2013/05/23 23:16
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第七話 妹

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第七話




夕刻、ジェホが約束通り、シニョンの部屋まで
彼女を迎えに来た。
「シニョンssi、用意はいい?」

「ええ、いいわ」
『ジェホ』ではないジェホの登場にも少し慣れたが、
まだ彼の姿を見ると胸の奥が切なく疼いた。
それでも、『彼』の姿に会える喜びの方が優って
いるようだった。

シニョンは朝ジェホと交わした約束からの数時間、
『あの家』に行く心の準備をしていた。

ジェホとの短かった時間、それでも濃密に過ごした
あの家。
ジェホの最期の朝を、悲しく迎えたあの部屋へ。

一度はジェホを忘れるために決別したあの部屋へ、
足を踏み入れる決心は、シニョンにとって簡単では
なかったからだ。

パク・ジェホに導かれながら、次第に昔馴染んだ
道へと足を踏み入れていく。
その場所へ近づくにつれ、シニョンの胸の震えが
少しずつ大きくなっていった。

「ジェヨンは家に?」 
シニョンは動揺を紛らわすように、ジェホに笑顔を
作った。

「うん、朝電話したら、この時間には戻ってるって」
ジェホはシニョンの動揺をよそに、彼女と共に
帰宅している事実をことのほか楽しんでいるようだった。

「私が行くって話したの?」

「駄目だった?」 ジェホは確認するように言った。

「ううん・・そんなことないわ。
私に会いたいって思ってくれるかなって・・」
シニョンは瞳に微かに翳りを見せて、そう言った。

「どうしてそんなこと?当たり前じゃない。
 母さんはいつもシニョンssiに会いたがってたよ」
ジェホはシニョンの不安が杞憂であることを、強く伝えた。

「そう?」


《ジェヨン》

ジェホがこよなく愛した妹、ジェヨン。
18年前、兄のジェホを亡くした時の彼女の悲しみと絶望は、
実際、シニョン以上だったかもしれない。

幼い時から兄だけを頼りに生きて来た妹。
兄の保護下で、兄の愛に包まれて育った妹。
兄ジェホは妹ジェヨンにとって、親のような存在でもあっただろう。

《それなのに私は彼女の悲しみを慮ることさえ忘れていた》

本来なら・・・
自分がジェホに代わって守っていかなければならなかった
大切な妹を置き去りにしてしまった。
シニョンは、すべてを捨てて逃げてしまったのだ。

《合わせる顔がない》と思っていた。でも《会いたかった》

シニョンはジェヨンのことを考えると、懐かしさと、申し訳なさ
とが入り混じった複雑な気持ちになり、俯き加減に歩いた。
その時、俯いたその視界に、大きな手が見えて驚いた。
「ほら・・」 
ジェホはそう言って、シニョンに向かって再度手を差し出した。

「えっ?」 

「手・・繋いであげる。安心するでしょ?」 
ジェホはにっこりと笑って言った。

「・・・・・い・・いいわよ、子供じゃないんだから」
シニョンは思わず動揺してしまった自分が恥ずかしくなった。

「変なの。昔、シニョンssiがそう言って手を繋いでくれたのに」

「・・・あー・・思い出した。
 ジェヨンに叱られて、私に泣きついて来た時ね」

「泣きついてなんか・・・」

「ふふ、そのくせに・・・
 慰めた私に向かってあなたが言ったのよ」

「子供じゃない。そう言って膨れた」 
ジェホが笑いながら後を繋げた。

「子供だったくせに」 

シニョンはさっきまで抱いていた不安な気持ちが、いつしか
失せてしまっているのを感じた。





あのアパートは昔のままだった。
シニョンはしばらくその前に立ち止まって、その建物を
ゆっくりと見渡していた。

「シニョンssi・・入ろう?」

「あ・・うん、そうね」

ジェホに促され、シニョンはやっと部屋に続く階段を上がった。

ドアを開け、部屋に入ると、シニョンは思わず立ち止まった。
《そんなはずは・・・》

十二年前、シニョンがここを去る時に、家具全てを処分して
出たはずだった。
それなのに・・・
あの時のソファーがそのままの場所に置かれていた。

よく見ると、それは少しデザインが違っているのがわかった。
周りの装飾品や小物もジェホと過ごした部屋と同じような
色使いやレイアウトだと、シニョンは思わず苦笑した。

《きっとジェヨンがそうしたのだろう》 そう思った。

シニョンは置き忘れてきた時間が、勢いよく逆戻りする錯覚に
襲われ、めまいがするようだった。
それでも、隣でジェホが腕をしっかりと掴んでくれていたので、
持ち堪えていたような気がした。
シニョンは震える体を悟られないよう、静かに息を吐いて、
平静を保った。

「母さん。ただいま」 ジェホが奥の方に向かって声を掛けた。
すると、スリッパの音が慌ただしく聞こえて来たかと思うと、
ジェヨンがシニョンの前に姿を現した。
当たり前だが、大人の女性になったジェヨンがそこにいた。

ジェヨンはシニョンから少し離れたまま立ち止まり動かなかった。
そしてしばらくの間、感極まった表情を隠すことなくシニョンを見つめた。
その瞳が大きく揺れ、大粒の涙がみるみる溢れ出ると、直ぐに
嗚咽が聞こえた。
そしてジェヨンは、溢れる涙を一度拭うと、大きく息を吸い込み、
シニョンに駆け寄るなり、彼女の首にしがみついた。

「ジェヨン・・・」
シニョンがその名前を呼ぶと、ジェヨンは言葉の代わりに
回した腕に力を込めた。
ふたりは長いこと、抱き合ったまま、ただただ泣いていた。

ジェホはそんなふたりのそばで、ふたりが落ち着くのを静かに
待っていた。



「落ち着いたかい?」 
ジェホがシニョンとジェヨンの双方の肩に片方ずつの手を置いて、
優しく言った。
シニョンもジェヨンも涙を拭い、鼻をすすりながら、笑って答えた。
「大丈夫」

「さあ、ここに掛けて」 
またもジェホがふたりを優しく誘導して、ソファーに腰掛けさせた。
ふたりの保護者然とした彼が、ソファーの背もたれの向こうで
彼女たちの肩に触れていた。

シニョンとジェヨンは互いを見つめながら、口を開く準備をした。

「ひどいわ、オンニ・・・」 ジェヨンが先にシニョンに悪態を付いた。
「本当に一度も帰って来ないんだから」

「ごめん・・ごめんなさいジェヨン」 シニョンは素直に謝った。

「いっぱい話したいことがあったのよ。
 いっぱい、相談したいこともあった。
 いっぱい・・いっぱい・・会いたかったのに・・・」
ジェヨンはそう言いながら、大きな瞳にまた涙を溜めた。

シニョンはそんなジェヨンの髪を優しく梳きながら、何度も何度も
「ごめんね」を繰り返した。

「母さん・・もう泣くなよ。シニョンssiはもう帰って来たんだよ
 もうどこにも行かないんだよ・・・だから泣くなよ
 可笑しいよ・・まるで子供みたいじゃないか」
そういうジェホの目頭が濡れているのをみつけて、シニョンは
もう片方の手で彼の頭もそっと撫でた。
ジェホは気まずい姿を見られたとばかりに、即座に立ち上がり、
台所へと向かった。
「コーヒー淹れるよ」

シニョンは彼の強がりはきっと伯父さん譲りだと苦笑した。
「ありがとう、戴くわ」



涙の再会の後は、ジェヨンが用意してくれた料理を三人で
食べながら、楽しく会話を弾ませた。
専ら、その会話の種はジェホがもたらすものだった。
彼はふたりがいつまでも涙に暮れないよう、懸命に気を遣っていた。

