2013/05/26 21:58
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第九話 ふたりを繋いだ糸

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第九話



キム・ジュンス・・・

この人は・・・私のあのトラウマを知っている?

まさか・・・そんなはずがあるわけないわ


ジュンスは漢江を正面にして車を止め、エンジンを切ると、
ゆっくりとシートベルトを外した。
しかし彼は正面を見据えたまま、動こうとしなかった。

シニョンも自分のシートベルトを外すと、彼と同じように黙して
その言葉を待った。

しばらくの間、ふたりは黒い川面が僅かに揺らめく様を
見つめていた。
いつまでも無言を続けるジュンスに対して、シニョンには
不思議と苛立ちはなかった。
むしろ、彼の傍らにこうして佇んでいる現実に心地良ささえ
感じている自分を見つけ、愉快でもあった。

三分経っただろうか、五分経っただろうか、シニョンは時に
目を閉じ、時にジュンスの横顔を覗き見ながら、自分もまた
彼との接点を思い出そうとした。

長い沈黙の後に、ジュンスがやっとシニョンに視線を向けた。
「・・・・・・驚きましたか?」 

「・・・・・・驚く・・準備をしています」 
ジュンスの問いかけに、シニョンは笑みを浮かべ、そう答えた。

「ははは・・」 
シニョンの言葉に、ジュンスの美しい横顔が笑みで崩れ、
まるで少年のようになった。

「ジュンスssi・・・私たちは・・・随分前に出会ってるんですよね」
シニョンはジュンスの顔を覗き込み、確認するように言った。

正直シニョンにはまだ、キム・ジュンスという男の正体は何も
わかっていない。まるで厚い白雲の中、ふたりを繋ぐ糸を
探しているかのようだった。
それでも、その糸は確かにあるような気がしていた。

「・・随分・・前・・・・ええ、随分前に」 ジュンスは静かに答えた。

「・・・私のトラウマを・・・ご存知なんですか?」

シニョンには、決して思い出したく無い事実がある。
しかし、ジュンスと繋がっているはずの糸を見つけるには、
そのことに触れないわけにはいかない気がしていた。

「・・・・・・」 ジュンスの無言は彼女の言葉を肯定していた。

その瞬間、シニョンの脳裏にひとつの光景が蘇った。
「・・・もしかして・・・いいえ、そんなはずはないわ」
シニョンは自分で言いかけて、首を横に振り、それを取り消した。

「ふっ・・・きっと・・その『もしかして』・・・」 
ジュンスは一瞬笑みを浮かべた後、その顔を神妙に変えて、
シニョンの目をまっすぐに見た。
シニョンは彼のその言葉に、目を丸くして、言葉を詰まらせた。

「・・・・・・嘘だわ」 シニョンはやっとそう言った。

「どうして嘘だと?」 ジュンスは言った。

「・・・・・・」 




『お願い・・・目を覚ましてください・・・お願い・・・お願い・・・』
シニョンはベッドに横たわるその人の傍らで手を合わせ、
何度も何度も祈り続けた。
意識がなく、ひどい傷を負った顔や体は包帯で巻かれ、
見えるのは閉じられたまぶたと乾いた唇だけだった。
幾日も閉じられたままのまぶたの先で、時に揺れる長い睫毛が、
美しい人だと想像させる。

自分の目の前で眠り続けるこの人は、もう10日もこのままだ。
シニョンは祈るように、彼の乾いた唇に濡れたガーゼを充てがい、
幾度も湿らしていた。
まるで彼に命の水を与えるかのように。

