2008-06-15 23:30:43.0
テーマ:仲間 カテゴリ:趣味・特技(その他)

折鶴蘭

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先週のアキバの事件は痛ましいものでした。事件の予告書き込みを携帯から何度もしているようですね。「誰かに止めて欲しかった」と言っているとか。つまり、ネットへの予告書き込みをすることで「そんなことやめた方がいい」と誰かに言われたかったってことなんでしょうか。勝手だな~。自分の行動の可否を他人に任せるのかよって言いたくなります。

誰も相手にしてくれなくて寂しかった?そりゃー、そんな恐い書き込みになかなか返事はしたくないですよね。会社でも家でも孤独だった?そうなのかもしれないけれど、だからといって他人を傷つけていいってことではありませんよ。事件の後のことは考えなかったとか。かんしゃくを起こした子供のようです。

 

ネットという社会は他人と共存できない人を増やしているのかもしれないと思います。ネットは顔の見れない一方通行のコミュニケーションが多いのですものね。会ったことがないのに知り合いのように言葉のやり取りができます。普段の生活の中で話す人がいなくても、ネットの中に友がいるっていう人がいるのかもしれませんね。まあ、私だってブログなどを通じて会話をしているので、ネット友だちってありなんだとは思います。

しかし、ネット社会はかなり自己中ですよ。自分の都合で参加、不参加が決められるわけですから。それは、返事があってもなくてもそれで腹を立てたらいけないくらい疎な付き合いを覚悟しなければならないことなのだと思います。ましてや、書き込みサイトというのは不特定多数の方に向けての発信だから、受け取り側は全く責任ないですものね。「誰も止めてくれなかった」⇒「誰も返事をくれなかった」⇒「誰も関心を持ってくれなかった」ということなんでしょうね。

    

テサギの会見でムン・ソリさんがヨンジュンさんは孤独と闘っていると話された記事をどこかで読みました。でも、ヨンジュンさんは孤独や寂しさは誰でも持っていることで消えないものなんだと言っていました。さらに、多くの関心や愛情をいただいているのだから、その分失うものもあるのかもしれない、自分の周囲には信頼できる友や家族がいるのだからと言い聞かせているとありました。

“孤独”と一口に言ってもいろいろな孤独感があります。ある時は孤独でもそれに耐えられる友たちがいれば強くなれるのでしょう。アキバの彼はそういう人を作ることができなかったのですね。できなかったからネットに友を求めるというのは恐いことなんだと思います。希薄な会話、責任のない書き込みしかないんですもの。

 

私はブログを通じていろんな方と言葉のやり取りをします。日記のような独語のような記事にコメントをくださる方があって、感謝しています。誰かが私に関心をもってくれているようで嬉しくなります。

私には直接顔を合わせて話す、信頼できる、とことんまでつきあってくれる、辛い時に助けてくれる、しょうがないなあと認めてくれる、めったに合わなくても気遣ってくれる、一緒にお酒を飲んだり旅にいったりしてくれる・・・・そんな友も多くいます。なんとも幸せなことだと思っています。

 

テサギの記者会見を見ていて、ムン・ソリさんはヨンジュンさんにとってテサギ戦友って感じがしました。ヨンジュンさんに対して冗談を言ったり、肩を叩いて笑ったり・・・。一緒に2年間苦労を共にした仲間って感じです。そういえばどこかの雑誌でヨンジュンさんはムン・ソリさんに自分のことを「ヒョン」と呼ぶように言ったという話も載っていました。

友とか仲間って一緒に苦労して何かをやり遂げると絆ができるのでしょう。苦労から逃げている人間はそういう友ができないってことになります。ただ単に、「ひとりは寂しいから私の方を見て!」って声を上げるだけではいつまでたっても独りってことですよね。ネットがそういうひとを多くつくっているのかもしれませんけど・・・。

 

今日の写真は我が家の折鶴蘭です。花が咲き始めました。

強い植物ですね。ほとんど世話をしないのに元気にしています。

この先っぽの部分を切ってコップとかに飾ってもかわいいかもしれませんね。ここが地面に付くとそこからまた根が生えて増えていくんですよね。

手を伸ばして仲間を増やしていくように見えませんか?こじつけ・・・

そういえば、余談ですが、犬の散歩しているとウォーキングしている人や同じように犬を連れている人が挨拶をしてくれます。どこの人かもわからないですが、毎日同じ時間に会うからでしょうね。



[コメント]

1.Re:折鶴蘭

2008-06-16 20:00:17.0 joonと二人静

こんばんわ。私も今日、路傍?のオリズルランを撮りました。ソクラテスさんのように上手く撮れませんでした。風で揺れて、ボケボケ(^^ゞオリズルランはよく、増えます。強いですよね。植物でも群生してたり、かたまって咲いてる花は「きらびやか」「きれい」「みんなが寄ってくる」「楽しそう」のような、感じがします。誰も知らない、名も知らない、気づかない場所で、ひっそり咲いてる植物もいいものです。忍耐強い人になりたい私です。いえ、私が孤独っていうのじゃなく、孤独でもいいってことで・・・。なんでも依存はいけません。付き合いの浅深はあろうけど、価値観も違うけど、互いの苦楽をわかり合える人って、いいなと思っています。


2.Re:折鶴蘭

2008-06-17 01:26:52.0 ブログ主(ソクラテス)

joonと二人静さん、私もたくさんボケた写真を撮りましたよ。細長い茎(ランナーっていうんですね)は揺れが大きいですものね。孤独感は人を強くしますし、うまく対処すれば相手を思いやる気持ちもつけられるように思います。人に関心をもってもらうには自分も他人をわかろうとしなくてはですものね。そうして人間は和をつくっていくのかな~。


3.Re:折鶴蘭

2008-06-17 22:04:43.0 kyomaiko

こんばんは。オリヅルランが「手を伸ばして仲間を増やしていく・・・」面白い見方ですね。なあるほど~。そう言われて見ればそんな感じですね。犬を連れた人同士は知らない人でもお話が合うようで、親しげにされていますね。山に登る人もそうじゃないですか?!気持ちが通じ合うのでしょうか。信頼できる友が沢山あるって本当に幸せなことですね。「互いに手を伸ばして仲間を増やす」ヨンジュン家族もそうかもしれませんね。


4.Re:折鶴蘭

2008-06-18 05:31:30.0 ブログ主(ソクラテス)

kyomaikoさん、おはようございます。折鶴蘭は過酷な環境だとランナーを伸ばして生き延びようとするんですってね。我が家の折鶴は全然手入れしていないから手がいくつも伸びているんだってわかりました。苦しいから仲間を増やしているみたいです(*TーT)人(TーT*)


5.Re:折鶴蘭

2008-06-18 21:05:59.0 kyomaiko

植物は過酷な環境の元だと、生存していくために余計に必死になるんですね。そうしないと生きていけないから・・・。薔薇等の水揚げには、まず茎を火であぶったりしますよ。これじゃ水が吸えないって思うと必死になって水を上にあげようとするんですね。そうすると普通に茎をカットしたときより、お水が上がりやすく、切り花が元気になります。そういうのと同じことなんでしょうね。ソクラテスさんのお家のオリヅルランも頑張って生きてるんですね。自然や植物から色んなことを教わっているような気分です。


6.Re:折鶴蘭

2008-06-19 05:25:31.0 ブログ主(ソクラテス)

へー、バラの水上げの処理も同じ意味なんですね。生命を守ろうとする自然の摂理ってみごとです。


 
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