「だからね、母さんたら、おっちょこちょいだから・・」

「ジェホ・・それ以上ばらさないで。オンニに呆れられちゃうわ」

「そんなことないよ、だから母さんは可愛いんだ」

ジェホは母親をとても大事にしているのだと、シニョンは微笑ましく
とても親子とは思えない若くて美しいジェヨンと逞しく育った
ジェホのふたりを交互に見つめていた。

「シニョンssi・・」 

「ジェホヤ・・伯母さんに『シニョンssi』は失礼じゃない?」 
ジェヨンがジェホを嗜めるように言った。

「ストッープ、オンマ。
 それはふたりの間では解決済み。余計なこと言わないで」
ジェホはジェヨンに掌を向けてそう言った。

「でも・・」 ジェヨンはジェホからシニョンに視線を移した。

「いいのよ、ジェヨン。その方が私も若返ったように錯覚するから」

「えーそれって、何だか・・オンニだけずるいじゃない?」

「じゃあ、ジェヨンssiって呼んであげようか?」 
ジェホがジェヨンに言った。

「何をくだらないことを言ってるんだ?」 
三人の背後から冷めた声が聞こえた。

ジェヨンの夫パク・ソックが玄関から入って来ていたことに、
話が弾んでいた三人は気づかず、突然の声に驚いて振り返った。

シニョンはソックに気が付き、即座に立ち上がった。
「ソックssi・・ご無沙汰してました」

「これはこれは・・お義姉さん・・お帰りなさい。長旅でしたね。
 こちらこそ、いつもお父上やお母上にはお世話になっております」
含んだ物言いに、シニョンは違和感を覚えたが、黙って笑顔を返した。

ふと気がつくと、今まで雄弁だったジェホが無口になり、
表情も強ばっているように見えた。

「お帰りなさい、もないのか・・・息子よ」
ソックはそう言いながら、ソファーに座っていたジェホの頭を
二度小突いた。
ジェホはその瞬間、すっくと立ち上がり、小柄なソックを見下ろした。

「な、何だ?文句あるのか?」 ソックが一瞬びくついたように言った。

「あなた、酔ってるの?・・向こうに行きましょう」 
ジェヨンがシニョンの手前、その場を取り繕おうと、ソックの腕に
触れて言った。
その瞬間、ソックがジェヨンの手を大きく振り払ったせいで、
彼女はソファーに尻餅付くように倒れてしまった。

「母さんに乱暴するな!」 
今度はジェホが乱暴にソックの胸ぐらを掴んだ。

「オヤジに向かって、その態度は何だ!」 
ソックも応戦しようとしたが、力はジェホが優っているようだった。

「止めなさい。ふたりとも」 
シニョンが仲裁に入ったが、ジェホはソックを睨みつけたまま、
掴んだ胸ぐらを離そうとしなかった。
「ジェホ!」 
シニョンは無理矢理にその腕をソックから引き離した。

「いったい、どうしたの?ソックssi・・」 
シニョンはソックに少し批判的な眼差しを向けて言った。

パク・ソック
ジェホの古くからの友人であり、ジェホの妹の夫となった男。
彼はカン・ジェホが病に倒れてからというもの、懸命にジェホや
シニョンの力になってくれた心優しい義弟だった。
あの頃のシニョンにとって彼がどれほど助けになったかしれない。

しかし
目の前にいる彼は、年を取り、やつれた上に、無精ひげを生やし、
美しく成長したジェヨンとは以前にも増して、不釣り合い過ぎた。

シニョンは昨夜、伯母から彼らの事情を少し聞いていた。

パク・ソックはカン・ジェホから生前、『一家の長』として
家族を託されていた。

それは彼にとって大きな励みとなったが、一方では抱えきれない程の
プレッシャーでもあった。
懸命に仕事に取り組んでいたものの、その後、仕事に失敗、
少ない財産すら無くしてしまっていた。

パク家の生計は専ら、ジェヨンがシニョンの父とジンスク伯母が
経営する会社で得る収入で賄うこととなった。
その後、シニョンの父がソックを会社に入れることを提案したが、
パク・ソックはそれを受け入れなかった。

その頃、ジェヨンが会社でも実績を上げ、高待遇になったこともあり、
自分が新たに身内の会社に参入することは、夫としてのプライドが
許さなかったのではないか、と伯母は言っていた。

その後もやることなすこと失敗。
息子ジェホが大人になるにつれ、彼から責められる度に、
「カン・ジェホ」から責められている気がしたらしく、全てが逆効果に
なってしまっていた。

シニョンは、俯くジェヨンと、父親に非難の目を向けるジェホを見て
何よりその二人の前で粋がるしかないソックが哀れでならなかった。

「シニョンssiの前で恥ずかしくないのか、オヤジ!」

「ガキのくせに、親に説教するのか!」

「何が親だよ、親らしいことをしてきたのか!」

「何を!」

ふたりの言い争いが次第に激高していくのを、ジェヨンは震えながら
祈るように胸の前で手を合わせた。

「いいかげんにしなさい!」 シニョンはふたりに向かって叫んだ。

「あんたには関係ない!」 
ソックがシニョンの体を跳ね除け、シニョンはその場に倒れてしまった。

その瞬間、ジェホが鬼のように激怒した。

「シニョンに何をする!パク・ソック!」

「だ、大丈夫よ・・私は大丈夫」 
シニョンは咄嗟にジェホの激しい怒りを沈めようとした。
しかし、彼の怒りは収まることは無かった。

「ジェヨン!」
ジェホがシニョンを抱きかかえながら、母であるジェヨンに向かって怒鳴った。
「だから!・・だから、こんな奴と結婚するな、と言っただろ!
 だから!許さないと、言っただろ!」

ジェホが発したその言葉に、シニョンも、ソックも、ジェヨンも
余りの驚きにその場で硬直してしまった。

そして誰よりも・・・
ジェホ自身の驚きを、その眼差しが語っていた。











2013/05/14 18:22
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創作愛の群像Ⅱ 第六話カン・ジェホの幸せ

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第六話



シニョンはキム・ジュンスが立ち去った車の後を目で追った。
その時、彼女の脳裏にひとつの疑問が浮かんでいた。

彼の車に乗ってからここに着くまでの間、自分の住所をいつ彼に伝えたのか。

話した記憶は無かった。
なら、彼はどうしてここへ辿り着いたのか。

この辺りの路地は特に分かりにくい。
例え住所を伝えていたとしても、韓国に来たばかりの彼が、道案内無しに
容易に辿り着くとも思えなかった。

《何故?・・・それに・・あなたはいったい・・・誰なの?・・》




シニョンは、登校すると直ぐに学長室へと向かった。

彼女が学長室の扉をノックすると、中から直ぐにギルジンの声がした。
「どうぞ」

部屋に入ると、正面に設えた学長机にギルジンがいた。

既に執務中だったギルジンが視線を上げてシニョンを認めると言った。
「シニョン・・早いな」 

「ええ、初めての授業だから、緊張しちゃって・・」

「緊張?新人でもあるまい?・・・
 NYでもかなり優秀な講師だったと聞いたぞ」

「それはどうかしら」

「それより、昨日は悪かったな。
 ジョンユンが朝『自分が何かやらかさなかったか』と心配してたよ。
 悪い癖だが、酔うと記憶が無くなるんだ。許してやってくれ」

ギルジンが申し訳なさそうに、昨夜の出来事を口にした。
シニョンもジョンユンのことが気になっていたので、ジルジンの方から
そのことに触れてくれたことに安堵した。

「そんな・・許して欲しいのは私の方だわ。それで先輩、話したの?」

「いいや・・あいつはお前との再会をすごく喜んでる・・・。
 だから、そのままにしておきたい。・・・悪いが、お前も忘れてくれ」

「ええ、もちろんよ。・・・何とも思ってない・・・ううん・・私の方こそ・・
 ジョンユン先輩に申し訳なくて・・だから・・もう忘れて」

「シニョン・・申し訳ないなんて思うな。あいつが余計に辛くなる。
 こうしてお前が韓国に戻って来てくれた・・それだけであいつは救われてる。
 きっともう、悪夢を見ることも無くなるさ・・・もう・・・苦しまないさ・・・」

