茜空
今日も『太王神記』のお話です。あと一つどうしても考えたいことがあったので・・・
タムドクの最後の言葉に注目しています。
だからもう大丈夫だ
この最後の長いセリフはキハに向って語るように始まっています。途中、チュシンの王として天に答えているようにも思えますが、この「大丈夫だ」はキハに言っていると考えていいんですよね。だとして、何がどう大丈夫なのでしょう。
「だから」は前の言葉をとって「天の力を天に返すから」ということかな。とすると、「天に力をかえすから、もう大丈夫」ということになります。
「天に力を返す」と何が大丈夫になるのでしょう。語りの全文から考えると、人間が天の力に振り回されずに歴史を重ねていくことができるということでしょうか。それは人間が学びながらチュシンの国を作っていくということです。
でも、「大丈夫」がキハ個人に向けての言葉であるのならば、「自分は天を信じるのではなく、人間を信じる。だからタムドクとしてキハのそばにいることができるよ。もう、天と自分を取りあって戦わなくても大丈夫だよ。」という意味にならないだろうか。少なくとも私はそのように解釈したいです。
そのあたりを突き詰めたいと思い、6話~17話あたりのタムドクとキハの想いのシーンばかりを拾って、ドラマを観てしまいました。そしたら、もう涙がポロポロでてしまって。。。(*ノ-;*)
撃毬の試合に出場したことで霊廟に謹慎となったのタムドク。抜け出してヨン家に行き、帰って来てヤン王に自分は太子をやめると言うシーンがあります。そして下記のように言います。
私は愛する人と過ごしたいのです。
宮殿での暮らしをやめてキハと共に過ごしたいということです。また、その後キハも霊廟でヤン王に同じことを話します。ヤン王は二人の同じ想いを理解していても、チュシン国のためにそれはできない、阻止しなければと思っています。
ふたりで遠くに行って幸せに暮らせといってやりたい
このように言った後にチュモ剣を自分の胸に刺します。これはタムドクとキハの縁を切ろうとしたヤン王の命を張った行動だったんですね。キハに濡れ衣を着せる事でタムドクからキハを離したのです。天のために・・・。王の苦渋の策は見事に成功と言えます。でも、父親としては本当はキハとの幸せを優先したいと思ったでしょうね。
タムドクの子を身ごもったと知ったキハ。初めはとてもうれしかったと思います。チュシンの王の子ではなく、人間タムドクの子です。ふたりが結ばれたのは難民村で本心を語った時ですもの。チュシンの王、朱雀の守り主という天の運命に逆らって幸せに暮らそうとしていたふたりにできた子。
でも、天に翻弄された人々によってふたりは引き裂かれ、キハはタムドクに利用されて捨てられたと思ってしまいます。
私が望んだのはあの人だけ。それが罪なの?
自分の意思で生きていけないキハは自らの命を絶とうとしました。でも、それは天によって止められてしまいます。そう、タムドクが王として自覚しはじめていたため、彼の子は王の子であり、キハは自分の命を絶つこともできませんでした。
キハはスジニのように自分の気持ちを素直に表出することができません。運命がそうさせるのでしょうか。それでもキハを信じたいと思っていたタムドクでしたが、誤解の積み重ねから17話でとうとうキハに「思いは消えた。」と言って二人の間を断ち切ってしまいます。辛い・・・。この後のキハの行動は子のために生きようと態度を変えていますが、それは黒朱雀のようでもありますね。大神官を殺したり、ホゲの心を利用したりと、母親としてのなりふり構わない行動のようにみえるからです。
タムドクはキハに裏切られたと何年も思って生き、スジニを女性としてみるようになっていきました。ところが最終話でキハが自分の子供を産んでいたと知り、キハのことをまた考えたのではないでしょうか。難民村で結ばれた時の子であることは、容易にわかったはずです。だとすると、彼女の本心がふたりで幸せに暮らしたいということであったのだとタムドクが気がついたということはないでしょうか。キハは大切に子をお腹で育ててきたということになります。それなのにキハを突き放し続けてきたタムドク。自分のためにキハが苦しんできたことを察したのでしょう。
タムドクは昔のふたりの思い、つまり振り向けばそこにいて欲しいと願ったあのころの、天の運命に逆らってでもふたりで幸せになろう」としたあの時の気持ちで生きることができるよとキハに言いたかったのではないでしょうか。また、「今はキハを信じることができるよ、もう悲しい想いをすることがないよ」・・・そんなことも“もう大丈夫”には含まれているように私は思いました。
ふたりの気持ちを追っていたら、タムドクが両目から涙を流しながら語ったシーンにようやく私も胸が詰まり。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。。また、キハに「よかったね。」「辛かったね。」「がんばったね」って声をかけたくなりました。
それにしても、ムン・ソリさんのキハはすばらしいです。
今日の写真は天(?)です。 上のは池袋の西武池袋線の改札を出たあたりで撮影した夕焼けです。ビルの間から見えた茜空。闇が左上から迫りつつあります。 次のは近所の川で撮影した朝です。闇に太陽の光が差し込まれつつあります。 左の写真は飛行機からみた富士山です。私の撮影ではなく、長崎の友の撮影です。 |
天とは空にあるわけではありませんが、このようなきれいな光と闇を見ると、空から天は人間を見ているのかもしれないなあと感じてしまいます。飛行機で空に行ってもまたその上に空がある・・・。天はもっと上?
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