2010/04/04 10:44
テーマ:私の“韓国の美をたどる旅” カテゴリ:韓国俳優(ペ・ヨンジュン)

ハナヨ感想文③「 留まる 03 韓服とくらし 」

Photo

「韓国の美をたどる旅」読書感想文^^



 








韓国の民族衣装チマチョゴリ
私は残念ながら袖を通したことは無いし、テレビや雑誌以外で実物を見た経験もない。

韓服は、時には体のラインを果敢に現す官能的な服であると同時に(風が吹いて体に巻きついたり、雨にびっしょり濡れたりした韓服を見よ!)
ってヨンジュンssi、いつ見たの?^^

ま、それは深く追求しないとして、確かに色っぽそう^^


ゆったりした懐の中に隠してしまう、品位のある服だ(腕や脚が太いのか細いのか、脚が長いのか短いのか、腰がふくよかなのか華奢なのかという長所や短所といったものは現れない)

日本の着物もしかりだけど、韓服はその点で言えば、着物を超えていると思う。
チョゴリはボレロ丈のようにかなり短いし、チマはウエストより高い位置から、プリンセス又はベルラインに広がっているので、確かに身長が低かったり、足が短くても太くても隠せそう^^
 しかし、韓国の人って、もともとスタイルがいい人が多いと思うんだけど気のせい?
愛の群像に出てくるジェホの親戚の叔母さんのような体格の人、余り見かけないんだけど(ドラマでは・・・^^;)
チュンサンさんのオモニも美人でスタイルいいし、ユソクのオモニも女優さんだったし(でもメイクが怖かった)、ドンヒョクのオモニも私の創作の中では美人で素敵な人^^
って、関係ないか^^;


綿を入れて着れば冬服、綿を抜いて着れば夏服

そうなんだ・・・と感心した。
でも、綿を入れた冬服というものは映像の中でも見たことがない。

冬ソナでユジンとサンヒョクの婚約式の時、両家のオモニ達が韓服を着ていたけど、確か、あれは冬だったよね。でも、綿は入ってなかったような・・・室内だったからなのかな。


一番上の外衣さえ脱げば寝巻き、仕事をする時は紐一本でぎゅっと結び、たくし上げれば作業服、綺麗に洗ってアイロンをかければ外出着だ。

私が知っているドラマでの韓服(もちろん、ヨンジュニ作品のみですが^^;)
スキャンダルは別格として、上に上げた冬ソナ以外では、愛の群像でのジェホのイモとシニョンssiのオモニ。四月の雪のソヨンssiの白の韓服(喪服)。くらいかな。


そして日本の民族衣装といえば着物。
結婚式での和装は、白打掛(白無垢)、色打掛、本振袖というのが定番である。(中には十二単を着る人もいるけど、それは稀)
結婚式と言えば、花嫁は白、と思いがちだが、最近は白以外、つまり色打掛や黒本振袖で挙式する人もいるし、認知されてもいる。

また、黒振袖挙式が流行っていた一時代もありました。最近でも、おばあさまがお召しになった黒本振袖をご持参される新婦もいます。(私の中では黒振袖挙式で印象にあるのが、横溝正史原作“病院坂の首くくりの家”の映画での桜田淳子^^)

しかし、先日国際結婚のカップルがいらして(私の職業は婚礼業です)、日本人である新婦の希望で黒本振で挙式した人が、新郎であるアメリカ人ややはりアメリカの友人達から、「花嫁が何故“白”を着ないのだ」と追求されていた。もちろん、日本人であっても、お年を召した方はそれを強く思う方も未だにいる。結局そのケースは新婦の「白は絶対に嫌」という強い意思でそれを押し通すことになったが、アメリカ人にとっては、本気で理解に苦しむ所だったらしい。

