったもの、あなた」

「そう?」 
シニョンは不思議な気分だった。まるで・・・
《私のジェホ》が若くなって戻ってきたような気がして、心をくすぐられた。

「でも、少なくとも学校では止めなさい」

「あ・・そうだね、じゃあ、学校では『先生』と呼ぶよ。
 でも、一歩ここを出たら・・・いいよね」
ジェホは高い背をシニョンに合わせて低くすると、彼女の視線に合わせ
請うように言った。

「ふふ・・しょうがないわね」

「はは・・やった。では、イ先生、教室に参りましょうか」

「ええ、パク・ジェホ君」

「ジェホ!」 ふたりが並んで歩きだした時、キム・ミンスが駆け寄って来た。
ジェホは《邪魔された》とばかりに、彼女を疎ましそうに見た。

「ジェホの伯母様・・いえ、イ先生、おはようございます」

「あ・・おはよう。あ・・キム・・ミンスssiだったわね」

「はい」 
ミンスは答えたが、どうもシニョンに対して友好的な眼差しとは取れなかった。

「あなたも・・」《私の授業に?》
「一緒に行こう?ジェホ」 
ミンスはシニョンの言葉に被せるように言って、彼の腕に自分の腕を回した。

《あら?無視された?》シニョンは心の中で苦笑した。

するとジェホが自分に回された彼女の腕を直ぐに払いのけた。
「止めろ」

ミンスはその瞬間、シニョンに視線を流し、恥を掻かされたとばかりに
顔面を強張らせたが、直ぐに笑顔に戻して言った。
「ジェホ、どうしたの?伯母さんの前で恥ずかしいの?」

ミンスはお構いなしに再度ジェホの腕を取り、離さなかった。
ジェホは、ミンスに対して悪態をつきながら教室へと向かっていた。

シニョンはそんなふたりの後ろをゆっくりと続いた。



教室に入ろうとする時、キム・ジュンスの姿が前方に見えたので
シニョンは声を掛けようと口を開いたが、彼は無言で彼女の横を通り過ぎた。

《え?・・無視された?》

先程は、自分が発作を起こした時に、彼がまるでそれを知って
駆けつけたかに見えた。
それはきっと気のせいだったかもしれない。

しかし、確認してみたかった。
なのに・・・

さっきのキム・ミンスといい、キム・ジュンスといい・・・
《キムって名前・・やな感じ》 シニョンは両肩を上に上げた。





「イ先生!」 
授業が終わって、シニョンが教室を出ると、ジェホがその後を追って来た。
シニョンは小声で彼に聞いた。「どうだった?授業」

「うーん・・・・」 ジェホは唸りながら、考える様に上を見上げた。

「な・・なによ・・」 シニョンは心配げにジェホの顔を覗いた。

授業中、シニョンの視線はどうしてもジェホに向かっていた。
ジェホは「カン・ジェホ」と同じ眼差しで真剣に授業に取り組んでいた。

「あんなもんじゃない?」 ジェホは生意気な言い方で言った。

途端にシニョンは立ち止まって黙り込んだ。

「うそうそ・・すごくわかり易かったよ、ほんと、ほんとだよ」
ジェホは振り返って、慌てたようにシニョンに視線を合わせた。

「ジェホ・・伯母さんをからかうのはよしなさい」

「・・・伯母さんて、誰?」

「パク・ジェホ」

「ごめん、ごめん・・ね、イ先生、今日は僕の家に来てくれるでしょ?
 昨日ハルモニの家に行ったって聞いたよ。
 だったら、今日はうちだよね、母さんも楽しみにしてるんだ」

「え・・ええ・・そうね」《そうね、ジェヨンに会わないと・・・》
「そうするわ」

「やった。じゃあ、下校時間に先生の部屋に寄るよ」

「ええ」

ジェホは本当に嬉しそうにシニョンに手を振って、駈け出して行った。


シニョンは、楽しげに去っていくパク・ジェホを見つめながら、
ふと、カン・ジェホと過ごした日々に思いを巡らせた。

《ジェホ・・・あなたはあの頃・・
 彼のように学生生活を楽しんでいたかしら・・・
 あんなふうに・・幸せに笑っていたかしら・・・》

シニョンはカン・ジェホが生活の為に身を粉にして働き、大学に入ったこと。
授業料を節約するために早期卒業を必死に狙ったこと。
そのあとに起きた数々の不運。
それを運命と言ってしまったら、余りに哀し過ぎる。

