2007/05/14 17:08
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

春日山

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とても久しぶりのブログになってしまいました。時間がないというよりも頭の中に余裕がなくて、記事を書くことができませんでした。まだ、その状態は続いているのですが、ブログを書くことで気分転換です。

 

上記の写真は新緑の奈良春日山です。右下の日付けを見ると1994年5月16日、13年前です。でも、この写真の中には近代の建築物がなく(街灯とか電信柱があるかな)、時代がわからない写真かなと思います。ぜひ、大きくして見てください。

もちろんデジカメではありません。ネガフィルムをL版にプリントしたものをスキャナーで読み取りました。そのためか、あまりきれいに見えません。本当はもっとやさしい雰囲気に撮れているのですよ。

カメラはEOS700QDという一眼レフ初心者用のものでした。ダイヤルがイメージセレクトモードになっていて、kissの前身なのかなと思います。出会った風景を記憶に残すというスナップ専門の私。当時は撮影技術なんて全く無知ですから、オートフォーカスをいいことに『バカチョンカメラ』というつもりでただただシャッターを押していました。今の私だったらどんな風に撮影したでしょうか。

 

ネガフィルムで撮影したものは現像→プリントしなければどのように撮れているのかわかりません。後からの楽しみでもありますが、あれ?っていうのも多くありました。期待を裏切られてがっかりという場合と、( ̄。 ̄)ほぉーという場合とどちらもありです。考えるとフィルム代、現像代、プリント代と随分とお金がかかりましたね。だから、一つの風景で何枚も撮るってことはありませんでした。プロの方や芸術的に凝った方は違うのでしょうけど、私は自分の記憶としての写真ですから。

デジカメは気軽でいいですね。撮影したものをすぐに確認できるし、失敗は消去できるし、フィルムはいらないし、プリントしなくてもいいし、撮影データが記録されているし・・・。ただ粒子ではなく、大伸ばしにするとカクカクな画像なんですよね。

 

写真とは、穴(レンズ)を通して、物体から反射した光を感光し、目に見える状態にしたものなのだそうです;;;;(;・・)ゞウーンわかるような、わからないような・・・。銀塩というのはフィルムに感光したもので、デジカメはデジタルデータを処理したものということになるのかなあ。わからないよ~ん。ヨンジュンさん教えてください。

上記の画像はプリントしたフィルム写真をスキャナーでデジタル処理したという複雑な画像になっているってことです。これまでのブログの中にもいくつかそのような写真がありました。なんとなくボヤッとしたものがそうです(ささやきの小径、立山、白梅、松明、湿原など)。

 

実は、この写真がなければこの時のことを思い出すことはなかったかもしれません。あまり印象に記憶に残っていない風景です。記憶をたどると・・・夕方、ホテルにチェックインした直後、窓を開けて奈良公園を見渡した時の撮影です。窓ガラスに興福寺の塔が映っていたので、そのガラス越しに撮影したらこうなりました。でも、面白い写真ですよね。私っぽいというか・・・。ヾ(@゚▽゚@)ノ

この時の旅で一番印象的だったのは、朝の飛火野での体験です。車の通らない早朝の散歩中、アスファルトの道路を鹿の群れが駆けて来たのです。ドドドドド・・・と目の前を通って行く鹿たちに私はびっくりし、レンズを向けることができないほど固まってしまいました。写真はなくとも私の記憶には鮮明に残っている風景です。


2007/02/13 10:08
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

「海」

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日常の喧騒から逃れて、静かな場所に身をおきたくなることは間々あります。時間の流れが同じなのかと思うくらいのまったりとのんびりした空間は追い詰められたものがなく、癒されます。

以前同じ部署で働いていた友達と温泉に行くことが、そんな空間に出会う時間でした。温泉宿に泊まることと、その周りのちょっとした自然を散策すること以外何も決めない旅です。宿は大きな温泉街ではなく、そこ一軒しかないような温泉が多いです。そういえば朝日旅行会の「秘湯を守る会」の温泉をめぐって、スタンプを集めたこともありました。

上の写真は伊豆の富戸というところにあるホテル「海」のロビーです。3年前のちょうど今頃に訪れました。木々と海以外何も見えないホテルで、近くに村はあるのですが、人の気配が感じられない場所でした。ロビーの天井は船の中のような雰囲気ですが、木でできた柱や梁は、やわらかくて和みます。

私たちはこんな旅の時、いつも思い思いのことをして過ごします。友たちは絵が好きです。色鉛筆や水彩絵の具を使い、スケッチブックに花や風景を描きます。私はカメラを持ってあちこちうろうろ・・・。時々おしゃべりをし、お風呂に入り、のんびりと過ごします。テレビはあってもあまりつけません。最近は忙しくて時間を合わせて出かることがなくなってしまいました。様々な出来事でイライラすると、こんな旅にまた行きたいなあと思います。

