海翔ける~高句麗王の恋 序章
☆高句麗王タムトクのお話を、某サークルにアップさせていただいていましたが、これはその別バージョンです。
実は、その創作を書き始めるときに書き出しを変えたものがあったのですが、それをもとにして書いたものが、このお話です。
そのため、登場人物や設定は、某サークルとほとんど同じです。違うところは、より登場人物の感情に寄り添ったものになっているところだと、私は思っています。
それから、当たり前のことですけど、これはヨンジュンssiの新作ドラマとは違う内容のものです。でも、主人公タムトクに彼を重ねていただけるとうれしいです。
ほかにお話に関係あることをいくつか書かせていただきました。
①これは『広開土王』の石碑などの史料を参考にはしていますが、それらに基づいたフィクションであるということです。
たとえば、ここに出てくる「倭の手白香姫(タシラカ姫)」なる人物は、まったく架空の女性です。
とはいえ、名前は、『継体天皇皇后、手白香皇女(タシラカノヒメミコ)』からお借りしています。
この方は6世紀の皇后なので、4世紀末の高句麗王とはまったく関係ありません。
ただ、お名前がすがすがしかったので、私の一存で、お借りしたのです。
②アジア古代に対する私の意見・感想をお話しておきたいと思います。
タムトクの時代には、中国以外は、まだはっきりとした国家としての意識もなかったために、
国境線なども決まっていなかったと思われます。
だから、今よりももっと自由な人の行き来があったと思います。
騎馬民族説(騎馬民族が大陸から日本列島にやってきて日本列島を制圧、今の天皇家の祖先になった。)はともかくとしても、日本という島国にユーラシア大陸の東の端に位置する朝鮮半島に住む人々がかかわりを持っていたと考えるのは、自然なことです。
過去に、これが政治的に悪用され、暗い影を残す事になりましたが、わたしたちは確かにすごく近い存在なのだと思います。
これをいい方向へ、活用していきたいとつくづく思うのです。
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4世紀末、ユーラシア大陸の東端に、三つの国があった。
新羅、百済、高句麗である。
そのひとつ、北の雄とも称されていた高句麗は、百済との戦闘中に王を失い、
また、北方から異民族の侵攻を受けて劣勢に立たされていた。
が、ひとりの若い王が即位することによって、百済に攻勢をかけ、
さらに南に西に領土を拡張することになった。
これが、後に広開土王と称されるタムトクである。
タムトクが王位についたのは、西暦391年、18歳の時のことだった。
当時、高句麗と百済という二つの国がにらみあい、
この両国の間で建国まもない新羅が微妙なバランスの中で
何とかその存在を保とうとしていた。
一方中国では、三国分立時代の後、異民族が王朝を立てて
互いに争う時代となっていた。
高句麗の西方にはセンピ(鮮卑)族のたてた王朝、後燕があり、
高句麗とはたびたび戦闘を繰り返していた。
さらに、海を隔てた東には、倭と呼ばれる島国があり、
そこでは大和朝廷がその勢力基盤を着々と大和地方に築きつつあった。
仁徳天皇や履中天皇の時代で、巨大な前方後円墳が築かれたころのことである。
タムトク即位の年、高句麗の王都に知らせが届いた。
東の海の向こうにある倭が百済などを攻め、これを臣従させたというのである。
4年後の395年、タムトクは兵を派遣して、百済軍を撃破、
倭を海の向こうに追い、なおも抵抗する百済の王都漢城
(現在のソウルあたり)を攻撃した。
時に、タムトク22歳のことである。
百済は高句麗に対して臣下の礼をとることを誓い、
高句麗王に百済の王弟らを人質として差し出した。
このとき人質として高句麗に引き渡された中に、
手白香(タシラカ)と名乗る倭の姫がいた。
連合のあかしにということで、百済の王子の妃として倭から差し向けられた
18歳の美貌の姫である。
彼女が海を渡ってようやくたどり着いた時、
夫となるべき王子は高句麗との戦闘中命を落としていた。
その混乱の中で、百済王は自らの安泰と引き換えに、
倭の姫を敵方に引き渡したのであった・・。
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