シニョンはその頃に思いを巡らすと、今でも胸が切り裂かれる思いだった。

《振り返らない、と誓ったのに・・・やっぱり・・・駄目ね》

シニョンは立ち止まって目を閉じると、ゆっくりと息を吸い込んだ。
遠いあの日、この空気の中にいたジェホと触れ合うかのように。

その頃・・・
ジェホが本当に幸せだったのかはわからない。

彼との思い出は、苦しみと悲しみばかりだったようにも思われる。

私は彼をほんの少しでも幸せにしたんだろうか・・・
彼は私といて、ただの一度でも幸せを感じたんだろうか・・・

思い出せなかった。

《でも・・・》

《でも・・・私がどれほど彼を愛していたかだけは・・・

 ・・・しっかりと・・・覚えている》




 


2013/05/05 18:10
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第五話苦手な相手

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第五話


「どうして?・・・」 
シニョンはまだしっかりと握った竹刀を彼に向けたまま言った。

「力を緩めてもいいですか?」 ジュンスはそう答えた。

「えっ?」

「今手の力を緩めると、この竹刀が僕を直撃しそうです」
彼は片手で掴んでいる竹刀に視線を流して言った。

「あ・・」 
シニョンは自分が振り上げた竹刀に、今気がついたとばかりにそれを下ろした。

「おちおち、水も飲めないな」 ジュンスは鼻で笑って小声で呟いた。

「どうして、あなたがここに?」 
シニョンは聞こえよがしの彼の言葉にムッとしながら再度聞いた。

「それはそっくりあなたに返したい。どうして僕の家にあなたが?」
ジュンスもまた嫌味な口調で言った。

「僕の家?」

「ええ・・正確には僕の借りている家、ですが」

シニョンは彼のその言葉に、思わずジンスクに振り返った。
「伯母さん・・・」

「シニョン・・・ギルジンに聞いてなかったの?」 ジンスクが言った。

「先輩に?・・・」

「ギルジンに頼まれて、この人に部屋を貸してるの
 今週からね・・・もう五日になるわ」

「貸してる?」

「同僚なんでしょ?あなたたち・・・
 ギルジンがとっくに話したと思ったから、知ってるものとばかり・・・
 それに昨夜は遅かったし・・ジュンスssiも休んでいたしね。
 紹介もできなかった。でも驚いたわ、シニョン。あなたがこんな早起きだとは・・・」
ジンスクはそう言いながらあくびをした。

「そう・・だったんですか・・・」

「ジュンスssiも驚かせてごめんなさい、うちの嫁なの、この子は」

「嫁?」

「ええ、私の亡くなった甥の」

「ああ、そうでしたか。失礼いたしました、イ・シニョンssi」

「あ・・いえ、こちら・・こそ・・・ごめん・・なさい」 
シニョンはしどろもどろになりながら、持っていた竹刀を後ろ手に隠した。
その時、ジュンスが昨日と同じように、俯き加減に小さく笑った。

「あの!」 シニョンは一度は謝ったものの、彼のその態度で、
胸に閊えていた疑念がまた呼び起こされ、彼を再度睨みつけた。

「何か?」 
しかし憎らしいことに、ジュンスはまったく動じない様子でシニョンを見下ろした。

「何か可笑しいですか?」 シニョンはそう言って、さっきよりも高く顎を上げた。

「いいえ、何も」

「だったら。そんな不愉快な笑い方は止めて欲しいわ。」

「不愉快な笑い方・・ですか?」

「ええ。昨日も、今も・・・あなた、私を馬鹿にしているとしか思えない」

「馬鹿に?・・それは誤解だ」

「そうかしら」

「ええ、誤解です」

「キム・ジュンスssi。
 アメリカでは確かに年齢に関係なくフランクに人に接することあるけど
 ここは韓国なの。ご存知かどうかわからないけど韓国は
 年齢や経験の先輩後輩のけじめが厳しい国柄よ
 郷にいっては郷に従え、というでしょ」
シニョンはジュンスに向かって、お説教じみたことを言い出した。