左の写真は部屋から撮影した月です。ちょうど満月のころだったようです。水平線に漁をしている船が見えます。

右下に写っている明かりは露天風呂です。海に面していて、さらに周りは真っ暗なので、夜は満天の星が降り注いでくるようでした。

下記は同じく部屋からの撮影で、今度は朝日です。  

現代社会は1分の内容がとても濃いように思います。掃除しながら洗濯機が回っていたり、歩きながら電話したり・・・。また、分刻みで時間を調整し、その時間にできることを探すことが多いような気がします。私は新幹線に乗る前、階段を駆け上がりながら「あと3分あるからコーヒーが買える!」と思うことがよくあります。時間に追われない時間がつくれるのは贅沢な生活なのかもしれません。


2007/02/07 17:59
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

松明(さらに追記)

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まだ東大寺の修二会には1ヶ月も早いのですが、JR東海の「うまし うるわし 奈良」のキャンペーンソングでボロディンの「ダッタン人の踊り」をちょうど耳にしたので・・・。私はこの“ダッタン人の踊り”と修二会の“達陀の行法”は言葉や火に関係するところが似ていて、もしかしたらつながってるのかも・・・とひそかに思っていたんですが、ホントはどうなんでしょう。

調べると、歌劇「イーゴリ公」の原作では、実は“ダッタン人”ではなく直訳すると“ポロヴェツ人”となるのだそうです。日本語(中国語)に訳された時に韃靼人になったとのことです。ロシア語のポロヴェツ人はヨーロッパのクマン人とか。“ダッタン(韃靼)人”とはロシア語で“タタール人”のことをいうようです。西ヨーロッパの言語では“タルタル”とか。どちらもテュルク(トルコ)系の遊牧民とあるが、タタール人とポロヴェツ人は別のようです。わかりにくかったのですが、タタールの方はモンゴル系ともあるので、よりアジアに近い印象です。

わっ!韃靼は韃靼そばにつながるけど、タルタルはタルタルソースに繋がるよね。でも韃靼そばとタルタルソースはつながらな~い

~(^^?))(((;^^)?

 

韃靼とは中央アジア(?)方面からの比較的広範囲な遊牧民のことを中国でそう呼んだとも言われます。その中に火を信仰する民族があり、その彼らが中国に伝えた踊りが東大寺の二月堂に伝わったという説もあります。松本清張氏の小説「火の路」を読むと、そんな気にもなってしまいます。でも、修二会の「だったんの行法」は“韃靼”ではなく“達陀”と書きます。これは梵語で“焼く”を意味するそうです。

 

上記の写真は私が34歳のころに撮影したものです(Heroにはなれなかった(*^^*ゞ)。当時は三脚などは持っておらず、必死にカメラを体に固定し、息を殺してシャッターを押しました。何枚か撮ったうちで、手振れしなかった1枚です。松明がたくさん写っているのは、3月14日の最終日で、10本が揃う日であったからです。12日夜(お水取りの前)は籠松明という特別大きな松明ですが、見物客も多くて、とても写真を撮るどころではありませんでした。

この日、私はまだ太陽の沈まない明るい時間に二月堂に着き、登廊横の多くのアマチュアカメラマンが集まっていた場所に、なんとなく仲間入りさせてもらいました。おじさんたちばかりでしたが、中には大阪から来たという私より若い女性もいました。ほとんどの方がひとりで来ており、時間を待つ間いろいろな話をしました。だんだん打ち解けて、「トイレに行きたいから荷物を見ていてください」とかお願いしたりして・・・。何回目かの方たちもあったようで、その方たちはもっとすごい写真を撮っていたのでしょう。私はなんたって、初めての修二会でしたから。

 

2月20日、連行衆というお坊さんが別火入りし、良弁椿を作成するところから修二会は始まるようです。

私はいつも東大寺に行くと、二月堂でこの香袋をお土産に買ってきます。とてもいい香りがするのですよ。

【追記】この時期の奈良公園辺りは梅や馬酔木の花が咲いていて、春いっぱいでした。

 

【さらに追記】

ヨンジュンさんの“Hero”であげられているR・シュトラウスの「英雄の生涯」を聴きたくてCDを購入しました。それはR・シュトラウスの作品だけを集めたCDで、第1曲目が「交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》」でした。解説を読み、“ツァラトゥストラ”という人物はゾロアスターのことであると知りました。R・シュトラウスはニーチェの書『ツァラトゥストラはかく語りき』にインスパイアされて作曲したそうです。ニーチェやシュトラウスが拝火教の祖と言われる彼を通して何を語りたかったのか私にはわかりません。このCDの解説によると、R・シュトラウスの作品の中核は“自然と人間精神”なのだそうです。…c(゚^ ゚ ;)ウーン修二会と繋がる?

