2012/08/15 00:35
テーマ:東京 カテゴリ:趣味・特技(その他)

“フェルメール光の王国展”

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フェルメール・センター銀座で開催している「フェルメール光の王国展」を先日観に行きました。本物の絵画ではなくリ・クリエイト作品です。なので、数少ないフェルメールの作品を37点観ることができました。

http://www.vermeer-center-ginza.com/

チラシを見て、絵画にあまり興味のない私が新幹線を使ってでも見に行きたいって思った理由は、下の左「手紙を読む青衣の女」をどこか(TVの番組かな)で知ったからです。窓が描かれていないのに窓明かりで手紙を読んでいるのが伝わるとその時に解説していたように思います。光を描いているのだとか。
また、「フェルメールブルー」と言われるラピスラズリの青のこともその時に知りました。

監修が分子生物学者の福岡伸一先生だったということも私の足を東京に向けさせました。先生の著書「動的平衡」はお気に入りで、私の生命の見方の幅を広げて仕事にも影響しています。
きっと、先生の考えが盛り込まれた展覧会ならば、何かフェルメールに惹かれる理由がわかるかもしれないなって思ったのです。

会場では音声ガイドを借りて、一つ一つ見ていきました。描かれているものとどんな意図でこの絵が書かれたのかという想像が会話形式でわかりやすく説明されていました。
また、色彩の使い方と光の描写のこと、カメラ・オブスキュラと奥行き感のことなどが解説された展示もあり、とても面白い展覧会でした。
会場を出た後、私は写真を撮るのがすきだからフェルメールに惹かれたんだ・・・と勝手に自分で結論づけました。

会場で福岡先生の本を3冊「フェルメール光の王国」「深読みフェルメール」「動的平衡2」を購入しました。重たいのにどうしてここで買ってしまったのかって思いましたが、興奮してたんでしょうね~。「光の王国」は先生のサイン入りがまだあったからですけど。

東京都美術館で“マウリッツハイス美術館展”が9月17日まで開催しているそうです。「真珠の耳飾りの少女」の本物に会えるようですから、もう一度東京に行かなくては・・・。

 

東京に行ったのは8月11日。
妹たちが帰省してくるのでついでに羽田まで迎えに行きました。
ちょうど帰省ラッシュで下りの新幹線の指定席は空席が夕方までなく、国際線のターミナルで遊んで帰ることにしました。
ようやく時間になりモノレールに乗ったら、東京湾の花火大会の日で浜松町は人でゴタゴタ。
それを抜けて東京駅に行ったらなんと今度は新幹線が大変なことに(゚o゚;;
大雨で一時止まっていて、ちょうど運転が再開したばかりのよう。
階段やらあちこちに人が座り込んでぐったりしていました。
私たちも混雑する東京駅で待つこと約1時間。
ようやく予定の新幹線に乗ることができました。


【追記】
私がフェルメールブルーを知ったのはもしかしたら↓だったのかもしれません。
http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/backnumber/20120401/index.html


2009/05/23 03:01
テーマ:東京 カテゴリ:趣味・特技(その他)

東京国立博物館

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先週、ようやく阿修羅展に行ってきました。仏像ブームとかで若い女性を中心に多くの人が拝観に訪れているそうですね。ゴールデンウィークほどの混雑はありませんでしたが、阿修羅の舞台周りは人が群がって身動きできないほどでした。阿修羅の立っている円舞台の周りを人が時計回りに少しずつ動き、360度の方向すべてから眺めていきます。回り舞台の逆バージョンです。係りの人がその人垣の中にいなかったら、きっと回らないだろうなと思うくらいのギューギューさでした。


阿修羅はなぜこんな人気ものなのでしょう。
阿修羅はインドの神が仏教に帰依して仏法の守護神になった八部衆の一神だということです。今回の阿修羅展でも阿修羅像だけではなく、興福寺の八部衆像すべてを拝観できました。どの像も憂いをおびた少年のような顔をしています。
阿修羅だけ特別に思えるのは容姿が他の七像と違うからかしら?

阿修羅は古代インドの「アスラ」という戦闘の神が元だと言うことです。アスラは弓と矢を手に持ち、怒りで赤くなった肌で険しい表情をしているのだそうです。帝釈天と戦いをくり返し、いつも負けているのだとか。両者の戦いの場を表す言葉から「修羅場」という語がきているそうです。
でも、八部衆の中で阿修羅だけが鎧をきていないんですよね。不思議!
これは京都の三十三間堂や中国の雲崗石窟の阿修羅も同じらしいから、興福寺の像に限ったことではないのかな?



