【創作】タムトクの恋・番外編~初春
王都の初春は、静かだった。
奥まった中庭にも、冬のやわらかな陽射しが差し込んでくる。
さっきまで凍った地面をおぼつかない足取りで歩いていたユナは、今はタムトクの膝の上にちょこんと座っている。さすがに疲れたらしい。
時折こちらを見上げてはにっこりと笑い、小さな手を伸ばしてくる。
うっすらと伸びた父の顎鬚が気になるらしい。
娘の指が髭をなぞるのをそのままに、タムトクは中庭の木々に目をやった。
蕾はまだかたかったが、これから芽吹こうとしている命があるのだと思った。
半月前までは、戦場(いくさば)にいた。
ふりそそぐ陽射しの中で幼い娘を抱いていると、そんなことも嘘のようだった。
義のためとはいえ人と人とが殺しあう戦場とは、いったい何なのだろうと思う。
限りなく、むごくもやさしくもなれる人間という生き物。
幾多の兵士たちの命を、直接的にも間接的にも奪ってもなお、今ここであたたかな陽射しを浴びている自分とはいったい何なのだろう・・と。
だが、それでもなお、この手の中にある愛、静けさ、あたたかさ、
触れればこわれそうなほど頼りない小さな命・・・、そんなものすべてが、タムトクはいとおしかった。
そんなものたちを守るためなら、自分はどこまでもむごくもやさしくもなれるだろうと、タムトクは心の中でつぶやいた。
「ユナ・・」
タムトクは、こちらを見上げている娘の髪に触れた。
こちらにまっすぐに向けられている丸い大きな瞳。
その透明感。
あたたかさ。
女の子とは不思議なものだと、つくづく思う。
ワタルはもちろん、チャヌスとも異質なものが感じられるのだ。
何よりも、腕の中でぽやぽやとあたたかく触れてくるものが心地よい。
それに、つややかなばら色のほほも小さな口元も・・。
そして、きわめつきなのが、大きな黒い瞳である。
じっと見つめられるとせつない気持ちになるではないか。
タシラカそっくりなのだから当然なのだろうが、そればかりではないらしい。
何か、同じ血のつながりを感じるというか・・・。
とにかく、いつまでも膝の上に座らせて、そのあたたかな存在を確かめていたくなるのだ。
だいたい、王は姫に甘すぎます、そう断言したのは、あのサトだった。
そんな不遜なことを言われても、タムトクはふんと鼻先で笑って返した。
サトも、タムトクよりも8ヶ月早く、父親になったばかりだったのだ。
『そなたに言われたくないな。
息子といっしょにいてやりたいなどと、ここ数日、城に顔も見せなかったではないか。』
『そ、それは・・、それは、ちゃんとご連絡したでしょう!
ジヌが熱を出して、アカネ一人では心配ですから、と。
王も、それなら・・、と王室付きの薬師を差し向けてくださったではないですか!』
『そうだ、だから、そなたも小うるさいことを言うな!』
あのときのサトとのやり取りを思うと、いつも笑ってしまう。
はっきり言って、あのサトとそんな話をするようになるとは思わなかった。
それも、ムキになって、だ。
子供の頃からの遊び友達で、いつもいっしょにいて、王になってからも側近中の側近として自分をささえ、いつも生真面目そうな顔で、タムトク様、それはなりませぬ!などと言っていた、あのサトとである。
お互いに父親としての第一歩を踏み出したのだと、タムトクは思う。
「なにか、たのしいことでもありましたの?」
いつもの声が聞こえて、軽い足音が近づいてきたと思ったら、すぐに肩越しにタシラカの顔がのぞき込んだ。
「そろそろ、眠くなる時間ですわ。」
「そうかな?」
「ええ、そうですわ。
タムトク様も、そろそろお城にお戻りになる頃ではないですか?
お迎えの方も見えるのでは?」
ああ・・、と生返事をして、すぐ横にあるタシラカの顔を見返す。
にっこりとやさしい笑顔だ。
こっちはちょっとどきどきするが、向こうはユナに気をとられているらしく何とも思っていないらしい。
さっと、彼の腕からユナを取り上げてしまう。
なんだ、つまらん、そう思いつつ、タシラカの腕の中を見れば、なるほどユナは指しゃぶりを始めている。
「そなたの声が聞こえたからだぞ。
今までは機嫌よく遊んでいたのだ、
そうだな、ユナ?」
「はい。
ユナはお父様が大好きですものね。」
タシラカが笑顔で返してくる。
悪い気はしない。
そう、タシラカに勝てるはずもない。
だが、さあ、あちらでお昼寝しましょうね、などと、くるりと背を向けてしまわれるとなんだかちょっとつまらない。
彼女の肩越しに、『つまらんぞ』の意味を込めて言ってみる。
「チャヌスの手習いはどうだ?
