2011/10/29 12:40
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

三井寺(園城寺)

Photo
アーネスト・F・フェノロサという人物がちょっと気になりました。岡倉天心と共に、法隆寺の夢殿を開扉し、救世観音像を私たちの前に現せた外国の方・・・ということしか知りませんでした。ただ、“ゆめどの”と“ふぇのろさ”という2つの言葉は、木綿の布でぐるぐる巻にされて千年もの間誰の目にも触れずに隠されていた救世観音像≒等身大の聖徳太子と重なって、なんとも幽玄な印象を私に与えてくれました。(“おかくらてんしん”という響きもなんか不思議な響きです。)

フェノロサさんってただの日本好きな方ではなかったんですね。西洋に追いつけとばかりの明治時代、廃仏毀釈で多くの寺院や仏教美術が壊されていた日本を救った方と言っても過言ではないようです。興福寺は僧がいなくなるほど荒れてしまったのだから、彼がいなかったら私たちは阿修羅像を見られなかったかもしれませんね。

↓↓フェノロサの人生↓↓
 
【日本人よりも日本美術を愛した男】
     (「文芸ジャンキー・パラダイス」の≪あの人の人生を知ろう≫より)

何よりびっくりしたのは、彼が生前に受戒して仏教に帰依していたということです。そして、戒を受けた大津の三井寺(園城寺)の法明院に彼のお墓があるそうです。生涯日本に在住していたのではなく、米国に帰国していたのですが・・・。

  三井の晩鐘

三井寺というと、近江八景のひとつであり、日本三銘鐘であるこの晩鐘が有名です。たしかに素敵な響き(唸りっていうのかなあ)です。また、天智・天武・持統天皇の産湯になる霊泉を汲んだ井戸(閼伽井屋)があることでも知られています。
これらの三天皇は飛鳥で生まれているんじゃないのかなあ。ここから水をどうやって運んだのかなあ?桶に汲んで飛鳥まで山を越えて運んだとしたら、大変な苦労だったでしょうね。

この三井寺、正式には「長等山園城寺」というそうです。壬申の乱に敗れた大友皇子(弘文天皇)の皇子が父を弔うために建立したのがはじまりだそうです。さまざまな争乱や焼き討ち、派閥の対立などがあっても人々によって支え、伝えられてきたため「苦難を乗り越えてきた不死鳥の寺」と言われているそうです。

昨年の11月に母と大津へ旅行しました。写真はその時のものです。楓の紅葉が見事でした。
このお寺、境内が広大で琵琶湖の望める場所もあり、歴史を考えたりしているとゆっくり1日かけて楽しめるなあと思いました。フェノロサのお墓のある法明院は境内よりやや北側の場所にあります。昨年はそれを知らなかったので足を延ばしませんでした。残念!もっとも、前日比叡山延暦寺を歩いた母は主要な参拝所を順路に沿って巡るだけでも辛そうでしたが・・・。
ちなみに、弘文天皇陵も園城寺の北側、フェノロサのお墓の近くにあるらしいので、今度はひとりで歩こうっと。

  仁王門


フェノロサというと、薬師寺の東塔を「凍れる音楽」と評したと伝えられています。この言葉に、私は東塔が何かとても冷たい、またはシャープな表情をもっているのではないかと思ってしまいました。でも、そういうことではないんですね。
凍れる音楽 frozen music」とは「固まった(動かない?)音楽」という意味のようです。何も薬師寺東塔だけのことを指すのではないし、フェノロサの言葉でもないということを調べていて初めて知りました。
【凍れる音楽...。】

ゴシック建築を表現する言葉のようで、リズムや調和のある建築物ということだと理解しました。↓↓ここもわかりやすいかな。
【建築は凍てれる音楽である~音楽の構造】 (「作曲する言葉」より)

なるほどな~。裳階のついたスラリとした三重塔は、リズム感やハーモニーのある建築だ~って言われると納得できそうです。歌手・さだまさし氏は♪瑠璃光♪ の中で「沈黙の交響楽(シンフォニア)」と歌っています。
この東塔は現在修復作業中。10年はかかるということなので、当分その美しい姿は見られません。天武天皇の発願で妻の持統天皇が完成させたので、1200年以上の歴史を見続けてきた塔です。多くの人(では表現が乏しいですが)がその前を通り、その姿を見上げたんだろうなあと想像します。平成の宮大工さんたちの手でまたこれからの千年の歴史も積み重なることになるのでしょうね。



三井寺の近くに琵琶湖疏水の入り口があります。この水がトンネルを通って京都の街に流れ込んでいるんですね。


2011/10/24 19:21
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

稲淵の彼岸花

Photo

今日は二十四節気の霜降なのだそうです。
冷気によって霜が降り始める頃ということなのだそうですが、それに反して暖かな日でした。この日から立冬までに吹く北風を木枯らしというのだそうです。
被災地では仮設住宅の防寒対策が進められていると聞きました。震災の起きたあの日は啓蟄と春分の間。でも、雪の舞う寒い季節でした。月日はどんどん過ぎて、また寒い季節が巡ってくるのですね。皆様のお体が辛いことありませんようにと思うばかりです。


【二十四節気】


前記事の“立山登山”はちょうど寒露のころでした。寒露の前は秋分です。

昨年、せんとくんで賑わっていた奈良。私は明日香・稲淵の彼岸花を見たくて秋分の日に友と一緒に出掛けました。ところがいつになく猛暑の夏と残暑が厳しかったためか、お彼岸になっても全然彼岸花が咲いていませんでした。(-"-)