ギルジンはそう言いながら、苦渋な表情を見せた。
シニョンは彼のその表情を見ると、申し訳なさがまた蘇った。

それは、今まで彼らが自分のためにどれほど辛い思いをして来たのかを
思い知らされるようだったからだ。

《ふたりとも・・・沢山苦しんでいたのね・・・全部私のせいね・・・》

シニョンはふたりの友人に対して懺悔の気持ちで一杯だった。
しかし、彼女はもうそのことを口にするまいと思った。

「先輩・・・愛してるのね、ジョンユン先輩を」
そう言って、シニョンはギルジンに笑って見せた。

「無論だ」

「ふふ・・」

《これからはふたりに、うんと友達孝行するわね、先輩・・・》


「あ・・それより先輩、聞きたいことがあるの」

「ん?」

「キム・ジュンス先生のことだけど」

「ん・・」

「実は昨日あれからジンスク伯母のところに寄ったの」

「ジンスクssi?・・あ・・ああ、そうか・・・ごめん、昨日話しておこうと思っていて・・
 あの騒ぎで忘れてたよ。会ったのか?伯母さんの家で・・」

「ええ、泥棒と間違えた・・彼を」

「泥棒?・・おいおい、いくらなんでも」

「だって、まだ薄暗い朝にゴソゴソしてるから」

「ゴソゴソって?」

「水飲もうとしてた」

「水?・・・」

「ね、それより、どうして伯母の家なの?
 この学校のそばだって、小奇麗なアパートは沢山あるでしょ?」

「ああ、俺もそう言ったんだ。不便じゃないかと思ってな。
 しかし、彼の要望だったんだ。
 幼い時に住んでいた家に似た家を探してると・・・
 具体的な希望を言ってきたんだ。古い韓屋のような・・・
 そしたらジンスクssiの家が直ぐに浮かんで・・
 彼女も一人暮らしだったしな。用心棒代わりにどうですって、持ちかけた、
 というわけだ」

「ふーん・・・」

「どうした?お前がクレームつける権利はないだろ?
 伯母さんが了解したんだから」

「クレームつけてるわけじゃ・・」

「なら、文句言うな。ジンスクssiは喜んでくださってる」

「知ってる」

「なら・・・」

「ね、彼に私の家の住所教えた?」

「お前の?」

「ええ」

「いいや」

「そう・・・じゃあ、伯母さんかな」

「いったい、何があったんだ?」

「ううん、何も?・・・ただ、気になったの・・・
 ところで、彼はどうしてこの学校に?」

「ああ、それか・・・それがよくわからないんだ。
 アメリカではかなり優秀な教授だったらしくて、
 教育界でも有望視されてたみたいだしな・・・
 なのに、どうして韓国なんだ?って疑問もあった
 しかもレベル的にはもっと上の大学もあるのに・・」

「聞いてみなかったの?」

「みたさ」

「なんて?」

「生まれ故郷で生活してみたかった、と言ってたな
 この辺りに住んでいたらしい」

「彼、いくつなの?」

「んー・・・確か、40になったばかりだ」

「ふ~ん、そうすると18年前は22歳ね・・・この学校の出身とか?」

「いいや、彼はアメリカで30年は生活してる。大学はハーバードだ」

「ああ、そうか。そう言ってたわね、昨日」

「どうした?そんなに気になるのか?
 それより思い出したのか?彼とどこで会ったのか」

「思い出してたらこんなこと聞かないわ」

「そうだな」

「聞いてみたのか?」

「うん・・はぐらかされた感じ」

「会ったことがあるというのも、意外と冗談じゃないのか?」

「冗談言う人に見える?」

「ん・・・そうだ!シニョン・・これは学長としてではないぞ。
 お前の兄貴としての想像だ、聞くか?」
ギルジンは《思いついた》とばかりに、勢いよく椅子から立ち上がると、
シニョンの前で机に軽く腰掛け、言った。
「思うに。だ。奴はきっと昨日会った時、お前に一目惚れしたんだ。
 それでお前の気を引くためにひとお芝居打った、ってのはどうだ?」
ギルジンは調子よく言いながら、手を叩いて見せた。

「・・・・・・本気で言ってるの?」
シニョンはそんなギルジンを横目で睨んで見せた。

「なわけないか」

「先輩・・・本当に学長?」 シニョンは呆れたようにため息を吐いた。

「確かな」 ギルジンは腕を組んで、確かめるように上を仰ぎ見た。

「チィ・・」




学長室を後にしたシニョンは自室に戻った。
今日から始まる自分の授業のために気持ちを切り替える必要があったからだ。

今は9月。韓国の新学期である3月からは既に半年が過ぎている。
途中から学生のカリキュラムに参加することは簡単なことではない。
シニョンは、余計なことを考えるのは今はよそうと思った。

参考書を開き、カリキュラムに目を通すと、授業内容の確認に取り掛かった。

その時、上空で複数の飛行機の飛ぶ音がした。
シニョンはその瞬間、胸が締め付けられ苦しくなる発作に見舞われた。

《また・・・》

いつものことだった。
彼女は慌てることなく、自分のバックから小瓶に入った錠剤を取り出し、
それを口に含んだ。

その時だった。ドアが突然勢いよく開かれた。

「大丈夫ですか?」

キム・ジュンスだった。

「えっ?」
シニョンは驚きの眼差しで彼を見た。

「あ・・いえ・・飛行機の音が結構うるさかったでしょ?
 驚いたかと思って・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

ふたりはしばらく目を合わせたまま、制止していた。
少ししてシニョンの方から口を開いた。
「・・・飛行機の音がしたから?」

「あ・・いえ・・僕の・・部屋・・隣なもので・・・」
あのキム・ジュンスにしては、話す言葉がしどろもどろのような気がして
不思議な気がした。

「・・・それで?」

「あ・・あぁ・・はは、僕が驚いたんです。ごめんなさい
 大丈夫なら・・それでいいです」

「・・・・・・」

ジュンスは慌てふためいたように部屋を出て行った。
シニョンは首を傾げ、不思議そうな眼差しを閉まったドアに向けていた。
気がつくと、胸の苦しさが解消していることに気がついた。

《大丈夫・・って・・・私の発作のこと?まさかね・・・》




「シニョンssi!」
遠くから呼ぶ聞き覚えのある声に、シニョンは笑顔で振り返った。

ジェホだ。
やはり一瞬、タイムスリップでもした錯覚に捕らわれる。

ジェホは全速力で走って彼女に近づくと、苦しそうな息を整える間
シニョンの腕をしっかりと捕まえていた。

「おはよう、ジェホ」
シニョンは改めてパク・ジェホをしみじみと見つめた。
幼かった彼の顔と予想もしなかった彼の成長後の姿を重ね、
感慨深い思いに駆られた。

「今日から授業だよね。僕も受けるよ」

「そうなの?」

「成績、甘くしてね」 ジェホは甘えるように言った。

「ジェ・ホ・・」 シニョンは優しく窘めるように名前を呼んだ。

「冗談だよ。大丈夫。僕は優秀だよ。伯父さんに似て」

「そうなの?」

「ところで、シニョンssi」

「ジェホ・・そのシニョンssiはどうかと思うわ」

「どうして?シニョンssiのこと、昔からそう呼んでたよ、僕。
 ・・・覚えてない?」

「・・覚えてる。・・・生意気だったもの、あなた」

「そう?」 
シニョンは不思議な気分だった。まるで・・・
《私のジェホ》が若くなって戻ってきたような気がして、心をくすぐられた。

「でも、少なくとも学校では止めなさい」

「あ・・そうだね、じゃあ、学校では『先生』と呼ぶよ。
 でも、一歩ここを出たら・・・いいよね」
ジェホは高い背をシニョンに合わせて低くすると、彼女の視線に合わせ
請うように言った。

