【創作】契丹の王子⑥
考えてみれば、ジャン将軍とは、タムトク様と初めてお会いした百済王都以来のつき合いということになります。
サト殿と同じですわね。
最初のころは、タムトク様の前に突然現れた私を、冷ややかな目で見ていましたけど、だんだんやさしい言葉をかけてくれるようになりました。
とりわけ、ワタルに対しては、ヒマをみつけては騎馬や武術の手ほどきをしようとするほどの入れ込みようで、指導係のシギョンが気をもむほどでした。
だからというわけでもないのでしょうが、こういうときは、なぜかいつも一番に駆けつけてくるのです。
その日も、近くの草原で歩兵訓練を指揮していたとのことでした。
城の中庭で教練中のワタルにもまだ知らせていないうちのことでしたから、本当にどこからどう情報を仕入れるのでしょう。
そして、そんな将軍につられるように、あの若い側近や私がつれてきた侍女たち、それから警護兵たちやら近くにいた下働きの者たちまで20人ばかりが客間になだれこんできたのです。
それほど広くない部屋は、ちょっとしたお祭り騒ぎのようになってしまいました。
「いや、まったく、タシラカ様、お手柄でございましたな!」
「将軍、この手柄はタシラカだけのものではない、
私の手柄でもあるのだ。」
「ああ、それは失礼をば!
王のご協力なくしては、お子はできませんからな!」
タムトク様のぬけぬけとした言葉に、ジャン将軍が頭を下げ、その場にいた人たちがどっと笑いました。
タムトク様は、王というご身分でありながら、こんなときすっとその場の人々の輪に入ることのできる方でした。
でも、周囲の人々から見れば、『王』というと、何となく畏れ多い、遠慮のようなものがあったのも事実でしょう。
それを、ジャン将軍はそのきわどい話によって見事なまでに埋めてしまうのでした。
タムトク様も、そこに集まった人たちも、みな楽しそうにしていました。
でも、私は寝台の上に座ったまま、将軍の話をただ黙って聞いていました。
いいえ、きわどい冗談についていけなかったわけじゃありません。
高句麗に来てから、タムトク様配下の武将の方々が屋敷に出入りするようになっていましたので、私も、顔が赤くなるような会話も何となく聞き流せるようになっていました。
そなた、耳年増になったのではないかと、タムトク様が苦笑いするほどでしたわ。
でも、そのときは・・・。
それは、妊娠初期ということで、気分があまりよくなかったということもあったでしょう。
薬師の先生が薬草を煎じてくれたので、胸のむかむかした感じはおさまっていたのですけど、何となく身体がだるいようなふわふわしたものがまだ残っていたのです。
でも、それだけではありませんでした。
そうです、ひどく大切なことを忘れているような気がしてしかたがなかったからです・・・。
「いやあ~、正直言うと、このわしはちょっと心配しておったんですよ。
これだけ仲がいいのに、この10年間でワタル様おひとりで、その後お子ができないっていうのはどうしたものだろうかと・・・。」
「それは、ちょっとしたきっかけの問題だ、将軍。
私とタシラカが悪いわけではない・・・。」
再び、大きな笑い声。
私は、タムトク様と将軍のやりとりを聞くともなしに聞きながら、ひとり考え事をしていました。
ちょっとしたきっかけの問題・・・、
出会い、生まれ出る命・・、
ワタルもチャヌス様も、契丹の少年も、それから、タムトク様も・・。
だから・・・
いつのまにか、私はひとりまったく別のことを考えていたようでした。
依然としてジャン将軍の大きな声が続いていましたけど、話は別の方向に進んでいっていました。
「・・この間も、長老屋敷に出かけたときに、わしはジョフン相手にそんなグチをこぼしたんですわい。
しか~しながら、さすが、天下無敵の長老家のジョフン、
片目をこんなふうにつぶって笑って言いましたぞ、
それはタムトク様のせいだわよ、ご寵愛が過ぎるのもよくないって、わたしゃ、一度ご忠告しようと思っているんだわよぉ、なんてね。」
「ジョフンがそんなことを?」
はははは・・・・・、タムトク様の愉快そうな笑い声!
客間の中が笑い声に包まれましたけど、私はひとりぼんやりとしていたようです。
「タシラカ?」
タムトク様が私の顔を心配そうにのぞきこんでいました。
「気分が悪いのか?
顔色があまりよくないようだが・・。」
「いえ、だいじょうぶです。」
ジャン将軍がおろおろと落ち着かない顔になりました。
「こ、これは失礼をば!
うれしさのあまり、つい度が過ぎました、お許しを。」
「いえ、そういうことではありません・・・。」
私は急いでそう言いましたが、そんなことはまったく耳に入らないかのように、薬師の先生はしたり顔でうなずきました。
「やはり、その位にされたほうがいいでしょう。
お体にさわっては・・・。」
「まことに、そのとおりです!
もしも何かあったら、わしは死んでお詫びをせにゃならんところですわい。」
ジャン将軍が頭を下げ、タムトク様もうなずいておっしゃいました。
「屋敷に帰る馬車を用意させる。
・・いや、いつものあの馬車ではだめだ、
揺れの少ないものを選らばなければな。
用意ができるまで、そなたはここでゆっくり休め。
私は急ぎの合議があるゆえ、そろそろ行かねばならないが、
何も心配しなくてよい。
・・・・ああ、それから、タシラカ、今夜は帰れないが、
明日の夕餉には帰れると思う。」
タムトク様は立ち上がり、将軍たちといっしょに出て行こうとされました。
私ははっとしました。
帰れないほどの急ぎの合議・・・・?