「ええ、承知しています」 ジュンスはあっさりと答えた。

「念の為に言っておきますけど、あなたより、私の方が年上よ」 

「・・・・・ええ、かなりね」 ジュンスは眉を上げて、当然だというように言った。

「か・・」 シニョンはいともひょうひょうと答えてくれたジュンスに対して、
呆れてしまい、続ける言葉を失ってしまった。

「もういいですか?」 さっきまでの噛み付かんばかりの勢いが何処かに消えて、
静かになってしまったシニョンに向かってジュンスが口を開いた。

「何が?」 シニョンはまだ戦えると言わんばかりに顎を上げ直した。

「水を飲んでも」 

「水?・・・・・・ど、どうぞ?」 

「なら・・・」

「えっ?」

「そこをどいてください」

気がつくと、シニョンが水道の蛇口の前で陣とった形で立ち塞がっていた。
シニョンはまるで振り上げた拳を引っ込めるように、体を蛇口の前から避けた。

《ふざけてる。限りなくふざけてる》
シニョンは本当に水を飲み始めたジュンスを睨みつけながら、胸の内で叫んでいた。


背後ではふたりのやり取りをよそに、ジンスクがごそごそと動き出していた。
さっきまで休んでいた布団を畳んでいたのだった。

「伯母さん、まだ早いですから、休んでください
 起こしてしまってごめんなさい」 シニョンは慌てて言った。

「もう目が覚めてしまったわ、食事の支度に掛かりましょう」 
ジンスクは幾度もあくびを堪えながら、台所へと消えた。

ジュンスとふたり残されたシニョンは、忽ち身の置き所に困ってしまった。
「伯母さん、私も・・手伝います」 

「イ・シニョンssi」 立ち去ろうとするシニョンをジュンスが呼び止めた。

「何?」 シニョンは身構えて言った。

「これ」 ジュンスはさっきまでシニョンが持っていた竹刀を差し出した。

「あ・・」 シニョンはいつの間にか手から離してしまった竹刀を彼から受け取ろうとした。

「これ・・・僕が使ってもいいですか?」

「えっ?」

「泥棒退治に・・・」

「・・・・・・」




朝食の支度が済む頃、居間ではジュンスが当然のように食卓に座って
自分の家のごとく、新聞を片手に寛いでいた。

「どうして彼も?」 
シニョンは彼に聞こえないようにジンスクに小声で聞いた。

「食事付きなの」 伯母は嬉しそうにそう言った。

「どうして?そんなの・・伯母さんが大変だわ」

「少しも大変じゃないわ。一人分作るのも二人分作るのも同じよ。
 それに誰かが食べてくれる方が張り合いがあるでしょ?
 自分の食事も手を抜かなくなる。一石二鳥というものよ。
 だから、私の方から提案したの」

「だって、何処の誰かもわからない人を」

「あなたの大学の教授でしょ?何処の誰か、わかってるじゃない」

「そうだけど」 シニョンは素直に解せないというように、口を尖らせた。

「ほら・・運びなさい」 ジンスクがシニョンに料理を盛り付けた大皿を渡した。




「いただきます」 
ジュンスは行儀よく手を合わせると、気持ちのいいほど箸を進めた。

「遠慮がないのね」 シニョンは少しばかり意地悪く言った。

「ジンスクssi・・すごく美味しいです」
ジュンスはシニョンを無視して、ジンスクに笑みを投げた。

《図太い奴》

「沢山食べなさい。何が食べたいか、遠慮なく言ってね、ジュンスssi
 こう見えても、どんな料理でも上手よ」
よく食べるジュンスを見て、ジンスクも事のほか嬉しそうだった。

「はい」 ジュンスもまた素直に気持ちよく答えた。

ジンスクはジュンスをまるで我が子を見るような眼差しで見つめていた。
シニョンは嬉しそうなジンスクを眺めながら、きっとこの五日間で
彼女はキム・ジュンスのお陰で幸せを取り戻したのかもしれない、と思った。
その幸せに自分が水を刺す権利などないのだ、と改めて感じた。

