海翔ける~高句麗王の恋 ②月見の宴(その1)
「今日は祭りの宴のこともありますので、政務はすべて日の沈む前に完了の予定です。」
事務的な顔で淡々とサトが説明する。
タムトクはその冷淡な顔にひとつうなずいてから、まったく別のことを口にした。
「・・声をかけたのは、誤りであっただろうか?」
側近のサトが顔を上げる。
王は珍しく弱気な顔をしている。
「月見の祭りは、誰もが待ち望んでいた祭りです。
虜囚の身であっても、祭りを楽しむくらい、さしつかえはないかと思います。」
「そのようなことを申しているわけではない。」
いらだたしげに、タムトクは言った。
顔が幾分赤くなっている。
サトは、ふうん・・という顔になった。
が、そこはさすがにタムトク王の一の側近だ。
返す言葉は的を射ている。
「では、どのような?
王に声をかけられたあの姫が不快に思ったのではないか、とか?
または、あの姫が、周囲の者どもに王の思い人の一人とでも思われたのではないか、とか?」
タムトクは苦笑いした。
「そなた、嫌なヤツだな、そのように言いにくいことをずけずけと・・・。
そんなことではない。ただ、気になるのだ、あの姫のことが。
ここにとどまるのが嫌だろうかとか、
夫となるべき男を死に至らしめた男を、憎んでいるのではないかとか、
・・私の治めるこの国がきらいだろうかとか・・・。」
タムトクの目にせつないものが宿る。
それを見て取った側近サトは、釘を打っておかないといけないと思ったらしい。
「それは、そうでしょう。
が、それほどお気に召したのなら、今夜の祭りの宴になどといわず、
お側にお呼びになればよろしいと思いますが・・・。」
「・・私は、そんなことを望んでいるのではない。」
『では、どんな?』といいかけて、サトは言葉を飲み込んだ。
ここはもう一本釘だ。
「高句麗王なれば、お側にはべらせることはできましょう。
ですが、高句麗王なれば、倭の姫を正妃にはできません。
半年後にはスジニ様が正妃となられます。」
「そんなことは考えていない!」
「それならよろしゅうございます。
百済の王都攻撃のとき指揮をとられたように、私に一言命じればよいではないですか。
王のご命令とあれば、あの姫を宴に引きずり出してまいります。」
タムトクは薄く笑っていった。
「もうよい。今の話は忘れてくれ。
王としてではなく、友人として聞いてみたかっただけだ。」
それでその時は終わりだった。
すべてを飲み込んで、サトは深ぶかと頭を下げた。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。
少し飲みすぎたかな?
そう思って、タムトクは騒々しい部屋をひとりで出た。
いつものことだが、祭りの宴のときは、最初は王を意識してかたくなっているのに、時間がたつにつれて、大変な騒ぎになってしまう。
山岳の多い辺境の北の国で、稲をはじめとして農作物の収穫は十分とはいえない。
半分は狩猟に頼る生活だ。
今は半島では北の王者と言われているが、もとは遊牧を生業をする騎馬民族である。
常に質素と緊張を強いられる生活だったから、時折の祭典で羽目を外すのは仕方のない事であった。
風にあたりたい、そう思い、タムトクは中庭に足を踏み入れた。
酔った部下たちの陽気な顔を思い浮かべる。
思いを寄せる女のことで部下たちからからかわれていたサトを思い出す。
思わずくすくす笑ってしまう。
いつもしたり顔でいるのに・・、
誰にもばれていないと思っていたんだろう。
だが、考えてみれば自分はなにも知らなかったのだと気がつく。
ちょっとさびしさを感じ、タムトクの顔から笑みが消える。
こちらは友人と思っていても、相手は高句麗王と見る、気安く好きな女の話などしない・・・。
だが、まあ、いい、それが私の役割なのだろう・・・。
そういえば、やはりあの姫は来なかったと、タムトクは思った。
少しだけでも、顔を見たかった。
王の命令だと称して、宴席にひきずりだせばよかったか・・・。
タムトクが、そんなことを思ったときだった。
背後にひっそりとした足音が聞こえた。
サトかと思ったが、それはもっと軽い足取りだった。
タムトクは背後に神経を集中させたまま、ゆっくりと歩く。
中庭の真ん中にある椿の木の下に来たときだった。
さっと何かが肩越しに飛んできた・・・・。
月の光を浴びて、先のとがったものが光る。
それを避けながら、タムトクは差し出されたものを右手でつかんで、ねじりあげた。
痛みに耐えかねたのか、小さな悲鳴が聞こえ、頭を覆った布がはずれ長い黒髪がこぼれる。
タムトクは、唇の端に薄い笑みを浮かべて言った。
「・・これが、倭人の挨拶なのか、姫?」
姫と呼ばれた相手は何も答えない。
「私が憎いだろうな?私の命がほしいのであろう?