『シニョンさん、また病室を抜け出したのね』 
点滴を交換に来た看護師が、背後からシニョンに声を掛けた。

『ごめんなさい・・・』

『いいのよ、そうやって声を掛けてあげることはいいことだから。
 でもあなたも余り無理しないでね』

『ええ・・・まだこの方の身元はわからないんですか?』

『ええ、そうなの』

『きっとお身内の方も探してらっしゃるわね』 
シニョンはそう言いながら彼を見た。

『そうね・・・でも今のところはまだ何の手掛かりもないわ』

シニョンは看護師のその言葉にため息を付いた。

『ハンサムさん?今日は何の本を読んでもらうの?』
看護師はベッドに横たわる彼に、明るく話し掛けながら、
シニョンの手にあった本を見た。『あら・・韓国語?』

『ええ・・』

『この人、確かにアジア系のようだけど、韓国かどうかは・・・』

『いえ・・きっと韓国。それでなくても韓国語はわかるはずです』

『それは、どうして?』

『・・・声』

『声?』

『ええ・・あの時、彼が私に覆いかぶさって気を失う数分前に・・
 『大丈夫・・・大丈夫だから。・・・きっと助けが来るから。
  ・・・諦めるな』って・・・
 流暢な韓国語だった・・・
 きっと私がパニックになって韓国語で叫んでいたから・・・』

『そうだったの』

『私・・・この人に生きてもらわないと・・・私・・・』

『・・・シニョンさん・・・』

『私のせいで・・こんなことに』

『シニョンさん、間違えないで。・・あなたのせいじゃない。
 悪いのは過ちを犯した人間のせい。だから・・・
 だから、あなたは苦しんじゃだめ。
 あなたが彼に助けられたのは神様の思し召しなのよ・・・
 彼は確かに今、こうして苦しんでいるけど・・・
 私たちはまだ希望を捨てていないわ。彼はきっと・・大丈夫。
 きっと悲しむわ、彼・・・あなたがいつまでも嘆いていたら、
 彼のしたことが無駄になるんじゃなくて?』
いつも優しく声を掛けてくれていた看護師が、シニョンに対して
少し怒ったように、言い聞かせるように、ひと言ひと言を繋げた。

『・・・・・・』

『さあ、あと一時間だけよ。そうしたら、あなたも休まないと』
看護師は今度は柔らかい笑顔でそう言った。

『・・・ええ』


あの日の出来事が、シニョンの脳裏に鮮明に浮かんでいた。
毎日毎日嘆く自分を諭してくれた優しい看護師の笑顔までも。

「あなた・・なの?あの時の・・あなたなの?」 
シニョンはジュンスに向かって、それだけを言葉にすると、
彼を驚愕の表情で見つめたまま動くことができなかった。

ジュンスはそんなシニョンの様子に、複雑な表情を返したが、
彼もまた、彼女に告げる言葉を探していた。
彼はため息を吐きながらゆっくりと目を閉じ、言葉の代わりに
大きく頷いた。

そして、余りの驚きに固まってしまったかのようなシニョンの手を
ジュンスは自分の手で優しく覆った。

「この手に・・・導かれて・・・僕はこの世に戻ったんです」
彼は静かにそう言った。
「あなたが・・
 毎日、毎日、僕に話しかけていたと、エリーズに聞きました」

「エリーズ?」

「僕たちがいた病院の看護師です」

「・・・エリーズ」
あの看護師のことだと、シニョンは確信した。

「エリーズは僕が転院した後、しばらくして僕を訪ねてくれました」

「知ってたの?彼女はあなたの居場所を・・・
 私が何度尋ねても決して教えてくれなかったわ。
 自分たちは聞かされていないと」


ある日のことだった。
シニョンがいつものように彼の病室を訪ねると、昨夜までは
間違いなくそこに横たわっていたはずの彼が消えていた。
ベットは既に整えられ、シワ一つ無いそのベットを見た瞬間、
シニョンの胸が激しく痛んだ。
シニョンは直ぐに駆け出し、ナースステーションへと向かった。
そしてあの看護師を見つけると、血相を変えた形相で、
彼女の袖を強く掴んだ。

『どうしたの?シニョンさん・・慌てて・・具合でも悪いの?』

『あ・・あの・・彼は・・彼は・・』
シニョンはなかなか言葉を繋げなかった。

『彼?・・・・あ・・もしかして・・あのハンサムさん?』
看護師は納得したように言った。
シニョンは言葉を出さずに大きく何度も頷いた。

『彼は転院したわ』

『転院?』

『お身内が見つかったのよ。だから、ご実家の近くの病院に』

『何処に・・何処に?』

『・・それは・・・』

『教えてください、お願い』

『あ・・私たちも知らないの』

『そんな・・そんな・・・私、彼に何も・・・何も・・・』
シニョンは込み上げる涙を堪えきれずにその場に崩れ落ちた。

シニョンは自分を命懸けで助けてくれた彼に、何ひとつの恩返しも
できていないことを心から嘆いていた。
その後シニョンが何度尋ねても、看護師達は、彼の転院先も、
彼の名前すらも聞かされていないと言い続けた。



