【創作】契丹の王子⑧
☆一週間に一度は・・、なんて書きましたが、思いのほか筆(?)が進みました。
思い切ってアップしますね。
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『王に危害を加えようとした罪は重大だが、若年ということを勘案して特に罪一等を許し、
強制労働3年に処することとする・・』
審議が終わり、採決がくだされたのは、あくる日の夜になってからだった。
サトは立ち上がって、王の方をふり返った。
満足する結果だったらしく、ほっとした顔をしている。
審議が紛糾したのは、例の契丹の少年に対し、厳罰でのぞむと思われていた王が意外にも寛容な姿勢を見せたからだった。
『契丹』がからんでくると暴走しかねない王を戒めなければならない、そう思っていたサトにも、ちょっとした驚きだった。
サトでさえそうなのだから、勝ち組にのろうと最初から少年を糾弾していた一派は腰砕け状態になった。
王がそうおっしゃるのなら、寛大なお心を見せるのも時にはよいかもしれませんな、
などと多くはこれに迎合する姿勢を見せたが、
法務官僚の筆頭ハン・スジムなどは、これに激しく反発した。
少年の行為は王に対する明確な反逆のあらわれであり、ひいてはわが高句麗に対する暴力行為である、これを放置しておけば・・・、
などと、ほとんどの者には理解不能な理屈を並べ立てた。
もっとも、スジムの言いたいことはわかっていた。
王の弱腰とも見えるような姿勢の裏には、寵愛する倭のタシラカの意思が働いているのではないかということだ。
すでに、前日の王と倭の側室との会話は、扉の外に立つ警護兵たちによってごく一部の者たちに伝えられていた。
『タシラカ様が王に何か嘆願をしたらしい、それはどうも今回の審議にかかわりのかることで、そのために、王がひどくお怒りになられたそうな。』
この不確かな情報は、城内の人々を少なからず動揺させた。
今回の審議について、王の態度がいつもと微妙に違うと思っていたら、
どうも、その裏には倭のお妃の意向があったらしい、というのである。
慈悲の心は歓迎すべきもので、タシラカ妃の言動が事実だとすると、これはある種の『美談』だということになるが、コトはそれほど単純ではなかった。
古来、女人が、特に王の妃が、政に口をさしはさむのを禁忌とする風潮があるのも、また事実なのであった。
現に、ハン家のスジムなどは、法をつかさどる王が寵妃のひとことによって刑の軽重を決定したとするならば、これは重大なことだといいたいのである。
実のところ、そこにはハン家の人々の思惑が大きく影響していたのだった。
前日の昼ごろ、タシラカの『ご懐妊』が発表されたからである。
せっかくハン家出身の正妃スヨンに正当な嫡子が生まれたというのに、
ここに来てまた倭のタシラカに大きく水をあけられては・・、というわけである。
『・・王のお胤ではないのでは?計算が合わぬ!』
『そうだ、王は、つい先ごろまでずっと戦陣におられたのだからな!』
そんな驚くようなカゲ口まで飛び出した。
が、すぐに、興味深い、だが、彼らにとって不都合な真実が次々に伝えられた。
ひとつは、あの時の子だな、と即座にタムトク王が自ら認めたということ、
それから、和平協定が結ばれるやいなや、王はわずかな手勢を率いて倭のお方の元にお帰りになられたのだという側近たちの話である。
となると、あとはタシラカとワタルの発言力が強まることへの危機感とやっかみもあって、
何でもいいから足を引っ張ってやれという空気になったのだった。
もちろん、足を引っ張る相手は王ではない、・・・そんな恐ろしいことは誰もできるはずもない。
そう、それは、明らかに側室、倭のタシラカである。
まるで、言いがかりだと、サトは思った。
それもこれも、正妃スヨンが気鬱のような状態のまま、はかばかしい回復を見せないからなのだ。
このままでは実質上の正妃は倭のタシラカということになり、
王の後継も、10歳という年齢ながら、その素質十分と目されるワタルに決まりそうな気配なのだった。
アカネなどは、当然よ、と大きな腹を抱えて歓声を上げそうだが、サトは少々複雑な気持ちだった。
ふつうの男として迎えに来てほしい・・、そう言って10年前別れを告げたタシラカ。
