2008/03/23 19:38
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

枝垂れ桜

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また別れや旅立ちの季節がやってきました。日本人にとって桜の季節はウキウキ、ドキドキ、ウルウル・・・と落ち着かない季節です。年度替わりであり、別れと出会い、ステップアップが生活のあらゆる場面でおきる“移りゆく季節”であるからなんでしょうね。

2007.3.7のブログに“日本的な感性はうつしの文化”という今回と似たような記事を掲載しました。下に桜に関係する有名な短歌をあげてみました。

 世の中に たえて桜の なかりせば

                 春の心は のどけからまし 

 散ればこそいとど桜はめでたけれ、

               浮き世になにか久しかるべき

 久方のひかりのどけき 春のひに

               しずこころなく 花の散るらむ

 限りあれば 吹かねど花は 散るものを

               こころ短き 春のやまかぜ

日本で“花”というと桜という意味になります。また桜は散るもので、とどまらない自然の摂理の象徴の表現に使われています。しかも、その儚さは美しく、淡い色は暗さを感じさせません。別れに涙はつきものですが、旅立ちという新たな出発への移りであることと桜の意味するものは重なるように思えます。

 

日本で就業、会計、就学などの年度替りが4月になったのは明治時代のようです。なんでなのか明確な理由を探索できませんでした。でも、日本人の「移りゆく」という言葉と“散る花=桜”が年度替りに一致して感じられるのであれば、以外とそれが理由なのかもしれないと思ってしまいました。移りかわっていった先はまぶしいくらいの芽吹きの季節でもあり、がんばろうという気持ちを起こさせます。どうでしょう。

 

3月に職場の送別会がいくつかあります。主役たちの新たな旅立ちを応援したい気持ちは持っていますが、一緒に目標に向って歩いたり走ったりした日々を思い出すと涙(;o;)。。。また4月になると新しいメンバーで残った私たちも新しいスタートをきることになります。ドキドキ・・・

また、先日学び舎の恩師が学校を辞めるというので、卒業生でパーティーを企画・開催しました。全国から集まった教え子たちは先生との思い出を映して語り、先生をいじり、もう大騒ぎでした。職場の送別会とは違い、卒業式か謝恩会のようでした。やっぱり泣いちゃったよ~。

  桜草?

 

父が亡くなった時、命が終わってしまったことが理解できたとしても、父を失った心の乱れを整えることは容易ではないということを体験しました。“命が終わる”ことと“人を失う”ことは同時ですが、違うことを意味するのです。前者は点でおきる事実なのですが、“失う”という現実は残されたものにとってずっと続いているものなのです。

周りの人たちが「どこかで見ていてくれるよ」とあたかも父の存在が残っているような表現をして慰めてくれたのですが、私にとってそれは何の意味も持ちませんでした。また、葬儀等様々な仏事が続いていますが、それもあまりありがたいと思えないのが本音です。行政上、法的上、その他様々な手続きとお寺関係の行事、親類等人々への気遣いなどは私に疲労を蓄積させました。父とのことをゆっくりと振り返る時間をくれないのですもの・・・。

父の思い出に浸る時間が早く欲しいと願っていました。父を失った自分の気持ちにじっくりと向き合いたいと思っています。時を遡って父を頭に浮かべてみたいのです。ところが職場復帰をしてしまったら、また時間がなくなって・・・。なので、お酒の入った送別会は涙が止まらなくなってしまいましたね。封印していたものが緩んだ隙から少し出てきてしまったようです。

 

暖かな日曜日、忌明け法要の引物を買いに母と出かけました。その途中、バス停の横の教会の枝垂れ桜がほぼ満開だったので撮影。それが上の写真です。少し逆行なので空が白く写り、花の白さと重なってしまいました。

今年は近くにいた人がいなくなる寂しさをたくさん味わった春となりました。


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