17時の空(追記)
昨日、仕事がお休みだったので美容院へ行きました。終わって外に出ると17時の鐘の音が・・・。子供の頃はこの鐘を聴いたら家に帰らなくちゃと思ったものです。
西を向いて歩いていたため、雲がオレンジに染まった空が目に入りました。わ~っ!と思い歩みを止めて見上げていると、飛行機雲が1、2、3・・・3つも見えました。南の方へ行くもの、北西を横切るもの、そして西の雲の中から飛び出てくるものです。飛行機ってこんなにたくさん飛んでいるものなのかあ。
西の雲から出てきた飛行機。その行方を追うと、ちょうど真上に見えた月をかすめて飛んでいきました。
私の住む街には空港がありませんから、私が見ている飛行機たちは上空何千メートルとかいう距離にいるんでしょうね。月はもっと遠くですが、私からは飛行機が月に向かっているようにも、月から飛び立ったようにも感じました。
人間にあたえられている最高の資質は、目に見えるものから目に見えぬものを推論させる力です。
これは私の尊敬する人物の言葉です。人間には少しの情報から「これってどうなっているんだろう」と考え、イメージを膨らませる能力を生まれつき持っているという意味なんだと思います。その方法が深くなったもののひとつが科学になるんでしょう。
昔、空を飛ぶ鳥や虫を見てうらやましいと思った人がいたでしょう。不思議に思った人がどうなっているのかと鳥や虫をじっと見つめたのでしょう。羽をパタパタ動かしているとか、風の流れがどうかとか・・・(私はよくわからないけど)。次に見たことを頭の中で組み合わせて、きっとこうすれば飛べるんだということを描いたのだと思います。「人が空を飛ぶ」という現実にはないことを想像し、考え出したのです。
人の表情や行動から、あの人は「怒っている」とか「悲しそう」とか「あっちへ行こうとしているのだな」・・・などいろんなことを考えます。反対から言うと、自分の思っていることや考えていることや行なおうとしていることを言葉で伝えることは不可能だし、全部を伝える必要はないのでしょう。人は社会に所属して生活していますから、コミュニケーションが必要です。でも、他人と自分は違う人間ですから、同じものを見ても違うことを感じ、考えます。その結果が表面に現れ、他人がそれを見て「あの人はこんなことを思っているのかな」と想像します。想像は経験的な判断なのでしょう。それでも大勢の現象を統計的に調べると大まかな傾向が結果として出ます。
少し前に「納豆ダイエットのデータ捏造」が話題になりました。そういうのを“ニセ科学”というのだとラジオのコラムで話されていました。血液型による性格の違いとか、テレビゲームをやりすぎると脳細胞が壊れるとか・・・。調べると何か想像できるものはあるかもしれませんが、科学といえるほど明確な結果はないのでしょう。
私たちは“科学”という言葉に弱いのかもしれません。科学してもわからないことはいっぱいあります。科学的に明確だと思っていたことも、違う視点から科学したら覆されることだってあります。特に人間は同じ人がいないだけに科学的に絶対といえないことは多いのでしょう。「こうでなくてはいけない」という“絶対”を追い求めると、そこから外れた時に辛くなります。
見えるものから見えないものを推論する楽しさを実感しながら、幅のある生活をしていければよいのかもしれません。
空からいろいろ考えすぎてしまいました。おかげで、この記事を書き始めてから完成まで時間がかかりました。
長くなったついでにもっと写真を載せちゃいましょう。同じ頃に下記のような写真も撮れました。暗くなった街の向こうに富士山だけがピンクに輝き、信号機にも夕焼けが・・・
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