タムトクも、できればタシラカの願いをかなえてやりたいに違いなかった。
だが、高句麗王という立場からは、国のことをまず第一に考えなければならず、
となれば、当然、かの『龍のしるし』を持つワタルの力を埋もれさせたままにするわけにもいかなかった。
まあ、そのあたりが王のジレンマなのだと、サトは、文官の作成した書類を前に、王印を自ら手にしているタムトクをながめた。
やがてすべての手続きが終わったのか、タムトクが顔を上げてこちらをながめた。
サトと目が合い、にっこりと笑う。
それから、奥の間についてくるよう目配せを送ってきた。
このあたり、さすが長年仕えた主従ならではのタイミングである。
サトは少しばかり誇らしい気持ちで、王に従った。
「終わったぞ。」
はい、とサトがうなずく。
「では、すぐにでもお帰りに?・・・飛ぶように?」
「飛ぶように、帰りたいが・・。」
少しばかり歯切れが悪くなる。
サトは笑みを浮かべた。
「タシラカ様がお喜びでしょう。」
タムトクはひとつうなずいたが、唇を引き結ぶと、サト、と真剣な顔で言った。
「こたびの裁決は、タシラカには関係のないことだ。」
「はい。
わかっています。
王は一昨日審議が始まってから、ずっと同じ姿勢を貫いておられました。
年端もゆかない者を、激情にかられて処罰しても意味がないと・・。」
うなずいたタムトクに、サトは続けた。
「適切な、正しいご判断だと思いました。
ただ、とりわけ寛大なご判断となった理由を、お聞きしてもいいですか?」
ふふ・・、と、タムトクはうすい笑みを浮かべた。
「ワタルだ。」
ワタル様?とサトは反芻した。
『タシラカ様』ではないのかと・・。
「タシラカではない。
あのとき、・・あの事件の起こったときのことだ、
ワタルが真っ先に駆け寄ってきて、こう言ったのだ、
父上に何かあったら、俺が必ず仕返します!とな。」
タムトクはうつむいて続ける。
「あの目は・・、
ワタルの、あのまっすぐな目は、私には恐ろしかった。」
恐ろしかったという王の言葉に少なからず驚きながら、ああ、とサトも思った。
サトもあの事件のすぐあとに、その場に駆けつけたのだった。
警護兵たちにがんじがらめにされた少年、それから少し離れて立つ王、
周辺は側近たちや兵たちの怒号が飛び交い、かなり混乱した雰囲気だった。
だが、そんなことよりも、そこにすくっと立ちはだかっているワタルの小さな姿がひどく印象的だったのだ。
水のように落ち着きはらって何事もなかったかのようにふるまっている王と、
取り押さえられている少年を、鋭い眼光むき出しのままにらみつけているワタル。
そうか、あのとき、ワタル様が、そのようなことを王に・・。
「さすが、タムトク様のお子です、
頼もしいではありませんか!」
サトは笑って言ったが、タムトクは首を横に振った。
「あのときのワタルの目の輝き、あれはまさしく龍のしるしを思わせるものだった。
一触即発といったところだったな。
正直言うと、うれしくもあった。
その内側に同じものを持ち、おのれの意思を引き継いでくれる息子がそこにいる、
そう思うだけで、ああ、私も父親になったのだなと、そう思ったからだ。
が、喜んでばかりいられない。」
「・・・龍を制御する方法を学ばせねばならないと?
あなたのように?」
タムトクは静かにうなずいた。
「若い龍は、時によっては周囲の者たちにとって脅威となる。
・・・すべてのものを焼き尽くすこともある。」
タムトクの口調にほろ苦いものが入り混じる。
サトは、タムトクの言いたいことがよくわかった。
龍のしるし、
王たる者の力の証。
亡き父王がそのために身を滅ぼし、国を危うくし・・・、
また高句麗王となったタムトクも、この若さでありながら、思いのままに国を統率し、
民の敬愛を一身に集め、軍を率い、敵を打ち破り・・・、
そして、亡くなった母后のために、激情のままに殺戮をほしいままにし・・・。
母后、それから敵と見なした契丹王のことを、タムトクは何も語ろうとしない。
が、ほかの者はいざ知らず、そばに仕えているサトにはわかる、
それが、タムトクの内側のどこかにあるのだということを。
そう、奪われた母への思いとともに!
