富士山(ちょっと追記)
正月の画像に富士山てよくあります。このブロコリのブロくんの画像も新年と同時にそうなりました。元日の新聞に掲載されているいろんな会社の新年の挨拶にも富士がたくさん使われていました。 特番を見て、1200年も前に編纂されたこの歌集のすばらしさを改めて知りました。
じゃあ、d(@^∇゚)/・・・ということで、今年は喪中で新年の行事のない私は、富士山の写真を撮影しにちょっと港へでかけてみることにしました。
Coming out from Tago's nestle cobe,
I gaze
white, pure white
the snow has fallen
on Fuji's lofty peak
これはあの有名な山部赤人の下記の歌をリービ英雄氏が翻訳したものです。
田子浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ
不尽の高嶺に 雪は降りける 【巻3・318】
元日の夕方、NHK BS-hiで『万葉集への招待』という番組をやっていました。そこでこの歌も紹介されていたのです。ちょうど雪を被った富士山を撮ってきたばかりなので、うれしくなってしまいました。
実は3時間にもわたる番組、私が目にしたのは第3部だけでしたが、とても興味深く惹かれるものがありました。本日1月3日9時より再放送があるので見逃さない!録画するぞ!と意気込んでいるところです。
この番組はNHK教育で放送されている『日めくり万葉集』の特番のようです。『日めくり・・・』は5分に1首を放送するもので、昨年1年間放送されていましたが、今年も1月5日からまた繰り返してくれるようです。
NHKの番組ホームページです。↓
http://www.nhk.or.jp/manyoushuu/bangumi/index.html
万葉集には人々の感情を素直に表現した歌が4500首も掲載されています。しかも、皇族から一般庶民まで身分に関係なく網羅されているのです。それってすごいです。また、当時の政権中心地であった大和だけでなく、日本全国の人々の歌があります。
神代より 言い伝えて来(け)らく そらみつ 倭の国は
皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国
言霊(ことたま)の 幸(さち)はふ国と
語り継ぎ 言い継がひけり
山上億良 【巻5・894】〔抜粋〕
神時代の昔から言い伝えられてきたことですが、
大和は国を治める神が威厳をもって守る国、言霊が幸をもたらす国と
語り継ぎ、言い継がれてきました。
これは唐に向って船出する遣唐使に送られた長歌の冒頭部分です。神の国日本を讃えているので、たぶん先の戦争中はものすごい解釈をされて使用されちゃっただろうと想像がつきます。
億良は語学に長け、学識があり、彼自身も遣唐使として唐に渡っており、大宰府の役人としても赴任しています。無名であったということですが、朝鮮半島からの渡来人ではないかという説もあります。
番組で注目しているのは“言霊の幸はふ国”という部分です。簡単に解釈すると“言葉が幸せを呼ぶ”ということになります。言葉にして口に出すのは願いが叶うことなのだという意味もあるのだそうです。
言葉にするというのは誰かに気持ちを伝えるということです。察する文化だと思われがちな日本ですが、古はそうではなかったのですね。この歌集が編纂されるほどたくさんの古代人の心が残されているのですもの。しかも、歌になっているってことは吟味、選択された言葉なのでしょう。読むと美しく、きれいに響いてきます。今のメールとはちょっと違うかな?
考えさせられました。「わかってくれない」が飛び交う現代社会、日本人は言葉をどうしてしまったのでしょうか。伝え合っているのでしょうか。
万葉集にある歌はいつの時代の人の心をも代弁できるようです。自然を愛しむ気持ち、恋愛、子を思う親、親を思う子、友に伝えたいことなどなど・・・。特に戦争中は出兵に際しての本人、家族、愛する人の本当の気持ちはあからさまにできなかったため、防人の歌などが使われたそうです。「私の気持ちは万葉集の何番です」という手紙になったのですね。人の心って本質部分はあまり変わっていないのだってわかります。
いろんな心が表現されている中で、今回私が気に入ったのは下記です。
験(しるし)なき 物を思はずは 一杯(ひとつき)の
濁れる酒を飲むべくあるらし
大伴旅人 【巻3・338】
まあ、しょうもないことを考えて悩むよりも、
お酒を一杯飲んだほうがいいさ。
これって仕事に疲れたお父さんが屋台で一杯ひっかけているような景色が浮かんでしまいます。旅人の「酒を讃むる歌」の一首だそうです。番組でも言っていましたが、隣に1300年前の友がいて、なぐさめてくれているみたいです。
冒頭の赤人の歌「田子の浦ゆ・・・」は言葉通りの景色を表しています。“田子の浦”の後に“ゆ”とあるので、「田子の浦を出発してしばらく行くと、真っ白な雪を被った富士山が見えた」ということのようです。歌川広重の東海道五十三次にある富士と海(波)の画、ちょうど由比の薩た峠と同じ辺りかもしれません。あの風景は古の人も、江戸の人もきれいだと思ったのでしょうね。 私のタイトル下の写真は、対岸の埠頭が興津となるので、ちょうどキリンのような鉄の建造物3つの後ろの山が薩た峠のある山ってことになるかしらん。 リービさんの訳はステキですね。「真白にぞ」を“white,pure white”と言い換えで表しているんですもの。彼は日本語で小説を書く西洋人です。日本語と英語の表現の差にあるズレを埋めるように言葉を選んでいます。彼の翻訳した万葉集を読んでみたくなりました。英語がわからないから、和書で・・・。 《追記》 「田子の浦ゆ・・・」の歌は視覚的なただ景色を写実的に表現しただけではないものが読み取れるのだそうです。山に囲まれた道を歩いていたら急に富士山がドーン見えた。その時の人の心の動きが詠まれています。見えなかった(隠れていた)壮大な神秘的なものが見えた驚き(感動)が、「真白に」に“そ”がついていることと、「降りけり」ではなく「降りける」になっていることで強調されているのだそうです。 なるほどな~。万葉集は風景の歌ではなく、人の感情の歌であるって頭において詠まなくちゃいけませんね。 最後に、万葉集の一番最後の歌です。 新(あらた)しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや頻(し)け吉事 大伴家持 【巻20・4516】 新しい年の初め、立春も重なった今日、雪も降ってめでたい。このようにいいことがいっぱい重なりますように。 | ||||||
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