2012/05/06 06:58
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薩埵峠

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昨日、久しぶりに富士山が見えたので、カメラを持ち、リュックを背負い、JR興津駅から由比駅まで歩きました。
やや日差しは暑かったのですが、潮風が心地よく吹いていました。

みかんの白い花は咲きかけで、近づくと甘い香りがしました。
駿河湾には航行する漁船やフェリー、ヨットが、青い海の向こうは伊豆半島や三保の松原が見えました。

思わず歌ってしまいました。

 ♫みーかんのはーなが さぁいている~
  思い出の道 丘の道
  はるかに見える 青い海
  お船が遠く 霞んでるぅ~



薩埵峠には4つの道があったそうです。
①薩埵地蔵道:由比や蒲原の人が東勝院のお地蔵さんへお参りにいくための道。
②上道:1654年に幕府が朝鮮通信使を迎えるために開き、参勤交代の大名も通った道。
③中道:1682年に東海道として整備した道。朝鮮通信使が整備したとも言われているそうです。現在のハイキングルート。
④下道:古来から使われていた「親知らず子知らず」の海沿いの道。JR東海道線が通っているあたり。

   


箱根と並んでここを通るのは難所だったんですね。今でもですけど・・・。
東海道本線がぎりぎり陸地で、日本の大動脈である東名高速道路と国道一号線は海に飛び出してつくられています。
新幹線はもっと山側で、ずーっとトンネルになってます。
東海地震がくると駿河湾で津波が発生するので、ここは寸断されると予想されます。静岡は山側が南アルプスになるので、太い幹線道路がなく、地震がきたら大変なことになると言われていました。

・・・で、新東名が急がれたようです。
それから中部横断道ももう少しですかね。

      

この写真↑ですが、クロスしている上の道路が東名です。
下は国道一号線で、陸に沿って通っています。
一番左に東海道線が見えます。

この辺りをドライブすると、富士山がドーンと目の前に見えてきます。
東名に由比PAあります。
トイレしかない小さなパーキングですが、駿河湾越しの富士山が見えるステキな場所です。
富士川SAから観る富士山の方が迫力がありますけど・・・


下↓の右の写真は振り返って道路を見たところです。
国道はくねくね、東名はトンネルから出てきています。
遠くに見えるのは三保の松原と清水港です。


近いのに来たことがなかった薩埵峠です。
気軽に歩けるハイキングコースなので、季節を変えてまた来てみたいと思いました。


【追記】
季節なのでこんな歌も歌っちゃいました。

 ♫柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
  遠いお山も 背くらべ
  雲の上まで 顔だして
  てんでに背伸(せのび) していても
  雪の帽子を ぬいでさえ
  一はやっぱり 富士の山

     (「背くらべ」の2番です)

それから今の静岡は猫の手も借りたいくらいの忙しさです。
 
 ♫日和つづきの今日此の頃を、
  心のどかに摘みつつ歌ふ
  摘めよ 摘め摘め
  摘まねばならぬ
  摘まにゃ日本の茶にならぬ

    (「茶摘み」の2番です)


2012/02/26 12:17
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寒桜

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NHKの番組【極上 美の響宴】「シリーズ東山魁夷の旅」『挑戦の京都』の再放送があったので見ました。
魁夷画伯の描いた京都の風景を探す番組です。
http://www.nhk.or.jp/artbs/kyoen/content/ (NHK‐BSプレミアム)

私は絵を描くことも鑑賞することも苦手としていて、巨匠と呼ばれる彼の絵を知りませんでした。どこかでなんとなく目にしていたかもしれませんけど。

放送を見て私が興味を惹かれたのは、彼の構図です。
番組では「日本の文化を凝縮して切り取った風景」と言ってたように思います。
絵の中に人は出てきませんが、そこに生活しているであろう人が感じられる風景です。
人の手が加わった場所であるということがわかるというか・・・。

  

北山杉の植えられた山の絵は、杉の幹が真っ直ぐであることを強調して人が枝を剪定していることを表現しているそうです。
二条城では積み上がった石垣に職人の技を探し出し、その部分だけを描いています。しかも正確に描写されています。
東福寺の庭の石も選び取った配置の一部を転写するように描いています。

全体でなく一部を切り取って描写することで、風景の広がりを持たせているとか。見えない周囲を想像させるのだということです。なるほど。
魁夷画伯自身が作った京都ではなく、その風景に関わった日本人の心を表現しようとしているのかなと思いました。番組のホームページには「人々の営みによって育くまれた古都の姿」に挑戦をしたのだと書かれています。

魁夷画伯の描いた絵を探し求めて多くの人が旅するのがわかるような気がします。
画伯がどの部分を切り取ったのかを目にしてみたいと思っちゃいますもの。そして、そこで何を感じ、何を伝えたかったのかを考えてみたくなります。



 写真をこんな風に撮ってみたい!

