タムドク、ソフトなカリスマ(大いにネタバレ)
毎日、タムドクのことばかり考えて生きています(笑)。
まあ、仕事や朝晩の献立のことくらいは考えますけど、そのほかのことはだいぶおざなりになっているなあ、なんて思っています。
その中のひとつに創作なんていうのもあるんですけど、どうも今書こうとしているのが、現代物であるため、長髪のタムトク様のお姿がぼっと出てくると、全然だめです。
そう、みんなおんなじですね。
そして、今いちばん頭の中がグルグルしているのは、『タムドク・キハはどうなってるの?』ということです。
たとえば、第一話の古代、ファヌンとカジンのときは別として、ちゃんと成人した姿を見せてくれた第四話から、もういきなり考え込んでしまうようなシーンを見せられてしまいました。
タムドクの部屋でのシーン、キハに火をつけさせて喜ぶタムドク、そして、ほめられてちょっとうれしそうなキハ・・。
そして、タムドクは、どきりとするようなことをさらりと口にします。
「僕は王子をやめる、だからキハも巫女をやめて、ふたりでいっしょに逃げよう。・・それで、キハが火をつける見世物をして、僕がお金を稼ぐ。」
まったく、そんな簡単なものじゃないのよ、世間っていうものは・・。
言われたほうの身にもなってほしいものです。
王宮内で互いに寄り添うように生きてきたキハは、彼のさびしさを知っているだけに、大いに心を揺り動かされたでしょう。
でも、またそんなことをおっしゃって、とも思ったでしょう。
なにしろ、相手は太子、そんな言葉に乗って二人で『逃亡者』になるなんてことはできないと。
それも、彼のために。
それと、キハにはもうひとつ理由があったのでしょうが、ここではそれはおいておきましょう、とりあえず。
さらに、王子様は、おやすみなさいと出ていこうとする彼女に、もう少しここに居てくれないか、話がしたい、なんて、自分の座っているベッドをぽんぽんとたたいて見せたりするんです。
彼に思いを寄せている彼女にしてみれば、まったくもう、人の気も知らないで、ということになるのかもしれません。
このあたり、王子、なかなか女の扱いになれてらっしゃいますな、むふふ・・という感じですね。
そして、今週放映されたばかりの第七話では、いよいよせつない場面が展開されて、ひょんなことからふたりは一夜をともにしてしまうのです。
貴族の子弟が誘拐されたと聞いて救出に向かったタムドクは、その夜、とある村で、食べる物もなく死んでしまう人々がいるのだと知ります。
その衝撃に、タムドクはキハにこんなことを口にします。
「僕は彼らのために何ができるだろうか。
家臣にも裏切られ、信じていた女性も他の者に心寄せているかもしれないと言うのに・・・。」
(これ、正確には違ったかもしれません。でも、だいたいこんな感じだったと思います。)
そう、その日、タムドクは、高句麗王家に忠実だった家臣から、国のために自決してほしいと言われてしまっていたのでした。
さらに、王宮内では唯一心を許していたキハも裏切っていたのだということまで!
小屋でふたりきりになって、タムドクはキハを見上げます。
その切れ長の目にはうっすらと涙が・・・。
まったく!
タムドク様、ずるいですわ。
そんな目で見られたら、キハが困るじゃありませんか!
そうでなくても、『ホゲ様に仕えている』などと例の家臣が言っていたけど、そのとき火天会長老に操られていたキハには、そんなことは全然記憶にないのですから!
そのこと自体、彼女自身、説明のつかないことなのですから!
でも、キハが愛しているのはタムトクただひとり、これだけは確かなこと。
いとおしいという気持ちを抑え切れなくて、彼女は彼を抱きしめます。
その姿は、恋人というだけでなく、姉のようでもあり、母のようでもあります。
このキハの抱擁には、私は大いに共感を覚えるのですが、いかがでしょうか・・。
その後、場面は変わり、二人が静かに寝ている場面が・・。
タムドクの胸が少しはだけているところと、起き上がったキハが赤い上衣を脱いでいたところから、視聴者の間に大論争が巻き起こったことはご存知かと思います。
私としてはやっぱりふたりは結ばれたと考えるのが自然だと思うんですけど、もしそうなら、少なくともタムトクの胸のはだけた部分をもう少し多めに(!)してほしかったですね(笑)。
なにしろ、鑑賞に十分堪えるお体でいらっしゃるんだから。
そのあと、キハは王を救うため城に戻るのですが、そのあたりの事情をタムドクに書き残します。
『・・・私は必ず帰ってきます、待っていてください』と。
それを読むタムドク。
そして、その傍らには綺麗に畳まれたタムドクの衣類が・・。
そこに残るキハのぬくもりに、タムドクは何かを決意したようでした。
ああ、次回が待ち遠しい、
まさに、目くるめくような待ち焦がれる思いとはこういうことを言うのですね。
たぶん、タムドクに心を寄せていたキハが彼の涙に打たれたように、私たちも彼にすっかり魅了されているのでしょう。
それは、単に、ぺ・ヨンジュンという俳優のファンだというだけでなく、高句麗王そのものになっている彼のソフトなカリスマに、魔法をかけられているのだと思います。
思えば金銀で、キムPDはおっしゃっていましたね。
『高句麗王タムドクだけが誰にもなしえないような事業を行った。彼だけが特別だったのは何か意味があるに違いない。・・タムドクが持っていた人を魅了するソフトなカリスマが、人を動かしたのではないかと・・。』
真摯に人を思いやる包容力が、北の雄と呼ばれた高句麗の大王タムドクの本質なのだと思います。
そして、同時にそれが、ぺ・ヨンジュンという俳優が、そのたくましい心とからだの中に秘めているものでもあるのだと思うのです。
チュンサンとタムドクに見るもの(一部ネタバレ?)