そなたのような身なら、そう思っても無理のないことかもしれぬ。」
タムトクは言い終わると、彼女の持っていた銀色の刃をいとも簡単にもぎとった。
「だが、私はまだ死ぬわけにはいかない。」
左手を彼女の顎の下にあてて、顔を上向かせる。
額にふりかかる黒い前髪をかきわけると、さえざえとした美貌があらわになった。
まなじりからすっと涙が一筋流れ落ちる。
が、一文字に結ばれた唇は、一言も発しようとしない。
その美しい唇から何かの声を聞きたいような気がして、タムトクは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「今夜は、そなたのほうから飛び込んできたのだ・・・・。」
だから・・・・、と続けたかった言葉をかろうじて抑える。
彼女は敗北者の姫なのだ・・・。
つんとした痛みが胸をさす。
なのに、彼の意思とはかかわりなく、二つの腕は別の生き物のように動いた。
細い肩を抱き寄せるとそのまま自分の胸に・・・・。
まるで、そうしないではいられないかのように。
そのとき・・・、
「タムトク様、何か、ございましたか?」
サトの押し殺したような声が聞こえた。
少し遅い、いや、早いというべきか・・、タムトクは苦笑いをした。
「なんでもない。下がってよい、いや、他の者を遠ざけよ。」
「しかし、それは・・。」
言いよどむサトの声。
およそのことを察しているらしい。
「ここは大事ない。これは命令だ。よいな。」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
女の扱い方など、一応心得ているつもりだった。
酔いにまかせて抱いてしまおうかとも思った。
あの後、サトは引き下がったのか、気配すら感じられなかった。
それに、今夜は彼女のほうから飛び込んできたのだ、抱いてしまっても、それは道理であろう・・・、
そうする事によって、初めて会ったときから気にかかっていたことが、ひとつ片付くかもしれないと・・・。
だが・・、自分の胸の中でうつむいたまま震えている細い肩を見ていると、心が痛んだ。
抱きたい、だが、抱けない・・・。
この娘に対して、簡単にそんなことをしてはならないような気がした。
彼女の肩に両手を置くと、ぐいと彼女の身体を自分の胸から引き離す。
「もう、よい。」
彼女の顔が意外そうなものに変わるのがわかった。
何に対するものかわからなかったが、燃えるような怒りがこみあげてきて、くるりと背を向けた。
そんな顔をしないでくれ!タムトクは心の中でうめいた。
「・・・ジョフンといっしょに来たのか?・・・今頃、そなたを探しているかもしれないな。」
いかにもさりげなくそんなことを言いながら、すぐに後悔する。
これでは、すぐにここから立ち去れと言っているようなものではないかと・・。
ふりかえると急いで付け加えた。
「・・・もう少し、ここにいてくれないか?手荒なことはしない、王として約束する。」
まじめな顔でうなずくと、それがおかしかったのか、クスリと彼女が笑った。
ついさっき刃を向けられたことも忘れてしまうような、きれいな笑みだ。
「そなたと話をしたいだけだ。」
その瞬間、彼女は驚いたような顔になる。
「・・・それはご命令ですか?」
すずやかな声がその唇から漏れた。
思いがけず、はっきりした高句麗の言葉だった。
じっと彼女の瞳を見つめたまま言った。
「・・・いや、命令ではない、・・・私からそなたに頼んでいるのだ。」
彼女はゆっくりうなずいた。
濡れたままの大きな瞳がそこにあった。
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★画像は sakabou 様です。
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