「ふふ・・しょうがないわね」

「はは・・やった。では、イ先生、教室に参りましょうか」

「ええ、パク・ジェホ君」

「ジェホ!」 ふたりが並んで歩きだした時、キム・ミンスが駆け寄って来た。
ジェホは《邪魔された》とばかりに、彼女を疎ましそうに見た。

「ジェホの伯母様・・いえ、イ先生、おはようございます」

「あ・・おはよう。あ・・キム・・ミンスssiだったわね」

「はい」 
ミンスは答えたが、どうもシニョンに対して友好的な眼差しとは取れなかった。

「あなたも・・」《私の授業に?》
「一緒に行こう?ジェホ」 
ミンスはシニョンの言葉に被せるように言って、彼の腕に自分の腕を回した。

《あら?無視された?》シニョンは心の中で苦笑した。

するとジェホが自分に回された彼女の腕を直ぐに払いのけた。
「止めろ」

ミンスはその瞬間、シニョンに視線を流し、恥を掻かされたとばかりに
顔面を強張らせたが、直ぐに笑顔に戻して言った。
「ジェホ、どうしたの?伯母さんの前で恥ずかしいの?」

ミンスはお構いなしに再度ジェホの腕を取り、離さなかった。
ジェホは、ミンスに対して悪態をつきながら教室へと向かっていた。

シニョンはそんなふたりの後ろをゆっくりと続いた。



教室に入ろうとする時、キム・ジュンスの姿が前方に見えたので
シニョンは声を掛けようと口を開いたが、彼は無言で彼女の横を通り過ぎた。

《え?・・無視された?》

先程は、自分が発作を起こした時に、彼がまるでそれを知って
駆けつけたかに見えた。
それはきっと気のせいだったかもしれない。

しかし、確認してみたかった。
なのに・・・

さっきのキム・ミンスといい、キム・ジュンスといい・・・
《キムって名前・・やな感じ》 シニョンは両肩を上に上げた。





「イ先生!」 
授業が終わって、シニョンが教室を出ると、ジェホがその後を追って来た。
シニョンは小声で彼に聞いた。「どうだった?授業」

「うーん・・・・」 ジェホは唸りながら、考える様に上を見上げた。

「な・・なによ・・」 シニョンは心配げにジェホの顔を覗いた。

授業中、シニョンの視線はどうしてもジェホに向かっていた。
ジェホは「カン・ジェホ」と同じ眼差しで真剣に授業に取り組んでいた。

「あんなもんじゃない?」 ジェホは生意気な言い方で言った。

途端にシニョンは立ち止まって黙り込んだ。

「うそうそ・・すごくわかり易かったよ、ほんと、ほんとだよ」
ジェホは振り返って、慌てたようにシニョンに視線を合わせた。

「ジェホ・・伯母さんをからかうのはよしなさい」

「・・・伯母さんて、誰?」

「パク・ジェホ」

「ごめん、ごめん・・ね、イ先生、今日は僕の家に来てくれるでしょ?
 昨日ハルモニの家に行ったって聞いたよ。
 だったら、今日はうちだよね、母さんも楽しみにしてるんだ」

「え・・ええ・・そうね」《そうね、ジェヨンに会わないと・・・》
「そうするわ」

「やった。じゃあ、下校時間に先生の部屋に寄るよ」

「ええ」

ジェホは本当に嬉しそうにシニョンに手を振って、駈け出して行った。


シニョンは、楽しげに去っていくパク・ジェホを見つめながら、
ふと、カン・ジェホと過ごした日々に思いを巡らせた。

《ジェホ・・・あなたはあの頃・・
 彼のように学生生活を楽しんでいたかしら・・・
 あんなふうに・・幸せに笑っていたかしら・・・》

シニョンはカン・ジェホが生活の為に身を粉にして働き、大学に入ったこと。
授業料を節約するために早期卒業を必死に狙ったこと。
そのあとに起きた数々の不運。
それを運命と言ってしまったら、余りに哀し過ぎる。

シニョンはその頃に思いを巡らすと、今でも胸が切り裂かれる思いだった。

《振り返らない、と誓ったのに・・・やっぱり・・・駄目ね》

シニョンは立ち止まって目を閉じると、ゆっくりと息を吸い込んだ。
遠いあの日、この空気の中にいたジェホと触れ合うかのように。

その頃・・・
ジェホが本当に幸せだったのかはわからない。

彼との思い出は、苦しみと悲しみばかりだったようにも思われる。

私は彼をほんの少しでも幸せにしたんだろうか・・・
彼は私といて、ただの一度でも幸せを感じたんだろうか・・・

思い出せなかった。

《でも・・・》

《でも・・・私がどれほど彼を愛していたかだけは・・・

 ・・・しっかりと・・・覚えている》




 


2013/05/05 18:10
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創作愛の群像Ⅱ 第五話苦手な相手

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第五話


「どうして?・・・」 
シニョンはまだしっかりと握った竹刀を彼に向けたまま言った。

「力を緩めてもいいですか?」 ジュンスはそう答えた。

「えっ?」

「今手の力を緩めると、この竹刀が僕を直撃しそうです」
彼は片手で掴んでいる竹刀に視線を流して言った。

「あ・・」 
シニョンは自分が振り上げた竹刀に、今気がついたとばかりにそれを下ろした。

「おちおち、水も飲めないな」 ジュンスは鼻で笑って小声で呟いた。

「どうして、あなたがここに?」 
シニョンは聞こえよがしの彼の言葉にムッとしながら再度聞いた。

「それはそっくりあなたに返したい。どうして僕の家にあなたが?」
ジュンスもまた嫌味な口調で言った。

「僕の家?」

「ええ・・正確には僕の借りている家、ですが」

シニョンは彼のその言葉に、思わずジンスクに振り返った。
「伯母さん・・・」

「シニョン・・・ギルジンに聞いてなかったの?」 ジンスクが言った。

「先輩に?・・・」

「ギルジンに頼まれて、この人に部屋を貸してるの
 今週からね・・・もう五日になるわ」

「貸してる?」

「同僚なんでしょ?あなたたち・・・
 ギルジンがとっくに話したと思ったから、知ってるものとばかり・・・
 それに昨夜は遅かったし・・ジュンスssiも休んでいたしね。
 紹介もできなかった。でも驚いたわ、シニョン。あなたがこんな早起きだとは・・・」
ジンスクはそう言いながらあくびをした。

「そう・・だったんですか・・・」

「ジュンスssiも驚かせてごめんなさい、うちの嫁なの、この子は」

「嫁?」

「ええ、私の亡くなった甥の」

「ああ、そうでしたか。失礼いたしました、イ・シニョンssi」

「あ・・いえ、こちら・・こそ・・・ごめん・・なさい」 
シニョンはしどろもどろになりながら、持っていた竹刀を後ろ手に隠した。
その時、ジュンスが昨日と同じように、俯き加減に小さく笑った。

「あの!」 シニョンは一度は謝ったものの、彼のその態度で、
胸に閊えていた疑念がまた呼び起こされ、彼を再度睨みつけた。

「何か?」 
しかし憎らしいことに、ジュンスはまったく動じない様子でシニョンを見下ろした。

「何か可笑しいですか?」 シニョンはそう言って、さっきよりも高く顎を上げた。

「いいえ、何も」

「だったら。そんな不愉快な笑い方は止めて欲しいわ。」

「不愉快な笑い方・・ですか?」

「ええ。昨日も、今も・・・あなた、私を馬鹿にしているとしか思えない」

「馬鹿に?・・それは誤解だ」

「そうかしら」

「ええ、誤解です」

「キム・ジュンスssi。
 アメリカでは確かに年齢に関係なくフランクに人に接することあるけど
 ここは韓国なの。ご存知かどうかわからないけど韓国は
 年齢や経験の先輩後輩のけじめが厳しい国柄よ
 郷にいっては郷に従え、というでしょ」
シニョンはジュンスに向かって、お説教じみたことを言い出した。