伝統や文化は国によって様々。そして同じ国でも各地域で違ったものもある。
伝えて来た人達によって、時の流れの中で形を変えていったものもあるかもしれない。
これもまたこの書で言われている “形を変えて伝えられていく伝統”というものかなと思う。
ヒョジェさんがおっしゃっている“ヨン様ブラウス”のように伝統の布が形を変え、100年後200年後も韓国の伝統として残って欲しい この言葉って、的を得ていると思った。
日本も韓国も、その時代時代で形を変えながらもきっと、伝統は残っていくんですね^^


また、日本の着物というのは奥が深い。
未婚者の第一礼装としては振袖(本振袖・中振袖)
既婚者の第一礼装は男性は黒紋服に仙台平の袴、女性は黒留袖。

日本の着物には“格”というものが存在し、TPOに合わせて着るようにできている。
例えば、既婚女性の場合は留袖、色留袖、付下げ、色無地、訪問着と格が下がっていく。
小紋や紬の着物などは、どんなに高価な品であっても、普段着としかならず、改まった場所に着るのはマナー違反となる。

ヨンジュニが書いている韓服の万能性。これは大げさに言えば、一枚あれば何処でも着れるということだろうか(もちろん、実際に一枚をそうしている、と言うわけでは無いにしても)。だとすると、日本の着物とはちょっと違ってるのかな。



韓服が持つ美しさをより引き立たせるのは、まさに天然染めだ。

ここで8ページにも渡り、紅花染めの行程に触れているが、私は“カラーコーディネート”を仕事でやっていたので、“色”には少なからず興味がある。
といっても資格を取るために本当に勉強していた一時期に比べると、必死に覚えた色名の多くを忘れてしまったが、昔の人が付けただろう色名には、なるほど、と思わせるものが沢山あって、結構覚えるのは楽しかった^^

私が好きな色名の中に、“ラピスラズリ”というのがある。日本名は瑠璃色といい、夜に広がる空の色をいう。
この色名が好きだった理由は、たぶん言葉の響きなのだと思うが、様々な色の名前がどうして付けられたのかな、と考えたりすることも好きだった。
“ラピス”はラテン語で“石”、ラズリはペルシャ語の“空”が語源らしいが、考えると、どうしてこの名前を付けた時、わざわざ違う国の言葉を合わせたんだろう。その時にいた人がたまたまそれぞれの言葉を使う人だったのかな、など考えてみたりして^^


紅花は黄色い花なので、赤い色素と黄色い色素を持ち合わせている。
彼は本当に細かい部分までちゃんと勉強しているんだな、ということが随所の文章でよくわかる。

しかし、ここの文章は「紅花は黄色い花だが、赤い色素と黄色い色素を持ち合わせている」と訳して欲しかったかな^^と思う。韓国語はどうなっていたのかな^^


色といえば、人間はいったいどれ位の色を識別できるでしょう。
“日本人は1000色以上を見分けることができる”と何かの書物で読んだことがある。もちろん、私は実験したことは無いし、その書物も何だったか覚えていないので定かではないが、
アジアの人は欧米の人よりも多くの色を識別することができるというのは本当らしい。それは瞳の色(虹彩)に関係しているそうだ。日本では古くから“重ねの色目” などと言われる繊細な配色があったのも、黒い瞳を持っていたからだと。
 
そのことを知った時私は、「ああ、日本人に生まれて良かったな」と思った。花、草、海、山、土・・・私達の周囲に溢れる自然には全て色がある。つまり、多くの色を識別できる私達は、それらの色が織り成すコントラストを数多く楽しむことが出来るということだから^^

ところで、人間が色を識別する原理は光と色の波長にあるわけだけど、この勉強は単純なようでかなり難解である^^;だってね、りんごは何故赤く見えるのか、という答えに、「リンゴの表面の色の波長が長く、700nmあるから赤に見えるのよ」と言われても、「???」でしょ?^^私も勉強している時は、何となく理解した、ということにしておいた、位だったけど(笑)、色って本当に不思議。

でも人生に色が無かったら、わびしくて、無機質で、人間は心豊かではいられなかったのではないかと思う。

この本は表紙がモノクロでありながら、ページを捲ると随所に“色”が使われている。それは韓国の民族衣装の色だったり、キムチの色、ワインの色、花の色、山々の色、素敵なポジャギの色だったり。

