2008-10-29 08:46:44.0
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

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“泣く”ことが流行っているのだそうです。流行るってどういうことかというと、小説を読んだり、ドラマや映画を観たり、歌を聴いたりして泣きたい人が増加しているのだそうです。しかも、何度もそれを繰り返すということで流行っている・・・っていうことです。
夕べも「泣き歌」という視聴者を泣かせるための歌番組がありました。

そういえば私も時々泣きたいと思うことがあります。ドラマやドキュメンタリーや映画を観て泣くことはしょっちゅうです。アニメでも泣いてしまいます。でも、その心の動きって嫌じゃないんですよね。気持ちがいいんです。くり返したくなります。冬ソナを何回も観たくなったのはそのためじゃないかしら?


2005年の『四月の雪~再会~』イベント(さいたまアリーナ)ははじめから涙でした。ヨンジュンさんに会えた嬉しさやイベントのストーリーが涙を誘ったのでしょう。そういえばイエジンさんは大泣き、ヨンジュンさんも涙をこらえたような顔でした。

お酒を飲んで心のコントロールがうまくいかない状態で興奮してしゃべることがよくあります。すると、いつの間にか涙が出てくるんですね~。泣きながら訴えている風です。

生の音楽を聴いていると知らぬ間に涙が流れることがあります。歌詞の内容に情景が浮かんでというのではなく、クラシックの場合演奏そのものが私の何かを刺激するようです。そういえば“のだめ”でもそういうコンサートの場面がありました。

美しい自然の中に身を置いた時も感動して涙が出そうになることがあります。泣きたいというのは感動がおこす涙ということでしょうか。


では、何故泣きたくなるのでしょうか。しかもわざわざです。
泣くって身体がどのようになることなんでしょうか。

  


涙を出すのは自律神経の副交感神経の働きによるものだそうです。

自律神経は交感神経と副交感神経という一見相反する作用の2つの神経があります。
大まかに言うと、交感神経の活動亢進はキャノンという人が「闘争か逃走」の準備反応と呼んだ身体の状態を作ります。内臓よりも筋肉に血液を集め、脈が速くなり、血圧が上昇し、呼吸が速くなり、瞳孔が大きくなり、唾の分泌が少なくなり、胃腸活動が抑えられる・・・。まあ、緊張している状態って考えればいいのでしょうかね。
胸がドキドキして息が速くなる、手足が冷たく汗をかき、口が渇くけどお腹は空かないっていう体です。

副交感神経は筋肉をやわらかくし、胃腸の活動を活発化させ、瞳孔を小さくし、血管を開かせます。結果、体を休ませようと眠くなり、栄養を貯えるよう食欲が出ます。


交感神経と副交感神経は身体全体のバランスを保つようにお互いを調節しあいます。交感神経の活動を亢進させるような何らかの刺激が体にあったとします。その活動が続いたり強すぎると体は壊れてしまうので副交感神経がバランスをとろうと活動します。
つまり、2つの神経はどちらかが働いてどちらかが休むとかいうものではなく、どちらも働いているわけです。どっちが強く働いているかで身体の反応が違ってくるのですが、両方から強く引っ張られたら体は疲れるでしょうねえ。


ところが涙腺って副交感神経だけが支配しているようです。つまり、交感神経が緊張したからといって涙が出なくなるってことはなく、副交感神経の働きが強いかどうかだけで決まるようです。身体全体として交感神経の方が強く働いて興奮していても、副交感神経がそれなりに強く働いていれば涙は出るって考えられます。

   


  


涙には目を潤すために分泌される「基礎分泌」と、ゴミが入ったときに分泌する「刺激性分泌」と、情動反応が自律神経に影響して分泌を促す「情動性分泌」の3つがあるそうです。
感情の変化で泣くっていうのは情動性分泌だってわかります。

情動というのは怒り、恐れ、悲しみ、愛情、喜び、嫌悪とかの急におこる激しい一過性の生理的変化や行動を伴う気持ちと言えばいいのかなあ。言葉で表現されるというよりも身体変化として現れ、生物が生きていくのに必要な原始的なもののようです。恐くないと危険を遠ざけることができないし、子供を愛しめないと種が保存できないからです。大脳辺縁系というところが起源になっているとか。
感情はもっと複雑な機能で、大脳皮質と関係する・・・つまり、記憶とか思考とかも関係するため、言葉にすると多様であり、想起でも起こり、起こっても表面にでないことがあります。しかし、感情は情動反応を引き起こすきっかけをつくるともいえます。


