2008-02-13 00:47:31.0
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

夜明け

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『太王四神記 第10話』はタムドクと引き裂かれてしまった悲しいキハが印象的でした。「私じゃない!」って叫べなかったキハ。火天会に阻まれるのはしょうがないとして、せめて言い訳をさせてあげたかったと思います。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。かわいそうだぁぁぁ。。。

タムドクの父が自殺したことや、タムドクがキハとああまでして別れなければならなかったのはなぜ?。ヤン王が「タムドクがチュシンの王になることを何人をも阻んではいけない」と言っていました。二人はタムドクが王になるために犠牲になったということなのでしょうか。確かに、タムドクは自覚しようと心が動き始めています。

 

久々にユング心理学の本を開き、テサギの登場人物を本に出てくる象徴や心の構造に当てはめて整理してみました。

心の全体がチュシンの国です。中心である自己が何かはまだわかりません。心の表面化したものである自我がタムドクとして考えるとわかりやすいように思いました。本の中にこんな文章があります。

自我は本来それ自身の任意の欲求に際限なくしたがうようにはできていず、全体の心―全体性―の現実化につとめるようにできているとさえ思われる。心の全体の組織に灯をともし、それを意識化し現実化させることに役立つのは自我なのである。

              【河合隼雄 監訳:人間と象徴 下 より】

これは“個性化の過程”という章の最初の方に書かれてます。人間がどのように心を成長させながら生きていくのかを概略というか抽象した言葉なんだと思います。普遍的無意識という誰もが持っている心の奥底にあるものを意識化して表現していくのが自我。様々な葛藤をくりかえしながら「その人」という全体をつくっていくということです。だから、“自我”がタムドクで、“その人の心全体”がチュシンの国になります。

 

本は下記のような文章が続きます。

個性化の過程は、生来の全体性の胚種と、運命による外的な作用との妥協以上のものである。主観的な体験によって、われわれは何らかの超人的な力が、創造的な方法で積極的に介入しているという感じを受ける。

ときとして、秘められた計画にしたがって、無意識が自分を導いていると感じられる。それはあたかも何者かが自分を見ているかのようである。それを私は見ることができないが、それは私を見ている。―たぶん、夢によって私にたいする意見を告げる心のなかの“偉大なる人”なのであろう。

人間は自分の発展に意識的に参加できるということを前提に心は、元来が持っている質に自分ではどうすることものできない力(運命)が影響して変化します。さらにそれ以上の力が加わって成長をするのだと私は解釈しました。

この文章に出てくる“何らかの超人的な力”がテサギでは天の力ということにならないだろうか。

さらに続けると・・・

しかし、この心の中核の創造的で積極的な面は、自我がすべての意図的な、あるいは、願望による目標を捨てて、より深く、より基本的な存在の形態にいたろうとつきとめるときにおいてのみ作用するのである。自我は何らかの計画や目標をももたず、成長への内的な要請に注意深く耳を傾け、身をゆだねることができなければならない。

これからのタムドクを表しているように思えます。自らの欲求を捨て、自らに与えられた存在の意味に身をゆだねようとしていきます。それが自覚であり、自覚することによって天の力が作用していくということではないでしょうか。

 

キハはアニマではないかと以前書きました。タムドクとキハがあんな引き裂かれ方をされなければならなかったのはなんでか考えてみます男性にとってのアニマは母親的存在であり、運命の女性でもあります。本には下記のように述べられています。

男性の心のすべての女性的心理傾向が人格化しされたもので、それは漠然とした感じやムード、予見的な勘、非合理的なものへの感受性、個人に対する愛の能力、自然物への感情、無意識との関係などである。

どうも、このアニマに大きく影響されて支配されると「人生の困難さに立ち向かえなくなる」「男性をセンチメンタリストにしてしまう」ということのようです。確かに、キハはタムドクを保護して困難から遠ざけようとしました。それは自我が成長しないことを意味するのかもしれません。ですから、どうしても離れなければならなかったのでしょう。自我が目覚めるためです。タムドクのため・・・ではなく、ヤン王が言ったようにチュシンの国のためなのかもしれません。

 

アニムスは誰でしょう。支配的に「~すべき」と善悪の判断をはっきりと決めていくのがアニムス。ヨン・ガリョ率いる部族会議かなあとも思いますが、わかりません。

影はホゲ?その資質は自我も持っているが、嫌って否定したいものになるのですが・・・。スジニは何?アニマの一部でキハとは別の部分かしら?火天会と長老は何?・・・

ドラマが進んでいくと考えが変わるかもしれません。来週以降も楽しみですが、登場人物に感情移入すると辛いわあ。

 

今日の写真は、タムドクが目覚めていくということで朝陽に照らされた富士山です。いつものように散歩中に撮影しました。陽がまだ当たらない街に点々としている車のテールランプの赤色が気に入っています。

下記の長い写真は4枚分を合成したものです。ホントは360度ぐるりと撮影しましたが、掲載しても見難いのでやめました。

新しいIXYの変なモード、ワンポイントカラーで撮影したのが下記です。朝焼けの色をポイントにしました。白黒写真でもなく、カラー写真でもなくという色になりました。薄紅色した空と富士は恥ずかしそうに頬を染めているみたいです。同じ場所から同じ構図で撮影しても雰囲気が違ってくるものです。

  

 



[コメント]

1.Re:夜明け

2008-02-13 20:05:42.0 kyomaiko

こんばんは。キハにせめて言い訳をさせてあげたかった・・・私もそう思うわ!「ネ ガ アニヤ!」って叫ばせてあげたいです。でもそうしたら、話が丸く収まって終わってしまうか?「夜明けの富士山」美しいですね。何時ごろの写真なんでしょう?ソクラテスさんはいつも早起きなんですか?


2.Re:夜明け

2008-02-14 05:22:48.0 ブログ主(ソクラテス)

kyomaikoさん、私は仕事へ行く前犬の散歩をするので6時頃の起床です。現在日の出は6時半ころです。たぶんそのくらいの時間に撮影してます。富士は雪が増えたので、白い肌がピンク色に染まるようになりました。


3.Re:夜明け

2008-02-14 22:48:42.0 kyomaiko

飲み会はもう終わったのかな~?6時起床ですか・・・。私は、まだ布団の中でごろごろしてるな。ピンク色に染まった富士山て、ロマンチックな感じですね。夕焼けだと赤く染まるのでしょうね・・・。


4.Re:夜明け

2008-02-15 06:17:59.0 ブログ主(ソクラテス)

夕べはビールとワインを飲みました。50名近くの大宴会でしたよ。今朝は都会で夜明けです。ここからも遠くに富士山が見えます。夕焼けの富士は紅富士って呼ばれる風景があります。白い富士は少し女性的なしなやかさ、夏の肌が見える富士は男性的な雄雄しさがあるように私は思います。遠くから見る富士はかわいいわ。


 
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