「あれは・・・嘘だったのね。あなたの名前も・・・転院先も・・・
 知らないと言われたわ」

「僕の両親がそうしたんです。
 意識が戻っても、僕があの悪夢を思い出さないように・・・
 できればその記憶が無くなればいいと、思っていたらしい」

「あぁ・・」 シニョンは納得したように答えた。
その後も悪夢に悩み続けた彼女には簡単に理解できたからだ。

「ごめんなさい・・突然こんなことを打ち明けて、混乱してるでしょ?」

シニョンは何度も大きく頷いた。
「・・・・混乱してる。何から聞いていいのか、何を話せばいいのか・・・
 でも、何よりも先に・・・あなたにお礼を言いたいわ
 あなたのお陰で私は軽い怪我だけで済んだんですもの
 それなのに、あなたに何の恩返しもできなかった・・・」

「僕が恩返しに来たのに?」 ジュンスは笑顔でそう言った。

「・・・私に?何故?」

「僕はあの後、転院すると直ぐに目覚めたんです。
 意識が戻ったんです。その時の僕の第一声が何だと?」

「・・・・・・?」

「『シニョン』・・・」 ジュンスは囁くようにその名前を口にした。

「えっ?」

「シニョン・・・それ以外、他には誰も・・何も・・覚えてなかった」
ジュンスはそう言うと、真顔でシニョンを熱く見つめた。

「・・・・・・」

「僕は長いこと・・白い雲の中に浮かんでいるようでした・・
 その時、心に聞こえてきたんです・・『シニョン』って・・・
 いつもいつも、僕の手を取って、何度も何度も話しかけていた。
 その人が『シニョン』と呼ばれていた・・
 それだけを思い出したんです」

「・・・何故?」

「僕にもわかりません。
 でも少しずつ記憶が蘇ると、事故直後のことも思い出しました。
 あなたと暗闇で過ごした数時間、震えながらも、僕を励ましてた」

「励ましてくれたのはあなただわ」

「いいえ。違います。僕はあの時・・絶命寸前でした。
 でもずっとあなたが僕を抱いて、言い続けていた。
 『諦めないで、必ず助けが来るから。諦めちゃダメ・・・
  死なないで・・お願い、お願い・・』」

「あなたが最初にそう言ってくれたのよ、『諦めるな』って」

「僕は直ぐに意識を失ってました。そのあと・・・
 暗闇の中であなたが、どんなに怖い思いをしたか・・
 泣いていたでしょう?辛かったでしょう?可哀想に・・・」
ジュンスはそう言いながら、シニョンの髪に触れた。

「・・・・・・」 
シニョンはジュンスの言葉に、瞬時にその日の思いが蘇って、
込み上げる涙を堪えきれなかった。
ジュンスはシニョンを慰めるように、彼女の髪を撫で続けた。

しばらくしてシニョンの嗚咽が収まると、ジュンスはまた話し始めた。
「僕は・・・エリーズに感謝しました。
 あなたのことを教えてくれた彼女に・・心から。
 それまでのすべての謎が繋がったんですから・・・
 記憶の奥に残る《シニョン》という名前・・・
 そしていつもここに響いていた・・・あなたのその声」
ジュンスはそう言いながら、自分の胸を掌で押さえた。

「・・・・でも、だからって・・・どうして・・韓国へ?」

「それも、話すと長くなりますよ」 
ジュンスは少しばかり茶目っ気まじりにそう言った。
「でも・・・話さなければ・・・いけませんね。
 いつ僕が・・あなたを見つけたのか・・・
 僕が・・どうしてここまで来ることができたのか・・・
 ただ、その前に・・・真っ先に言っておきたいことがあります」

「・・・・・・」

「僕が何故突然今、このことを告白する気になったのか」

「・・・・・・」

「本当はもう少し、僕という人間をあなたに知ってもらって・・
 あなたとの本当の出会いを待ちたかった・・・
 すべてはそれからのことだと・・自分に言い聞かせていました」