彼はこれを執筆するに当たって、きっと何色もの色に出会っただろう。それって、とても素敵なこと、幸せなことだと思う。そして彼はその出会った色たちを、私たちにも惜しげもなく見せてくれている。それは自ら撮ったものであったり、自らが感じたことであったり、考えたことであったり。

私達はうっかりすると、日常に追われ、せっかく存在する様々な色を見逃してしまうこともある。
それは実際の“色”に限ったことではなく、心で感じる“色”も含めてだ。

イ・ヒョジェさんのように自然に同化するように生きている人達はきっと、そんな色の世界を楽しんでいるんだろうな。
ヨンジュンssiも、日頃の発言などを聞くと、きっと根本はこういう自然に生きたい人なんだろう、と思ってしまうが、それはちょっと困ったものだ。彼にはまだまだ俳優として生きて欲しいから^^
お願いだから私達のためにも、今はまだ、農業に勤しむのは我慢して欲しい^^;

それはそうと、ヒョジェさんを紹介している文中に、日本に栗原はるみがいるなら
とあって、驚いた。栗原さんて、韓国でも有名なんだ^^

ともあれ、
たまには他の何ものにも煩わされず、自然の色探しに出掛けてみるのもいいかな^^

最後に、自然の大切さをさりげなく思い出させてくれるこの書を心から有り難いと思った^^
そして読み進めて行く内に感じたこと・・・ヨンジュンssi、あなたってやっぱり、只者ではない^^



       一年に一時の桜色を心に留めながら   kurumi




 





2010/03/29 00:07
テーマ:私の“韓国の美をたどる旅” カテゴリ:韓国俳優(ペ・ヨンジュン)

ハナヨ感想文②「 留まる 02 キムチ 」

Photo

私の「韓国の美をたどる旅」^^


 


私の「韓国の美をたどる旅」^^


発酵民族の昇華

まずこの副題にちょっと笑った。韓国人=発酵民族?^^

この章の出だしは、彼が人生初のキムジャンをする日、まず彼の家に同僚が集ってくるまでの彼の行動と、その時の彼の気持ちが綴られているが、ここを読むだけで、彼がとても世話焼きで、ユーモアセンスのある人だということがわかる。

朝8時までに集るはずの同僚が、なかなか姿を現さない。きっと朝食抜きで現れるだろうからと、一時間も掛けて汗だくで食事の準備をしていたという彼。
その料理を冷めない内に食べさせてあげようと、時間を逆算し、かつ、出掛けなければいけない場所への時間のことも考え、調理をスタートさせたようだ。

心配にもなるし、約束の時間は近づくし、真心込めて作った料理も冷めていくので、電話をしないわけにはいかなかった。皆遅くまで仕事をしていたのか、起きられずにいるらしい。

ここで想ったのが、この約束をした同僚という人たち、ヨンジュニは彼らを同僚と呼んでいるが、彼らにとってヨンジュニはボスではないの?そのボスとの約束をいくら前の日に仕事が忙しかったからといえ、また休日の日であるとはいえ、旅の記録を撮るという意味ではれっきとした仕事だよね^^;

逆算してみると、約束時間にギリギリになりそうだったので、到着した一行に、あたふたとタッペクスを食べさせる。(中略)皆はそれを食べて元気が出たようだ。ところが、外に出ると冬なのに暖かいと不満をこぼしている。また寒くなるかと想うと、小言も言えない。今日は我慢しよう。

この文面が冒頭の

主催者の性格が偏屈だとキムジャンの日は寒いという言葉があるから同僚は互いに賭けをしていただろう。

にかかっているわけだが、ここを読んでほほえましく想った。彼は自分でも偏屈だと想っているんだ。そして周りの人たちもそう想っているだろうと、自覚もしている^^;それをちょっと皮肉ったような彼のユーモアセンス溢れる文章に彼の頭の回転の良さを感じた。

