ラビリンス-21.悲しい告白
ルカの告白は続いた。
「・・・数ヶ月前のことでした。エマが妹の誕生日に来てくれて・・
いつものように一緒に過ごしていたんです。
僕達が嬉しくて上機嫌だったのは言うまでもなかったけど・・
この日エマもいつもと違って妙にハイテンションで・・
ちょっと不思議に思ってたんです。
僕達とふざけあってたかと思うと・・・
突然、彼女が急に黙りこくって・・・
顔を覗くと、彼女の目が潤んでて・・・
僕は驚いて・・“どうしたのか”って聞いたんです。
僕・・・そんなエマを見たことがなくて・・・
とても心配になって・・・
肩をそっと抱いて、頭を撫でてあげて・・・
そしたら急に・・
彼女が声を上げて泣き出して・・・
どうしたらいいか・・わからなくなりました
そんな風に泣くなんて・・無かったですから・・。
そうしたら・・しばらくしてエマが呟いたんです。
“フランクが・・韓国へ行ったわ”って・・
・・その言葉の意味が僕にはわかりませんでした。
でもただ泣くだけの彼女に・・何も聞けなかった。
・・彼女もそれ以上何も言いませんでした。」
「・・・・・・」
「でも一週間ほど前・・トマゾが僕のところへやって来て・・」
「トマゾ?」
「ええ。彼はエマを僕達のところに連れて来てくれた人です。
彼がこう言いました。
フランクはエマを裏切って結婚してしまったと。
エマのために、フランクの前からその女を引き離すんだと。
ごめんなさい・・あなたのことです。」
ルカはジニョンにすまなさそうに言った。
「ええ・・続けて?」
「エマのためになるなら、僕は何でもすると言いました。」
「それで私のところへ?」
「はい。フランクとMs.グレイスはミラノへ行っていて、
事務所にはいないと聞いていました。
でも直ぐにあなたに会えるなんて思わなかった。
ジョアンさんといるあなたが、フランクの奥さんだなんて・・
想像できなくて・・・フランクの相手ならその・・もっと・・」
「・・・・言いにくそうね・・・フランクの相手なら、もっと?・・・
とにかく・・私がフランクの妻には見えなかった
そうでしょ?」 ジニョンは笑いながら、ルカの言葉を代弁した。
「・・・・・ごめんなさい・・・でもそれは最初だけです。
その内に・・・“ああ、この人がそうだ”と思えましたから。」
ルカは慌てて打ち消すようにそう言った。
「そう?」
「ええ・・前にも言ったでしょ?あなたがいつも・・
“フランクを愛してる”って顔してるって・・あれ、本当です」
「ふふ、それは・・何だか少し・・悔しい気分。」
ジニョンはわざと口を尖らせて見せた。
「ははは、仕方ないです、本当ですから・・・それに・・・」
「ん?」
「それに・・・とても温かかった」
ルカは静かな口調でそう言いながら、ジニョンを優しく見つめた。
「温かい?」
「ええ、あなたを見ていると幸せな顔をしたフランクが見えたんです」
「そうなの?」 ジニョンも優しい眼差しでルカを見つめた。
「約束では・・・直ぐにあなたを連れ出して、
ミラノでトマゾに引き渡す予定でした。でも・・・」
「でも?」
「・・・・できなかった。」
「何故?」
「わかりません・・ただ・・あなたを見ていると・・・
トマゾに渡すべきじゃない、そう思ったんです・・・だから・・
ミラノのホテルを抜け出したんです。あなたを連れて・・・」
「じゃあ、私を助けるために?」
ルカは首を縦に振った。
「そのトマゾという人は・・・
その人は私をどういう風にしようとしてると思ったの?」
「・・・・エマのためとしか・・わかりません。ただ・・」
「ただ?」
「この二日でわかったことがあります。」
「わかったことって?」
「調べたんです。」
ミラノに来て、時折ルカがひとりで出掛けていたことが
ジニョンの脳裏を過ぎった。
「調べた?・・何を?」
「知らなかったんです。今まで誰も・・教えてくれなかった・・・」
「・・・・・・?」
「ジュリアーノが僕の両親の仇だということ」