雑誌『一個人』の記事によると・・・
興福寺の阿修羅像は『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』の「夢見金鼓懺悔品(むけんこんくざんげほん)」に関係するものであると考えられていると説明されています。“懺悔の手本を示すような役割りを担っている”と考えられ、あの表情は“懺悔によって揺れ動く心に対峙する複雑な表情”と記者は書いています。

私は何かに耐えて進もうとしている強い意志をもった表情ではないかと思いました。3つの顔を持っているというよりは、真ん中が表像された顔で、左右は心を映しているんじゃないかと思いました。左右のは真ん中に比べて小さくてオマケのようですもの。
一緒にいった友と、向って左の唇を噛んでいる顔は怒りを堪えている、右の眉をひそめた顔は悲しみを感じているのかなと話をしました。真ん中の顔は左右の心のすべてを飲み込んで何かに葛藤しているように見える・・・
ナンテ、そんな単純に言葉にできる表情じゃないんですよね。
真ん中の顔の横顔がステキです。惚れそうでした。


タカハシガニのような手は、①掌を上にむけて何かを受け止めようとしている2本、②合掌している2本、③何かを抱こうとしているような2本があります。雲崗石窟の阿修羅は①の2本の掌にそれぞれ月と太陽を載せているのだそうです。

合掌している手は体の中心よりやや左手側(向って右)にずれています。写真家の小川光三氏によると、斜め右やや下側からみると顔と手の中心が揃ってバランスよく見えるようになっているとか。真ん中の顔の右目(向って左)がつりあがっているのもそのためらしいです。そこから阿修羅像はお堂の向って左上に安置されていたと考えられるのだそうです。
なるほど、確かに右斜め下から見ると全体のバランスがよく見えます。真横からみるとひょろ長い手が混みあって見え、なんかきれいじゃないし、全体が薄っぺらいので倒れそうって感じです。
『一個人』の中に、上半身を向って左斜めから撮影した写真があります。合掌した手が胸からかなり離れて見え、その空間が奥行き感というか像全体の厚みを感じることができます。もちろん照明による影の影響もあるかもしれませんが。右斜め下から見るほうは二次元的なバランス良さ、こちらは三次元的かもと思っちゃいました。


3つの顔、4つの耳、6本の手なのですが、とても人間ぽい体をしていらっしゃいます。身につけているモンペのような服装もそうですし、くびれたウエストあたりにお臍のようなものもあります。履いているのは草履みたいだし・・・。こんな人間臭さも惹かれる理由なのかもしれません。

目が大きいですね。一重なんだけど。鎌倉時代の筋骨隆々な仏像たちの真ん丸な目とは違った切れ長の大きな目といったらいいのかな。二次元世界のマンガを読んで育った世代(私も)にとって、大きな目はお気に入りにさせる理由のひとつかもしれないって思います。加えて少年のような丸い顔にすらりとした体ですもの。若い女性が好みそうなスタイルだわ。イケメンという雰囲気です。


司馬遼太郎氏は『街道をゆく』の中で阿修羅のことを“蠱惑的”と書いています。“性が未分であるための心もとさが腰から下のはなかなさにただよっている。眉のひそめかたは、自我にくるしみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいをあらわしている。”と。多くの人が好きになるかもしれない若い異性のようだということかな。



今回、東京に行ったのはパク・ヨンハ大好きな友から「イ・イニョン氏の衣装展 に行きたい!」と電話がかかってきたからです。彼女は2月にヨンハくんのコンサートで訪韓した際、イ・イニョン氏の店に立ち寄ったのだそうで、東京の衣装展のことを聞いていたとか。店には色とりどりのたくさんの生地があって、とてもきれいだったと。先生は気さくな方で、ヨンハくんのお母様に「ファンの方が見えてるよ~」とその場で電話をされたとか。「ヨンハは寝てる」とのお返事だったそうですが、ヨンハくんてご家族と一緒に住まわれているのね。

