新年号の発表とともに新年度がスタートして2週間。桜気分もそろそろ終わり。桜気分で職場のゴタゴタも地の底に沈んだ感はあるもののこのままでは済まないだろうな。そう思いながら、地に舞い降りた桜の花びらを見ていた。そして過日桜の置き土産が届いた。桜の置き土産は、2020年度の「令和」を予感させるものだった。
「平成」もあと1か月。「平成」の30年間をふり返ると私の30年間は平成ではなく激動だった。平成元年が激動の始まりだった。そして30年の激動のエピローグを、新たな元号とともにしたためる。新たな元号のもとでの日々が遅まきながら私の人生の平成へと導いてくれるといいのだが。さてさて、どうなることやら。
ある野球選手の引退という選択。わが身を重ねる。重ねるといっても私がそれを迎えるまでには、まだまだ長い道のりがある。されど、決めている。その時が待ち遠しい。されど、待っている間の大掃除。物心の大掃除。されど、どこから手を付けていいのやら。
人生は選択の繰り返し。日々の小さな選択。岐路の大きな選択。職場のゴタゴタが収束しない。そのゴタゴタを傍観するしかない中で密かに、大きな選択の準備をしようと考えている。大きな選択の準備をしながら小さな心の洗濯を繰り返しセンタクが完了したら青空に向かってバーンと両手を広げよう。人生のセンタク洗濯を繰り返す選択を繰り返す
憂鬱な花粉症も収束しない職場のゴタゴタも私の日常を狂わせる。それでもそこに日常が在る。明日は「3.11」。日常を奪われた「3.11」。まだまだ続く「3.11」。祈ること 考えること 思うこと しかできない私の「3.11」という日常。