もう、終わったのか?
そなたが見ていたのだろう?」
ええ、とタシラカがふりかえる。
「ちちうえに見ていただくんだなんて、張り切ってましたけど、半時続けるのがせいいっぱいですわ。
でも、まだやっと二歳になったばかりですもの・・。
ワタルもあの年頃のころはすぐに飽きてしまっていました。
男の子はそんなものです、体を動かすほうが好きですもの。」
なだめるようなやわらかい笑顔。
タシラカ・・。
出産後体調をくずしていた正妃スヨンが亡くなったのは、半年前のことだった。
あとに残された一歳半のチャヌスを、この屋敷に引き取ってはどうかと言い出したのは、タシラカだった。
タムトクがためらいつつもこれを受け入れたのは、ほかにそれ以上適切な道が思い浮かばなかったからだった。
第一に、タムトクが戦続きで城を留守にすることが多かったのにもかかわらず、城内の奥向きのことを取り仕切る能力のある女官長がいなかった。
さらに、ただひとりの妃タシラカは出産後体調がまだ十分回復していなかったし、生まれたばかりのユナの世話もあった。
それに、チャヌスには乳母や侍女たちが取り巻いていたが、その世話に十分目が届くというわけでもなさそうだった。
スヨンの後ろ盾となっていたハン一族は、スジムの事件以来すっかり没落していたからである。
結局、タシラカの提案をタムトクが受け入れたとき、当然、各方面から反対の声が上がった。
城内の古くからの家臣たちは、高句麗王家の正統な血を引く唯一の王子チャヌスを倭の女人などの手にゆだねてよいのかと言い立てた。
その一方、タシラカの後ろ盾である長老家からは、なさぬ仲の王子を引き取って、もし何かあったら痛くもない腹をさぐられるなどと、心配する声が上がったのだった。
そんなものを押しのけての決断だった。
それから半年、周囲の不安をよそに、ともかく何とかここまでやってきた。
チャヌスの世話は乳母や侍女たちにまかせているようだが、彼女の指示で、日に二度の食事は皆でとるようにしている。
自然に、子供たちは仲良くなったようだ。
それもこれも、タシラカの手によるものだとタムトクは思っている。
チャヌスや乳母たちとの距離のとり方に戸惑いながらも、できることには手を差し伸べようとする姿勢があるのだろう。
10日前に戦場から帰ってきたとき、どうだ?とたずねたタムトクに、タシラカは鎧の帯を解く手を一瞬止めて、こんなことを言った。
『なにごともございません、なんて言ったらウソになります。
これだけ大所帯で、子が三人もいればいろんなことがありますわ。
でも、タムトク様のお顔を見るたびに、
ああ、こたびもご無事で帰ってきてくださったわ、子供たち三人も元気だわ、よかったわって、そう思ってしまいますの。
・・それなら、もう2,3人、他の方にお子をつくらせてもいいかですって?
それは、だめですわよ、もちろんですわ。
私、もう手一杯ですから・・・』
あのときのタシラカの眉をつり上げた顔を思い出して、タムトクはまたくすくす笑った。
タシラカはユナを抱えたままちょっと怪訝な顔をしたが、すぐに、彼のくすくす笑いを彼女なりに理解したらしかった。
「タムトク様だって、小さいころは手習いを抜け出して遊びにいらっしゃったことだってあったでしょう?
サト殿を上手に言いくるめたりして・・・」
「ああ、そうだな、そうだったよ。」
「チャヌスも同じですわ。
今も、ワタルとふたりでお父様を待っていますわ。
手習いが終わったら、凧揚げをする約束だとか?
あら、もう、そんな時間はないかしら?」
「城の文官どもは待たせておけばよいが、ワタルもか?
10歳にもなって、凧揚げなんてするのか?
棒術の初稽古はもう終わったのか?」
ワタルに対しては厳しすぎるとわかっていながら、つい強い口調になる。
タシラカはやわらかく返してくる。
「ワタルだって、凧揚げくらいして遊んでもいいでしょう?
父上が帰ってこられらって、うれしくて仕方がないんですから。
それに、棒術の先生は先ほど帰っていかれましたけど、
そろそろもっと手だれの方を探していただきたいとぼやいていましたわ。」
ふむ、とタムトクは苦笑する。
そなた、何でもわかっているのだな、
私が戦場で駆け回っている間に・・。
タシラカの腕の中では、どうやらユナが眠りに落ちたようだった。
タムトクは妻の肩を抱く。
あら・・、とふりかえった彼女の口元に、そっと唇を押し当てていった。
城の文官どもは、もうしばらく待たせておこう。
子供たちは・・、どうするかな・・?
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