この1ページだけで、ひとつのエピソードを通して、彼の人となりが良く現れていて、彼を近くでは知らない私でさえ、彼ってきっと“そういう人なんだろうね”と頷ける^^

そして、彼は時間には厳しい人であることに、ちょっとホッとしたりした^^
私の中では、時間にルーズ=仕事はできない人という概念があるので、例え国は違えど、私の基準をクリアしてくれている(笑)ことに安心^^

次にここでイ・ヒョジェ先生が登場なさるが、彼女は彼に本当に色んなことを体験させて下さったんだな~と、改めて感謝したい。
しかし、ヒョジュ先生、テレビも観ない方のようだが、ヨンジュンを知っていたのかしら^^;でも彼女のデザイン服に彼と出会う前から「ヨン様」と名づけていたという話があるわけだから、知っていたんでしょうね。もしかしたら、社会現象として「ヨン様」を知っていただけで、彼の作品は観たことが無い?そうなのかもしれない。
しかしこの一年余り、彼と接することとなって、彼の作品を観たりしただろうか。でもテレビが無いんじゃ観れないよね(笑)と、どうでもいいことがすっごく気になりました^^

ま、ともあれ、彼を「とても誠実で素敵な青年」と評して下さったヒョジェ先生。要はぺ・ヨンジュンという人気俳優ではなく、ペ・ヨンジュンという人間を高く評価して下さったことを深く感謝したい気持ちです^^


到着して真っ先にしたのは“高矢禮”だった。用意した蒸餅を・・・
って、蒸餅は彼が用意したの?(どうでもいいか^^;)

ここで、私達家族に馴染み深い“高矢禮”の意味を知り、しかもその発端に、これまた馴染み深くなった「檀君」が関っている^^これだけでも最近日本の歴史より、韓国の歴史を勉強していることが多いかも、とちょっと反省し、たまには日本の歴史も勉強してみようかなと、娘が小学生の時に買ったような○時間で覚えられる日本の歴史、なんぞを買ってみようかな^^と、ちょっとばかりの向上心をも得られたりする。

伝統文化と言えば、日本にも沢山の伝統文化が存在するだろう。
しかし、私はそれらを余りよく知らない。生まれて半世紀を過ぎた今も、いったいいくつの日本の伝統文化といえるものを知っているだろうか。

私が生まれた長崎は、その昔外国からの玄関として栄え、中国やオランダ文化も根付いている。街中を歩くと、中国風の建物、シーボルトなどがもたらした洋風の建物。キリスト教徒による異国情緒溢れる教会などが点在し、所謂日本文化とちょっと違った風情がある。私はそんな長崎の街が大好きだ。

しかし、その長崎を離れて、早いもので35年になる。言ってみれば、もう東京が故郷と言える。それでも、帰省した折、おくんちという祭りでの蛇踊りに遭遇した時に鳥肌が立ったこと。幼い時から見て育ったペーロンを見て、胸が高鳴ったこと。精りょう流しの爽快感(この年に亡くなった方の魂を送る行事を爽快と表現してしまうのは失礼だが、行事となってしまった長崎市内で行われている精りょう流しはさだまさしの歌の世界とはちょっと違う)
とにかく、そういう場面に遭遇した時の高揚感といったら、表現のしようも無い。
やはり私はこの街が好きだ、と切に想うのだ。

因みに、私が育った港町に残っていた(今はわからない)精りょう流しは、正にさだまさしの歌の世界そのものだった。高校生の時、その曲をテープレコーダーに入れて流しながら、その光景を見たことを、今でも思い出す。

ちょっと横道に逸れたが、伝統文化というものは、その地に生きる人の“魂”なのかな、と想ったりする。彼がこの韓国の美をたどる旅で得られた様々な文化もきっと、彼が生きていく上で大きな財産となるのだろう。それだけでも、大変な想いをして書いて、こうして本という形にできたことを、本当におめでとうと言いたい。

文化が日常の中で玩具になる必要がある。
“知ることは好きになることには及ばない。好きになることは楽しむことには及ばない。”