「・・・・・・」

「でも・・・あなたに実際に接して、考えが変わったんです」

シニョンはジュンスの話しを理解しようと、真剣に聞いていた。

「ね、シニョンssi・・人生って・・いつ、何が起こるかわからないでしょ?
 それは僕とあなたが一番よく知っている」

「・・・・・・」

「時間がもったいないと思ったんです」

「時間?」

「あなたと僕の時間です」

「私と?」

「ええ、あなたと過ごすべき時間です・・・シニョンssi・・
 僕は・・・あなたを・・・愛しています、心から」 
ジュンスは至って真面目な顔で言った。

「えっ?」
シニョンは彼の突然の告白に大きく目を見開いた。
彼のその言葉を、遥遠くで聞いているようだった。
《彼は・・いったい何を言っているの?》

愛してる?

私を?

シニョンの頭の中を、彼の言葉が何度もこだましていた。

「愛してます」 

ジュンスが再度告白した瞬間、混乱していたシニョンの頭が
やっと正気に戻った。
とたんに彼女は大きな笑い声を立てた。

「ジュンスssi、悪ふざけが過ぎるわ」

「悪ふざけ?」

「ええ、悪ふざけ。だってそうでしょ?」

「可笑しいですか?」

「私たち、出会ってまだ数日よ」

「いいえ」 違う、と言いたげにジュンスはシニョンを睨んだ。

「現実はそうだわ・・あなたは・・」《勘違いしてる》

「わかりました。今日はこれでおしまいにしましょう」
突然ジュンスがシニョンの言葉を遮って、彼女のシートベルトを
乱暴に締め、自分のそれも手速く締めながら言った。
そして彼は車をバックさせると、素早く車道に向かった。

「あの・・・」 シニョンはジュンスに話しかけようとしたが、
彼は正面を見据えたまま口を閉ざした。

乱暴に運転された車が、数分後にはシニョンの自宅前で止まった。
「降りてください」 
さっきまで少しばかり熱くなっていたジュンスが少し冷静を
取り戻したようだった。

「でも、あの・・」

「嫌なことを思い出させてしまったことは・・謝ります。
 今日の僕は確かにどうかしていたかもしれない。
 少しだけ後悔もしています。
 でも・・・これを乗り越えないと・・・あなたとの始まりがない。
 だから話したんです。
 だから。・・・後悔するのは・・止めます」
ジュンスは熱くシニョンを見つめ、そう言うと、シニョンに顔を近づけ
突然その唇に口づけた。

シニョンは余りの驚きに体が固まったように体を後ろに引いていた。
口づけられた彼の唇が、ゆっくりと彼女のそれから離れていくとき、

シニョンは・・・
薄く閉じられた彼のまぶたの先の長い睫毛を・・・
スローモーションのように見ていた。

あの時・・・
病院のベットに眠る彼の睫毛だった。

毎日毎日、祈りを込めて見つめ続けていた彼の長い睫毛だった。











※「ジュンスとシニョンが語る十数年前にアメリカで起きた事件」とは、
実際に起きた事件を背景にしています。
しかしながら余りにも悲惨な出来事でしたので、この物語の中では敢えて
その詳細には具体的な形では触れません。
でもきっと読まれる方にはその事件が何なのかは想像ができてしまうと思います。
ただ、この中では二人が出会った因果関係としてだけ捉えていただけると助かります。
理不尽にも奪われてしまった多くの命や傷を負った多くの人たち、それぞれに
それまでを培っていた人生がありました。
そして今も尚苦しんでいる人たちが人生を歩んでいるでしょう。
そのことに哀悼と励ましの気持ちを込めて、題材に取り入れました。kurumi


2013/05/26 01:54
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創作愛の群像Ⅱ 第八話 カン・ジェホの涙