イニョン氏の衣装はどれもこれも美しく、私も着てみたいなあと思ってしまいました。
ヨンジュンさんのまぼろしの衣装は細かい刺繍が全体に施されていて、もしかしたら和服の帯のような重量感があるかもしれないと思いました。
チュムチと戦った衣装のズボンの右下に血液の染みのようなものがありました。ヨンジュンさんの血?
友はヨンジュンさんの衣装を後ろからみて「大きいねえ」と何度もつぶやいておりました。衣装は台の上にあったから、身長は実際より高く感じたかもしれませんが、肩幅とかからがっちりした体格も想像できました。私は自分と並んだらどのくらいか・・・と妄想にふけっておりました。


今日の写真は東京国立博物館です。タイトル下と次の左は本館、右は表慶館です。阿修羅展は平成館でしたが、あまりライトアップされていなかったので写してきませんでした。
グッズは衣装展で購入したストールと携帯電話入れとティッシュカバー、阿修羅展の風呂敷とポストカードを飾る台紙です。
最後は東京駅の銀の鈴広場です。


2008/12/21 07:00
テーマ:東京 カテゴリ:趣味・特技(その他)

御茶ノ水駅

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御茶ノ水駅辺りが好きでこの駅に降り立つたびに写真に撮りたいと思っていました。コンデジを持つようになってから何度かホームでシャッターを切ったことがあります。ぜひイチデジでも・・・ということで、今回撮影だけのためにここを訪れました。

ここの風景が好きな理由を言葉にするのはなかなか難しいです。ひとことでいうと「わくわくする切ない懐かしさのある東京の風景だから」ということでしょうか。


御茶ノ水駅のホームから新宿方面を見た景色が一番最初に好きになりました。神田川と平衡して線路もS字に曲がっていて、川と線路を見下ろすように高いビルが迫っています。その隙間を縫う様にオレンジ色や黄色や白色の電車がクネクネと走ってくる姿が面白くて、立ち止まって見続けたことがあります。別に私は“テツコ”ではありませんが・・・。
下↓の写真左がそれ(2005年の春撮影)です。右は御茶ノ水橋からくねった辺りをズームして撮影したものです。周りのビルを排除して撮ると、どこか山奥の風景のように思えてきます。

ひしめき合って立ち並ぶビル、川と土手の草木、そしてその間をせわしなく動く大勢の人々の重なりがなんとも東京っぽいなあと何回見ても思います。感心してしまうというか、おもしろい景色です。


この駅は擁壁と神田川に挟まれた場所にあり、ホーム幅が狭くなっています。さらに東京駅側は総武線が神田川を渡る鉄橋に向って上がるのに対し、中央快速は下っていくためにホームには段差があります。駅周辺は大学病院をはじめとした大きな医療機関があるため、バリアフリーにして欲しいという声がずっとあるようですが、立地条件の難しさゆえに建て替えが難しいそうです。
下↓左で鉄橋を渡っているのが総武線です。ホームにいるのは中央線快速なので、鉄橋の下を通ります。左下(神田川の真横)に少し見えるトンネルは地下鉄丸の内線の線路です。つまり、御茶ノ水駅のすぐ脇で線路は三段構造でクロスしているんですね。往来する電車を聖橋からみるのはテツコや男の子でなくても楽しいです。
右の写真は聖橋の欄干をニコラス聖堂に向けて撮影したものです。


御茶ノ水→聖橋→快速電車・・・ときたら、“湯島聖堂”となり、そう“檸檬”なんです。

  或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
  君は陽溜りの中へ盗んだ 檸檬細い手でかざす
                          【檸檬】より by さだまさし

高校生のころこの歌を聴き、その風景を想像しました。当時の私には歌詞内容が難しく、理解できないものでした。聖橋周辺が“青春達の姥捨山”ってどういうこと?でしたもの。ただ、御茶ノ水に行くと“青春”ができるんだと思っていた気がします。行ってみたい!湯島聖堂の階段に腰かけてみる、聖橋から電車に向って檸檬を投げる・・・いや、神田川に向って檸檬を投げるんだと思ったものです。

  喰べかけの檸檬聖橋から放る
  快速電車の赤い色がそれとすれ違う
  
  川面に波紋の広がり数えたあと
  小さな溜息混じりに振り返り
  捨て去る時にはこうしてできるだけ 
  遠くへ投げ上げるものよ

      
http://jp.youtube.com/watch?v=U3lFrw83DVI  
     
(貼り付けできなかったのでこのURLで聴いてください)