論語の一説を用いて語っている彼の精神を心に留めてみた。

“ヨンジュンを知ることはヨンジュンを好きになることには及ばない。ヨンジュンを好きになることはヨンジュンを楽しむことに及ばない。”

そういう意味では、私はヨンジュンで楽しんでいるわけだから、彼の精神に則っているというわけだ。

この章では、キムチの作り方や、彼が懸命に牡蠣を盗み食いしながらキムチ作りに精を出している姿、また彼が家に帰り、その作り方を真剣に復習している過程も書かれていて、楽しそうだなと思ったが、私は今後も決してキムチ作りをすることはないだろうと、とても丁寧に書かれているレシピは流し読みをした^^;(ごめんなさい)

でもキムチの癌やインフルエンザへの効用などを聞くと、そして彼がこれほど一生懸命に作ったことを知ると、キムチが大好きで良かったな~と単純にそう想う^^(しかしながら、まだ高矢禮キムチは経験していない^^;これもごめんなさい)

それにしても、彼のキムチ作り過程の姿はとても美しくて、可愛くて・・・本当にエプロンがこんなに似合う男はいない^^(ハハ・・何でも似合うけどね)

そして彼が作ったキムチを戴けるだろうご友人達が、本当に羨ましいものだ^^
実はこれが一番の感想かも^^



           kurumi  2010.3 桜の花がそろそろ見頃のよう^^
 





 




2010/03/24 00:07
テーマ:私の“韓国の美をたどる旅” カテゴリ:韓国俳優(ペ・ヨンジュン)

ハナヨ感想文①「 留まる 01 家庭料理 」

Photo

「韓国の美をたどる旅」の感想を自分なりの視点で書いてみたいと想います^^


 

普段よりずっと遅く目が覚めた。でも、どうしても起きたくない。(略)
くたくたに疲れ果て、こんなふうにぐずぐずしたい日は、誰かに
無理やりにでも起こして欲しい。(略)
そして生気のみなぎるお膳を用意して欲しいと切実に思う。

この出出しの文章がとても好きだ。

率直で、みずみずしくて、彼の純粋さを切に感じる。
できるものなら、こんな朝を一日も早く彼にプレゼントしてあげたいものだと切に思う^^


20代で親元を離れて生活するようになったのは、
両親を楽にしてやりたいという気持ちからだった
が、親だから味わえるちょっとした楽しみを提供できなかったのは
親不孝ではないかと・・・

この文章にも共感するものがあった。

私は18で親元から離れて暮らし、自分で働いたお金で勉強してきた。親に頼ることを大人なのだから、恥と思ってもいたし、親に迷惑を掛けたくない、という想いもあったからだ。しかし、二十代後半で私が子供を持った時、それは今まで親不孝をして来たことだったと実感した。

私は子供を出産する時も実家には帰らず、東京の病院で、主人の母に面倒を見てもらえたら、と考えていた。
ひとつは東北に住む主人の両親にとって初孫でもあり、長崎に出産で里帰りしてしまうと、数ヶ月初孫を見せて上げられないだろうと危惧したことと、もうひとつは実家の母も40代の働き盛りであり、仕事を休ませることを申し訳なく思ったから。
しかしその時、妹からの手紙で、母が頼ってくれなくて泣いている、と言う話を聞かされた。面倒を掛けるのは申し訳ないと考えたことが、逆に母に寂しさを与えていたようだった。

最近私の一人娘も独り立ちし、親としてしてあげられることは少なくなったが、娘が帰って来ると、何やかやと世話を焼き、風邪気味と見ると、「靴下を履きなさい」と24にもなる娘に言ってしまう。

親ってそれが嬉しいのかな、と今頃思う。

主人は娘が気になってしょうがない人だが、私は日頃、独立した娘のことは放っておく方だ。それでも先日ふらりと帰って来た娘に、「何が食べたい?」と聞いたら「ママが作った春巻き」と言われ、「え~~」と言いながらもせっせと作った。