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第八話



ほんの一時前まで、シニョンを囲んだジェホとジェヨンには
笑顔が溢れていた。
それなのに今この瞬間、その輝きは消えていた。

その場にいた四人はいずれも言葉を失い、それぞれの場所で
誰かの助けを待っているようだった。

冷たい静けさの中に、掛け時計の針音だけが胸に響く。
シニョンは険悪なこの場を自分が何とかしなければと思った。

「ジェホヤ、少し外に出ない?」 
そう言いながらシニョンは、ジェホの腕に触れた。

その時、パク・ソックが口を開いた。

「いつもそうだ」 ソックはそう言って、ジェホを睨んだ。
「お前はそうやって、いつも俺を馬鹿にしているんだ」 
彼は酔いが覚めてしまったように、冷静な口調でジェホに続けた。
「俺が・・このパク・ソックが、あいつに悩まされていることを・・・
 知ってるんだろ?だからだろ?だからそうやって・・俺をなじる」

「あなた・・ジェホ、お父さんに謝りなさい」 
ジェヨンはジェホに向かって言った。

「・・・・行こう、シニョンssi」 ジェホはジェヨンの頼みを無視して、
シニョンを促し、玄関に向かおうとした。

「そうさ!俺は今でもあいつに縛られてる。
 あいつの魂が『ソック!何やってるんだ!』って・・・。
 『お前は家長だろ』って・・・。
 『大事な俺の妹を・・不幸にするのか』って・・・。
 いつも・・いつも、ここで・・責めるんだ」
ソックは零れ落ちる涙をそのままに、自分の胸を叩きながら、
胸の内を吐き出すように言った。
ジェホは父のその心の叫びを背中で聞いていた。

ジェホが母ジェヨンに視線を向けると、彼女が悲しげな眼差しで
父ソックの肩に手を掛けていた。

「・・・・ごめん・・・そんなつもりじゃなかった」 
ジェホは小さく呟くように言うと、玄関に向かった。
シニョンは心配そうな眼差しで彼の背中を追うジェヨンに、
《大丈夫》と目で伝えると、ジェホの後を追った。



無言のまま歩くジェホの背中を、シニョンは見失わないよう
大股で付いて歩いた。
十分程歩いて川の辺までやってくると、ジェホはやっと立ち止まり、
石の段に腰を下ろした。

シニョンもまた立ち止まり、息切れしそうになった胸を掌で抑えた。
そしてジェホの横にゆっくりと腰を下ろした。

ふたりはしばし、少し薄暗くなった川面を黙って見つめていた。
シニョンが横を向くと、彼が静かに涙を流しているのが見えた。
彼女はその涙に思わず視線を逸してしまった。

昔、幾度も自分の胸を締め付けた「カン・ジェホ」の涙。

結局はその涙を癒すこともできなかったいくつもの後悔が、
時を超えて、シニョンの胸に押し寄せて来るようだった。

「・・・・わからないんだ・・・」 ジェホがやっと口を開いた。
「・・・何故だかわからないけど・・・無性に腹が立つんだ」 
彼が自分の袖で涙を拭った後、繋げて言った。

「・・・・・・」 シニョンは無言で彼の次の言葉を待った。

「お人好しで・・・いつも人に騙されて・・・失敗ばかり・・・
 母さんを泣かせてばかり・・・」
彼は、今度は目から涙が落ちる前に袖で強くそれを拭い取った。

シニョンはジェホの胸の内が手に取るようにわかった。
彼が本当は父親を愛していることを。
それを上手く表現できないだけでいることを。

彼女は彼の背中を慰めるように優しく撫でた。

「伯父さんが・・・ふたりの結婚を強く反対してたのは、
 シニョンssiも知ってるでしょ?」

「ええ・・・すごくね」

「いっそ、あんな男となんか結婚しなきゃ良かったんだ」
ジェホは憎らしげな口調で言った。

「そうしたら・・あなたは生まれないわ」
シニョンはわざと深刻にならないように答えた。

「いいよ、生まれなくても。母さんの悲しい顔を見るくらいなら」

「お母さんはあなたを産んで幸せなのに?」

「オヤジが悪いんだ・・・いつも母さんを泣かせてばかり」

「そう、ジェヨンを泣かせてるのは・・ソックssiだけなのね」
シニョンはジェホの顔を覗き込んで、確認するように言った。

「・・・・・・」
ジェホはシニョンの言葉を心で反芻すると、苦笑して俯いた。
そして、大きくため息を吐いて顔を上げた。

「僕も・・泣かせてる」

「・・・ジェヨンはソックを愛してる。あなたのことを愛してる。
 愛するふたりがいがみ合ったら・・・」

ジェホはシニョンの言葉を人差し指でその唇に触れて制止した。

「ごめんね・・・シニョンssi・・・
 あなたにあんなところ見せたくなかったのに・・・
 母さん、本当にシニョンssiに会えるのを楽しみにしてたのに・・・
 僕が・・・ぶち壊した・・・」