この歌のライナーノーツにさださんはこんなことを書いています。

 「人間」が自然の流れに身を任せるのは、絶対に不可能であると思います。それ程我々は「加工」する事に慣れ切っているのですね。
 尤も「考える」事が人間の基本条件であれば、これも自然と言えるのでしょうか。学生街「お茶の水」はこうした最も「考える」時機の人間達が、果てしない数の愛や憎しみを産み、又、壊してきた街の一つと言えましょう。

この駅周辺は大学や予備校の街と呼べる学生の多い場所です。エネルギーあふれる学生たちはいろんな人と出会って、好きになったり喧嘩したりするでしょう。大人になる過程では思うようにならないこともあり、壊したくなってしまうような不安定な感情を体験することもあるでしょう。さださんはそういうことをこの歌に込めたのかな。

『檸檬』といえば梶井基次郎の小説です。あれは京都丸善の本の上に爆弾にみたてたレモンを置く話です。さださんの歌によって東京のレモンは聖橋から放られて爆発するってことになりました。
御茶ノ水駅周辺で見られる風景は人によって加工された街とゆらゆらと流れる神田川があります。何が自然の変化なのかわかりませんが、学生の葛藤と街の変化を重ね合わせた歌にも思えてきました。爆発させたくてもできない変化というか・・・(うまく言葉になりません)



高校生のころはそういう集団街に自分も溶けてみたいという憧れがありました。結局、家から通える学校でなければ進学してはいけないという親の言いつけを守った私は地元から飛び出すことができず、学生街を歩く体験ができませんでした。
社会人となってから通信ですが大学生になりました。その時、時々この界隈で授業や試験があったので、できなかった青春もどきを体験しました。といっても、その雰囲気に浸ったというだけですが。
そうそう、私は湯島聖堂をずっとキリスト教の教会だと思っていました。だって“聖堂”って語にそういうイメージがありませんか?訪れてびっくりでしたよ。孔子さまの教えを伝えるところなんですね。

最近、「高校生が感動した『論語』」(著・佐久 協)という新書本を買いました。まだ読んでいないのですが、その冒頭は下記のようでした。

 孔子にとって人生の価値は「結果」にあるのではなく「過程」にあった。(中略)目的のために手段を選ばないという生き方に孔子は何らの価値も認めていない。孔子のほぼ八十年後輩にあたるソクラテスは、孔子と同様に「人生の目的はただ生きることでなく、善く生きることである」と唱えている。

私のHNは直接ソクラテスを指しているのではありませんが、ちょっとこの言葉が気になります。この本を読み進めて、生きることを考えなおしてみたいと思います。若いときは考えるだけでいい時間がたくさんあったけど、今はそうもいきませんね。ああ~青春がやり直せるなら~です。


今回、御茶ノ水に到着した時間が15時と遅く、すぐに夜になってしまいました。何故かというと、忘年会翌日で早起きできなかったからです。二日酔い(・o+) アチャー・・・。次回は青空の風景を撮影するぞと誓いました。
また、撮影はここを通勤の最寄り駅としている友の協力でできました。大きな私の荷物を持って、何時間も付き合ってくれてありがとう!


2008/07/23 00:35
テーマ:東京 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ホテルからの夜景

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ヨンジュンさんの夜景写真を見て「おやっ?」と思いました。明るい夜景の中に抜ける浜離宮の木々・・・。全く同じではないけど、どこかで見たことがある風景でした。

そう、これ↓(あの写真の別アングルです)を撮影したホテルが似たような位置にあったんです。テーブルの向こう側、窓の外、右下の黒い部分が浜離宮です。タイトル下にあげた写真は窓から外を覗くようにして写したもの。中央の建物の左が浜離宮です。ヨンジュンさんのアングルから考えるとその建物から写したのでしょうね。


  

ヨンジュンさんはシャッタースピードを随分と遅くしています。写真全体が明るくて、船や車のライトは線になっていますもの。タイトル下の私の撮影はISO1600で絞り4.0、シャッタスピード0.8秒と記録にあります。

その私の写真の上の方に赤いボーッとしたものが写っていますが、これはたぶん室内の灯かりでしょう。ガラス越しで夜景を写す場合、自分の後ろの灯かりがガラスに反射してしまうことはよくあります。そのため、室内を真っ暗にしたり、カーテンを閉めた窓側で撮影したりします。ヨンジュンさんのカメラはレンズフードがついているからそんなことないかなあ。