「ええ、承知しています」 ジュンスはあっさりと答えた。

「念の為に言っておきますけど、あなたより、私の方が年上よ」 

「・・・・・ええ、かなりね」 ジュンスは眉を上げて、当然だというように言った。

「か・・」 シニョンはいともひょうひょうと答えてくれたジュンスに対して、
呆れてしまい、続ける言葉を失ってしまった。

「もういいですか?」 さっきまでの噛み付かんばかりの勢いが何処かに消えて、
静かになってしまったシニョンに向かってジュンスが口を開いた。

「何が?」 シニョンはまだ戦えると言わんばかりに顎を上げ直した。

「水を飲んでも」 

「水?・・・・・・ど、どうぞ?」 

「なら・・・」

「えっ?」

「そこをどいてください」

気がつくと、シニョンが水道の蛇口の前で陣とった形で立ち塞がっていた。
シニョンはまるで振り上げた拳を引っ込めるように、体を蛇口の前から避けた。

《ふざけてる。限りなくふざけてる》
シニョンは本当に水を飲み始めたジュンスを睨みつけながら、胸の内で叫んでいた。


背後ではふたりのやり取りをよそに、ジンスクがごそごそと動き出していた。
さっきまで休んでいた布団を畳んでいたのだった。

「伯母さん、まだ早いですから、休んでください
 起こしてしまってごめんなさい」 シニョンは慌てて言った。

「もう目が覚めてしまったわ、食事の支度に掛かりましょう」 
ジンスクは幾度もあくびを堪えながら、台所へと消えた。

ジュンスとふたり残されたシニョンは、忽ち身の置き所に困ってしまった。
「伯母さん、私も・・手伝います」 

「イ・シニョンssi」 立ち去ろうとするシニョンをジュンスが呼び止めた。

「何?」 シニョンは身構えて言った。

「これ」 ジュンスはさっきまでシニョンが持っていた竹刀を差し出した。

「あ・・」 シニョンはいつの間にか手から離してしまった竹刀を彼から受け取ろうとした。

「これ・・・僕が使ってもいいですか?」

「えっ?」

「泥棒退治に・・・」

「・・・・・・」




朝食の支度が済む頃、居間ではジュンスが当然のように食卓に座って
自分の家のごとく、新聞を片手に寛いでいた。

「どうして彼も?」 
シニョンは彼に聞こえないようにジンスクに小声で聞いた。

「食事付きなの」 伯母は嬉しそうにそう言った。

「どうして?そんなの・・伯母さんが大変だわ」

「少しも大変じゃないわ。一人分作るのも二人分作るのも同じよ。
 それに誰かが食べてくれる方が張り合いがあるでしょ?
 自分の食事も手を抜かなくなる。一石二鳥というものよ。
 だから、私の方から提案したの」

「だって、何処の誰かもわからない人を」

「あなたの大学の教授でしょ?何処の誰か、わかってるじゃない」

「そうだけど」 シニョンは素直に解せないというように、口を尖らせた。

「ほら・・運びなさい」 ジンスクがシニョンに料理を盛り付けた大皿を渡した。




「いただきます」 
ジュンスは行儀よく手を合わせると、気持ちのいいほど箸を進めた。

「遠慮がないのね」 シニョンは少しばかり意地悪く言った。

「ジンスクssi・・すごく美味しいです」
ジュンスはシニョンを無視して、ジンスクに笑みを投げた。

《図太い奴》

「沢山食べなさい。何が食べたいか、遠慮なく言ってね、ジュンスssi
 こう見えても、どんな料理でも上手よ」
よく食べるジュンスを見て、ジンスクも事のほか嬉しそうだった。

「はい」 ジュンスもまた素直に気持ちよく答えた。

ジンスクはジュンスをまるで我が子を見るような眼差しで見つめていた。
シニョンは嬉しそうなジンスクを眺めながら、きっとこの五日間で
彼女はキム・ジュンスのお陰で幸せを取り戻したのかもしれない、と思った。
その幸せに自分が水を刺す権利などないのだ、と改めて感じた。

シニョンは目の前のふたりを眺めながら、小さな溜息とともに、
少しずつ心を穏やかにしていった。

そして、我が子のようだったジェホの死で失い、自分が補えなかった幸福感を、
まったくの他人のキム・ジュンスという男が、伯母に与えている事実を
認めるべきだと感じていた。




シニョンは朝食を済ませると、『登校時間の前に着替えたいから』と
伯母の家を早く出た。
少し歩いていると、見知らぬ車が彼女の横でぴたりと止まった。
キム・ジュンスだった。

「乗ってください。送ります」
ジュンスは窓を開けて、シニョンに向かって言った。

「大丈夫です。タクシーを拾います」
シニョンは再度歩きを進めながら答えた。

「こんなに早くタクシーは走っていませんよ。」
ジュンスの車はゆっくりと彼女を追って来た。
「いいから、乗って!」 
有無を言わさぬ彼の口調に、シニョンは従うしかないように思えて、
しぶしぶ車に乗り込んだ。

しかし、直ぐに後悔した。
何を話せばいいのか、いくら頭を巡らしても言葉が見つからなかったからだ。
ジュンスもまたなかなか口を開かなかった。

まだ活気のない街中を抜ける間、シニョンは無言で窓の外を眺めていた。

「気まずいですか?」 しばらくしてジュンスがやっと口を開いた。

「えっ?」

「僕といると」

「あ・・いえ・・そんなわけでは」

「・・・正直だな。顔がそう言ってます」

「えっ?」

「『この人苦手だ』って」 ジュンスは無表情に淡々とそう繋げた。

《そういうあなただって正直過ぎるわ。もう少し愛想よくしたら?》
そう心で呟きながら、シニョンは彼を軽く睨んだ。

「愛想が無くてごめんなさい。性分です」
まるでシニョンの心を読んだかのように、彼は相変わらず淡々と言った。

シニョンはジュンスのその慇懃とも取れる態度に大きくため息をついて、
昨日学校での出会いから胸にしまっておいたことを切り出した。

「ええ、苦手です。だから教えて欲しいわ」

「教える?何をです?」

「私と・・・何処で会いました?私とあなたはいったい何処で出会ったんですか?」
シニョンは『さあ、答えなさい』と言わんばかりに、ジュンスに体ごと正面を向けた。

「ああ、そのことですか・・・」

「ええ。昨日からず~っとここがモヤモヤした気分なの」
シニョンはそう言いながら自分の胸をさすった。

「なるほど」

「なるほどって・・」

その瞬間車が止まった。
シニョンはシートベルトを無視した態勢だったために、よろけてしまい
思わずジュンスの袖を掴んでしまった。

「・・・・・・」
ジュンスは自分の袖を掴んだシニョンの手に、無言のまま冷めた視線を落とした。

「あ・・ごめんなさい」 シニョンは慌ててその手を彼の袖から離した。

「・・・・・・・着きました」 彼はまたも平静に言った。

「えっ?」

「降りてください」

「えっ?」 車窓の外を見ると、既に自宅前だった。

ジュンスは車を降りて、助手席に回りこむと、ドアを開けた。
シニョンはジュンスに促されるまま車を降りたが、直ぐにはそこを動かなかった。

「答えは?」 シニョンはジュンスを見据えて言った。

「答え・・・ですか?」 ジュンスはまたも「フッ」と横を向いた。

「ええ」《さあ、言って》

するとジュンスは軽く頷くようにして、シニョンに視線を向け、言った。
「・・・・あなたはきっと思い出します。それが答えです」

そしてジュンスは車に戻り、素早く車をUターンさせると、その場を立ち去った。

「・・・・・・どういう意味?」 
シニョンは怪訝な表情で首を傾げ、立ち去った車の後を視線で追った。
彼女には訳がわからなかった。
彼の不可思議な態度に不愉快を通り越して、呆れてしまっていた。