シニョンは彼の言葉に優しく笑ってその髪を撫でた。すると、
ジェホはシニョンの首に両手を回し、彼女に抱きついてきた。

「ジェホ・・・」

「少しだけ・・・」 
ジェホは消え入るような声で言うと、シニョンの肩に頭を落とした。
「少しだけでいいよ・・・こうしていて・・・」 

シニョンは黙って彼の頭を優しく抱きしめた。

「何だか・・・気持ちいいな・・・」 
シニョンの肩の上で、ジェホがポツリと呟いた。

シニョンはジェホの柔らかい髪を優しく梳きながら、愛しさに
胸が一杯になるのを感じた。




「帰るよ」 ジェホは立ち上がって言った。

「そうね、こんなに暗くなっちゃったわ」 
シニョンも立ち上がると、服に付いた土埃を手で払った。

「母さんが心配だから・・・」

「お母さん思いなのね」

「父さんのことも思ってないわけじゃないよ」 ジェホが苦笑いした。

「ふふ、わかってるわ・・・ね、ジェホ・・・」

「うん?」

「こんなこと・・私が言うことじゃないかもしれないけど・・・
 ソックssiはね・・すごく優しい人なの・・・すごく・・・
 友達思いで・・・親思いで・・・ジェヨンをすごく愛してるわ」

「・・・わかってるよ」

「あなたのお母さんは・・ジェヨンはね。
 伯父さんにソックssiとのことをどんなに反対されても・・
 必死で彼を守って・・・必死で彼を信じたわ・・・
 だから・・・カン・ジェホは・・・許したの
 大切な妹の伴侶として・・・ソックssiを許したの・・・
 だから・・・あの言葉は・・・彼の言葉じゃないわ・・・」

「・・・・・・」

「さっきの言葉は・・・カン・ジェホの言葉じゃ・・・ない」
シニョンはジェホをまっすぐに見つめて、言い切った。

《そうよ・・・カン・ジェホなら・・・》

「・・・シニョンssi」 ジェホは少し俯いて口を開いた。
「シニョンssi・・・僕が本当に伯父さんの・・・カン・ジェホの・・・
 生まれ変わりだったら、どうする?」
そう言いながらジェホはまっすぐにシニョンの目を見つめた。

「・・・・・・」 
シニョンは余りに真剣な顔のジェホを呆気にとられて見つめた。
「ジェホ?・・・」

「・・・・驚いた?」 
ジェホは《やった》と言わんばかりに満面の笑顔で言った。

「からかったのね」 
シニョンはジェホの両頬をつねりながら、憎らしげに言った。

「悪かったよ~シニョンssi~止めて」


しかし・・・あの時のパク・ジェホの姿に、彼の言葉に、一瞬でも
カン・ジェホを重ねてしまった。
そのことにシニョンは申し訳ないような気分になっていた。

もしも仮に・・・カン・ジェホが生まれ変わったとしたら・・・
彼ら親子に何を言ってあげただろう。

やはりソックを叱咤したかもしれない。

でもそれは彼への愛情が込められていたはず。

ジェホは、彼らの幸せを心から願っていたんだもの・・・

だから今でも・・・そうよね、ジェホ・・・

いつの日か
あなたの愛する人が心から笑い合える日が来るように・・・
あなたの愛しい妹が泣かない日が来るように・・・

きっと、やきもきしながら見ているはず。

だったらジェホ・・・
そろそろジェヨンを楽にしてあげたら?