それは、もしかしたら?
私は急いで早くも扉の外に出ていらしたタムトク様に声をかけました。
「お待ちください、タムトク様!」
ふり返ったあの方に、私はすがるように続けました。
「あの・・、お話したいことがあります・・。」
ああ、と、あの方は小さく首をかしげて笑みを浮かべました。
「タシラカ、明日の夜ではだめか?急ぎの審議があるのだ。」
明日の夜?・・・それでは遅すぎます、タムトク様、
ぜひとも、その『急ぎの審議』の前に聞いていただきたいことなんですもの・・、
そう思いながらも、私は何と言っていいかわかりませんでした。
と、ジャン将軍は片目をつぶって言いました。
「これは、タムトク王ともあろう方が!
タシラカ様のことで、家来どもをちょっとくらい待たせるなんてことは、
以前はどうってことなかったでしょうが!
サトがよくグチっていましたぞ。
その上、こたびは、めでたいことなんですからな!
大事なお妃の願いごとのひとつくらい、何をさておいても・・・」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「なんだ?
珍しいな、そなたがそのようなことを言うなんて・・」
タムトク様は寝台のところまで戻ってくると、私の手をとりました。
「ごめんなさい。」
そうは言ったものの、私はどう切り出していいかと途方にくれていました。
ただ、あの方のお顔を見つめていました。
タムトク様はふっと笑みを浮かべて、私の肩を抱き寄せて・・・、
「タシラカ、心細いのか?
何も心配することはない。
私がついている。
いつもいっしょだ。」
はい、と私はうなずきます。
タムトク様の手が髪をさらさらとなでるのが感じられて・・・、
その心地よさに、いつしか私はうっとりとなっていました。
と、低い声が耳に響いて・・、
「ワタルのときは、そばにいてやれなかった。
それがずっと気にかかっていた。
すまないと思っている。」
タムトク様・・。
私は涙がこぼれそうでした。
あのときは、それでよいと自分で決めたのですもの、
タムトク様、あなたのせいではないわ。
「・・こたびは違う。
北とも南とも、できるだけ面倒な戦にならないよう、ことを進めるつもりだ・・・。
お互いに、戦になどならずに済めばそのほうがいいのだ。
・・なにより、私はそなたの側にいたい。」
わかるな?というように、あの方の唇が額にあてられて、
はいと、私は答えて・・・・、
そうして、私はそのやわらかな感触のやさしさに励まされるように、そのことを口にしたのです。
「・・・お願いしたいことがございます。」
「なんだ?
何かほしいものでもあるのか?」
「いいえ、タムトク様・・、
・・・ワタルはもうすぐ10歳になります、・・・来年は11歳、
チャヌス様はまだ1歳ですけど、すぐに大きくなります。
・・・・これから生まれてくるこの子も・・・。」
「なんだ?
そなた、なにが言いたい?」
こちらを覗き込んだあの方は、早くもちょっと怖い顔をしていました。
「契丹の少年の話を聞きました、あなたを襲ったという・・・。」
そう言い終わったとたんでした、
タシラカ・・、タムトク様は私の肩を引き離すと立ち上がりました。
私は急いでおしまいまで話してしまおうと、あの方を見上げました。
「・・・ワタルとはたった5歳違いです、
まだ、子供ですわ、タムトク様。
私は・・、
私は恐ろしくてたまりません!
ワタルがもう少し大きくなって誰かを憎み、殺そうとしたら、
そう考えただけで!
どうか、あの子たちに憎しみを残さないでくださいませ。
お願いでございます、
どうぞ、あの少年の命をお助けください!」
タムトク様はこわばったお顔のまま、すぐには何も答えませんでした。
だからというわけではなかったのですけど、私はもうひとこと付け加えてしまったのです。
「きっと、・・・・・きっと、亡くなられたお母上様だって、そのように・・・」
「タシラカ!」
もう一度私の名を呼んだその口調は、それまでとはまったく違うものでした。
いいえ、こちらに向けられたその目の光も、私の知らないものでした・・。
「それ以上、話してはならぬ!」
そう低い声でうめくように私を封じたのは、確かに、タムトク様の中にいる何か別のものでした。
タムトク様!
私はどきどきしながら、目の前の見知らぬ方を見上げていました。
恐ろしさに震えて、それでも、私は・・と!
でも、次の瞬間、私は気がついてしまったのです、
その見知らぬ方の内側に刺さったままになっているトゲのようなもの、それが血を流しているのだと!
「タムトク様・・・」
と、あの方は何かをこらえるように、一瞬切れ長の両目をぎゅっとつぶり、それから、ふっといつもの皮肉な笑みを浮かべて、おっしゃったのでした。
「今の話は聞かなかったことにする、よいな。
そなたは何も心配しなくてよい、ゆっくり休め。
明日の夜には帰るゆえ。」
それは、確かにいつものタムトク様でしたが、
こちらに向けられたまなざしには、氷のように冷ややかな、それでいて、
何か悲しみとも寂しさともつかないものがあって・・・。
ぼうぜんとしている私に、もう一度かたい笑みを浮かべると、あの方はさっと身を翻して出て行ってしまったのでした。
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