【創作】契丹の王子⑨
明日の夜には帰る、その言葉の通り、その日の深夜、タムトク様は屋敷にもどっていらっしゃいました。
「お帰りなさいませ。」
うきうきと出迎えた私に、タムトク様は、ああ、と無愛想にうなずきましたが、そのまま私の前を素通りして歩いて行ってしまいました。
ちょうど眠い目をこすりながら起きだしてきたワタルが、戸惑ったようにこちらを見たので、私もちょっとあわてました。
もしかしたら、母上様のことでお怒りなのかしら?
そんなことがちらりと頭をかすめましたけど、すぐに、もしかしたら・・と思いました。
ちょっと照れていらっしゃるのかもしれないと・・。
タムトク様を襲った少年が処刑を免れて軽い刑に処せられたと私が知ったのは、お帰りになる少し前のことでした。
様子を見に行かせた警護兵が、側近の方をつかまえて直接聞いてきたというのです。
『それがですね、タムトク様ご自身も処刑には反対だとおっしゃっていたとか。
いえいえ、なんでも、審議の始まった一昨日からずっと少年をかばわれていたとのことです。
契丹がらみとなるといつも厳しいお顔をされるのに、って、みなさん、不思議がっているようですよ。』
その話を聞いて、私はうれしさが体中に広がっていくような気持ちになりました。
でも、すぐに、はっとしました。
審議の始まった最初のときからその少年をかばっていたということは、
私があんなことを言ったために、タムトク様のお気持ちが変わったのではないということなのです。
そうなんです、最初から、タムトク様も私と同じことを考えていらしたのです。
いいえ、私なんかよりももっと深く広く、
ワタルやチャヌス様のことだけじゃなくて、
亡くなった母上様のこと、それからもちろんこの国のことや民のことなども・・・。
考えてみたら、タムトク様って、もともとそういう方ですもの。
大きくて、あたたかで、やさしくて・・・。
そして、亡くなられた母上様にまつわる『内なるトゲ』も抜けたということなのでしょう。
そう思ったら、本当にうれしくて、うれしくて・・・。
いいえ、
じゃあ、どうして昨日は恐ろしい顔であんなことをおっしゃったの?なんて思いませんでしたわ。
だって、男の方って、そういうところがあるでしょう?
これは内緒ですけどね、タムトク様も、そんな、ちょっとかわいらしいと思うようなところがありました。
それは、母上様が亡くなったのはご自分が幼かったせいだと、
そんなふうに思っていらしたことと関係があるかもしれません。
母上様を守るのはご自分の使命だと、幼いころから思っていらしたようなのです。
そして、王様となった今でも・・・。
そういえば、ワタルもタムトク様に似ているところがありますわ。
倭にいたころから、ワタルは、母親である私を守ろうと、せいいっぱい背伸びをしようとするところがありました。
そんな息子をもった母親がどう思うか、もうおわかりでしょう?
うれしい反面、いつもはらはらしてばかりでしたわ。
だから・・、
そんなワタルを見ている私にはわかります、
もしも、母上様が今のタムトク様をご覧になったら、
どんなにうれしく、そして誇らしく思われたかと!
そして、そんな、大きな魂とかわいらしい部分を併せ持っている男の方って、
私、好きですわ・・。
あら、話が横道にそれましたわね。
ともかく、そのときタムトク様は、私に対していかにもそっけないという態度をとっていらっしゃいました。
でも、私は平気でした。
タムトク様の中に刺さっていたトゲが抜けたのだと思うと、もうそれだけで、本当に私はうれしかったのです。
ちょっと心配そうなワタルに、困ったお父上ねと目を丸くして見せてから、
私は、前を歩いていくタムトク様のあとを小走りについていこうとしました。
と、タムトク様は、突然そこで立ち止まりました。
「タシラカ!」
そう、まっすぐ前を向いたまま、いきなり声をかけたのです。
「走ってはならぬ。」
さも重大なことのように、しかも、こちらの方など目もくれずに、そんなことをおっしゃるのです。
私は笑いをこらえて、はい、と答えました。
と、タシラカ・・、今度はため息をつくようにおっしゃって・・。
くるりとふり向いたタムトク様は、ちょっと恥ずかしそうな顔をしていました。
タムトク様は、そのお顔のまま、そばで見上げているワタルの頭を大きな手のひらでなでると、
私に向かっておっしゃいました。
「そなた、起きていてもよいのか?
こんな夜更けまで・・。
お腹の子に障るではないか?」
「はい。
さっきまで休んでいましたの。
お帰りになると聞きましたので、
あわてて起きだしてきたんです。」
そんなことを話しているうちに、私の「にっこり」は、つい大きくなってしまいました。
タムトク様は、まぶしそうな顔をされて、
「・・・無理をするな。」
ぶっきらぼうにそう言い捨てて、そのまま歩いて行ってしまおうとなさいました。
でも、その左手には、いつのまにか、ワタルの小さな右手がしっかりと握られていて・・。
私は、はい、と短く返事をしましたが、つい、その中にうきうきしたものが入ってしまったようでした。
タムトク様はぴたりと足を止めると、向こうを向いたまま、ちょっと硬い口調でおっしゃいました。
「タシラカ」
「はい。」
「あの少年のことだが・・、強制労働になった。」
「はい。」
「正当な審議の結果だ。
そなたのためではない。」
「はい。」
「ワタルもよいな?