シニョンは目の前のふたりを眺めながら、小さな溜息とともに、
少しずつ心を穏やかにしていった。

そして、我が子のようだったジェホの死で失い、自分が補えなかった幸福感を、
まったくの他人のキム・ジュンスという男が、伯母に与えている事実を
認めるべきだと感じていた。




シニョンは朝食を済ませると、『登校時間の前に着替えたいから』と
伯母の家を早く出た。
少し歩いていると、見知らぬ車が彼女の横でぴたりと止まった。
キム・ジュンスだった。

「乗ってください。送ります」
ジュンスは窓を開けて、シニョンに向かって言った。

「大丈夫です。タクシーを拾います」
シニョンは再度歩きを進めながら答えた。

「こんなに早くタクシーは走っていませんよ。」
ジュンスの車はゆっくりと彼女を追って来た。
「いいから、乗って!」 
有無を言わさぬ彼の口調に、シニョンは従うしかないように思えて、
しぶしぶ車に乗り込んだ。

しかし、直ぐに後悔した。
何を話せばいいのか、いくら頭を巡らしても言葉が見つからなかったからだ。
ジュンスもまたなかなか口を開かなかった。

まだ活気のない街中を抜ける間、シニョンは無言で窓の外を眺めていた。

「気まずいですか?」 しばらくしてジュンスがやっと口を開いた。

「えっ?」

「僕といると」

「あ・・いえ・・そんなわけでは」

「・・・正直だな。顔がそう言ってます」

「えっ?」

「『この人苦手だ』って」 ジュンスは無表情に淡々とそう繋げた。

《そういうあなただって正直過ぎるわ。もう少し愛想よくしたら?》
そう心で呟きながら、シニョンは彼を軽く睨んだ。

「愛想が無くてごめんなさい。性分です」
まるでシニョンの心を読んだかのように、彼は相変わらず淡々と言った。

シニョンはジュンスのその慇懃とも取れる態度に大きくため息をついて、
昨日学校での出会いから胸にしまっておいたことを切り出した。

「ええ、苦手です。だから教えて欲しいわ」

「教える?何をです?」

「私と・・・何処で会いました?私とあなたはいったい何処で出会ったんですか?」
シニョンは『さあ、答えなさい』と言わんばかりに、ジュンスに体ごと正面を向けた。

「ああ、そのことですか・・・」

「ええ。昨日からず~っとここがモヤモヤした気分なの」
シニョンはそう言いながら自分の胸をさすった。

「なるほど」

「なるほどって・・」

その瞬間車が止まった。
シニョンはシートベルトを無視した態勢だったために、よろけてしまい
思わずジュンスの袖を掴んでしまった。

「・・・・・・」
ジュンスは自分の袖を掴んだシニョンの手に、無言のまま冷めた視線を落とした。

「あ・・ごめんなさい」 シニョンは慌ててその手を彼の袖から離した。

「・・・・・・・着きました」 彼はまたも平静に言った。

「えっ?」

「降りてください」

「えっ?」 車窓の外を見ると、既に自宅前だった。

ジュンスは車を降りて、助手席に回りこむと、ドアを開けた。
シニョンはジュンスに促されるまま車を降りたが、直ぐにはそこを動かなかった。

「答えは?」 シニョンはジュンスを見据えて言った。

「答え・・・ですか?」 ジュンスはまたも「フッ」と横を向いた。

「ええ」《さあ、言って》

するとジュンスは軽く頷くようにして、シニョンに視線を向け、言った。
「・・・・あなたはきっと思い出します。それが答えです」

そしてジュンスは車に戻り、素早く車をUターンさせると、その場を立ち去った。

「・・・・・・どういう意味?」 
シニョンは怪訝な表情で首を傾げ、立ち去った車の後を視線で追った。
彼女には訳がわからなかった。
彼の不可思議な態度に不愉快を通り越して、呆れてしまっていた。

《いけない、学校に遅れるわ》
シニョンは気を取り直して門扉へと向かった。
門扉の取っ手に手をかけた瞬間、シニョンは動きを止めた。
そして、不思議そうな表情で、今しがた立ち去った車の方を見やった。

「私・・・彼に住所・・伝えた?」






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