ドンヒョク、『ピエタ』を創る男
浅田次郎氏の小説『ピエタ』を読みました。
『ピエタ』の何たるかをちゃんと理解しないまま読み始めたのに、その短い小説の核心部分に触れたとき、私はすぐに『ドンヒョク』を想ったのです。
『ピエタ』。ミケランジェロが23歳の若さで創ったサンピエトロ大聖堂の傑作。
嘆きの聖母、十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの像。
その悲しみの表情は見る者を圧倒すると言います。
小説『ピエタ』の中で、浅田氏は、主人公友子の視線で、その像を刻むために鑿を振るったミケランジェロの想いを語らせています。
すなわち、この像を彫ったとき、ミケランジェロの胸には、6歳のときに亡くした母への想いがあったのではないかと言うのです。
いや、そんな簡単な言葉では不十分でしょう。
去って行った母に取り残されたミケランジェロの、激しいまでの想い・・、それが、彼をして、キリストを抱くマリアの、なんともいえない深い悲しみの表情を創らせたのではないかと・・。
そして、それは芸術だとか、名誉だとか、そんな単純な世俗なものにまみれた言葉では説明できないものなのだと、氏は言うのです。
一方、ドンヒョクも幼いころ母に死なれています。それが元で、彼が父にも捨てられたことは、もう説明するまでもないですね。
ここで、『愛の群像』のジェホにならないところが、私の私たるゆえんです。ごめんなさい。
ジェホじゃなく、どうしてドンヒョクなのか・・。
それは、ミケランジェロに匹敵されるほどの大きな成功を収めた男だから、と言いたいところですが、実は、そうとばかりいいきれません。
主に、ドンヒョクに会ったときの、私の個人的な衝撃度によるものでしょう、おそらく・・・。
まあ、それはそれとして、幼いころに彼を見舞った不幸、その呪縛から逃れようとして、彼はアメリカで必死に生き、周囲からうらやまれるほどの成功と名声を手に入れました。
そして、その成功と名声が、ドンヒョクの創った「ピエタ」なのだと思います。
母に父に去られた彼がアメリカの地で必死に彫り続けたもの、外見は冷徹なまでに凄腕のMBAの専門家でありながら、実はキリストを胸に抱く聖母の姿かたちを求め続けていたのです。だからこそ、ドンヒョクは、あれほどまでに『ジニョン』を求めたのでしょう。
ヨンジュンssiは、ドンヒョクの聖母を思慕する気持ちを、心深くに沈め、冷徹なビジネスに徹するシン・ドンヒョクを、見事なまでに演じきりました。
それが、ヨンジュンssi の意図するところであったかどうか、私は知りません。
でも、『ホテリアー』を見るとき、ヨンジュンssi1の、いえ、ドンヒョクの悲しいまでのまなざしの中に、私は『ピエタ』を彫り続けたミケランジェロと同じものを見るのです。
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