《いけない、学校に遅れるわ》
シニョンは気を取り直して門扉へと向かった。
門扉の取っ手に手をかけた瞬間、シニョンは動きを止めた。
そして、不思議そうな表情で、今しがた立ち去った車の方を見やった。

「私・・・彼に住所・・伝えた?」






2013/05/04 15:01
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第四話 彼の笑顔

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第四話



シニョンはジェホの写真を前にして、しばらく動けなくなっていた。
写真は葬儀の時に使われた写真立のままで、彼はその中で
昔と変わらない笑顔を向けていた。
その横には彼が好きだった黄色の薔薇が咲き誇るように活けられ、
傍らには彼の好物のトッポギなどが所狭しと供えられていた。

「座りなさい、シニョン」 背後からお茶を持って現れたジンスクが声を掛けた。

「えっ?・・あ・・はい・・・」 
シニョンはジェホの前に敷かれた座布団の上に腰を下ろし、ジンスクに視線を向けた。

「ごめんなさい。こんな遅くに・・・今夜お訪ねするつもりはなかったんです。
 落ち着いたら、きちんとご挨拶に伺おうと・・・」

「わかってるわ、シニョン・・・」

ジンスクは笑顔でシニョンの言い訳を遮った。

「ごめんなさい」

「もうよしなさい、謝る必要が何処にあるの?」

「はい・・・ごめんなさい・・・」

「・・・元気にしてたの?」 
ジンスクがそう言いながら、膝の上に置かれたシニョンの手に自分の手を重ねた。
「病気はしなかった?」
そしてジンスクは、もう片方の手でシニョンの髪に触れ、慰めをくれた。

「・・・はい・・・」 今度はシニョンが堪えきれずに両手で顔を覆った。

「この子ったら・・・年に一度の『元気にしてる』の葉書だけで
 声のひとつも聞かせてくれなかった」
ジンスクは口では諌めながらも、シニョンの髪を優しく撫でていた。

シニョンはこの12年、身内にさえひどい裏切りをしていた。
それは長いこと、ジェホと繋がる誰とも話をする勇気が持てなかったからだ。

それでも、彼らには自分の安否を伝える努力はしていた。
父と母そしてこの伯母の三人に欠かさず毎年Bithday Cardを送った。
『自分を心配してくれるな』と『どうか元気にしていて』と願いを込めて。

その頃の彼女は、それが唯一人間としての最低限のルールを守ることだと、
自分に言い聞かせていた。
それが彼女には精一杯のことだった。

だから父や母が自分に対して、『親を捨てた』と罵りたくなる気持ちも理解できた。

しばらくしてやっと、シニョンは落ち着きを取り戻して、出されたお茶を口にした。
お茶はまだほんのりと温かく、何より伯母の心が温かく、体の芯まで
癒してくれるようで、彼女はほうっと息を吐いた。

ジンスクは彼女のその様子をただ黙って見つめていた。

「落ち着いた?」

シニョンは無言で大きく頭を二度縦に振った。

「ところで、ジェホに会ったんですって?パク・ジェホ」

「ええ」

「驚いたでしょ」

「ええ、とても」

「私も未だにあの子が来るとドキッとするわ」

「そうでしょうね・・・瓜二つですもの」

「性格もよく似てるのよ」

「本当に?」

「ええ、頑固で、一本木で・・・だからなのか、父親とよくぶつかってるわ」

「ソックssiと?」

「ええ、ソックもいけないのよ。自分の息子に言われる言葉が
 カン・ジェホに言われているような気がするみたいで、直ぐに本気になるの
 『あいつにはジェホが乗り移ってるんだ』って、
 『だから俺のことが嫌いなんだ』って、くだらないことで騒ぐの・・
 まったく・・どっちが子供なんだか・・・」

シニョンはジンスクのその言葉だけで、昼間のジェホの
父親の話題で見せた一瞬の暗い顔が理解できたような気がした。

「ジェヨンは?」

「あの子は大丈夫よ。しっかりしてる。
 今は私の仕事を手伝ってるわ」

「仕事を?」

「聞いてなかった?」

「ええ」

ジンスクはシニョンの父の仕事の共同経営者でもあったが、
彼女は仕事の細かいことは何も聞かされていなかった。

「この10年は、会社も順調だったのよ。
 きっと、あなたのことを忘れるために、私たちは仕事に打ち込めたのかも」
そう言ってジンスクはシニョンを優しく睨んだ。

「・・・・・・」

「ジェヨンも子育てしながらうちで働いてもらっていたの」

「そうだったんですか」

「最近はお父様が事業から少し手を引き始めて・・
 あの子が私の補佐をやってくれてる。
 あなたのお父様も彼女を頼りにしてくださってるし、
 そろそろ私たちの後継に、とも考えてるの」

その話を聞きながら、シニョンは嬉しそうに微笑んだ。
ジェホの妹ジェヨン、あの子のことがずっと気掛かりだった。
ジェホが幼い時から守ってきた愛しい妹。
それなのに自分は彼女を思いやる余裕さえ持ち合わせていなかった。
そんなジェヨンが、しっかりと生きてくれていたことが、心の底から嬉しかった。

「まだ会ってないんでしょ?あの子に」

「え・・ええ・・・今度の休みに行くつもりです」

「あの子達があの家に住んでいること、最近知ったんですって?」

「ええ、もう売り払ったものとばかり思っていましたから。正直驚きました」

「そうする予定だったの、本当は。まだ事業が軌道に乗らないころね
 あの家を処分しようって・・・
 でもあの子が・・ジェヨンが頑なに反対したのよ」

「ジェヨンが?」

「あの家がないと、オッパもオンニも戻る場所が無くなるって
 そう言って懇願したの。あなたのお父様に。
 自分が頑張って仕事するからって言ってね」

「そんなことを?」

「この家も大分古くなったでしょ?」 ジンスクは周りを見渡しながら言った。
「周りからは新しい家に替わるように薦められてたのよ・・・
 でもできなかった・・・私もあの子と、ジェヨンと同じ気持ちだったから・・・
 ジョホが・・・あの子の魂が戻る場所を無くしたくなかったから・・・
 それから・・・あなたが戻る場所もね」

「・・・・・・」

「あなたのお父様もそうよ。昔の家を買い戻すのに苦労なさっていたわ。
 既に他の人が住んでいたしね。
 相場の倍近く払って、無理無理買い戻したの。
 『この家なら、シニョンが戻って来られるはずだ』
 そう言ってね。・・・聞いてなかった?」

シニョンは溢れる涙をそのままに、大きく横に頭を振った。

「私は・・・親不孝ものですね」

「そうね・・・親不孝だわ。
 でもそのことがお父様達の仕事への活力にもなったような気もするわ」

「でも、父も母も・・・許してくれそうにありません」

「そんなことはないわ。あなたが戻ると聞いて、お父様がどんなに喜んだか、
 お母様がどれほど声を震わせて泣いたか・・・
 知らないでしょ?」

「・・・・・・」

「私もそうよ。あなたを待ってた。ジェホを待ってたの。
 だってね、ジェホのことだから、あなたについて行ってしまって、
 お盆さえもきっと、ここに帰って来なかったはずだから」

シニョンはジンスクの言葉に、泣き笑いを見せた。

「ごめんなさい」

「そうね・・・あなたはお父様たちに沢山謝らなきゃね 
 でも私にはもう止めなさい、謝るのは。
 こうしてジェホを連れて戻って来てくれたんだから・・・」
ジンスクはそう言いながら、ジェホの写真を見た。
「最近ね・・・あの子がここにいるのを感じるの・・・
 『やっぱり、シニョンと隠れていたのね』って、
 今朝も写真に向かって怒鳴りつけたところよ」