あなたになら、できるでしょ?・・・カン・ジェホ・・・


シニョンはジェホと一緒に彼の家には戻らなかった。その方がきっと、
三人が本音で向き合えるだろう、そう思ったからだ。

ジェホは賢い子だ。
彼がきっと家族の要になってくれる。

カン・ジェホの甥だもの・・・
人一倍賢くて・・・人一倍努力家で・・・でも人一倍の寂しがり屋・・・

そして人一倍家族を愛した人・・・

そんなあなたの甥だもの・・・ね、ジェホ・・・





シニョンが帰宅すると家のそばに、車が停まっているのが見えた。

《あの車は・・・》

シニョンはその車を、しげしげと覗き込みながら近づいた。

運転席にキム・ジュンスが目を閉じて腕を組み、背もたれに
深く沈んでいた。

《寝てるの?》シニョンはそう思いながら、窓ガラスをノックした。
その音に、ジュンスがゆっくりと目を開けて、シニョンの方を見た。

「あ・・・」 ジュンスはシニョンを認めると、ドアを開けて外へ出た。
「イ先生・・・随分遅くまでお出掛けでしたね」
自分の腕時計を見ながら言った彼の言葉は、まるでシニョンを
責めているように聞こえた。

「・・・・あなたこそ、こんな所で何を?まさか、私を待ってらしたの?」

「あぁ・・いえ。大家さんに頼まれてお宅へ届け物を。
 あなたがお留守だと聞いて・・・」

「それで?」 シニョンはジュンスを覗き込むように聞いた。

「あー・・・それで・・」 ジュンスは答えを探しているようだった。

「待ってた。・・・私を。・・・」 
シニョンは淡々と《それが答えでしょ?》というように言った。

「いえ、だから・・・待ってたわけではなくて」

「待ってたわけではなくて?」

「あー・・・ちょっと目を閉じたら・・寝てしまって」

「・・・・・ふふ」 シニョンは急に可笑しくなって、笑ってしまった。
あの気難しいキム・ジュンスが、どうもしどろもどろなのだ。
「可笑しな人ですね・・キム先生」

「ジュンス・・です・・・シニョンssi」 
ジュンスは《降参です》とでも言うように、穏やかな表情で答えた。

《シニョンssi》 
自分の名前を口にしたキム・ジュンスに、シニョンは不思議と
親近感が沸くのを感じた。

「それで・・ジュンスssi、そろそろ教えてくれない?・・・
 いったい・・・あなたは・・・」
シニョンは穏やかに見えたジュンスに、ここぞとばかりに切り出した。

「僕は・・・」 
ジュンスは意を決したようにシニョンをまっすぐに見つめた。
「僕は・・・あなたを追って韓国に来ました」 
ジュンスははっきりとそう言った。

「えっ?」

シニョンはさっきのジェホの言葉といい、ジュンスの言葉といい
今日は狐に騙されているような日だと思った。

「少し・・話しませんか?」 ジュンスは車に視線を向けて言った。

シニョンに異論は無かった。
この二日間、妙に気になったキム・ジュンスの言動が、彼の口から
明らかにしてくれるなら、それに越したことはない、そう思った。

「ええ」 シニョンは答えると、ジュンスのエスコートで助手席に座った。

ジュンスは運転席に座ると直ぐに、助手席側のシートベルトに
手を伸ばした。
ふいにジュンスの顔が自分の顔に近づき、彼の柔らかな髪が
ふわりと彼女の唇を霞めた。
シニョンが驚いて一瞬後ろに体を引くと、それに気づいた彼が
シートベルトをかちりと止めながら、クスリと笑った。

シニョンは彼のその態度に少しムッとしてしまった。
何でもない接近に動揺したことを恥ずかしく思ってしまった。
そんな自分自身に腹を立てたからだ。


ジュンスは車を発進させると、しばらく無言で運転していた。
そして、さっきジェホといた場所より上流に位置する漢江の辺で
車は停まった。

車は停まったものの、ジュンスは正面を見据えたまま、しばらく
動かなかった。
シニョンはジュンスの横顔をちらりと見た。
傷のない方の美しい横顔に、シニョンは彼の口から語られる前に
自分が思い出すべきことは本当に無いのか、確認していた。

その時だった。
昼間、シニョンの前に突然現れた時のジュンスの様子が
脳裏に浮かんだ。

『大丈夫ですか?』

『飛行機に・・・驚いたかと』

飛行機に驚く。
私のこと?私が・・・飛行機に恐怖心を抱く。その事実を・・・
知っているということ?

私のあのトラウマを・・・

この人は知っているの?









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