「・・・仇?」
「さっき、5年前に僕の両親が亡くなったこと話ましたよね」
「ええ」
「両親は・・泊まっていたホテルの火災で亡くなったんです」
「・・・・・・」
「僕が11で・・妹は6歳でした。」
「・・・・・・」
「僕らは、何が起こったのか理解できなかった。」
ルカはゆっくりと丁寧にジニョンに自分の辛い過去を語り始めた。
ジニョンはまだ決して大人とは言い難い彼の口から語られる
悲しい出来事を、身を切られるような思いで聞いていた。
「僕たちは両親が死んでしまったことさえ、しばらくの間
教えてもらえませんでした。
その事実を知ったのは事件から二週間程経った頃です。
結局僕たちは両親の死に顔すら見れなかったんです。
・・・子供心に、理不尽だと思いました。
悔しくて・・悲しくて・・
周りの大人たちに食って掛かって、困らせたんです。
その頃は何もわかってなかったから・・・
でも・・やっとわかりました・・・
あの時僕たち兄妹が逃げるように
ミラノを離れなければならなかった理由」
「理由?」
「ええ、あの火災で僕達兄妹も死んだことになっていたから。
その事実を知ったのも二日前です。このミラノに来てから。」
「そうなの?」
「僕たちはずっとヴェネチアを出ることを許されませんでした。
大人になるまでは出てはいけない、と。
つい最近までそのことに疑問も抱かなかったんです。
生活に不自由はなかったし・・学校へも通わせてもらって・・
親がいないことも忘れさせてくれるほど、
みんなに親切にしてもらってた・・
僕がお金のことが心配で大学を諦めようとしていたら
シュベールさんが・・
あ、彼は僕たちを世話してくれたカーディナルです
父が残していた資産があるからと、言いました
それで大学進学も、医者になる望みも叶うと。
半年後にはアメリカへ留学をして、望みを叶えなさい、
彼にそう言われました。
その代わり、それまでは決してここを出てはならないと。」
「そう・・」
「でもヴェネチアを離れてはならない理由が他にもあったんです。」
「・・・・・・」
「僕らが生きていることをジュリアーノに知られないため。
すべてはジュリアーノの追っ手から僕らを守るためだったんだと・・・」
「追っ手?・・・」
「5年前、フランクと父は、その男のことを・・・
ジュリアーノ・ビアンコという男のことを探っていました。
父はジュリアーノを失脚させるための、証人だったそうです。
父の存在はジュリアーノにとって脅威だったと。
だからそのために・・・」
「そのために?」
「殺されたんです・・父も・・母も・・」
「そんな・・」
「間違いありません。」
「フランクは今、そのジュリアーノという人の仕事をしているわ」
「ええ。そして・・・もうひとつわかったことがあります。」
「もうひとつ?」
「トマゾとエマが、ジュリアーノの部下だということ。
あなたを連れて行く先が、そのジュリアーノのところだということ。」
「・・・・・・」
「僕は・・・何もかも知らなかった。」
そう言ってルカは両手の拳を握った。
「さっき部屋にいた時、電話があったのはトマゾでした・・
彼はフランクのホテルの場所を知っていました。」
「だから逃げたの?」
「ええ。」 ルカは辛そうに考え込んでいた。
「・・・これから・・どうするつもり?」
「・・・・どうしていいか・・わからないんです
僕はエマがとても大事です
エマのためなら・・どんなことでもできる・・・
そう思っていました・・いえ、そう思っています」
「・・・・・・」
ジニョンは苦しそうなルカの心情を察し、口元だけで笑顔を作った。
「・・・・・・ねぇ、ルカ・・・」
「ジニョンssi・・あそこに見えるエンジェル・・・」
「えっ?」
ジニョンが口を開くと、ルカが突然橋の欄干を指差した。
「あれは・・・あなた・・」
「えっ?」
ジニョンはルカが指差す方角を見上げようとした。
しかしその先を確認する間もなく、突然ルカが表情を強張らせ、