これが私の感想でした。広がりのある写真、何かを想像させる写真が撮れたらいいなと思ったのです。

とりあえず『京洛四季』、魁夷自身の詩文も掲載されているというその画集が欲しくなってきました。それから、東山魁夷美術館に行きたいと思いました。長野県信濃美術館に東山魁夷館があるのですね。3月は「麗しの大和」展だそうです。京都を描いたものもいいけど、私は大和好きだし・・・。行っちゃうか・・・。でもお金無い・・・。



  

今日の写真は京都とは関係ありません((^^))。

タイトル下は先日の梅と同じ久能山東照宮で撮影したもので、寒桜です。春ですよ。

あとの2つは東大寺盧遮那仏の台座(蓮弁)に描かれている線絵です。
上の観音様はちょっと色を加工しました。絵画風にならないかな~って思って^^
下の絵は奈良絵の元になったものと聞いていますが、そうなのかな。
巨大なものの一部を切り取ってみたということで・・・。


 




2011/11/13 13:11
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木遣り

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 奥山の大木 里にくだりて 神となす ヨーイサ

2010年の御柱、下社の山出しに行ってきました。
諏訪大社の氏子総出で大木を曳く行に圧倒されっぱなしでした。

私が付き添ったのは棚木場(たなこば)から注連掛(しめかけ)までです。
木遣りの方たちの「おね~がい~だ~」という歌に合わせ、「コーレーハサンノーエー ヨイサ ヨイサ・・・」という声を掛け曳き綱をひっぱります。
木遣りの人たちの歌は“鳴く”というそうです。曳子をしていたおじさんが「頑張って鳴いてくれよ~」と言っておりました。

下社の柱は乾燥させてあるとはいえ4~5tはあるらしいです。たぶん千人単位の人が力を合わせて、大木を曳いて・・・本当に引き摺って・・・山から里に下してきます。
その列は長く、元綱が300mというからそれ以上の距離に人々がいることになります。すべての人の力を合わせなければ木は動かないため、木遣りの人の鳴きが曳きの速度を左右しているんだなあと思いました。

木遣りの方たちは、長い列のみんなに1つの号令が届くように前後に散っていて、互いの声を糸にして繋げているという感じです。高い声で一斉に鳴き、曳子を一つにまとめます。朝から夜までずっと鳴きっぱなしですから、声が嗄れてしまいそうです。
下↓の動画は秋宮1の柱が注連掛に到着する直前の曳行です。
http://youtu.be/L-zOs6MIOFk



【追加】http://youtu.be/Nws2WZe3hU8
木落としの動画ですが、その瞬間だけでなく編集されていて、現場の雰囲気が伝わってきます。

多くの人の力が集結しないとできない行です。老若男女皆がそれぞれの役割を責任をもってこなし、一つのことを成し遂げていました。すごい!すごい!と興奮して感嘆、そして感動すら覚えました。

下左は柱の後ろの追掛衆(水色の人たち)です。柱の方向が定まるように綱を操り、木落としでは落ちるスピードを後ろから支えるそうです。華やかな木落としは有名ですが、後ろでは太い柱にこの追掛け綱を括り付けて落ちないように操作しています。最後にピンと張った綱を斧で切るのもこの中の誰かかな。

追掛衆の前の赤い服装の方たちは梃子衆で、木の棒を持っています。梃子を使って柱のかじ取りをしているそうです。

下右は元綱衆です。柱の直前で曳いているので、綱がこんなに低くてすごい体制になってます。腰を痛めないか心配です。
腰に大工道具のようなものをつけている方がいますが、綱の修理に使っていました。この綱も氏子さんたちが編むのだそうです。綱が途中で切れたのを修理したりするのも元綱衆の仕事のようです。

