海翔ける~高句麗王の恋 ①再会
ざわざわと風のわたる一面の草原。
朝の光を浴びて、草の背が光る。
高句麗の山城に近いなだらかな丘である。
長い髪を後ろになびかせて、タムトクが馬で駆けてゆく。
きれいな切れ長の目はまっすぐ前に向けて・・・。
すっと通った鼻筋、引き結ばれた唇、浅黒く日に焼けた肌、隆々たる体躯・・・、
端整な容貌ときらめく知性・・・。
18歳で国の命運を背負わされて以来、何かから自分を解き放つように、
タムトクは毎朝城を抜け出すと、ひとりで馬を走らせる。
決まった時間に決まったように出かけるあるじに、側近の若者たち三人がつき従う。
若い王は朝駆けはひとりで行きたいと言い張ったから、これを追うのはなかなか骨のおれることだった。
と、そのとき、目の端に何か動くものをとらえて、若い王は馬の手綱を引き絞った。
「何か、ございましたか?」
後に続いていたサトが追いついて尋ねた。
「あれは、誰だ?」
タムトクが片手をあげて指で指し示す。
その先を見れば、はるか前方で20人ほどの男女が、点々とかがんで何かを摘んでいるのが小さく見える。
「ああ・・、長老の家の者達のようです。薬草でも摘んでいるのでございましょう。」
長老の家の者と聞いて、タムトクは目を細めた。
ジョフンか・・・。
ジョフンとは長老の娘であり、タムトクにとっては乳母にあたる。
彼女は、幼い頃に母をなくしたタムトクにとっては、母親代わりのようなものだった。
その彼女も、タムトクが即位して以来、城内の奥向きの仕事からは退いて、里の家にこもる事が多くなっていた。
百済の王都から帰ってきて以来、あわただしい毎日が続いていた。
ジョフンにもしばらく会っていなかったが・・・。
心の片隅にあえて追いやっていた大切なことが、小さな痛みとともに浮かび上がる。
あの姫はどうしているか・・・。
人質として百済から得た倭の姫は、高句麗王都に凱旋したのち、タムトクの乳母一族にあずけられたのだった。
それは、サトをはじめ周囲の意思を、さすがのタムトクも無視できなかったからだ。
なにしろ、半年後には、高句麗一の大豪族の娘スジニが、タムトクのもとに嫁ぐことになっていたのだ。
ジョフンのいる長老の一族のもとに託した彼女が風邪をこじらせているという話を聞いたのは、一月ばかり前のことだったはずだ。
その話を聞いた時、タムトクは、即座に、王室付きの薬師恵邦を長老家に派遣するよう指示したのだった。
『そこまでなさらなくても・・。』
予想通りサトが眉をひそめたが、タムトクは無視した。
大事な人質ではないか、と。
その大事な人質の姫のことを思い浮かべながら、タムトクは草を摘む人々のいるほうに馬を進めた。
突然現れた王に、人々は薬草を摘む手を休め草の上にひざまずいた。
やや太り気味の中年の女性が進み出ると、うやうやしく礼をする。
タムトクは馬からひらりと下りると、日に焼けた顔をほころばせて声をかけた。
「ジョフン、元気か?」
「はい、おかげさまで。このところすっかりご無沙汰しちゃってますけど、
タムトク様の情報はなにもかも、このジョフン、ちゃあんと知っていますよ。
特に、悪さなんかはね。
このあいだも何だか、ひどくあぶないことをされたとか、サトが困っていたと風のたよりに聞きましたよ・・・・。」
ジョフンは言いたいことをずけずけとした調子で言った。
『あぶないこと』というのは、軍事訓練を行った際に先頭に立って模擬の白兵戦に参加したことをさしているのだ。
タムトクは苦笑いをした。
「よく知っているな。」
「はい、王子のことなら私は地獄耳ですからね、隠し立ては無用ですよ。
ところで、先日は恵邦殿を屋敷の方につかわしてくださって、ありがとうございました。」
ジョフンの言葉の中では、いつのまにか『王』が『王子』にすりかわっている。
そんなことには気がつかないまま、タムトクは、乳母の背後に隠れるようにしている若い娘に目を留めた。
「・・・もうすっかりよいのか?」
娘は何も聞こえないように、うつむいている。
黒い長い髪に隠れて、その表情はうかがいしれない。
答えたのは、乳母ジョフンのほうだった。
「はい、このようにすっかり元気になって、薬草摘みにも出られるようになりました。
一時は風邪をこじらせてどうなることかと心配したんですけどね、私も安堵しましたよ。
なんといっても、王子からおあずかりした大事な姫のことですからね。」
タムトクは娘のほうをまぶしそうに見つめたまま、ジョフンに言った。
「今夜の月見の宴に、まいるがよい。」
「もちろん、私はそのつもりでしたよ。侍女たちも楽しみにしてます。でも・・・・」
ジョフンは、うふふ・・と笑って続けた。
「それは、私におっしゃっているんですか?それとも・・・?」
タムトクは照れくさそうな笑顔を浮かべた。
「そなたに・・・。それからそちらの姫にも、だ。」
ジョフンはふりかえったが、若い娘の方はうつむいたまま答えない。
しかたなしに、ジョフンが代わりに答えた。
「王子、いえ、タムトク様、お心遣いはうれしいですけど、姫様はご遠慮したいようです。
まあ、この国の言葉を操るのもやっとどうにか・・・という、虜囚の身ですからね、
ご容赦願いたいと私も思いますね。」
「虜囚の身ではない。ほんの一時、わが城に身を寄せているだけではないか。
・・・だが、姫が、私を避けたいということなら、よい!」
タムトクはそう言い放つと、ひらりと馬に飛び乗り、馬首をめぐらせた。
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