2009/10/04 00:41
テーマ:『韓国の美をたどる旅』 カテゴリ:趣味・特技(その他)

月夜

Photo

『韓国の美をたどる旅』のイベントでヨンジュンさんが朗読してくれた“月夜に照らされた弥勒寺跡の石塔”をじっくりと読みました。会場ではヨンジュンさんの朗読に耳を傾けつつ、スクリーンの字幕とヨンジュンさんの動作を交互に見ていて、情景の想像が乏しかったからです。
あ~、ハングルでヨンジュンさんの語りが理解できたらいいのに・・・


弥勒寺跡について書かれているののは“捐”でくくられた章でした。皇龍寺跡と2つ、千年の昔に思いをはせながら現在の世界との対比で語られています。それは千年前の人と自分との対比のようでもあります。
“捐(捨てる)”ってどういうことなんでしょう。

広大な空間に千年前の人々が夢を積み上げたように、自分も何か夢をどこかに積もうとしている?積み上げる力は目に見える物質的なものやテクノロジーではなく、心とか希望とかそういう人の内側から出てくるもの?

古い都市は「刃のような現代都市」と違って人に優しいと感じるようです。欲望のために飾りたてる空間は人を疲労させてしまうから、もっとシンプルで自然な空間に身を置きたいと思っているのでしょうか。“捐(捨てる)”とはそういうごちゃごちゃしたものを取り除きたいという意味なのかなあと考えました。
どこの章だかわからなくなっちゃったけど、聖徳太子が夢殿にこもって夢想した姿に似た話がありました。ヨンジュンさんは自分なら本を持って部屋に入るといっていました。自分はまだ満たされていないというか、吸収したいことがあるからというか、だから身一つにはなれないというようなことでした。これと”捐”はつながるのかな。まだ自分は捨てる時期にきていないということでしょうか。難しいことを考えています。




文章を読むと、ヨンジュンさんはまだ陽のある明るい時間に弥勒寺跡にやってきて、ここで夕暮れを迎えたようですね。広野や博物館などを観て歩き、説明を聞き、土や石に手を置き、景色を眺めて、この寺を作ろうとした王と王妃、実際の建造に当たった工人、巨大な建造物を見上げた民などの様々な人の思いを自分の内に引き込んだようです。
そうして、あの詩のような一節ができたのですね。


日が落ちて暗くなった弥勒寺跡地に立った彼はそこをぐるりと見渡し、ゆっくりと歩いて東塔の下に座り、復元されたきれいな塔を見上げたのでしょう。イベントの時、舞台上で朗読しながらされたゆったりとした動作をもう一度思いおこしてみました。舞台の段に腰掛けた彼は振り向くように上を見上げました(私の記憶)。きっと弥勒寺でもそのように塔を見上げたのでしょう。なので、本にある塔のシルエットは月明かりを塔で隠すように写した写真なんだと思います。その時のヨンジュンさん目線がこれなんだって思っています。(実は、この輪郭のぼけた墨絵のような写真、月光で地面にできた影と逆光の塔とどっちなんだろうと考えていました。)

弥勒寺跡に座り込み、東塔を見上げた後、一度目を閉じて再び開眼したヨンジュンさんは、創建当時にタイムスリップしたようです。古の人も同じ風景を見ていた・・・。千年前にここに住んでいた人、できたばかりの巨大な塔を敬意な気持ちで見て夢を抱いた人のことを考えたのでしょう。

ヨンジュンさんは千年を行きつ戻りつすることによって、何かを悟ったのでしょうか。木蓮の華やかな花弁がパラパラと落ちるように、何かを捨てて夢を積む方向性が明確になったというか、悩みが吹っ切れたというか、よくわからなけど・・・(゚-゚;)
また、ヨンジュンさんは自分が叶えようとしている夢が千年後の人々にも伝わるといいなと思ったようです。西塔のように・・・

ヨンジュンさんの夢ってなんだろ。共に見ることができるのかしらん。



 


今夜の中秋の月です。
ススキと撮影したいと思ったのですが、場所を見つけることができず。
雲が出ていたので、それを一緒に撮影と思いましたが、満月が明る過ぎて難しかったあ


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