また、できるだけ灯りが反射しないようレンズをガラスにピタッとくっつけます。私の写真は覗き込むように撮影しているのでガラスとの間に角度ができていたでしょう。それはダメですね~。


それから夜の撮影にはやはりカメラの固定は大事です。手で持って息を殺してもレンズって動いてしまいます。私が感じるのは心臓の鼓動による動きです。ブレを防ぐためカメラを構える時は腕を体にくっつけるのですが、腕に伝わる鼓動を感じるんです。私のこの写真はたぶん窓のサンにカメラを置いて撮影したでしょう。三脚はもっていませんでしたから。パソコンの写真はベッドの上にカメラを置きました。
それから、手振れを防ぐためによく使うのがセルフタイマーです。シャッターを押す力で動かないようにするためです。ヨンジュンさんは三脚+レリーズかな?


ヨンジュンさんがどんな風にしてあの夜景を撮影したのかをちょっと想像してしまいました。(@⌒ο⌒@)b ウフッ


 
この↑写真は早朝に撮影したものです。ヨンジュンさんも朝焼けの写真を撮られたでしょうか?お天気はどうだったかなあ・・・。もし天気がよければ、きっと海に昇る朝日がみられたのではないでしょうか。私の宿泊した階は低いので、太陽はビルたちにさえぎられてしまいました。しかし、ヨンジュンさんの部屋は高層階のようです。水平線を赤く染めながら昇る太陽が、海に光の帯を映しながら昇るところを見ることができたでしょう。

  

ズームして写すとこんな感じです。ちなみに、私の写真は12月に撮影したものです。
  


2007/03/11 23:19
テーマ:東京 カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

レストラン

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日本の食文化って世界に誇れるなあと、外食するたびに思います。その理由は、世界各国から入ってきた料理を自分たち風にアレンジしてバリエーションにとんだ種類の料理を食していると感じるからです。

パスタ料理のメニューとかに“和風”と書かれているのを見ると笑ってしまいます。このメニューはパスタの本場イタリアにはない料理なんだろうなあ・・・と。他にも和風ってつく和食の分類に入らない料理はたくさんあります。また、回転すしに行くと、牛肉やらマヨネーズを使ったサラダがあり、これって昔の日本人は知らないんだろうなと思います。お蕎麦屋のカレーうどんは和食?

和風というのは昔から日本人が使ってきた調理法で外国の料理を作ったものって言う意味になるようですね。逆は洋風とか中華風とかetc.になるのでしょう。日本人は、時代や社会の変化と共に入ってきた料理を自分たち風にアレンジし、いつの間にか新たなものを作り出しているようにも思えます。

 

おいしいと感じる味に「うま味」っていうのがありますね。グルタミン酸とかイノシン酸とかに代表されるアミノ酸がそれを感じさせる成分だとか。昆布、カツオ節、干しシイタケ等の出汁に入っているそうです。もちろん、他のたんぱく質にもあるんでしょう。

人間の味覚は基本的に「酸」「塩」「甘」「苦」「うま味」の5つに分けられるようです。これは多くの味を便宜上分けているのではなく、生理学的にそうなっているということでした。つまり、それぞれが別々の細胞で感じているそうです。これに温度と痛みの感覚が加わり、それぞれの感覚の強弱により様々な味が生み出されるということのようです。

「うま味」は海外でも「umami」というとか。日本の出汁文化から発見された味ですが、味覚としての表現が海外になかっただけで、おいしいと感じる世界の料理には大抵入っているようです。もちろん、たくさん入っていれば言い訳ではないし、他の味覚もミックスされて味は生まれるのですが・・・。

日本人が世界の食べ物を和風にアレンジする意味は、もしかしたら日本風「うま味」を出すアレンジかな~って思いました。

 

上記写真は東京・丸ビルのレストランです。ワイワイと多くの方がおしゃべりと食事を楽しんでいました。動いている人が亡霊のように写っていますが、にぎやかな雰囲気が感じられて良しです。

そこを振り返ると右のような景色です。

夜景を撮るとき露出をプラスに補正すると明るくてきれいです。

ちょうど瞳孔が開いてたくさんの光を眼が感じているのと同じということです。

  

 

 

 


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