実は自律神経系と感情の関係がはっきりしているのは拡張期血圧と心拍数と指先の皮膚温だけだとか。つまり、どの感情がおきるとどんな自律神経反応がでるのかっていうのははっきりしていないそうです。それは感情と情動反応の関係が明確になっていないということなのでしょう。
なので、私は自分勝手に感情が流涙させる機序を解釈することにしました。

涙は怒りとか恐いとか交感神経だけが働いた身体では出ないわけです。それをおさめようと副交感神経が急に働いた時に出る情動性反応ってことになるのかなあと思いました。
緊張が強い感情は嫌だからそれを収めてホッとしたい感情が副交感神経の働きをおこし、涙を出すということです。
以前、懐かしさについて考えたことがありました。胸を詰まらせる寂しい想いで興奮した身体を郷愁という感情が副交感神経を急に刺激して収めていくのではないでしょうか。
悲しみは交感神経と副交感神経が入り混じった情動反応が起きているのではないかと思います。感情のコントロールがつかない状態をつくり、自律神経の活動もいろいろ??

私の考えた結論は、涙が出る(泣く)時は感情が高まった緊張した状態からホッとした収まりたい状態に急に変化するときに起きる情動反応ではないかということです。




情動は生きていくためにコントロールをつけられませんが、感情は大脳皮質が絡んでくるのでコントロールをつけられるのだと思います。人間には理性とかいうコントローラーがありますから。
スジニ役のジアさんがタムドクとの別れのシーンを撮影する時、涙が止められなくてどうしようもなかったとおっしゃっていました。感情の高ぶりが大きく、大脳辺縁系を刺激し、自律神経が興奮し、情動反応の収拾がつけられなかったということでしょうか。
ヨンジュンさんが『四月の雪』の時、感情を外に出さない演技が難しかったとおっしゃいました。感情を素直に出す方がたぶん楽なんでしょうね。感情をコントロールしないとその結果である情動反応は素直に表現されてしまうのですもの。

もちろん、感情がおきることがなければ情動反応は単に生物的な反応でしかなくなり、大脳の発達した人間としては貧しくなってしまいます。


「泣きたい」と思う最近の人たちは、感情の揺れからくる身体変化の感覚を楽しんでいるのではないでしょうか。泣きは、緊張した身体を緩めようとするの神経の動きが感情とともに一瞬に起きる変化の結果であると私は考えます。
いつも一定で幅のない感情でいるのはつまらないと思います。一定という意味ではいつも楽しいとかいつも喜びだけ感じていても同じです。快と不快は両者が繰り返されるから感じるもので、それに自律神経という身体の感覚も加わる泣きは、心と体が同時に不快から快に移動するとても気持ちのいい感覚なんだと思います。
ただ、これも連日繰り返していたら慣れちゃうかも??


あるテレビ番組で“泣く”ことを「ストレス発散」という言葉で片付けてしまっていましたが、それは安易すぎます。「ストレス発散」するとはどういうことなんでしょう。ストレスとは発散するもの?
これはまた別の機会に考えることにします。





とても長い文章になってしまいました。本を読んでも感情と身体の関係は良く理解できませんでした。本を読んでいるとなるほどということはあるのですが、いざ自分の言葉にしようとするとチンプンカンプンです。なので今回は私の頭の整理のブログみたいになりました。

タイトル下の写真は堀の石垣にはまり込んで休んでいる鳩たちです。彼らにも生きていくための情動反応はあるでしょう。感情についてはわかりません。あったとしてもその表現は人間には理解不能です。

能面は見る角度で表情が違って、多彩な感情を表現できるのだとか。私にはわかりませんけど・・・。

落ち葉と花は先日の紅葉と同じ時に撮影したものです。季節の変化があるからワクワクします。左の黄色の花の名前はわかりません。ニガナかなと思ったけど、ちょっと違うかな。右はホトトギス。花言葉は「秘めた意志」または「永遠にあなたのもの」だとか。木々の下にひっそりと咲いていました。



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