その他、ラッパ隊や旗を持つ人などもいます。


柱は20mほどあるのでしょうか。長いですから道がくねっているとそりゃ大変です。
山出しは木落としだけでなく、全行程を通して勇壮で魂をゆすぶられる祭りだと思いました。
7年に1度ですが、次の曳行に向かって毎年準備をしていかなければならないそうです。里の人たちの絆や祭りへの誇りが、太古から続いている日本人の文化や風習を継続させているなって思いました。


人が曳くことによって山の大木は神になる・・・これが御柱でしょうか。その過程にはたくさんの人の熱い思いがあり、里という人の社会をまとめる力になっているのかなと考えた旅でした。


山出しは4月上旬です。里は桜や水仙など春を待ちわびた花たちで美しい風景でした。
 


2011/10/29 12:40
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三井寺(園城寺)

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アーネスト・F・フェノロサという人物がちょっと気になりました。岡倉天心と共に、法隆寺の夢殿を開扉し、救世観音像を私たちの前に現せた外国の方・・・ということしか知りませんでした。ただ、“ゆめどの”と“ふぇのろさ”という2つの言葉は、木綿の布でぐるぐる巻にされて千年もの間誰の目にも触れずに隠されていた救世観音像≒等身大の聖徳太子と重なって、なんとも幽玄な印象を私に与えてくれました。(“おかくらてんしん”という響きもなんか不思議な響きです。)

フェノロサさんってただの日本好きな方ではなかったんですね。西洋に追いつけとばかりの明治時代、廃仏毀釈で多くの寺院や仏教美術が壊されていた日本を救った方と言っても過言ではないようです。興福寺は僧がいなくなるほど荒れてしまったのだから、彼がいなかったら私たちは阿修羅像を見られなかったかもしれませんね。

↓↓フェノロサの人生↓↓
 
【日本人よりも日本美術を愛した男】
     (「文芸ジャンキー・パラダイス」の≪あの人の人生を知ろう≫より)

何よりびっくりしたのは、彼が生前に受戒して仏教に帰依していたということです。そして、戒を受けた大津の三井寺(園城寺)の法明院に彼のお墓があるそうです。生涯日本に在住していたのではなく、米国に帰国していたのですが・・・。

  三井の晩鐘

三井寺というと、近江八景のひとつであり、日本三銘鐘であるこの晩鐘が有名です。たしかに素敵な響き(唸りっていうのかなあ)です。また、天智・天武・持統天皇の産湯になる霊泉を汲んだ井戸(閼伽井屋)があることでも知られています。
これらの三天皇は飛鳥で生まれているんじゃないのかなあ。ここから水をどうやって運んだのかなあ?桶に汲んで飛鳥まで山を越えて運んだとしたら、大変な苦労だったでしょうね。

この三井寺、正式には「長等山園城寺」というそうです。壬申の乱に敗れた大友皇子(弘文天皇)の皇子が父を弔うために建立したのがはじまりだそうです。さまざまな争乱や焼き討ち、派閥の対立などがあっても人々によって支え、伝えられてきたため「苦難を乗り越えてきた不死鳥の寺」と言われているそうです。

昨年の11月に母と大津へ旅行しました。写真はその時のものです。楓の紅葉が見事でした。
このお寺、境内が広大で琵琶湖の望める場所もあり、歴史を考えたりしているとゆっくり1日かけて楽しめるなあと思いました。フェノロサのお墓のある法明院は境内よりやや北側の場所にあります。昨年はそれを知らなかったので足を延ばしませんでした。残念!もっとも、前日比叡山延暦寺を歩いた母は主要な参拝所を順路に沿って巡るだけでも辛そうでしたが・・・。
ちなみに、弘文天皇陵も園城寺の北側、フェノロサのお墓の近くにあるらしいので、今度はひとりで歩こうっと。

  仁王門


フェノロサというと、薬師寺の東塔を「凍れる音楽」と評したと伝えられています。この言葉に、私は東塔が何かとても冷たい、またはシャープな表情をもっているのではないかと思ってしまいました。でも、そういうことではないんですね。
凍れる音楽 frozen music」とは「固まった(動かない?)音楽」という意味のようです。何も薬師寺東塔だけのことを指すのではないし、フェノロサの言葉でもないということを調べていて初めて知りました。
【凍れる音楽...。】

ゴシック建築を表現する言葉のようで、リズムや調和のある建築物ということだと理解しました。↓↓ここもわかりやすいかな。
【建築は凍てれる音楽である~音楽の構造】 (「作曲する言葉」より)

