2008-05-18 00:35:09.0
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

銀杏の葉

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『太王四神記』、BShiの放映は1話からずっと録画をしてきました。そのためにケーブルテレビのセットトップボックスをハードディスク付き、デジタル対応のものに替え、ブルーレイレコーダーを購入したのですから・・・。ところが23話の録画に失敗(・o+) アチャ!同時間に他の録画予約もしてしまったのです。そんな時に限ってリアルタイムで観れなかった私(゚◇゚)ガーン!

いろいろなブログを検索してあらすじを見まくりました。でも、やっぱりちゃんとみなければ理解できません。どうするか・・・。kyomaikoさんのアドバイスもあり、先日ニフティの有料サイトで観ることができました。モバイルサイトのポイントがたくさん溜まっていたので、それを使えばいいということに気がついたのです。小さくて字幕を読むのが一苦労でしたが、全部みれました~~。

 

最終話に向って、たくさんの大事なことが含まれた回だったと思います。特に“天弓”の意味、数年後のそれぞれの立場、タムドクの心の変化などなど。

私が一番注目したのは、タムドクも疑問に思った“天弓”に関する文書のことです。なぜ天は天の力を壊せる仕組みにしたのかということです。“天弓”はチュシンの王だけが使え、四神の力を生かすことができる弓であると思われました。弓はチュモ剣に仕組まれていて、それがタムドクの心臓に刺さった時に現れ、青龍が目覚める時に射られました。ところが弓は、チュシンの王によって壊することができ、そうすると神物も破壊され、四神の主も死んでしまうということです。しかも、その時はチュシンの王も死んでしまうということでした。

天は意図的にそのような仕組みをつくったのでしょうか。コムル村の長老は天弓が壊れることはチュシンの国ができなくなることなので、タムドクにそれを伝えたくなさそうにし、さらに古文書を焼くと言っていました。タムドクは流して聞いていたというか、天の力に疑問を持っていたので「こんなもの」「そんなこと」という扱いをしていました。

 

17日は地上波で7話の放送があったので観ました(吹き替えなのでいつもはみないのですけど)。難民村の人々に驚いたタムドクは「自分に何ができるのか」とキハに言っています。チュシンの王になること、高句麗の王になることが目標なのではなく、その国に暮らす人々を見て何かしなくてはならないと考えたのかなと思います。

回を重ねるごとに、タムドクがチュシンの王であると誰もが認めていくようになるのですが、ふと私は思いました。タムドクは王として国を治めていこうとしましたが、チュシンの王という地位を得ようとしているのではなかったと。王になろうと決めた時、ヒョンゴに「本当の王になる方法を教えて欲しい」と語ったことがあります。つまり、天の力を自分のものにしようとしたのではなく、人々の暮らしのために行動した結果が「チュシンの王」として選ばれたということです。天に選ばれていたのではなく、天の力が後からタムドクについてきたと考えてもいいかもしれません。

天の力を持っているとされるタムドクが一番天の力にすがろうとしなかったと思いました。こんなことに今頃気が付いた私はよくストーリーを理解していなかったのかもしれません。今夜急にタムドクが人間ぽい王に見えてきました。これまでは“天”とか“神”とかいうものを被せてタムドク像を作ってしまったようです。

みかんの蕾

みかんの花

少し前に新聞のコラムに村上陽一郎氏の文章を見つけました。それは万能細胞研究について国家を挙げて支援する報道をとりあげて、科学の本質について語った内容でした。万能細胞研究については先日も金融会社が研究に出資できるよう会社を設立したニュースがありました。

村上氏は政治家のノーベル賞受賞者を造るという発言を「品格がない」と言っています。本来科学は世界を知ろうとする知的活動でした。近代科学の成立後科学者を探求に駆り立てたのは「真理」への思い、つまり「好奇心」だったと。その活動を支援する社会には、多様な人間の在り方を肯定し、大切にするという動機があったのだそうです。ところが、誰にでも開かれていた科学に特許とか知的財産という問題が絡み、賞を獲ることを目標にする人間もあらわれてきたということです。また、社会や国家の利益とも結びつくようになりました。

なるほどと思いました。人間は欲張りなんですよね。自分のものにしたがるというか・・・。

 

このこととテサギの「チュシンの王」になることがなんだか似ているなあとおもったのです。「天に選ばれること」、「王になること」が目標ではなく、人々が幸せにくらせる国をつくることが大切です。「天」に執着していないタムドクは後者を目指していたと思います。「天と戦っている」というのは、なんだかわからない力(なんとかしてくれそうな抽象的な力)にすがらない、その力を信じない、つまり、人間としての力、自分の能力を発揮させて乗り越えていくことそのものをさすのかなあと思っています。うまく言葉になりませんけど。

23話で天を憎むようになったタムドク。タムドクと天の力の関係についてはきっと最終話でわかるのかもしれないと期待しています。

 



[コメント]

1.Re:銀杏の葉

2008-05-18 08:53:31.0 kyomaiko

おはようございます。23話見ることができて良かったですね。こうして、ソクラテスさんのお話を伺っていると、なかなか奥の深いドラマに思えてきました。ただの歴史ファンタジーを超えた・・・。監督は「海外の人には韓国の歴史を、国内の人には開拓精神を培ってほしい」なんて言っていましたけど、開拓精神って言うのが、文字どおりの単なる「新天地に未来を求めて行動しようとすること」だけではないものに受け取れてきました。もしかしたら監督の意図する所を超えて、結果もっと奥の深い話になっていたのかもしれないですね。(私はあの監督がどうしてもそこまで考えていたとは思えないので・・・。)ソクラテスさんにヒントを与えていただいたおかげで、少し判ったような気がします。感謝です。カムサムニダ。


2.Re:銀杏の葉

2008-05-18 19:03:25.0 ブログ主(ソクラテス)

kyomaikoさん、たぶん私の勝手なテサギ解釈ですよ。深読みしすぎかもしれません(f^^)。チュシンの国は「王」とか「神」とか「天」とかのためのものではなく、そこで平和に暮らす民が主役なんですよね。つまり、民が暮らす国は誰かのものではなく、ましてや「天」が統括するものでもないってことかな(また深読み)。最終話は「天と戦う」というキーワードで観たいですね。キハも同じ事を言ってますから。23話までを知った上で7話を観て、世の中のために自分は何ができるかを考えたタムドクと、チュシンの王出現のために周りを変化させようと(亡き者にするとか)した人たちがいたんだなあ・・・と改めて理解しました。


 
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