「シィ・・」とジニョンに向かって指を立た。
そして乱暴に彼女の腕を引くと、そのまま自分の腕に彼女を抱き、
橋の下に隠れるように身を潜めた。
「どうしたの?ル・・」
その瞬間、ルカは彼女の口を自分の掌で塞いだ。
「うっ・・」 ジニョンは思わず彼の腕中で身を捩って抵抗した。
「いたか!」
「いいや、城にはいなかった!」
その時、頭上から複数の男の声が聞こえた。
そのせいでルカが声を潜めていることに気づいたジニョンは
ルカに“承知した”と目で合図した。
ルカは頷き、ゆっくりとジニョンの口から掌を外した。
「まだこの辺りにいるはずだ!探せ!」
「はい!」
男達は少なくとも4~5人いるような様子だった。
「ルカ」
ジニョンはルカの視線を川面に誘導した。
「逃がしたのか」
橋の上で待っていた男が、駆け寄って来た男達に向かって
苛立ちを見せた。
「はい。我々が川辺に下りた時は一足違いに、ボートで。」
「追わなかったのか?」
「はい・・いえ・・・その・・すごいスピードでして・・」
「!・・・相手はたかが女と子供だぞ。」
「申し訳ありません。」
男は目の前で小さくなる輩から視線を外すとため息を吐いた。
「ありがとうございました」
ジニョンはボートを降りながら、その主に向かって礼を言った。
あの時偶然、川岸に碇泊しようとしていたボートが視界に入り
ジニョンはとっさにルカをそれに誘導した。
そして、物々しい輩に追われているらしいふたりを察した船主は
迷うことなく一度泊めたボートのKEYを回したのだった。
「いや・・気をつけなされ」
「ジニョンssi・・・ここからフランクに連絡してください」
ボートから降りると直ぐにルカが真剣な顔で言った。
「・・・・・・」
「あなたを迎えに来るように。」
「あなたは?」
「僕は・・・トマゾに会います」
「だめよ・・ひとりじゃ駄目。」
「これ以上あなたを危険に晒すわけにはいきません。
でも僕はトマゾの本心を知りたい。
エマの本心を知りたい。」
「・・・・私も・・・知りたいわ。」
「いいえ、あなたはフランクのそばにいなきゃ駄目だ。」
「あなたが。・・・
私をフランクの元に連れて行ってくれるでしょ?」
「・・・ジニョンssi・・・」
「そうでしょ?」
ルカはジニョンの真剣な眼差しに降参したように手を上げた。
「・・・・・わかりました。・・ジニョンssi、一旦あそこへ戻りましょう。」
「あそこ?」
「サンタンジェロ城」
「えっ?だって・・あそこには・・」
「奴らは僕達が直ぐに戻るとは思わないはずです」
その頃、ドンヒョクはサンタンジェロ城に続く橋の袂で、
見慣れたバイクを見つけ、その周辺にジニョンとルカがいると
懸命に探していた。
しかし、ふたりの姿は何処にも無かった。
しばらくの間、バイクのそばで待ったが、それも無駄だった。
「いったい・・・何処へ・・・」
その時、ドンヒョクの電話が鳴って、彼は慌てて応答した。
「ジニョン?」
電話の主はレイモンドだった。
「まだ見つからないのか」 レイモンドが言った。
「ああ」
「もうすぐローマに着く」
「・・・・・・」
「とにかく会おう、エマを連れて来た」
「・・・・・・」
「フランク。」
「会いたくない。」
「策を練ろう・・今は・・溜飲を下げろ。
ジニョンのことは・・エマは知らなかったことだ。
ジョアンにもどうすることもできなかった。
そうだろ?
ジニョンは今・・彼女の意思でルカと行動を共にしている。
違うか?」
レイモンドはドンヒョクを諭すように言った。
「・・・・・・」
「フランク!」
「・・・・ホテルへ。」 ドンヒョクは声の調子を下げて答えた。
「わかった。」
わかっていた。
確かにそうだった。今、ジニョンは自分の意思でルカと一緒にいる。
― なら、連絡することもできるはず。
―
「どうして、連絡しない!」
ドンヒョクは胸を掻き毟られるほどの怒りと不安に震え
傍らのバイクを苛立ち紛れに押し倒した。
・・・何故だ!ジニョン・・・