小さい頃から、娘は私が作る春巻きが大好きだった。
高級中華店で春巻きを出されても、大きな声で「ママのが美味しい」と言って、恥ずかしくなったものだ。

ところで私は自他共に認めるが、料理が得意ではない。
今頃になって、主人から「料理教室行ってみたら?」と言われる位なもの。
それでも娘は私が作った春巻きをたらふく食べた上、残ったものを全部持って帰ってしまった^^

この時私はこう思った。 ≪ごめんね、母の味が春巻きしかなくて・・^^;≫



「家庭料理」というお題で書かれているこの章には
韓国の食生活が書かれているが、それは日本の昔ながらの食生活とも通じているものがある

釜で焚かれたつややかで粘り気のあるご飯
光り輝く山菜、みずみずしく元気な野菜には
満ち足りた気持ちと期待感があり
日差しや霧、空気、岩や木までもが薬味となり添えられる
そんな五感を満足させてくれるお膳をに、お腹より心が先に一杯になる


そういえば昔は白いご飯が有り難くて・・と言っても私は戦時中にいたわけではないけれど、白いご飯はやはり貴重だった。母が自分はさておき、私達子供に沢山食べさせてくれていたことを、私は思い出す。


彼はこの旅で出会った方方の何方に対しても、とても敬意を払った対応をしていることが文面からしのばれる。或るおばあ様の嫁入り道具に書かれていた父親からの書について書かれている文面などを読むと、この人は(ヨンジュン)は本当に心根の優しい人だなと思う。
  
嫁いで来る時、お父様が、肝に銘じなければならない心構えや
身持ちをいちいち書いてくださったものだそうだ。
おばあさんの純粋で清らかなお人柄の背景には、
娘に対する父の愛が大きな役割を果たしていただろう。

こういう何でもない(失礼かも)エピソードをこんなふうな文章で取り立てて書けるあなたこそ、ご両親の大きな愛で育った人なんでしょうね^^本当にそう思う。文体も「・・・をしてくださる」「くださった」などがまた、彼の謙虚さが現れていて、読んでいても心地良い。


韓国のお膳は彩が美しい。
確かに彩りのある食事は目でも楽しめる。それって大切なことだと思うが、料理が上手でない私には結構大変だ。

ナムルは均等な大きさで秩序がある

彼の文章の中に「均等と秩序」という言葉を見つけて、「そうか、そうするだけでも綺麗で見栄えがいいかもしれない」と思った。

この本が発行されて、早いもので半年、今更だが、こうして彼の本の中から、色んなことを発見している。

仕事の合間に時間とゆとりがあった日には、こういう風に彼の本を紐解き、感想を書いてみようと思う。

しかし、私はこの本を一冊しか持っていない。(普通?それが意外とヨンジュニ家族の間では普通ではないらしい。)つまり、読む本と飾っておく本、或いは日本語バージョンと韓国語バージョン、というように二冊以上を持っているのが普通なのだそうだ^^先日オフ会で会った人達に聞いた時、それって当たり前、というような顔をされて驚いた(笑)

でもそれもわかる気がする。
私はじっくり読む時も、つい一枚一枚丁寧に捲ってしまう。これって、結構時間のロスだ^^;

今更だが、近い内にもう一冊買ってみよう^^


最後に感想をもうひとつ

彼の奥さんになる人はちょっと大変かもしれない、と日頃思っていたが、この書を読んでその想いが更に強くなった。

現代の味に慣れてしまった私達は昔の「おいしくないご飯」を好まなくなりつつある。
そんな環境で育った人であろう、彼のまだ見ぬ未来の伴侶はきっと・・・

「・・・・・健康食。でも・・・・君、嫌いなの?」

そう言って睨まれそう^^;

いや、それともそんなこと、まったく構わないよ~というほど、デレデレになるかのどちらかだろう。(個人の感想に因るものなので悪しからず^^;)


            kurumi 2010.3




 


[1]

TODAY 235
TOTAL 597180
カレンダー

2024年10月

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
スポンサードサーチ
ブロコリblog