コバイケイソウ
高校生~20代の前半までは、とかく東京という巨大な街に憧れました。友達もみな東京に行きたがっていたように思います。高校3年の夏休み、受験勉強のために夏期講習を東京まで受けに行った男子生徒がいたことを知っています。私としては雑誌に掲載されたファッションや店があるということが魅力だったかしら?大都会には先端の技術や物や人が集まっていて、そこにいくことが一つのステータスだったようです。
グローバル化された現代、情報はどこにいても同じように得ることができ、欲しいものもわざわざ出かけていかなくても手に入るようになりました。まあ、人の集約ということに関してはまだ差があるでしょうかね。
都会が科学や技術の進歩、近代化や合理化の代名詞であるとしたら、今の私は敬遠したいものです。スローライフとかエコとかファジーとかいう言葉は、昔の日本の生活であったらわざわざ出てこなかったであろう都会の反対語に思えますね。
合理化され追い立てられるような毎日は、良いか悪いか、あるかないかといったコンピューターのような答えをいつも求めているように感じます。また、必ず明確な正解があるものという考え方は、人をもどちらかに裁こうとする社会をつくりつつあるんじゃないかと思います。
私はモラルとか倫理観の衰退がおきているんじゃないかと思っています。そのためどんなことでも法で制御される世の中に向っている気がします。守らせるために罰が用意されているわけです。
「人の悪口をいうもんじゃないよ」「他人に迷惑をかけるんじゃないよ」「年長者は敬うんだよ」など人として何を良しとするのか親や目上のたちから教わってきたことは、決まりごとや法として教わらなくてはならないのでしょうか。自分で責任をもって考え、判断できなくなった人間が、決まりごとを根拠にして自分を正当化させようとしていると思うことがあります。
都会に魅力がないわけではありません。便利で簡単に楽しいことができます。でも、今の私は何故か自然いっぱいのところに行きたくなります。ごちゃごちゃしたところから逃げ出したいという気持ちなんです。時間や数字に縛られないゆったりした生活、風や空や星に包まれた空間に身をおきたい気分です。ちょとくらい不便でも構わないなって思います。
前ブログ、松本から美ヶ原高原への旅には続きがあります。八島湿原から霧ケ峰に行きました。私の好きな場所の一つです。
車で気軽に出かけられるリゾート地というやや都会チックな白樺湖に近い場所です。若い頃は都会のおしゃれをして行きました。ドライブというかデートでしたから・・・(f^^)。今回もそんなキャピキャピしたおふたりに出会ったので、カメラのシャッターを押してあげました。
今はきれいに着飾ることよりも、この広大な自然の中を何時間も歩くことに魅力を感じています。汗をかき、大地を見渡し、写真を撮る・・・。もっと気軽にこういう場所に来れたらなあって思います。すれ違う人と言葉を交わすこともあります。だからといって「挨拶をしなければならない」などという決まりがあるのではなく、なんとなくしてしまうんですよね。
写真はコバイケイソウです。名前のごとく小さな梅の花の形をしています。梅の花に似た5枚の花弁の花は、「バイ」とか「ウメ」とかいう日本名がついていることが多いのですって。
ウェブアルバム【夏旅:霧ケ峰】どうぞごらんください。
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