急に思いついて、『冬のソナタ』を観にひとり映画館に出かけた。
いつものようになじみの深い音楽、大スクリーンいっぱいに広がる雪景色と若い恋人たち。
すぐに引き込まれた。
同じように『ホテリアー』を大スクリーンで観たときの感動とはまったく違う種類のものが、むくむくと沸き起こった。
まるで、魂の底から揺さぶられているような気がした。
『僕のお父さんはだれ?』
ご存知、1話に出てくる、母ミヒへのチュンサンの問いかけである。
その真剣なまなざしに、若者らしい苦悩の深さが十分うかがえるのに、何もかもわかってるはずの母は、亡くなったのよ、としか答えようとしない。
父らしき人の姿を追い求める中で出会ったユジン。
思いがけなくも見つけた初恋。
それは、まだ運命の出会いなどと知るはずもない、あわいものではあったけれど、
彼の中にくっきりとあざやかなものを残す。
同じように、ユジンの中にも。
やがて訪れるいくつかの悲劇のあとで、ともかくもひとつの結論が出ることになるのだが、それはまだ遠い先のことだ。
冬景色の透明な空気の中で展開する、ふたりのしあわせな、思い出深い、いくつもの美しいシーン・・。
それでも、運命は不可思議な仕掛けを用意する。
その流れの中で、彼、チュンサンは問いかける。
『僕のお父さんはだれ?』と。
そして、それは、若い彼の、自分自身への問いかけでもある。
『僕は何者なのか?』という・・・。
チュンサンと同じ年頃のタムドクもまた、心の中に葛藤を抱えている。
チュンサンとは異なり、タムドクの側にいるのは王である父だ。
その父に、幼いころからかたく命じられていることが、彼にはある。
王たる証である出生の秘密も秀でた能力も、すべてを封印して弱き者としてふるまえ、と。
それは、息子の命を守るという愛情のためだけでなく、現王としての使命感から生まれたものである。
言い伝えの通り、この息子が選ばれた者であるなら、国のために何としてでも王位につけなければという・・・。
だが、この父には、息子の心の中のさびしさまで見て取る余裕はない。
父のこの言葉は、タムドクの手足を縛めるものでしかない。
だから、タムドクは微笑むしかない。
実は、彼にはわかっている。
この王宮には、自分の本当の姿を理解している人間がひとりもいないのだと。
たったひとりの友達だったホゲは、王位をめぐる争いから敵対する関係になってしまった。
幼いころから身近な存在だったキハは、なぜかはわからないが、消極的な反応しか見せない。
武道の師である将軍は、打ち解けて話をするという存在にはなりえない・・・。
自分のもって生まれた力を外に向かって示すことの許されない彼、タムドク。
孤独な王子は、城を抜け出して市井の人々に交わることで、さびしさを紛らわせるようになる。
猥雑で雑多な人々が行き交う場所、命のやりとりなど日常茶飯事な世界。
でも、少なくともそこには本音で生きている人々の暮らしが確かにある。
そして、そこで、運命に導かれるように、タムドクもまたスジニに出会う・・・。
その過程で、タムドクもまた、『自分とは何者か?』ということを繰り返し問いかけているのではないか。
今までも、これからも。
そして、チュンサンとは異なる方法で、見事、タムドクは彼らしい決着をつけるのだと思う。
父による縛めを自らの手で解き放ち、その向こう側に大王としてゆくという選択を・・・。
大スクリーンに映し出されたチュンサンの姿の中にタムドクを見たのは、『目がねなし』という点が共通で、その面差しが似ていたからにほかならない。
だから、たとえば、ウォンを、ドンヒョクを、チャヌを思い起こしてみれば、どの若者も自分が何者なのかということを繰り返し問いかけていたのだという気がする。
思えば、ぺ・ヨンジュンという俳優は、自分自身にもそんなことを問いかけながら、ずっとそれぞれのキャラを演じようとしているのかもしれない。
映画館を出てからふらりと立ち寄ったカフェで飲んだオレンジジュースは、果汁100パーセントだとのことだった。
最初から最後まで引き込まれるように観た映画のあとだったからか、または、チュンサンという若者のみずみずしい感性に触れたせいか、そのフレッシュな色も香も、まさしく混じりけのない南カリフォルニアの果実そのものだった。
たぶん、ぺ・ヨンジュンという俳優も・・・。
『太王四神記』その伝説のはじまり
☆みなさん、いかがでしたか。
私は、頭の中も、胸の内もぐるぐるとまわっています。
【最初の夜に~馬上のタムトク】
運よく、パソコンで最初の夜の番組を見ることができました。