「・・・伯母さん・・・」

「シニョン、もう遅いから今夜はここに泊まっていきなさい。
 お母様には連絡しておくわ。
 今夜は私と布団を並べて、お話しましょう。いいでしょ?」

「はい」





朝の陽の光が硝子障子から差し込むより早く、シニョンは目が覚めた。
布団の中で遅くまで語り明かしたジンスクは、まだ傍らで寝息を立てていた。
シニョンは起き上がると、ジェホの前に座って、しばし彼を見つめた。

「・・・・・ジェホヤ・・・もう過去を振り返っては駄目よね。
 私・・・強くならないと、みんなをまた傷つけるわね。
 でもねジェホヤ・・・あなたを忘れることはできそうにもない。
 だって、18年掛かっても私・・この有様よ。
 忘れようと努力するなんて無駄なことだって・・わかったの。
 だから、決めたわ。
 私は・・・あなたをここに抱いたまま一緒に生きようと思う。」
シニョンはそう言いながら胸に手を当てた。
「ねぇ、ジェホヤ・・・私が笑えばきっとあなたも笑うでしょ?
 私が幸せなら、あなたも幸せよね。・・・そうでしょ?」


その時、中庭の方で物音がした。
シニョンはそうっと立ち上がって扉をゆっくりと開けた。
まだ薄暗い中、敷地の中央に動く人影が見えた。

この家は、長屋の住人だったインスク達が独立した後、ジンスク以外
誰も住んでいないはずだった。

「誰?」
シニョンの声にその人影は驚いたように、持っていた手桶を落とした。

「誰なの?泥棒?・・・ど・・泥棒!」

シニョンのその声に、ジンスクが驚いて目を覚ました。

「どうしたの?シニョン!」

「ど・・泥棒です」 
シニョンはそう叫びながら、瞬時にジェホの写真のそばにあった竹刀を手にした。
そして勢いよくその不審な影に向かって突進した。
しかし、その竹刀はぴたりと動きを止めた。
強い力で掴まれた竹刀と共に、シニョンは身動きが取れなくなってしまった。

「は、離しなさい!離して!」 
シニョンは竹刀を掴んだまま力一杯に身を捩った。

「静かに」 その影が落ち着き払って静かに言った。

「な・・」

「落ち着きなさい、イ・シニョンssi」 その声が凛として言い切った。

「えっ?」

シニョンはふいに名前を呼ばれたことで驚き、力が一瞬緩んだ。
そして掴まれた竹刀の上の方を下から恐る恐る見上げた。

「あ・・・」《あなたは・・・》
「ジュンスssiじゃないの」 
シニョンの背後から、ジンスクが彼女より先に彼の名前を呼んだ。

「えっ?」 シニョンは呆気にとられて、言葉を詰まらせた。

「ジョギングからの帰り?」 ジンスクが笑顔を向けて、彼にそう言った。

「ええ・・起こしてしまってすみません。ジンスクssi」
ジュンスもまたジンスクに笑顔を向け、そう答えた。

「えっ?」

シニョンにはわからなかった。
あのキム・ジュンスがどうしてここにいるのか。
どうして、ジンスクは彼を知っているのか。

そして何より、
ジンスクに向けたくったくのない彼の笑顔に、興味を唆られる自分が

不思議でならなかった。










2013/04/05 01:16
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第三話 鏡の中の私

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第三話 鏡の中の私




「本当にキム教授と初対面じゃないのか?」 ギルジンが不思議そうに言った。
シニョンはその問いに肩をすぼめ、無言で《わからない》と答えた。

「だったら・・どういうことだ?さっきの・・」

「私に聞かないで・・あの人、私を辛かってるんだわ、きっと」

「そんなわけないだろう?」

「ああ、思い出したわ。この学校に初めて登校した日。
 私をからかって面白がってた憎たらしい奴が、ひとりいたわ」

「はは・・いたな・・お前は本気で怒ってた」

「ふふ、この学校と私、相性悪いのかしら」

「はは、そうかもな・・・しかし・・キム先生のこと・・本当に覚えがないのか?
 アメリカで近所に住んでたとか
 仕事の関連で出会ったとか・・・彼も教師だし」
ギルジンはキム・ジュンスのシニョンに対する態度が気になって仕方ないようだった。

「う・・ん・・・」 シニョンはギルジンに促されて記憶を辿ってみた。
「・・・やっぱり覚えないわ。だって、会ってたらきっと覚えてると思うもの」
脳裏に彼の頬の大きな傷跡が過ぎったが、口には出さなかった。

「そうか・・しかし、冗談を言うような男には見えなかったがな」

ギルジンはひと月ほど前、面接のため、キム・ジュンスに初めて会った。
正直愛想がいい男とは思えず、心に引っかかるものがあったが、
それでも、この学校には過ぎた経歴を持つ彼を採用しない手は無かった。

ところが今日、シニョンと接している時のキム・ジュンスは別人のようだった。
人間味を垣間見せた彼に、ギルジンは逆に好感を持つことができた。

「そんなことより、先輩。今日は何をご馳走してくれるの?」
シニョンはギルジンの車の助手席のドアを開けながら言った。

「ああ、さっき、ジョンユンに連絡しておいたよ。彼女もお前に会えると喜んでた。
 大急ぎで病院を出ると言ってたよ。
 しかし・・悪いがその・・彼女料理はあまり得意じゃないんでね、
 きっと何処かに出前を頼むか、買ってくるはずだ。いいか?」
そう言いながらもギルジンは嬉しそうだった。

《幸せなのね、先輩・・・》そう思うと、シニョンにも自然と笑みがこぼれた。

「ふふ、お構いなく。ジョンユン先輩に会えるだけで十分よ。
 料理が得意じゃないのも知ってる」 
シニョンはシートベルトを締めながら、笑った。

「ま、お前も似たりよったりだからな」 
ギルジンもまたシートベルトをして、エンジンをかけた。

「悪かったわね」

「ところで・・その苦手な手料理でも《食べさせたい》と思う人は現れなかったか?」

「んー・・ひとりならキムチにご飯だけでも充分じゃない?
 誰かの食事の心配なんて・・面倒だしね。
 それに・・一人暮らしはこの上なく気楽だったわ」 

「そうか?」
「そうよ」

「・・・気楽に暮らしていた顔じゃないな」 
車を発進させる前にギルジンはシニョンの顔を覗き込んで言った。

「何よ・・・」 

「ほら、その顔だ」

「どんな顔よ」

「私にはもう、幸せはいりませんって顔」

「嘘ばっかり」

「お前のここに聞いてみればいいさ」 ギルジンは自分の胸を押さえながらそう言った。
その言葉に、シニョンはわざとらしく目を閉じ、自分の胸に手を当てる仕草をしてみせた。
そして三拍ほどして、彼女はぱちりと目を開け、言った。

「・・・・・・・・・当たり。だって」

「バカヤロ」 ギルジンがシニョンの頭に軽く拳骨を振り下ろした。

「昔と同じね」 シニョンは拳が降りた後を掌で撫でながら笑った。

「何がだ?」

「先輩にはどうしてか、本心が言える」

「その本心が人をどれだけ傷つけるか、もう覚えたか?」

《そうね、あの頃の私は先輩を沢山、沢山傷つけてた》

「ええ、覚えたわ
 だからね、本心は鏡にぶつけてたの」
 
「鏡?」

「うん・・鏡・・・そしたら傷つくのは鏡の中の私だけでしょ?
 『もうあなたのことなんて、これっぽっちも愛してない』
 『あなたのことなんて、とっくに忘れちゃったわ』って・・
 『あなたがいなくて、大嫌いな料理も作らなくていいし、
  毎日自由で、楽しくて仕方ない』って・・・」

