2010/07/12 00:06
テーマ:野良猫報告書
カテゴリ:生活・日常(家族)
家族をなくした野良猫の一日
近所の野良世界一のオシャレ猫、モニャン。後でわかったことだが、モニャンはびっ こ引きの猫と兄妹だった。
少し前に、「かわいいびっこ引きの野良の1日」というタイトルで
ブログの記事をかいたことがある。
そこでびっこ引きの猫をいじめていたグレーの猫を、ご記憶だろうか。
私は、この野良猫のことが、最近とても気になっている。
モニャンが自分の寝床で眠っている。
結論から言うと、びっこ引きの猫をいじめていたあの時のグレーの猫の'蛮行'は
少し度の過ぎたいたずらに過ぎなかったようだ。
びっこ引きの猫を獣医師に預けてから数日後に
グレーの猫のところを訪れてみたところ
そこにはなんと、びっこ引きの猫を攻撃していたグレーの猫が
誰かを待っているかのように、たたずんでいたのだった。
目を覚ましたモニャン(上)。あごを掻き掻き、グルーミング(下)。
モニャンが住んでいる通りのチキン屋の青年の話では、
もともとモニャンとびっこ引きの猫は、同じお腹から生まれた姉妹だというのだ。
2匹は昨年の11月末頃にチキン屋の通りで生まれた後、
ずっとここで育ったのだと。そして
チキン屋はこれまで、2匹に店で残った鶏肉をあげて育ててきたそうだ。
一日の始まりに、めいっぱいの伸び。
びっこ引きの猫が怪我をしてから2ヶ月あまりは、
モニャンが妹の'保護猫'として生きてきた。
なので、あの時びっこ引きの猫を攻撃しいじめていたのは
妹へのいたずらがすこし度を過ぎていただけで
その過激ぶりに、僕がグレーの猫を誤解してしまっていたのだ。
「ねえ、びっこはどこに行ったの?」と僕に問いかけているようなモニャンの眼差し 。
ともかく、そういった事情を知ってからは
僕はたまにモニャンのなわばりを訪れて200ウォンのソーセージをあげたり
猫缶を何度か持っていってやったりした。
びっこ引きの猫がいなくなってから1ヶ月ほど、
モニャンは少しうつ病気味だったようだ。
近所に遊びにも行かず、自分のすみかでぼんやりとしているのをよく見かけた。
モニャンが散歩に出かける。車の下でクリーニング屋のほうを眺めているモニャン(上)。
ゆっくりと道を渡り、クリーニング屋のほうに歩いてくる(下)。
モニャンが少し元気になってきたのは最近のことだ。
モニャンの一日は朝起きてグルーミング(猫の顔洗い)をするところからはじまる。
かなりの間、体中すみずみまでつばをつけて綺麗にふき上げた後、
寝床から出てきて前足をぐぐっと伸ばし、ストレッチ。
クリーニング屋前に到着したモニャン。一足遅れた。エサがない。
チキン屋で鶏肉のエサを出してくれる日は
そこで朝食を済ませ、
エサがなければクリーニング屋までエサ狩りに出かける。
モニャンは典型的なコリアンショートヘアーよりも足が長くスタイルがいいので
僕はこれまで「モニャン(おしゃれちゃん)」と呼んできた。
畑の空き地にやってきたモニャン。
ともかく、モニャンはそうやって自分の寝床から出てきてクリーニング屋へと向かう。
ところがエサ天国のクリーニング屋前も
すでに他の野良にゃんこ達がエサを食べてしまった後で、何も残っていない。
やむを得ずモニャンは、チキン屋が営業を始める夕方まで
待つしかなくなるのだった。
ヒボンとカムニャンが遊んでいるのをずっと見ている。
モニャンは先にお腹を満たしたヒボンとカムニャン兄妹に近づいていく。
畑の空き地が彼らの遊び場なのだ。
ヒボンとカムニャンが空き地に捨てられている植木鉢を上ったり下りたりして遊んでいたところに
久々に訪ねてきたヒボンと出会った。
いっしょに遊びたくて気を引くような行動をしてみるが、ヒボンとカムニャンは無関心。
ここはヒボンとカムニャンのなわばりなので
モニャンは彼らのご機嫌を伺いながらいっしょに遊ぼうと愛きょうをふりまいたのだが
ヒボンとカムニャンは薄い反応。
モニャンは、畑の真ん中の銀杏の木に登るという芸を披露して気を引こうとした。
なんてたって、モニャンの木登り芸は、ほとんどリス級の腕前。
しかしヒボンとカムニャンは、しばらくそれを不思議そうに見ているだけだった。
モニャンの銀杏の木登り芸。モニャンは木登りが得意。
ヒッカム兄妹が遊んでくれないので
モニャンはひとりで木陰に入って遊んでは
植木鉢のまわりをぐるぐる回ったり
わけもなく畑の小高くなったところにのぼって大声で鳴いたりしてみた。
「見てた?教えてあげようか?」「いいよ!」それでも関心のないヒボン。
実はここは、びっこ引きの妹猫とよく遊びに来てふざけ合っていた場所。
モニャンは当時のことを思い出すかのように
植木鉢の上にのぼり、しばらくびっこ引きの猫と遊んでいた畑を見下ろしている。
もともとはモニャンも、兄妹が4匹もいたのだ。
そろそろ家に帰ろうかと考えている。
しかし兄妹のうちの2匹は生まれてまもなく死んでしまい、
なんとか生き残ったびっこ引きの猫は足をケガしてしまって
モニャンが保護猫役をしなければいけなくなった。
猫の心が人と変わらないとしたら、
きっと今、モニャンの頭の中には、そのときの出来事が
走馬燈のように通りすぎているに違いない。
モニャンが畑の小高くなったところにのぼり、しばらくの間ずっと何かを見つめてていた。
猫たちにも記憶というものがあるとしたら、
きっとモニャンの頭の中には昔のことが走馬燈のように通りすぎていたはずだ。
夕暮れにしてはまだ日も明るいけれども、
モニャンは自分のすみかへとゆっくり歩いていった。
その後ろ姿がどうにも不憫でならなかった。
-イ・ヨンハン氏ブログ 「雲と鮭、あるいは雨期の旅人宿」、2008/03/29記事より-
-大きい写真でご覧になりたい方はこちらへどうぞ。F2C「野良猫報告書」 -
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