仕返しなど、無用だ!」
仕返し?と、その言葉が、私の頭の中ではぐるぐると回りましたが、
そんな私になど関係ないとばかりに、ワタルは、急いでこくんとうなずきました。
何かしら?と思いつつ、私はまた別の思いで、その複雑な表情を見つめました。
数日前におこったこの事件について、ワタルはどのように思ったのでしょう。
あとで聞いた話では、ワタルは自分の父親が襲われたということを聞いて、一番にその場に駆けつけてきたというのです。
倭でもいろいろなことがありましたけど、そのたびごとに、
『母上、だいじょうぶ?けがはない?』
そんなことを、ワタルは何度も何度も口にしていたのです。
そんなワタルが、その事件のことを私にひとことも話そうとしないのは、
小さな身体で、大きすぎる衝撃を必死に受け止めようとしていたのかもしれません。
考えてみれば、まだ10歳なのです。
そうでなくても、高句麗王の息子としてお城の中ではいやおうなしに注目され、いろんなことがあるでしょうに。
母親である私が、知らないことだって・・・。
今回のことだって、そう・・・。
私はちょっと落ち着かない気持ちになりました。
ワタルは、これからどんな道を行くのだろうと・・。
タムトク様の母上様のお気持ちがほんの少しわかったような気がして・・・。
と、タムトク様が、再び私の方をふり返りました。
おいで・・、と差し出された右手に、私も右手を差し伸べました。
あたかかい大きな手のひらの感触、
私を見つめる切れ長の澄んだ瞳・・・。
その向こうに、ワタルの笑顔。
「ワタル、冬が来るころ、そなたに弟か妹ができる。」
「チャヌスみたいな?」
ワタルのけげんそうな顔。
「ああ、そうだ。
チャヌスみたいな赤子だ。
そなたは兄だ。
やさしくしてやるんだぞ。」
「はい!」
急に引き締まった顔になったワタルに、タムトク様はやさしい笑みを浮かべました。
「今夜は、三人で寝よう。」
まあ、三人で・・、と反射的ににっこりしてしまってから、だいじょうぶかしらと、私は後ろをふりかえりました。
侍女頭のウネがあわてて侍女たちに、夜具をあちらに運ぶよう小声で指示しているのが見えて・・・。
私はくすくすと笑いながら、タムトク様を見上げました。
「なんだ?」
「・・なんでもありませんわ。」
そう、なんでもないことです。
ふつうの、男と女の、ふつうのしあわせな生活。
うれしいこと、つらいこと、苦しいこと、
すべてのことを、
ふたりでわかちあっていくのだと・・・。
はい、その日の出来事は、これでおしまいですわ。
全部お話しましたもの。
え?
そのあとのことがあるでしょうって?
いいえ、ご想像のようなことは、その夜は何もございませんでした。
何よりも、ワタルがいっしょでしたもの。
それに、私の体調がまだ不安定なままでしたから、
やさしいタムトク様は、無理なことはなにひとつなさいませんでしたわ。
ただ、そうですわね、ひとつだけお話することがあるとしたら、
ワタルがぐっすり眠り込んだあとのことでございます。
タムトク様は、まだほとんどふくらんでいない私のお腹に手をあてられました。
「不思議だ・・・」
「そうですか?」
「そなたは何とも思わないのか?
・・・そなたと私の創り出した生命がここにあるのだぞ。」
「はい・・。
そこに眠り込んでいる命もありますわ。」
う~む、とタムトク様は、ワタルの無邪気な寝顔を見つめました。
「ふたりで命を創り出せるように・・、
そのように、タムトク様も、私も創られているのでしょう?」
「そうだな、タシラカ、
そなたと私は、そう創られているのだ、
そして、たぶん、それはずっと以前から決まっていたことなのだ。
そして、それを・・・・」
タムトク様はそのあとで、何か母上様のことを口にされたように思いました。
でも、その声はすごく小さくて・・。
ただ、私は・・・、
私は、タムトク様の、母上様への思いが、
そして、母上様の、タムトク様への思いが、
そのとき初めてはっきりとわかったような気がしたのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
できるだけそなたの側にいたいのだ、そんなことを言ったのにもかかわらず、それから1月後、
タムトクは異民族との戦いに出陣していった。
月満ちて、その年の冬、初雪の降る日に、タシラカは女の子を産んだ。
戦陣にあったタムトクが初めて娘をその腕に抱くことができたのは、それから10日の後のことだった。
ユナと名づけられた幼い女の子は、母譲りの大きな黒い瞳と、父に似た意志の強そうな口元を持っていた。
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☆『タムトクの恋』は一応ここで終了したいと思います。ここらで一区切りかなと思いますので。
ただ、また、むくむくとその気になったら、ゲリラ的に書くかもしれませんが、そのときはまた読んでくださいね。
☆このあと、『ホテリアー』に戻るようにしたいと思います。あちらはどうなってるんだという声をいただいているので・・。
☆少しの間だと思いますが、これから留守にします。
ちょっと大変な生活に突入しそうなので、その間、妄想にふけって新しいお話の準備をしたいと思います。
では、みなさん、時節柄、お体に気をつけてくださいね。
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