2008-04-27 20:26:53.0
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

水滴

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フランスの安楽死問題をニュースで知りました。難しいですね。「国の法として認めて欲しい」「認めることはできない」ということでした。病で辛い方が単に死を選ぶ権利というのとはまた違うんだと思います。自殺ではなくて、安らかに死が迎えられるように何らかの技術を講じることが許されるようにして欲しいということなんですよね。“他人の手が加わる”という意味においては基準を設けなければならないわけですから、立法としては困難になるのでしょう。

私はこれを聞いて、何かモヤモヤしたものを覚えました。この中に「どう死ぬのか」ということの議論を感じたからなのかもしれません。生命はいつか終わりがきます。人間であるのだからその終わり方を議論することがあっても確かにいいと思います。でもその前からの繋がりである「生き方」に視点をおいて考えてもいいんじゃないかなと思いました。つまり、「どのような生き方をするか」なんです。

辛い時間が耐えられないから命を終わりにしたい、その権利が欲しいというのではなく、辛さを緩和し、安楽に生きる方法を考えて議論するってのはダメかなあ。その結果、もしかしたら命が短くなることはあると思います。それは積極的な死なのではなく、自然に添ったものであると考えられないでしょうか。技術は人が生きることを手伝ったわけで、死に加担したのではないわけです。

  

ギリシャの哲学者アリストテレスは存在するものを「自然によって存在するもの(自然物)」と人間の技術によって存在するものとを区別したそうです。万物は四元素(火、空気、水、土)からできていて、自然物とは「それぞれ自分の内に自分の運動と停止の原理を持っている」のだと言いました。つまり、自然のものはその原理によって動いたり止まったり、増減したり、変化したりするということです。その原理は合目的性があると考えられ、自然界を観察をして法則を探すという科学が発達するようになったのです。

人間の意図とした技術によるものはその原理がなく、運動(生成)はそのものの外にあるということです。しかし、技術は自然と独立するものではなく、自然が完成できないものを仕上げて真似るものだとアリストテレスは考えたそうです。

 

原理を探るのに事象の全体を見るのではなく、要素をどんどんミクロに分解して見ることがいつしか科学になっていったと思います。その結果、いろんなことの全体がわからなくなってきているかもしれません。いったい何を知りたくて科学しているのか、このミクロの世界は全体のどこにつながるものなのかがわかりにくいのです。そのことが自分の位置をも確認しにくくしたと言うか・・・。その反省からなのか、最近ホリスティックという言葉が流行ってきています。

holistic”は“holism”の形容詞化ですかね。これはギリシャ語の“holos(ホロス)”が元とか。日本語でいうと“全体論”という意味だそうです。ホリスティックを検索すると、「ホリスティック医療」とか「ホリスティック教育」とかが出てきます。

【全体論】全体は部分の総和としては認識できず、全体それ自身としての原理的考察が必要である。(広辞苑より)

現実に起こっていることを要素を分析して考え、次にバラバラなものを集合させてもそれは最初の現実ではないということです。つまり単純に1+1=2ではないということです。3人寄れば文殊の知恵というのは意味が近いかもしれません。

 

人間の身体についていうと、調子が悪いと自覚したとして、その原因を様々な検査で探ったとします。そして血液検査で貧血があるとか、腎臓に関連するデータが正常値より外れているとか、レントゲンで影があるとかの結果がでたとしましょう。だからといって調子の悪さはどこか1つの臓器が悪くなったからおきている症状ではないということです。身体全体でおきている症状なのです。

人間は実に多くの物質とそれぞれが行なう機能が絡み合って生命体としてひとつなのです。内外とのバランスをとるために複雑なシステムを留まることなく働かせています。システムがバランスよく働いていることが健康で、バランスが崩れたのが病かな。死はシステムが止まってしまったということになるかも。また、生と死はそれぞれが別のものではなく、絶対に切り離せないものだと思います。

 

全体論と要素還元論のどちらかが正しいとか間違っているとかはないと思います。だからこそ、いろんな意見があるのですが、生命の存在を考える時に、“死”に注目して考えるのではなく、生の続きとしての状態で考えてもいいかなというのが私の思ったことでした。人の技術を生命が自然に存在できるように使用できるといいなとも思いました。

上の水滴の写真は左のスズランの葉についていたものです。雨上がりで光っていたそれがきれいだったので、そこに注目!

それにしても相変わらずどのように撮影したらよいのかわからない花です。

余談ですが、アリストテレスの四元素とテサギの四神を結びつけて考えてしまいました。火が朱雀、水が玄武、空気(風)が白虎でどうでしょ。ただ土が青龍でいいのか。木とか森とかの神、つまり大地ということであれば合うのでしょう。でも雲となると違うのかなあと・・・。

古代からある神話は自然の原理を象徴にしたものでしょうから、以外と似ているのかもしれません。



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