余談ですがセルゲイ・ラフマニノフはタタール人を祖先にもつロシア人だということでした。


2007/02/02 11:06
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

湿原

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豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)

古事記に出てくる最初の日本の呼び名なのだそうです。略して「豊葦原国」とか「水穂(瑞穂)国」といい、葦が豊かに生えていて、秋の稲穂がたくさん実る国と言う意味であるらしいです。

霧多布湿原のビジターセンターで湿原を案内していただいた時、そのお兄さんがここに見られるような風景が日本の原風景であったのではないかとおっしゃいました。なるほど、葦が茂り、水がとうとうと流れ、多くの動植物が生息する湿原は、豊葦原国と呼ぶにぴったりです。

湿原は湿った完全に腐りきらない植物が積み重なって泥炭という層をつくり、沼地を埋めていったものであるということです。その堆積はわずかずつですから、何千年というなが~い時を経てできてくるのだそうです。湿原はクッションのようにやわらかく、多くの水を蓄えています。そのため、たくさんの動植物がそこで暮らすことができます。

上記の写真は霧多布ではなく、釧路湿原です。夏に旅した時の撮影ですから、緑の草木が生い茂っています。

このあたりの湿原といえばタンチョウが思い浮かびます。広大なこの湿原のどこかにいるのでしょう。彼らがここに棲めるのも湿原のおかげです。真冬の真っ白な時でも、地層の凍らない水中に彼らの食料が豊富にあることがそれを可能にしてるそうです。

前、霧の中をゆっくりと歩く丹頂を撮影した写真があったのですが行方不明(;_q))クスン。これは動物園に保護されていた親子です。

霧多布ビジターセンターでこんな映像を観て感動しました。昆布干しをしているおばあさんの後ろの湿原で、タンチョウのつがいがエサをついばんでいるというものです。「特別天然記念物」というたいそうな肩書きを人間から与えられたタンチョウ。彼らとの共存は干渉しないことであると解説していました。

豊かに葦の茂る日本の風景は私の住むところでは観られない特別な風景です。昔に戻ることはできませんが、その風景が残っている場所がこれからもそうあるよう祈るばかりです。


2007/02/01 22:40
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氷の川

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立春を目前にした今日、空気が冷たい夜になりました。そのためか、真ん丸なお月様は白く輝き、星たちはチカチカと瞬いています。

私の住む地域は暖かく、氷がなかなか張りません。それでも、私が子供のころはこの時期はバケツに汲んであった水や池の水が凍ったり、霜柱が立ったりしました。氷を割って投げたり、田んぼの霜を踏んで楽しんだりしながら学校へ通ったことが思い出されます。地球温暖化のせいなのでしょうか、最近はホントにそんな風景に出会えません。

この写真は四万温泉に行く途中の川で撮影したものです。3月上旬の撮影であったと思います。川が凍ることが私には珍しく、さらにその中に閉じ込められた落ち葉がきれいで撮りました。北国では当たり前の風景なのでしょう。この上に雪が積もったら、水の流れがどこであるのかわからなくなってしまうのでしょうね。

凍っても地面に近い下のほうは水がチョロチョロと流れていました。ずべて凍っているように見えても、実は水の流れは滞ることがないのですね。温度が下がって冷たくなるのは空気で、地の温度ではないということなのでしょう。大地とそこに潜む有機体のエネルギーが温度の低下を防いでいるのかなと考えました。

以前、雪深い山林の雪解け初めの写真を見た時に、同じようなことを思いました。それは、林にはまだ何十センチも雪が残っているのに、大木の幹周りだけ雪が解けてなくなっている、つまり木の周りだけ円を描いて土が見えているという写真でした。木が大地から栄養や水分を吸い上げている力、そのエネルギーによってそこだけ温度が少し高いのではないかと思ったのです。

すごいぞ!大地!(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ

このようなことを考えていたら、今度はある歌が頭の中をめぐりはじめました。

 母なる大地の ふところに

 われら人の子の喜びはある

 大地を愛せよ 

 大地に生きる人の子ら

 その立つ土に感謝せよ

   (作詞:大木惇夫 作曲:佐藤 眞 「大地讃頌」より)

中学時代に聴いたものです。私の所属する吹奏楽部の隣で練習をしている合唱部から、毎日のように聴こえてきた歌です。壮大で美しいメロディーとその歌詞がかっこ良く、私は耳を澄ましてきいていたのかもしれません。30年近く前の出来事ですが、冒頭と最後の部分を覚えていたのです。

曲名がわからなかったため、中途半端に頭をめぐった歌詞を頼りにネット検索したところ、なんと中学校では有名な合唱曲でした。元は混声合唱組曲の「土の歌」の第7楽章のようです。検索ついでにCDと楽譜を購入しました。それらが到着したら、ちゃんと覚えて歌ってみようっと・・・

 母なる大地よ あ~ たたえよ 大地を・・・あー!

 

 


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