夢見る頃を過ぎても
☆久しぶりに公式掲示板にスレをたてました。
で、こちらにも同じものを書かせていただきます。
なお、タイトルは変えさせていただきました。
これを読んでくださっている方、あなたも酩酊状態、それとも虚無の中にありますか?
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昨日の朝刊の読書コーナーで、田○聖子さんが、『更級日記』について書いている。
『更科日記』・・・、作者は平安時代に生きた中級貴族の娘である。
何不自由ない家庭に生まれはしたが、特に今をときめく高位の貴族というわけでもない。
そんな彼女は、当時評判だった『源氏物語』を読み、空想にふけるような夢見る少女であった・・。
この夢見る少女について、田○さんは語る。
「・・・あたしはまだ今は美しくはないわ。
でももう少しして、もっと髪も美しく長くなったら・・・すてきな貴公子の殿方があらわれて・・・・」
そして、この夢見る少女は私そのものだったと、田○さんはおっしゃる。
ああ、と私も大きくうなずく。
そう、彼女は私そのものでもある、と。
『更科日記』には高校時代に古典の教科書で出会っていた。
確かそのときも、古典の先生がそのような解説をしていたような気がする。
私もはるか昔、思っていた、いつか、すてきな貴公子ならぬ、すてきな青年が・・・、と。
だが、やっぱりというか、当然というか、人生は少女の描く夢とは違う。
田○さんは続ける。
「『源氏物語』は、あれはかりそめの絵空ごと。
・・・酩酊はさめ、彼女は平凡な役人の妻となって子供たちを育てる。
・・・千年ののち、(この少女の残した日記は)残り、
少女たちに、酩酊のあとのにがい虚無を思い知らせてくれるかもしれぬ。」
なるほど、私も思っていた。
少女のころに見た夢からさめ、それなりの平凡なしあわせを得て、諦めにも似た気持ちのままに、
家庭を守り、子供を育て、おだやかに年を重ねていく、そんなものかもしれない・・・、と。
そう、少し前までは・・・。
少女の夢の酩酊はひとつ去り、そのあとに来る虚無もすでに少しは味わったのかもしれなかった。
が、むなしさは、長くは続かなかった。
ドラマを見たことをきっかけに、少女のころにみた夢そのままに、
ふたたび酩酊のときに入ったから。
それは、少女のころの夢とは少し色合いが違うもので、
われを忘れてしまうほどのものではないけれど、長く熱く、いつまでも私を酔わせるのである。
この色合いの違う夢が去ったあとに、にがい虚無を私は味わうのだろうか。
少女のころとは異なり、それなりの時を刻んだ今、
ときめく夢のあとに来るものは、虚無などというものではなく、
なにか違うものだと思う。
それが何か、どんな姿かたちをしているのか、
夢から覚めていない私は、まだ知らないが・・・・。
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