「それで?」

「・・・・・・鏡の中の私がね・・
 涙をぽろぽろ流しながらこっちの私を見てるの。
 可哀想に、って顔して・・・
 こっちの私は少しも悲しくないし・・泣いてもいないのに・・・」

「・・・・・・」

「するとね、その中に彼が現れるの・・・
 『シニョンssi・・泣かないで』って・・
 ・・・彼が鏡の中の私を・・・労わるように抱きしめてるの・・・」

「・・・・・・」

「・・・だから・・・来る日も来る日も・・毎日・・そうしてた。
 そうしたら、彼に逢えるから・・・」

「・・・・・・」

「・・・先輩・・・」

「・・・何だ」

「・・・・私・・・ちっとも・・・大人になれない」 シニョンはそう言って、涙を一筋こぼした。

「・・・ずいぶん、シワは増えたぞ」 ギルジンが意地悪くそう言った。

「チィ・・」 シニョンは頬を伝った涙を手の甲で拭いながら、悪態をついた。

ギルジンはため息と共に、心の中で呟いた。

《ジェホ・・・お前・・・
 どうしていつまでも・・・こいつを放してやらないんだ》




「シニョン!」 
ギルジンの家に着くと、ジョンユンが待ちかねて玄関先でふたりを待っていた。
そしてシニョンが車から降りるやいなや、彼女を抱きしめて離さなかった。
「シニョン・・シニョン・・シニョン・・・」
シニョンの名前を呼びながら、彼女の目には涙が溢れていた。

「先輩・・・苦しいわ・・・」 シニョンの頬を濡らすジョンユンの涙が、温かかった。

「あ、ごめん・・・よく来てくれたわね。会いたかったわ」
ジョンユンはシニョンをやっと離してそう言った。

「うん、私も会いたかった」

シニョンがそう言うとまた、ジョンユンは彼女を強く抱きしめた。

「おい、いつまでここにいるつもりだ?
 中に入ってからでも挨拶はできるだろ?」 ギルジンが言った。

「ごめん、ごめん・・シニョン、さあ、中に入って」

「ええ」

ふたりの家に入ると直ぐに、落ち着いた装飾のリビングに案内された。
リビングの中央に置かれたテーブルの上には、ところ狭しと料理が並べられ、
既に小さなパーティーが開かれるばかりになっていた。

「すごい・・」

「言っておくけど、私が作ったわけじゃないわよ」 
ジョンユンが、高級レストランのメニューのような料理を前にしてそう言った。

「言わなくていいのに」 シニョンは笑いながら返した。

「今日は随分と張り切ったな。この出前は近所の屋台じゃなさそうだ」

「ギルジン!」 ジョンユンはギルジンの胸を肘で突いた。

「ふふ、先輩・・ありがとう」

「ほら、座って。再会に乾杯しよう」

こじゃれたワインクーラーに浸されていたワインのボトルを取り出して
ジョンユンは満面の笑顔で、ギルジンに《開けて》とばかりに差し出した。



「何年ぶりだろう、こうして三人で飲むの」 
シニョンがワインを飲み干して、ため息混じりにそう言った。

「20年位になるな」 ギルジンもまた感慨深げに言った。

「そうね、学生時代の気分よ、今」 ジョンユンも言った。

「それは言い過ぎだな」

「そんなことないわ。
 いつまで経っても不思議と頭の中は若い時のままなのよ。
 残念なことに、体はついて行ってないけどね」
ジョンユンがワインをグイと飲み干して《もう一杯》とグラスを差し出しながら言った。

「あ、それわかる。
 頭の中のスピードと体のスピードの速度が合わないって感じ」
シニョンが大げさに目を見開いて同調した。

「そうそう」

三人はまるで大学時代の飲み会のように、つまらない話題で笑い
昔のように互いをけなし合い、じゃれあって、長く過ぎ去った時間を
急いで飛び越えた。



「先輩、もう帰らないと」 シニョンが腰を上げながら言った。

「ああ、そうだな。もうこんな時間だ・・車を呼ぶよ」

「えーー、もう帰るの?イ・シニョン!まだ帰さないわよ」 
ジョンユンがワインで赤く色づいた顔で、少しろれつが回らない調子で言った。

「先輩、また来るから」 シニョンはジョンユンに言った。

「ダメ!・・あんたは嘘つきなんだから
 また何処かへ行っちゃうんだから!」 ジョンユンは声を張り上げた。

「おい、もう何処にも行かないよ、シニョンは」
ギルジンはジョンユンの体を支えながら、宥めるように言った。

「嘘をつくなー!」

「嘘じゃないわ、先輩、もう何処にも行かない。また来るわ」

「信じないぞ、イ・シニョン!あんたはね!
 会いたくなかったくせに!私に会いたくなかったくせに!」

「そんなことないわ」

「・・・・・私が・・私が・・・ジェホを殺したって思ってるくせに!
 私が嫌いなくせに!また何処かに消えてしまうんでしょ!」
ジョンユンは完全に泥酔していた。

「先輩・・・」

「わーーー!」 ジョンユンが大声で喚いたかと思うと、泣き崩れてしまった。
「ごめん・・ごめん・・シニョン・・ごめん
 あんたの大事な大事なジェホを助けられなくてごめん・・・」

「先輩・・・」

「今だったら・・・今だったら・・・助けられるのに・・・
 時間を戻したいよ、シニョン。・・・時間さえ戻ったら・・・助けられるのに・・・
 ごめん・・・ごめん・・・シニョン・・・ごめん・・」

ジョンユンはそう喚きながら、いつの間にかソファーにもたれかかり、眠ってしまった。

「許せ、シニョン。酔うといつもこうなんだ。
 今の医学なら、ジェホを助けられたって、必ずこうやって泣くんだ」 
ギルジンはジョンユンを抱き起こしながらそう言って、ジョンユンの髪を撫でた。

「ううん・・ううん・・・」 シニョンは大きく首を横に振った。

「わかってやってくれ・・・こいつもお前に去られて、ひどく傷ついたんだ」

「わかってる・・・わかってる・・ごめんなさい」 
シニョンはジョンユンに対して、申し訳なさで一杯だった。
「ごめん・・私こそごめん・・・先輩・・・」
シニョンは眠ってしまったジョンユンを抱きしめて、心から詫びた。



帰りのタクシーの中で、シニョンは涙が溢れて仕方なかった。
自分だけが苦しんでいたと思っていた情けなさに、嫌気がさした。

自分が韓国を捨ててしまったあの時から、

父も苦しんでいた。
母も苦しんでいた。

ギルジンもジョンユンも・・・

そして・・・


「ここで止めてください」

シニョンは車を降りると、少し歩いて、ひとつの小さな門をくぐった。
懐かしい韓屋には灯りがひとつだけ点っていた。
すると中から声が聞こえて来た。

「どなた?」

懐かしい声と共に部屋の中から、その人が現れた。
ジェホの伯母チョン・ジンスクだった。

「伯母さん・・・シニョンです」

「シニョン・・・」 間も無くジンスクの目から涙がこぼれ落ちた。

「不義理をして申し訳ありませんでした」

「・・・・・・」 ジンスクはしばらくシニョンを見つめた後、両手で顔を覆った。

シニョンはその場を動けず、黙ってジンスクを待った。
少ししてジンスクが涙を拭い、大きく息を吸って、平静を取り戻した。

「よく来たわ。帰国してたのは聞いていたのよ
 でもあなたがこうして訪ねてくれるのを待ってたの」

「はい・・・」

「さあ、上がって」

部屋に上がると、シニョンはぴたりと足を止めた。
そこにはジェホがいた。
正面に飾られた彼の笑顔の大きな写真が彼女を出迎えた。

シニョンは韓国を去る時、ジェホの写真はたったの一枚も持って行かなかった。
戻って来てからも、彼の写真は一度も見たことがなかった。

しかしここにはジェホがいた。

アメリカの地で・・・いつも鏡の中の私を抱きしめてくれた

ジェホがいた。











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