今年はリベンジ!・・・とひとり盛り上がり、お天気が良いことと彼岸花の咲き具合をネットで調べて、急きょ前日に宿を探して奈良に出かけました。


明日香川 明日も渡らむ石橋の
     遠き心は思ほえぬかも

                 作者不明 【万葉集 巻十一 2701】

(明日香川の石橋を渡って明日もあなたに逢いに行きます。離れていても私の心はあなたのことをずっと・・・石橋のように飛び飛びではなく・・・思っています。)


稲淵に行ったら、この歌に詠まれている“飛び石”と呼ばれる場所も見てみたいと思っていました。現存する石橋が1000年以上も前からあったとは思えませんが、こんな風景があったことは事実なんでしょう。水かさが増してしまうと沈んでしまい、逢いたい人のもとに行けなくなってしまいます。川の中に置かれただけの飛び石ですが、それに思いを寄せた万葉の人がいたんですね。

彼岸花はどうだったかというと、たくさん咲いていました。webアルバムを見てください。
そういえば萩と彼岸花の写真は前に掲載したことがあります。



↓ここ↓

【きれい詫び】



  白毫寺の萩

この写真は白毫寺の参道です。
前にも書きましたが、萩の花は万葉集で一番詠まれている花なのだそうです。


高円の 野辺の秋萩 いたづらに
     咲きか散るらむ 見る人なしに 
                
笠朝臣金村【万葉集 巻二 231】

(高円の野辺の秋萩が空しく咲いては散っていきます。もうご覧になる方がいらっしゃらないのに・・・) 

白毫寺は高円山の麓あたりに位置します。昔、志貴皇子(天智天皇の息子)の山荘がこのあたりにあり、それがお寺になったという伝えがあるそうです。上の歌の“見る人”とは志貴皇子で、彼が亡くなったことを悲しんで作られた歌だということです。
彼は平安遷都した桓武天皇の祖父にあたる方で、平安遷都直前になくなったとか。とすると、この歌は1200年ほど前の歌ということになります。

この歌に詠まれている萩は野辺にあったのだから、このような参道を埋め尽くしたような景色ではなかったと思います。しかし、平城京が見渡せる小高い場所で志貴皇子が萩を見ていたのかなあという想像はできました。

この万葉歌碑が境内にありました。


風や草木花の変化から季節の変化を感じ、昔の人の想いにふけってしまう秋の夜長でした。



今年撮影した写真の後ろに、数枚だけ昨年のものが入っています。
昨年の秋分の日は暑かったので歩いていたらビールが飲みたくなりました。
元興寺の門前にある酒店がお気に入りです。店先でちょこっといただくことができます。

↓画像クリック↓ スライドショーでどうぞ。

     
奈良にて


2011/10/22 20:11
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

立山登山

Photo


2年以上もブログを休んでしまいました。特別何かがあったというわけではなく、ただ何となく作成するエネルギーがでなかった・・・ということなのかな。私の日常は毎日同じことの繰り返しのようでした。だけど諸行無常です。

地球に生息するものはその環境に適応して生きています。環境が変わったら個体も変わらないと生は続かないわけです。高山で咲いている花は低地では育ちません。北極に棲むシロクマは氷がなくなると食糧が手にはいらなくなってしまいます。生きていくことは大まかに自分の置かれた環境で栄養を摂って成長し、子孫を繋いでいくことなんだとろうなと思います。

地球が誕生して約46億年、人類が誕生して約700万年だそうですが、他の生物と違って人間はちょっと特殊な存在のようです。環境に挑んで生きているというか、生きやすいように環境を変化させています。寒さ暑さに対して着衣やエアコンで温度調節して快適さを保つ、食糧を生産備蓄して飢えないようにする、便利な道具を作って単位時間の中で多くのことができるようにする・・・など他の生物が成しえないことをしています。人の欲求がそういう生き方を創っていったのでしょうね。


地球という星の生命軸で考えると地震は小さな変化なのかもしれません。でも、あの時そこに生きていた命にとっては何もかもが奪われた大きな災いでした。寿命50~70年の人間が知恵を出し合って歴史的に繋いでに作り上げた環境が、地球の振動で一瞬にして崩壊しました。さらに人間がより良く生きるためにと地球に挑んで構築したエネルギー産生システムの破壊から新たな脅威も発生しました。


諸行無常

崩壊した空間はそこにある生命によってどんどん変化していくことになるのでしょう。そのコツコツとした積み重ねはどんな環境を作り出すのか・・・。科学の恩恵にどっぷり染まって生きている私が言うのはおかしいけれど、地球のシステムを無理やりに変えるような環境でない方が生きやすいかもしれないと思ったりしています。他の生物のようにもっとスローで詰め込み過ぎない生き方に人間は変わっていかないだろうか。

震災をきっかけに日本人としてどのような環境で命の営みをすることが良いのかをこれまで以上に考えるようになりました。






10月の連休に立山に行きました。紅葉が見られるかなと思っていたのですが、室堂平についたら雪が降っていました(+o+) やばい!
宿の人に「明日は天気が良いから溶けるでしょう。明後日に登れるかも」と言われ、一日待って初めての雄山3003m登頂!一眼レフを抱えてザレ石と岩の道を登るのは苦しかったけど、ものすごい達成感がありました。

何百枚もの中から選んでwebアルバムを作りましたので、よかったらスライドショーで見てください。


↓画像クリック↓
立山2011年


[1]

TODAY 59
TOTAL 507611
カレンダー

2011年10月

1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
ブロコリblog