なるほどな~。裳階のついたスラリとした三重塔は、リズム感やハーモニーのある建築だ~って言われると納得できそうです。歌手・さだまさし氏は♪瑠璃光♪ の中で「沈黙の交響楽(シンフォニア)」と歌っています。
この東塔は現在修復作業中。10年はかかるということなので、当分その美しい姿は見られません。天武天皇の発願で妻の持統天皇が完成させたので、1200年以上の歴史を見続けてきた塔です。多くの人(では表現が乏しいですが)がその前を通り、その姿を見上げたんだろうなあと想像します。平成の宮大工さんたちの手でまたこれからの千年の歴史も積み重なることになるのでしょうね。



三井寺の近くに琵琶湖疏水の入り口があります。この水がトンネルを通って京都の街に流れ込んでいるんですね。


2009/12/10 06:17
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紅葉

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12月初旬、長崎の友が京都の友のところへ遊びに行こう!というので、出かけました。忘年会翌日だから、何時に着けるかわからないよ~っと言っていた私ですが、早起きしちゃいました。三脚、レリーズ、換えのバッテリー、パソコン・・・と使いそうなものをとりあえずキャリーバックに詰め、昼には京都駅に着いていました。

どこに行きたいかと聴かれて、「人の少ないところ」と答えた私。友が紅葉見ごろのところを探して、いろいろプランニングしてくれました。長崎の友は2日前から来ていて、京都中を周っていたようです。w(゚ー゚;)wワオッ!!

連れられるままにまず行った先は下賀茂神社。神社よりも糺の森の美しいこと。雨上がりだったため、少し濡れた木々がキラキラしていました。どこの鎮守の森もそうなんでしょうが、人の手が加わることによって維持されているんですね。糺の森は原始林ではなく原生林なのだとwikipediaに書いてありました。このあたりが山背国(山城、山代)といわれていた昔から人が植林したり、伐採したりしながら守られてきたんですね。

12月5日、7日開催のCOP15に合わせ、地方銀行64行による「日本の森を守る京都サミット」が開かれたそうで、下賀茂神社でイロハモミジの植樹を行なったというニュースを知りました。“里山”と同じように、人の関与が自然を維持する、人と自然が共存するという方法を“鎮守の森”に見たような気がしました。
森は人の出入りが自由で、お買い物や通勤で自転車に乗って通る人や、タモを持った子供の集団に出会うことができました。もちろん、私たちのような観光客が一番大勢いましたが・・・。



京都はカエデがとても多いと思いました。路線バスにのりながら、外を眺めていると、街路樹には銀杏もありましたが、神社仏閣の庭にある色づいたカエデが目に飛び込んできます。もう12月なので、かなりの葉が散って絨毯のようでした。葉の去った木の枝から陽光が差し込んだ風景が印象的でした。
夜はライトアップした大覚寺を訪問しました。ライトアップは見せたいものだけが浮かび上がり、どんな方向から写真を撮ってもかっこよく見えます。

見せることを考えた風景なんだろうなと思いました。さすが観光の都市です。古いもの、自然のもの、新しいものを混ぜて、訪れる人を楽しませてくれます。




ライトアップを見た後、仕事の終わった別の友ふたりと合流し、小さな焼き鳥屋でビール飲みながらワイワイガヤガヤ。10席ほどしかないそのお店のメニューをすべて食べつくしたんじゃなかろうかというほど食べました。忘年会明けの私は途中から眠くなって、友の肩にもたれて(∪。∪)。。。zzzZZ

私たちがお邪魔した京都の友はなんと2日前に引越しをしたばかりでした。まだ部屋にはダンボールが・・・。とりあえず私たちの眠る場所だけは確保しなければと片付けてくれたようです。申し訳ない!

【以下少し加筆】
友のマンションは隣の大津市の「大津京」という駅の近くでした。大津京・・・といえば、白村江の戦いに敗れた中大兄皇子が即位して(天智天皇)都を置いた場所。以後、大友皇子(弘文天皇)⇒壬申の乱⇒天武天皇と繋がる激動眠る場所ね。私にとっては奈良についで興味津々な場所になります。今度は三井寺や瀬田の唐橋とかに行ってみたいです。
また泊めてね~






タイトル下の写真は真如寺で撮影したものです。
次の縦2枚は糺の森撮影、
3つ目の横2枚左:糺の森、右:大覚寺のライトアップモミジ
最後の紅葉の絨毯は真如寺です。


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