待ち続けて二年、
やっと、姿を現してくださった、まず、そんなことを思いました。
冒頭部分、『太王四神記』のタイトルが出て、
突然、草原の向こうから馬で駆けてくる若者。
かげろうのようにゆっくりと、
突然の風のようにきまぐれに。
いかにも古代の伝説の中から突然生まれ出たようで、
なのに、くっきりと鮮やかで・・・。
長い髪が上に下にと揺れ、
じっとこちらを見つめているまなざしが
痛いほど感じられて、
ああ、本当にこんな方だったのだと、
私は、その姿をはっきりと見たように思いました。
戦陣に出向く兵士たちに、何か大声で檄を飛ばしている鎧姿の若い王。
りりしい、というだけではとても言葉が足りない、
百戦錬磨のおそろしげな兵士たちを、
いともたやすく持って生まれた力で指揮したのだと・・。
市場でスジニをからかうタムドク。
気さくなそのあたりにいそうな若者の姿。
悲しい目でじっとキハを見つめるタムドク。
愛するものに向けられるやさしい心の持ち主・・。
そのどれもが、まさしくタムドクそのものなのだと思いました。
なのに、かえって、彼:高句麗王タムドクを遠くに感じてしまったのは、私だけでしょうか。
言葉がわからないせいかもしれませんが、取り巻く人々を紹介しながら、
タムドクの周辺部分をさらりと語ってみせただけというふうに思えたのです。
そういう意味では、あの「金」と「銀」の構成に似ているのかもしれません。
高句麗王タムドクとはいったい何者なのか、
そんな疑問がいよいよ深くなったような気さえしました。
もしかしたら、それこそが、監督さんのねらいだったのかもしれませんが・・。
【幕開けに~ファヌンについて】
あるサイトで、鮮明に映った写真を一目見て、このお方はタダモノではないと思いました。
まるで、古代ギリシアかローマの神々を思わせるような美しさではありませんか!
それは、ぺ・ヨンジュンという俳優が本来もっている純粋さ、気高さを限界までに凝縮した姿でした。
このような気高さは、ユーラシア的というか、ヘレニズム的というか、ともかく、洋の東西を問わず普遍的なものだと思います。
神聖な冒しがたいもの、そんな印象さえ受けます。
その上、この神聖なる銀髪の神は、自ら愛する者を葬り去らねばならなかった時、涙を流して見せたりするわけです。
それも、静かに、そして、ふかく!
すべての感情をどこかに消し去ってしまったかのように。
静謐な中での、深いかなしみ、
神々しい姿を見つめながら、不遜にもそんなことを思ってしまいました。
『太王四神記』予告編を見て
☆おひさしぶりです。
「予告編」、ごらんになりましたか?
圧倒的な存在感で、ぐいぐいと迫ってくるものがありましたね。
はっきり言って、これは予想をはるかに上回った大王の登場という感じです。
だから、私はあっさりと兜を脱ぐことにしました。
そして、一年もタムトクの創作を勝手に書いてきた者として、ヨンジュンさん、あなたに言いたいのです。
ごめん、私の想像力のはるか上を行ってましたって・・。
★写真、入れ替えました。これ、今日公開された新しい予告編のタムドクです。
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いななく馬。
手綱を引き絞り、遠くを見はるかす伝説の王。
背後にひるがえる赤い旗。
神前に舞う、悲しいさだめの神女。
天に昇りゆく龍。
火の粉を飛び散らせる朱雀のはばたき。
暗躍する暗黒の者たち。
まがまがしい影を帯びた貴公子。
雄たけびを上げる武士(もののふ)たち。
『ひとつの映画を作っているようなもの。』
『ヨンサマは大王そのものだった。』
『見事なCG。』
『これまでのドラマとまったく違う。』
これまで言われてきたように。
いえ、それ以上に!
どんな言葉をもってしても、
なお足りないほどに!
これまであれこれと描いてきたもの、
それを、いともたやすく凌駕して、
あなたは、今、圧倒的な力を身につけて、
私の目の前にいる。
。。。。。。。。。。。
あなたはどんなタムドク王を見たいですか?
ひれ伏す民の前に君臨する威風堂々たる姿?
騎馬兵たちを率いて戦陣を駆け抜ける雄々しい姿?
それとも、かなわぬ想いに人知れず苦悩する姿?
さわやかな笑顔で草原を駆け抜ける若者らしい姿?
もう、やめよう、高句麗王タムドクについてあれこれと語るのは。
ただ、そのお方の登場を静かに待つことにしよう。
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