「それで、もはや禍根は残すまいと、そうお考えになられたのですね。
王としてだけでなく、父として・・?」
タムトクの口元に皮肉めいた笑みが浮かぶ。
「そうだ、王としてだけでなく、父として!
あらゆる意味で、恨みをワタルに残してはならぬ。
・・私も、ふつうの父親だ。
ふん、『ふつう』とは、なにもタシラカだけの言葉ではないぞ。
私も、いろいろと思うことがあるのだ。」
タムトクは続ける。
「・・私はワタルをどう扱っていいのか、わからなくなることがあった。
いや、かわいくないわけではない、
私そっくりの、血を分けた息子だ。
だが、赤子のころからずっとその成長を見ているわけではない、
いきなり現れた不思議な何者かのように感じることもある。
それでも、
にこにこと、ちちうえ、ちちうえ、と慕ってくれる。」
タムトクは気恥ずかしそうに、ちらりとサトを見た。
「サト、いずれそなたもわかるだろうが、
女人と違って、男というものは一足飛びに親になれるわけではないのだと思う。
生まれ出た子の泣き顔も、笑顔も、しかめつらもこの目で見て、
やわらかな頬をつついたり、頭をなでたり、大声で叱ったり、
轡を並べて馬を駆けさせたり、
剣術の相手になってやったり、
小難しい論語をみてやったり、
いろいろなことをいっしょに考えながら、
少しずつ父親になるのだ、たぶん。
・・なのに、私とワタルには決定的に欠けている数年間があった。」
そうだろう?というように、サトに同意を求める。
「だからこそ、こたびのことで、
・・そうだ、あの少年のことで苦い思いを二人で共有したぶんだけ、
少しだけだが、本当の意味で、私もワタルの父親になれたような気がする。」
タムトクの率直な物言いに、サトは笑みを浮かべた。
「ならば、そのとき、タシラカ様にそのことを直接お伝えすればよかったのでは?
お子に対するおふたりの思いは同じように思えますが・・・。」
「ははは・・・・、
そのつもりだったのだ。
が、できなかった。
タシラカに先を越されたからな。
その話を、彼女に続けさせるわけにはいかなかった。
倭の妃が国の政に口をさしはさんだということになる。」
「確かに。」
そう、王ならば、そんなことは寵愛する側室に許してはならなかった。
なんであれ政に関することで、異国出身の寵妃の願いごとを聞き届けてやったなどということになれば、苦しい立場に立たされるのは王ではなく、当の妃の方だからだ。
「タシラカをここに連れてくるときに、私は約束したのだ、
そなたとワタルは、この私が必ず守ると・・・。
まして、今回のことは、いわば、私の弱さに端を発しているようなものだ。
このようなことで、愛する者たちを窮地に追いやってどうするのだ!」
サトはうなずいたが、勇気を出して、もう一歩進んでみることにした。
「それで、タシラカ様の嘆願をはねつけてお怒りになってみせたと、
そういうわけですね?」
タムトクはこちらに顔を向けると、ちょっと恥ずかしそうな、
それでいて憂いを含んだ笑みを浮かべた。
「それは、・・怒りにかられそうになった理由は、
厳密にいうとそうではない、サト。
そのようなりっぱなものばかりではないのだ。
あまり言いたくはないが・・・・。」
タムトクはためらうように言葉を切ってから、低い声で続けた。
「さっき、王としてでなく、父として・・などと私は言ったが、
実は、もうひとつあるのだ。
・・・幸い薄いひとりの女人の息子として、だ。」
「タムトク・・さま・・」
サトは、からからになった喉を振り絞るようにして、その名を呼んだ。
「何も言うな、サト。
わかっているのだ。
・・母上のことを、タシラカに言われて、胸がひどく痛かった。
とっさに、そなたに何がわかる、そう思ってしまった。
が、あのタシラカが必死になって訴えようとしたことだ、
私を傷つけようとしたのではない、
むしろ、私を救おうとしていたのだ。
・・・そうだ、そんなことはわかっているのだ、
夫婦だからな。」
タムトクは静かな、だが、熱いまなざしで言った。
「怒りにかられている場合ではない、
私も決着をつける時なのだ。」
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